鬼獣豚狩りⅡ
開けた道を歩くオークには、絶対的な自信があるのだろう。
手にした無骨な棍棒を、握りながら周囲を睥睨していた。
自分は捕食者であるとの確固たる自信。
それが一概に悪いものであるとは言い切れない。自信は風格を生み出し、余計な摩擦を避けることもあるだろう。
だが、今回ばかりはそれが仇になる。
悠然と歩くオークの足下には、昨晩俺達が仕掛けておいた罠の存在。
茂みに隠れて獲物が罠にかかるのを、俺は今か今かと待ちかまえていた。
「グゥ…」
罠の手前、脳みそなどあってないようなはずのオークが立ち止まる。
鼻をひくつかせて周囲をうかがうオークに、冷や汗が流れる。
早く進めと願う俺の思いとは裏腹に。
「グゥルオオ!」
叫びだすオーク。
まさか気づいたのかと思った瞬間、俺の隣で悲鳴があがった。
「ガ、ガ、ガア!」
オークの叫びに恐慌状態となったゴブリンの一匹が、茂みの中から飛び出したのだ。
まずい、と思う間もなく叫んでいたオークの視線が飛び出した俺の手下に向かう。
「グガァァ!」
内心で舌打ちすると同時に俺も飛び出す。
「そこ二、いロ」
他の手下に命じると同時、刃の欠けた長剣を振りかざして、オークに斬りつける。
恐ろしく固い手応えに、思わずしびれる指先で握った剣を握りなおす。
まるで、太い大木を斬りつけたかのような手応えだ。
案の定オークの薄皮を斬っただけの一撃は、オークに大したダメージを与えることもできはしなかった。
「ギュルウルウアオアア!」
だがオークの目をこちらに向けることには成功したようだった。
怒りの咆哮をあげて、俺に視線を向ける。
途端、腹の底に震えが走る。体に重りを付けられたように、腕が、足が重い。
あのオークに見つめられた瞬間、まるで水中に入ったかのように呼吸すらままならない。
なんなんだこれはっ!?
ゆっくりと、振りかぶられる棍棒。
意に反して俺の体は、ゆっくりとしか動かない。
やられる、という感覚が肌をさす。
僅かに間に合った跳躍によって後ろへ飛ぶと同時、目の前を凶悪な風を伴って棍棒が通り過ぎた。
「ぬ、アアア!」
腹の底から、怯えを振り払うようにひたすら声を張り上げる。
握りを確かめる。
目を凝らし、歯をかみしめる。
横殴りの棍棒を後ろに下がって避ける。
罠の位置を確認し、慎重に間合いをはかった。
重いからだを引きずり、間合いを計る。当たれば一撃で脳髄まで破壊されてしまいそうな凶悪な一撃を幾度となくかわし、徐々にその場所まで近付く。
後、三歩後ろに下がれば罠の位置だ。 だが、その時無情にも下がろうとした俺の足は石に蹴躓く。
与えられる苦痛に声がもれる。
「ぐっ、」
崩れる態勢に、瞬きもせず注視していたオークから一瞬だけ視線を外す。
――まずい!
態勢を立て直すと同時に再びオークをみるが、絶望的に遅すぎる。
その時には振りかぶられた棍棒が、すでに俺の目の前まで迫ってきていた。
やられる、と思った瞬間ダメもとで体を後ろに跳ばし、剣を楯にするべく振り上げるが、既にそこは敵の射程圏内。
鈍い衝撃と同時に左の肩が動かなくなる。
「グルゥゥ」
鼻息を荒げるオークにやはり、種族の差は大きいと実感させられる。
「グルゥゥアアァ!」
再びの威圧のけたたましく吠えると、オークは棍棒を振り上げた。
力の入らない足腰に、目を見開いて棍棒に見入る。
あれが──。
あれが、俺の命を奪うのか?
あんなものが!?
違う。
――断じて違う!
「ぐぅぅ…ルゥアアァ!」
襲い来る棍棒の姿をした運命を、俺は吠哮をもって否定する。
「グゥ…!?」
振り落とされるはずの棍棒が、顔の前で止まる。驚いたようなオークの声。
風圧と迫ってきていた棍棒の恐怖に、冷や汗混じりの俺は視界のすみを見て、目を見開く。
同時にオークの視線も俺から外れて、背後を振り返る。
「ググギギ!」
背後には、竹を切り取っただけの槍でオークを突き刺す手下の姿。
先ほど恐慌に駆られて茂みから飛び出した一匹だった。
「グゥアアァ!」
吠え猛るオークの声が響きわたる。
膝をついた俺を無力と見なしたのか、背を向けると背中を突き刺した手下に向き合う。
ただそれだけで、手下は震え上がってしまった。萎縮したのが、オーク越しにもかかわらず見て取れる。
――立てェ、役立たずな俺の足!
「ぐ、ぐ、――」
振りかぶられた棍棒が、手下に向かって振り下ろされた瞬間。
「グゥルアアァ!」
すくい上げるようにしてオークの肩を狙った一撃が、間に合った。
確かな手応え。
吹き出る赤黒い血飛沫。
刎ね飛ばした片腕が、宙を舞い地面に落ちるのを、俺はひどくゆっくりと見送った。
オークの怒りと絶叫が、俺に向かう。
怒りに狂い強烈な殺気を迸らせ、口からは涎を飛び散らせたオークの姿は、まさに狂える悪鬼そのもの。
もはや、言葉にもならない絶叫を叫びながら、オークは突進してくる。
──そうだ、このまま来やがれ!
それを、ちょうど三歩分だけ後ろへ飛び退いて避けた。
目の前に片腕を失って狂乱のまま突進するオークが、俺の目の前に足を踏み出した瞬間、その地面が抜け落ちる。
陥没する地面はオーク自身の重量をもって、深く沈み、やがて竹槍の剣山がオークの足腰を刺し貫く。
またしても絶叫。
だが、今度の叫びは悲鳴に違いない。
ちょうど肩から上だけを出るように掘った落とし穴から、オークの射殺すような視線が俺を刺す。痛みよりも怒りがまさったのか、這い出そうとするオークの手が地面をえぐっていた。
──これで、俺の勝ちだ!
無防備なオークの頭に、俺は剣を叩きつけた。
溢れ出した赤黒い脳漿に、勝利の咆哮を上げる。
「グルアアァ!」
血まみれの剣を振り上げて、俺は叫んでいた。
そうして、襲い来る内側からの感覚。内臓を突き破って自身が内側から食い破られるような感覚が俺を支配する。
悲鳴をかみ殺し、剣を地面に突き刺して耐える。
「あ゛……」
かすれる声が口から漏れたのと同時に、進化の感覚は去って行った。
そうして、自身の腕を確認する。
3つだった指先は4つになり、腕の太さはまた一回り大きくなった。ねじれ狂ったような、異常な筋肉の盛り上がり、破壊されたはずの肩の痛みもない。
もっとも目を引くのは、その色。赤かったその色は、青黒く変色していた。 そうして、周囲を見渡せば、先ほどオークに一突きしていた手下も、進化を遂げていた。
ゴブリン・レアへと進化する手下は俺の足下にひざまずいた。
「我ガ、主ヨ」
茂みの中で待機を命じていた手下達も一斉に駆け出して来てひざまずく。
「おウよ!」
歓喜の表情さえ浮かべる彼らを睥睨して、俺の中に野心が芽生え始めていた。