閑話◇槍を取る者
【個体名】ギ・ガー・ラークス
【種族】ゴブリン
【レベル】87
【階級】ノーブル・ガーディアン
【保有スキル】《槍技C+》《威圧の咆哮》《雑食》《必殺の一撃》《王の信奉者》《投槍》《武士の魂》
【加護】なし
【属性】なし
【状態異常】右腕、左足欠損により戦力60%低下
主を見送った後、ギ・ガーは支えてくれていたギ・ダーに礼を言うと、槍を杖代わりにしてひどく苦労して歩き出した。
主がいない集落で最も階級が高いのは、自身である。
戦力として数えられないのは、屈辱でしかなかった。
無事な左腕に槍を握り、右足だけで跳びながら何とか進む。
何をするにも不便だった。例えば肉を食うときも、槍を置いて齧り付かねばならない。あるいは物を掴む時も、槍をその場に突き立てて掴まねばならない。
「ぐぅ……」
王を守っての名誉の負傷。わかっている。
そのことに後悔などあるはずもない。
だが、己と同じように四肢のどこかを失った仲間達は日に日に体力が衰え、食も細くなっていく。このままでは、死に至るのではないか。
飯を食うのも、歩くことさえ自分たちは今一匹ではできないのだ。
それが悔しい。
たかが、足一本。腕一つ。それだけを失っただけではないか。
なぜそれだけで死なねばならないのか。戦いの中でではなく、緩やかに首を絞められていくような死に方を許せるはずがない。
王は言ったのだ。
再び轡を並べて戦ってくれと。
ならば!
ならば、だ!
自身の役割は、その為に腕一つと足一つで戦って見せることだ。
ぎり、とかみ締めた歯が鳴る。
杖にしていた槍を持つ手に力をこめる。
反動を利用して、一瞬だけ体が自由になる。その瞬間、持っていた槍を思い切り横薙ぎに振るった。
風を薙ぐほどの一撃。
だが、その後がいけない。思い切り振るった槍の反動に体が耐え切れなかった。
地面に倒れこむ時に、つい傷口の方で手を着こうとしてしまった。
結果、傷口を体の下にしてしまう。
「ギ、ギィィギ」
目の前に火が広がっている。
そう錯覚するほどの痛み。
その痛みが通り過ぎてから息をつく。
足がないというのがこれほど面倒だとは思わなかった。踏ん張れないのだ。
そして失った腕の所為でバランスが取れない。
なんとかしなければいけない。
痛みが徐々に治まるのを待って、槍を杖にして立ち上がる。
木に背を預けて、槍を振るってみる。
これでは力が入らない。
どうすればいい? どうすれば……。
試行錯誤を繰り返して、その度に失敗する。
気づけば、空を見上げて眠っていた。
腕と足がないのだ。体力もなくなっていて当然か、とギ・ガーは再び目を閉じる。
まだ暖かい季節だ。
死ぬことはないだろう。
目が覚めたら、また槍を振るわねば。
◇◆◇
リィリィは、流民たちに手が掛からなくなったおかげで、時間を持て余すようになっていた。その時間を彼女は集落の見回りに当てている。もし、ゴブリンと人間とが争ってしまえば、また緊張感と恐怖の時間が始まってしまう。
それは勘弁してほしい。
弛緩した、というのは少し違うが、ゆっくりとしている今の時間をリィリィは大切にしたいと思っていた。
「リィリィ殿、いかがしました?」
声をかけたのは、水術師ギ・ゾーだった。人間に近しい容姿。すらりとした体型に、赤黒い肌と獰猛にすぎる視線、さらには口元のぎらつく牙さえなければ、人間として見えなくもない。
ローブをまとった姿は、まるで学者か何かのようだと、リィリィはこっそり考えながら、返事をする。
「いや、見回りだ。私たちも増えてきたから、諍いが起きたら大変だろうと思って」
にやり、とギ・ゾーが笑う。
リィリィからはどう見ても冷笑しているように見えるのだが、本人たちからすれば普通に笑っているだけだというのだから異種族間の壁は厚い。
「それはありがたい。今集落の力は落ちていますからな。先日新しくゴブリンの幼生も生まれたばかり。リィリィ殿が見回ってくれれば我らも狩りに集中できる」
言葉だけ聴けば、物腰柔らかい印象を受ける。
顔さえ見なければ、というわけで彼女は腕を組んで目を閉じながら彼の言葉を聴いていた。
「ああ、ギ・ゾー殿もさぞ大変だろうが、頑張ってくれ」
「いえいえ、我らと人間との間に立たれていたリィリィ殿の苦労に比べれば、私の苦労など大したことではありません」
ギ・ゾー本人としては、にっこりと微笑んでいるつもりの笑顔をリィリィに向ける。
「ああ、ではな」
立ち去ろうとするリィリィに、ギ・ゾーは声をかける。
「あ……申し訳ないのですが一つお願いをしてもよろしいでしょうか?」
悪巧みをしているようにしか見えない笑顔を、リィリィは振り返って見る。
「ああ、私にできることなら」
「ギ・ガー・ラークス様のことなのですが」
声を潜めるギ・ゾー。
「最近、昼も夜も集落の隅で槍を振るっておられる様子……我らでは、その……」
「ふむ」
珍しいこともあるものだと、リィリィは腕を組む。
ギ・ゾーは困り果てているという表情で、事情を説明する。基本的にゴブリンの世界は、完全な階級社会だとリィリィは認識している。
上のすることは、間違っているはずがない。下はそれに従うのが当然。
人間の社会でも往々にしてあることだが、その自由度や思考の幅において、ゴブリンと人間とでは隔絶たる差がある。
しかしギ・ゾーは、ギ・ガーの行動が間違っていると言いたいらしい。
「なんとか、ギ・ガー・ラークス様には、安静にしておいて頂きたいのです」
「わかった。そういうことなら、あなた方よりも私の方が適任だろう」
「おお、やってくれますか!」
困り果てた様子から、愁眉を開くギ・ゾーの様子に彼女は苦笑する。
ずいぶんわかりやすい。おそらく人間のように感情を隠したりする術を、彼らは知らないのだろう。
未開と言い切ればその通りだが、それが必要のない社会というものは悪いことではないと最近考えるようになっていた。
「ぜひ、お願いします」
頭を下げるギ・ゾーに頷くと、ギ・ガ-がいる場所に向かって歩き出した。
向かう途中で、槍を担いで頭を抱えながら歩くギ・ダーに出会う。
見るからに悲嘆にくれている様子の彼に、リィリィは声をかけてみた。
「ギ・ダー殿?」
「……あア、人間、リィ殿か」
背の低いゴブリン・レアのギ・ダーが抱えていた頭を上げて背の高いリィリィを確認する。
「お悩みのようだが、私に力になれることがあるか?」
こちらは人間とは明らかに違う顔つきだ。
皺が入った顔に、禿げ上がった頭、先ほどのギ・ゾーと比較するならその肌の色のみが似ているところしかない。これで同じ種族だというのだから、わからないものだ。
「おレは、どうシタら、良い?」
その場で蹲ってしまいそうなほど落ち込み、深く悩むギ・ダーの姿に、その肩に手を置いて親しく話しかけてみる。
以前なら考えられないことだな、と頭の片隅で考えながら、しゃがんで目の高さを合わせる。
「あア、やはリ、リィ殿は、いいニンゲンだ」
はぁ、とため息をつくギ・ダーは悩みを打ち明ける。
「ガー様ノ事ダ」
「ああ、そのことならギ・ゾー殿にも頼まれたが」
「本当カ!?」
くわっと目を見開くギ・ダーの様子はかなり迫力がある。一瞬のけぞりそうになって、慌てて態勢を整える。
「ああ、なんとか修練を止めさせてやってくれと」
「チガう。違ウ……ガー様が望ムなら、それは正しイノだ。そうデハなく、ガー様の足ヲ生ヤシては、クレないカ?」
「足を生やせ、と?」
聞き間違いではないかと、リィリィは確認するように問いかけるが、ギ・ダーは頷いた。
「槍は、足ガ、ないトだメなのダ」
地面に両の足を張ってこそ、力が入る。それは剣も同様だ。
初心者は剣を腕だけで振ろうとするが、それは間違いだ。剣術でもっとも大切なものは眼の良さ。次いで足捌きといわれる。
まだそこまでの剣術に到達していないリィリィであったが、実戦を経験した彼女からしても足が大事というのは非常に納得のいくものだった。
踏み込み、飛びのき、踏ん張る。力は足から腰へ伝って、最終的に腕に行き着く。経験として知っているその動きに、リィリィは頷く。
ゴブリンと人間、種族は違っても、武器を扱う術は変わらないらしかった。
「それは、分かるが……」
「なラ、レシア殿ニ頼んデ……」
縋る様なギ・ダーの視線に、リィリィは首を振る。いかにレシアといえども、腕や足を生やすことはできないと言っていた。
「残念だが、レシア様にも不可能だ」
「ソウか。リィ殿、ありガとウ」
ため息をつくと、ギ・ダーは再び頭を抱えて歩き出す。
「ありがとう、か……くそ。単純だな、私は」
柄にもなく、ありがとうなどと言われて心が痛んだリィリィは、地面に八つ当たりをする。
止めさせるか、それとも続けさせるか。
そんなことを自身が決めてしまっていいのか。ゴブリン達の尊敬を集めるギ・ガーの今後を、自分が決めてしまっていいのか。忸怩たる思いを抱えながら、リィリィはギ・ガーの元へ歩き出した。
レシア様に聞きにいきたい。
その考えに頭を振る。
「しっかりしろ、何もかもレシア様に頼ってどうする!」
腰に差した長剣の柄を握り締める。眼を閉じて気持ちを落ち着ける。
「落ち着け、落ち着け……リィリィ」
柄に巻いた荒い布の手触りが気持ちを落ち着ける。
彼女は一歩を踏み出すのがこんなにも怖いことだとは、今まで知らなかった。
それでも彼女は一歩を踏み出す。
逃げ出したら、それこそレシア様に顔向けできないし、ゴブリン達からの信頼を裏切ることになる。
◇◇◆
その様子をなんと表現したらいいのだろう。
転げまわる様子は、無様としかいいようがない。だが、痛みをこらえ、それでもなお立ち上がるその姿は、気高い魂の在り処を確かに彼女に示していた。
長い片腕で突き出す槍は、確かに敵を殺せる速度を持って繰り出される。だが、やはり片足のためか、一撃を繰り出すたびにその場に崩れ落ちる。
だが、それをなんとかしようと繰り出した槍を瞬時に引き戻し、地面に突き立てようと工夫を繰り返している。
腕を失ったことを頭が理解していないのだろう。
バランスが悪いのも状況の悪化に拍車をかけている。
荒く息を吐き出し、青い体は擦り傷だらけで土埃にまみれている。
だがそれでも、自身の行いに一点の曇りもなく槍先を見つめる姿は、冒険者リィリィをして、激しい感情を自覚させずにはいられなかった。
最初は、困惑。そして徐々に胸に広がる熱い気持ちに戸惑い、自覚するうちに冷静なはずの自分の足が勝手にギ・ガーの方に進んで行った。
地面に転がるギ・ガーの前に来ると、その槍を蹴り飛ばす。
「……なんの、つもりだ?」
荒い息をつきながら、視線だけを上げるギ・ガー。
その視線を受け止め睨み返して、リィリィは剣を抜く。
「剣に誓って問うぞ」
騎士の物語に聞いた制約の言葉。剣に誓う、ということは嘘を言えばその場で首をはねられても文句を言うことはできない。
磨き上げられた白刃が陽光を受けて煌く。
「なぜ、そこまでする? 王のためか? そんなに敵を殺したいのか!?」
片腕だけで上体を起こしたギ・ガーはその場に座って、リィリィを睨む。
「約束の為だ。王は約束してくださった。再び、共にと!」
ぎり、とリィリィは奥歯をかみ締める。
この場にいないあのゴブリンの王を、思い切り蹴り飛ばしてやりたい。
「……足が、ほしいか?」
「あればそれに越したことはない。だがそれがなくとも、俺は戦うぞ」
本気なのは、今までの行動から証明済みだった。
彼女は負けたと思った。突きつけた刃が徐々に力をなくして、ついには切っ先が地面につく。
「私は今お前の槍を蹴り飛ばした」
「無礼なことだ」
「ギ・ガー、お前に決闘を申し込む」
「……受けて立とう」
「三日後だ」
「よし!」
その場から逃げるように、リィリィは走ってレシアの所に戻った。