鬼獣豚狩りⅠ
俺が、ゴブリンどもの王と呼ばれるものになって以来十の朝日が昇り、同じだけ西日が沈んだ。
そもそも、俺の体験したことはなんだったのか、狩猟の大部分を手下どもに任せて、思考を重ねる。
あり得ないこと、その発想がすでにゲーム脳だなんだと言われそうだが、事実俺が体験したことを一言で表すのなら、レベルアップもしくは進化というやつなのだろう。
我ながらこの表現はどうかと思う。
子供じみた発想だと落ち込む部分がないわけでもない。が、しかし!
ほかに表現のしようがないのだから仕方ない。
「ファンたジー、だナ」
「ナにか?」
俺の独り言に反応した副官が、何事かと俺の顔色を伺う。
「なんでモ、なイ」
一つ便利になったことといえば、まともな言葉が話せるようになったことぐらいだろうか。俺が赤いゴブリン──便宜上ゴブリン・レアとでもしておくが──それになって以来、ゴブリンどもの接し方はまるで天地ほども違う。
ひとえにそれは、力があるからだ。
弱肉強食──世界の不条理を一身に詰め込んだこの法則は、今の俺に快適とは言わないまでも、不自由のない生活を保障している。20匹の手下を率いる身分というのは、あるいは王と呼ぶにはあまりにも矮小かもしれない。
ゴブリンレベルでの、という条件がつくのだが……。
後ろ向きに走り出しそうな思考をさらに重ねる。
所謂、レベルアップに関してだ。
俺は前者のゴブリン・レアを殺したからコレになっているのか。それとも、進化の途上でたまたまこの姿をとっているだけなのか。
推論に推論を重ねていくが、前者なら、俺は別のものに殺されるまでこの姿をしていることになる。
だが、逆に後者であるなら、俺は別のものを殺せば更なる力が手に入ることになる。
つまりは、オークを殺せばオークに。
あの巨大蜘蛛を殺せばその姿に。
いや、と思考を切り替える。
進化とするなら、まったく別種になることなどありえるのだろうか。
だがまぁ“ファンタジー”だ。ないことはない。
どういう理論、どういう理屈かは知らないが、短期間に俺の体がこれほどの変化を遂げるのだ。何があっても不思議ではない。
ふむ……。
サンプルが足りない。
う~む。
「おイ」
「ハい」
「オレのほカにオウはいるのか?」
その質問に、副官らしきゴブリンはきょろきょろと辺りを見回してから、その醜悪な顔を近づけてきてささやくように言った。
「アッチ1、ソッチ1、ムコウ2」
……ずいぶんいるんだな、おい。
つまりは、俺と同等かそれ以上の力を持った存在──少なくともゴブリンの中で、だが──は複数存在することになる。
「オウ、のウエいルか?」
思わぬ収穫に、俺は二匹目のドジョウを探して質問する。
「ダイおウ……」
ふるふると首を振る動作に、多少の愛嬌がある。
大王、か。それが不在ということなのだろう。少なくとも、今この副官の知る範囲では。
思考を再び再開する。
大王ね。
ゴブリン・レアとなって初めてわかったことだが、このゴブリンという存在は森のヒエラルキーの中では最下層に近い。
小動物を除き、下にはコボルトやスライム程度しか存在しない。
オークよりは下に存在し、巨大蜘蛛などは遥か高みにしかいないのだ。ゆえに常に食料を得るための狩りは命がけになる。
とった獲物を奪うオークや、ゴブリンそのものを食料とするジャイアントスパイダー。それらを潜り抜けて食料が運ばれ、例の強烈な飢餓感を紛らわせねばならない。
「オウ。エサ、キタ」
狩猟部隊の到着に、俺は空腹を覚え始めた腹をさすった。
だがその姿がはっきりしてくるたびに、鳴きだしそうになる腹に力をこめて、眉間に深い皺を刻まねばならなかった。
「オウ。エサ」
恭しく差し出された供物の小動物。差し出すゴブリン達はみな、半死半生だった。中には片腕がないものや、耳を食いちぎられているもの。青い血を流しているものまでいる。
「な二があッタ?」
俺の言葉に、狩猟部隊の者たちは顔を見合わせる。
「オーク……」
叱責されたと思ったのだろう。ゴブリンどもは一様に下を向き、肩を落としてその名前を呟いた。
つまり略奪されたのだ。
「ワカッた」
差し出された供物を、無造作にもぎ取り俺の胃の中に納める。
オークめ。
ゴブリンなどに嫌悪と憎悪すら向け、好意などまったく持っていなかったはずの俺の心に芽生えたのは不思議と怒りだった。
次の獲物はオークか。
そう思えばふつふつと俺の中で闘志が湧き立つ。
身体に感化されたのか、俺はこんなにも好戦的だったのかと疑いたくなるほど簡単に、俺はオークを殺す算段を始めていた。
▼△▼
孫子曰く「敵を知り己を知らば百戦危うからず」
そんな大昔の偉い人の言葉を借りなくとも、まぁやることは決まっている。先日の一件以来、ゴブリンの力がオークに及ばないなんてことは百も承知だった。
だが、殺さねばならない。
ではどうするか?
先日量の圧でオークを倒そうとした先代のゴブリン・レアは、悪いとは言わない。
隔絶たる力の差を埋めるために、人間は徒党を組み、効率よく殺すために武器を使い、大人数の戦いを有利にするため戦術・戦略を生み出していったのだ。
だが、今回の相手は人間じゃない。
鬼獣豚だ。
やつら相手にそこまでする必要はないだろう。
つまるところ、今回俺が使うのは武器の類だ。だが、並みの武器では非力なゴブリンの力でやつ等の脂身を切り開くことなどできはしない。
「オークのアトつける」
オークの情報が必要だった。
「ミツカッタら、ニゲろ」
これだけは厳命しておかなければならない。数の有利は、絶対的に必要なものだ。オークと、その先にいるだろう、この森のヒエラルキーの頂点の存在まで。
手下のゴブリン達に命令を下す。
オークを探れ、生きてもどれ。
たったこの二つをどれだけ守れるかが、オークを殺すために必要になってくることだった。
散っていく手下達を見送って、俺は武器を仕入れに森の中へ入った。
▼△▼
オークを探りに手下どもを森に放って、はや三日が経っていた。
その間に俺が森の中で仕入れた武器は、おおむね必要数を揃えていた。
そうして集まった情報から、単独で動くオークを見つけたのが、つい先ごろ。その行動を観察して、毎日同じ経路を通ることを確認してから、俺は手下たちに食料をとりに走らせた。
これは戦だ。
一匹のオークと21匹のゴブリンとの戦だった。
腹が減っては戦はできぬ。古今東西、あるいは種族を超えてすら共通するその真理に、ある種感動すら覚えながら、俺は狩猟部隊にエサを探させ、オークが通ると思われる地点に武器を設置する。
「ホレ!」
俺の号令のもと、ゴブリン達が一心不乱に穴を掘り始める。
オークが1匹丸々落ちるだけの幅、そして這い上がってこれないほどの深さで、掘り進める。
オークよりもゴブリンが唯一優れている点。戦闘にはまったく特化していないが、ゴブリンには穴を掘ることが格段にオークよりも早いのだ。
思えば俺が意識を持った暗い巣穴も、ゴブリン一匹がやっと通り抜けられるだけの横穴だった。
オークを探れ、そして生きてもどれ。
その命令を、手下は忠実に守った。
ならばそれに応えて、仇を討ってやるのは20匹を率いる俺の役目だ。
そうだろう?
夜遅くまでかかってその穴に、盛り土をして偽装を施し、俺たちは自身の巣穴へ戻っていった。