犠牲
【種族】ゴブリン
【レベル】5
【階級】ロード・群れの主
【保有スキル】《群れの支配者》《反逆の意志》《威圧の咆哮》《剣技B+》《果て無き強欲》《王者の魂》《王者の心得Ⅰ》《青蛇の眼》《死線に踊る》《赤蛇の眼》《魔力操作》《狂戦士の魂》《三度の詠唱》《直感》《王者の心得Ⅱ》
【加護】冥府の女神
【属性】闇、死
【従属魔】ハイ・コボルト《ハス》(Lv1)灰色狼(Lv1)灰色狼(Lv1)
【状態異常】《聖女の魅了》
集落から少し歩いた森の中。
「ここならいいだろう」
俺と狂神に魅入られたレア級ゴブリンが対峙する。
「あ、ア、主……」
目に揺れるのは憎悪から困惑、悲観などさまざまな負の感情。それが敵意という一点に集中されて俺を射殺さんと見つめてくる。
「狂神よ。なぜこの者が気に入ったか知らんが、好きにはさせぬぞ」
「ぐ。グ、グゥゥヴルゥ゛ゥアゥゥゥヴ!」
口からは涎を垂らし、既に瞳は焦点をなくしている。
未だ癒えていない戦傷からは血が迸り体は痙攣を繰り返していた。
狂神。
レシアから仕入れた情報によれば、戦いの中で生まれた神だそうだ。元は友愛の神だったが、戦友が傷つき倒れ、そのあまりの悲しみに心が耐え切れなかったために狂い神となった。
「ア、あ゛、ぁ主、……な、ナに故ニ」
狂神に精神を犯されながら、俺に言いたいことがあるようだった。
「ギギギィ・ガァァア゛ードのガァァアアァ!」
ギ・ガーが……?
耐え切れなくなったのか、その凶悪に盛り上がった腕が振りかぶられる。
「アァぁあ゛ァァア!」
感情に任せた拳が、空気を切り裂く。
だが、そんなものよりも放って置けない発言だ。
「ギ・ガーがどうしたというのだ!?」
振り下ろされる拳を、避ける。
「ナァにぃい゛ユェにぃ!」
振り下ろされた拳は、地面を砕き拳まで埋まる。
「あぁぁア゛あぁ゛アァアアア!」
埋まった拳をそのままに、鋭い犬歯をむき出しにして俺の首筋に噛み付いてくる。
ギ・ガーが、どうしたと!?
一瞬の空白の後、俺の脳裏にオークキングを仕留めたときの声がよみがえる。
確かにあのときギ・ガーの声がした。
最悪の予想が脳裏を走る。
ぼうっと考えてしまった俺に、狂神に魅入られたゴブリンの拳がまともに入る。脳天を揺さぶられ、無様にも吹き飛ばされてしまう。
いくら狂神の力を借りているとはいえ、ここまで強化されるものなのか。
階級3つ分をひっくり返すその力に、不謹慎にも有用性を考えてしまう。
だがっ!
「ぎぎキィィぃぃぎぃぃ!」
繰り出される拳を押さえ付ける。歯軋りの音が間近に聞こえるほどに、大きい。
なるほど、狂人とはこのようなものをいうのか。
「ギ・ガーがどうしたというのだ!」
押さえ付ける拳を徐々に押し戻す。
「アァぁあ゛ァァアっ!」
拳を押さえられたまま頭をでたらめに振り回し頭突きをしようとするゴブリンに、軽く舌打ちした。
自身の予想の甘さを呪わずにはいられない。
敵として対したなら、さしたる障害でもないゴブリンを、傷つけずに戦いをやめさせることがこれほど厄介だとは。
狂神の力で強化された腕力と機敏性、無軌道にただ相手を殺そうとする攻撃。何よりも、ギ・ガーのことが気になって戦いに集中できない。
視界に映る拳。
──まずい!
集中できない俺の隙をついて、抑えられた腕とは反対の腕を俺に当てる。
思ったよりもずっと重い一撃に、思わず手を離してしまう。
「くっ」
「アァガアァア゛あ゛ぁぁア!」
今は、抑えるのが先か。
四肢を地面についてこちらを伺う様子は、まるきりタガの外れた獣だ。
「すまん……許せよ」
ゴブリンが四肢に力を込めるのがわかる。その瞬間を狙って、《威圧の咆哮》を発動。
「グルゥゥアアァア!」
だが、《狂犬》の発動しているゴブリンには効果がない。そんなことは承知だ。
しかし狂犬化したゴブリンが敵と見なしている相手の咆哮を聞いて、黙っているほど大人しいとは思えなかった。
そして予想通り。
「ギギグゥアアアァア!」
魂すら振り絞った咆哮を放ち俺に向かって飛び掛ってくる。
その一撃を、体を横にずらすことによって最低限の動きで避ける。と同時に首の後ろを頭上から首をへし折るつもりで強打する。
《狂犬》が発動している状態でダメージ40%が減少されるのを計算に入れた攻撃だが、一歩間違えば瀕死の重傷を負わせてしまう一撃だ。
受けるゴブリンよりも、むしろ俺の方が恐々撃っているといっていい。
だが、運良く俺の放ったそれはゴブリンを一撃の下に沈め意識を手放させることに成功する。
その体を抱え上げ、集落に向かって走った。
最悪の想像ばかりが、脳裏を駆け巡る。
ギ・ガー、無事でいてくれ!
◆◇◇
戦の後、重傷者の治療のために建物を丸ごとひとつレシアに預けている状態だ。その建物の中に、ゴブリンを抱えたまま入る。
その中の光景に俺は絶句する。
「ギ・ガー……」
俺の呟きにギ・ガーは目を開ける。右腕は肩から先がない。左足は膝から下がなく巻いた包帯には青い血が滲んでいる。
「主……ご無事で?」
「ああ、……ああ! お前のおかげだ!」
ゴブリンを横に置くと、俺はギ・ガーに駆け寄った。ほかのゴブリン達も目を開けて俺とギ・ガーを見つめているが、それに対して俺は何も返すことができなかった。
「ならば、良かった」
俺の言葉に安心したのか、ギ・ガーは目を閉じる。
「……ああ、そうだな。これからも俺のために尽くせ。こんなところはお前の死ぬべき場所ではない」
片頬だけを吊り上げて、ギ・ガーは笑う。
「主は、厳しい」
「……当たり前だ。これから俺の戦うべき相手は、もっと強大でもっと増える。そんなときに、お前がいなければ誰が俺の身辺を守るのだ」
「うれしきお言葉」
俺は黙ってうなずく。
「主、お願いが……」
「なんだ?」
「この者達にもねぎらいの言葉を」
視線を向ける先には、傷つきこちらを見つめるゴブリン達。
「ああ、当然だ。当たり前だ」
震える足で立ち上がり、俺は一匹ずつに声をかけて回った。
足をやられたもの、片腕を失ったもの、頭をやられ生きているのが不思議なもの、その全ての肩を叩き視線を交わして、戦いの労をねぎらう。
そうして最後に再びギ・ガーの前に来る。
「ギ・ガー。生きろよ……必ずだ」
「ですがこの体では……」
もはや戦えないと、嘆息するギ・ガーの肩を叩く。
「方法は俺が考える。もう一度、俺と轡を並べて戦ってくれ」
「主……」
そう言って俺はその建物を出た。
「……で、あれの足は駄目なのか?」
外に出たところで、レシアに尋ねる。
気を使ったのだろう、壁に背をもたれ掛けながら、レシアは空を見上げていた。
「ええ、四肢の欠損は私では無理です」
「そうか」
それだけ聞いて、足を進める。
胸の中で燃え盛る炎は、消しようがなかった。
集落を飛び出すと、一気に湖畔まで駆け抜ける。
湖に向かって俺は叫ぶ。
「グゥゥオアオオオアァアァアア!!」
俺の魂を吐き出してしまいたい。
もはや戦えないのだろう。戦うための戦士が、もはや戦えないのだ。
この苦しみを咆哮に乗せて、何もかも吐き出してしまいたい。
レシアの治癒の力をもってしても、千切れた手足は戻らない。
考えが及ばなかったわけではない。
覚悟もしたつもりだった。
だが、どこかで俺は目を背けていたのだ。
戦いの陶酔と強敵を打ち破る興奮の中で、俺は結果を考えていなかった。
少し考えればわかるはずだ。
犠牲の意味を。
その重さを。
俺は、俺は──。
ギ・ガーの腕と足を奪ったのは俺だ。
俺は、20匹のゴブリンの犠牲の重さを、本当の意味で理解していなかった。
その犠牲を、無駄にするわけには行かない。
この痛みを忘れることは許されない。
この苦しみから逃げることは許されない。
必ず俺は、王へと至る! 必ずだ!
「ルゥゥアアルルルアアァアア!」
凪ぎ渡る湖水に向かって、俺は吼えた。