月の森4 / 綺麗だったのです
昔、とある集落に亜人の女の子が生まれました。
砂金の様な美しい髪に、膨大な魔力。由緒正しい神事を行う家柄に生まれた女の子は神童と呼ばれ、畏怖と敬意と大きな愛情を持って育てられます。
そんな彼女には特に好きな人がいました。
それは彼女の姉です。姉は事ある毎に女の子に言いました。見返りを求めない感情と出会いなさい。それはとっても綺麗で、貴女を幸せにするわと。ただ当時の彼女には良く判りませんでした。何故なら彼女の周りは愛情だけしか無かったからです。そんな日々でしたが、徐々に彼女の周りから愛情が無くなっていき、ついには憐憫と侮蔑と大きな嫌悪に包まれる様になりました。
女の子が泣いても泣いても、彼女に愛情は届きません。
唯一、彼女の姉だけは何時もの言葉と共に一緒にいてくれるだけです。やがて、女の子が成長すると姉も居なくなり、彼女は独りになりました。何処にでもある、忌子の話です。
あれから三時間程か。
エルは凭れ掛かった結界から背を放すと立ち上がった。振り返り結界の中を見ると、そこには一本の剣が居た。抜き放たれ寒々とした剣身の雰囲気を纏い青年は悠然と立っていた。月の魔力が満ちた場所でこの回復力は凄まじいものがある。エルは疑問そのままに口を開いた。
「驚きました。もう立ち上がれるのですね」
「驚いたのはこっちですよ。何で貴女が居るんですか」
剣呑とした言葉が青年の心情を表していた。
貫く様な強い視線。戦闘時ですら彼の瞳には穏やかなモノがあったが、今の彼の瞳には烈火の感情しか見当たらない。エルは涼やかに言う。
「貴方と話がしたくて、待っていました」
「話ですか?」
「はい」
エルは頷くと青年の視線を真向から見つめ返した。
鉛色の結界を挟んでエルと青年の視線が絡み合う。やがて、白銀の瞳を遮る様に青年は眼を閉じると、腰に差してある短刀を抜いた。
「サイクル・F」
呟きは言霊となり青年の身体に火の魔力特性が循環する。
淀みの無いおそろしく滑らかな特性変換。青年はエルに向かってその短剣を振り落とした。切り裂かれ、一刀のもとに結界は霧散する。微動だにしないエルを尻目に、青年は短剣を収め投げられたペンダントと魔具を拾うと、突き放す様に言った。
「それで、話ってなんですか?」
「聞いてくれるのですか?」
「貴女に敵意は無いみたいですし、俺も聞きたい事がありますしね。立ち話もなんですし、座りましょう」
青年はどかりとその場で座り込んだ。
胡坐をかき試す様に青年はエルを見る。先程まで殺意を持っていた相手にする行動としては、余りに隙だらけな所作。エルは豪放とも取れる青年を見据えながらゆっくりと座る。柔らかに足をくずしたエルの姿は、所々破けた服でさえ無ければ、優雅な令嬢の様であった。
「結界を破った後、襲われると思わなかったのですか?」
「別に、貴女程の力があるなら、結界があろうと既に俺は死んでるでしょう」
エルの疑問に青年はあっさりとした答えを返した。
確かにエル程の力があれば、外からの力に強い結界だろうが破壊し青年を殺せたに違いない。しかし理屈は正しいが、何か上手く納得できない。エルは不明瞭な濁りを浮かべたまま頷くが、次の青年の言葉で濁りは消えた。
「それに、もし襲われても憂さ晴らしにはなる」
にいと青年は口角を歪に上げながら笑った。
その表情はどうなっても構わないという危うさが滲んでいた。しかし、その獰猛さにエルは納得に近い思いを抱いた。飽く迄もそれはエルの勘と思い込みだったが、彼女は顎に手を当て頷いていた。
「成る程、随分な自信ですね」
「まさか、さっき言ったでしょう。ただの憂さ晴らしですよ。後、ちょっと待って下さい」
言って、青年は拾った伝言魔具を起動させた。
掌大の板から立体映像が浮かび上がる。人形サイズのアルフレッドが板の上で青年に向かって喋りはじめた。起動させた人物だけに聞こえる言葉を青年は聞き終えると、伝言魔具とペンダントを腰に巻いてある収納魔具に収める。ありがちな誘拐文句で助かったと言えば助かった。青年は改めてエルに視線を向けた。
「すいません、お待たせしました」
「いえ、問題ありません。それより名前を聞いていいですか?私はエルメス・パール。エルで構いません」
「草麻・五澄です。五澄とでも呼んでください。それで、聞きたいんですけど、パールさんは俺の主人が何処に行ったか知ってます?」
近付く言葉と区切る言葉。
対照的な紹介を終えると、青年、草麻は素早く本題を切り出した。草麻の特技である循気で起きた直後に現状を把握し、さらに伝言魔具を聞いた後ではあるが、聞かずにはいれなかった。
「五澄の主人というとあの銀髪の少女でしたね。残念ですが、私が気付いた時には彼女の姿はありませんでした」
やはりか、当り前の答え過ぎて草麻は落胆はしなかった。
判っていた事ではある。アルフレッドにヒメが攫われた時エルは気絶しており、男は直ぐに立ち去っていた。これでは知っている方がおかしいだろう。草麻は一度頭をかいた。まるで何かを耐える様な、抑える様な仕草だった。
「ありがとうございます。それで、パールさんは何で襲った相手と話がしたいんですか?」
エルは眉を寄せると言葉を選ぶように口を開いた。
「それについては、申し訳ないとしか言えません。あの男の命令は契約と従属の魔具で逆らえず、獣人化していた時はその直前の感情に突き動かされてしまいました。あの男に牙を立てた後、私の思考を支配していたのは貴方だけでしから」
「そうですか。それで、牙を立てたって事はもうジンベレルの従者では無いんですか?」
エルの質問の答えになっていない言葉を聞いても、草麻は特に追求しなかった。別に彼女が自分をどう思おうと、どうでもいいことではある。
「その通りです。五澄が従属の魔具を破壊してくれましたからね」
「従属の魔具っていうと、チョーカーについていたやつですか?」
草麻はエルの首元を見た。
戦闘で草麻がエルに攻撃したのは最初と最後だけである。選択肢は少なかった。
「はい。五澄の短剣で従属の魔具が半壊し拘束が弱まったのでしょう。芳醇な月の魔力とマッチングのお蔭で私は開放されました。もっとも、今までのストレスと強烈な解放感で獣人化してしまったのは、我ながら恥ずかしい限りでしたが」
「なるほど、そういう事だったんですね」
エルの言葉を咀嚼する様に草麻は頷いた。
その暢気ともとれる仕草にエルは柳眉を潜める。先程までのうすら寒い緊張感が草麻から無くなっていた。今いる人物とつい先程までの印象が大きく違う。
躁鬱が激しい訳では無いだろう。
この青年はこの若さで感情をほぼ完全に制御しているだけだ。彼は荒ぶる感情を抑え、冷静に現状を知る事に努めているのだろう。怖いな。素直にエルはそう思った。しかし、次のエルの言葉で草麻の感情はあっさりとぶれた。
「五澄。改めて感謝します。貴方のお蔭で私はあの男から解放されました。ありがとうございます。そして、本当に申し訳ありません。私が獣人化しなければ貴方の主人は攫われなかったでしょう」
感謝と謝辞。
礼は受け取るが、詫びは受け取れないなかった。ヒメを奪われたのは、飽く迄も自分が弱かったからだ。確かにその一端はエルにあるだろうが最終的には自分である。いきなり事情も何も知らない奴がしゃしゃり出るな、刀の鯉口が切られた様な怜悧な気配が草麻から漏れる。だが、草麻は一回だけ呼吸を正すと、それを収めた。
「別に全部がパールさんのせいって訳では無いでしょう。獣人化する前はあいつの支配下で、獣人化だって状況のせいでもある。何よりもヒメを攫われたのは俺が弱かったからですしね」
その苦笑が草麻の気位を表していた。
脳を鍛え、理知で戦う草麻にとって、感情に振り回されることだけは出来なかった。
「五澄」
エルの言葉を遮る様に草麻は言う。
「それで質問良いですかね。アルフレッドっていう男、知ってます?」
露骨な話題転換ではあるが、答えない訳にはいくまい。
エルは素直に首を振った。
「いえ、残念ながら知りません」
「そうですか。じゃあ、ジンベレルの属性や特技とか知ってますか?」
「あの男の属性は闇と雷のデュオで、中・遠距離からの魔術を得手とする典型的な魔術師タイプです。特技は結界関係。もっとも私が知らない隠し玉はあるでしょう」
一応は元の主人の秘事を容易く教える事から、エルは完全にディーノから離れたとみていいだろう。草麻は今後また敵対するであろう男の情報を記憶に書き留めた。あの一角獣の亜人の女が居る時点で、絶望的だが知らないよりは余程良い。
「それじゃ、最後に従属の魔具ってヒメにも効きますか?」
それが、草麻最大の懸念だった。
アルフレッドが必要としているのは、ヒメと草麻の主従契約の筈なので乱暴はされていないだろうが、拘束するという点においてあの魔具は有効だろう。あの溌剌とした太陽の様な瞳が、伽藍堂にされるなど許せる筈が無い。
「効かないでしょうね。間違いなくとまでは言えませんが、契約の上書きが出来る程の効力はあれにはありませんから」
よしと草麻は心内で喝采を上げた。
現状は最低だが最悪ではないらしい。知りたい事は聞いたし、もはや此処にいる必要は無い。草麻は立ち上がると、一度エルに礼を言いムーンライトが収められたリュック型の魔具を手に取る。
「それじゃ、俺は行きます」
言うが早いか草麻はヒメがマーキングした地点に足を向けた。
自分の記憶と直感を頼りに、月の魔力に満ちた場所でヒメの魔力を探すのは骨だがやるしかないだろう。草麻の思考は既にエルを除外していた。
仮に、今もヒメが隣に居たら、間違いなく草麻はエルにアプローチを掛けていただろう。強靭な意志に彩られた銀の瞳はもとより、スレンダーな肢体と整った顔はモデルのようだ。美女と形容できるだけの魅力がエルにはあった。
しかし、今の草麻にそんな余裕は無い。
逸る心を抑え、感情を制御するだけで精一杯の状況である。とてもじゃないが、ゆとり、落ち着きまでは持ち得ていない。若いといえば、それまでだった。
「待って下さい。五澄、私からも質問があります」
「残念ながら、俺から話す事はありませんし、ついさっきまで一方的に敵方だった人間から質問される云われもありません。それじゃ」
振り返りもせずに、草麻は森に入っていく。
突き放した背中が余りに冷たい。元より歩み寄れたと思ったこと自体が勘違いも甚だしかったのか。エルは草麻のあからさまな拒絶を見て鼻白んだ。気後れし、草麻の背中が消えていくのを見送る事しか出来ない。白の道衣が闇に溶け込む様は、光が遠のく様にさえ感じられた。
エルは唇を噛み締めると、僅かな逡巡の後、走った。
この場を逃すと二度と出会えないという予感さえあった。
「五澄!」
疾風の様な速度で追い抜き、エルは草麻の前に立つ。
何を言えば良いのか。衝動に任せた行動故に後が続かなかった。そんなエルを見て、草麻は射抜く様な視線を彼女に向けた。明らかな敵意がそこには含まれていた。
「何ですか?言っときますけど、俺は苛ついてるし、八つ当たり出来るならしたいんですよ」
淀んだ黒を宿したまま、草麻は風薙ぎに手をおいた。
嫌な緊張感が場に巡る。憂さ晴らし、草麻はここで戦闘になっても構わないとすら思っている。燻る負の感情を思うがままに爆発させたかった。その何の暖色も無い暗闇を見て、エルは眼を伏せた。活力に満ちた瞳を汚しているのが、自分というのが申し訳なかった。
「すみません。ですが、一つだけ聞きたいのです」
エルは短剣を取り出すとそれを地面に投げた。
がちゃりと短剣が落ちる。自身の牙を放る事だけが、エルに出来うる最大限の誠意だった。意図せず両者に沈黙が降りると、月が雲に隠れ森は漆黒に沈んだ。朧に浮かび上がるのは二つの影法師。冷え冷えとした空気が張り詰めた世界を覆っていた。
やがて、影法師の間に風が駆ける。
風は朧を剥がすと影法師に名前を付けた。月光に照らされた白銀の瞳は、真っ直ぐに怯むことなく薄闇を見ている。薄闇が瞼を閉じると真っ暗に。闇の中、草麻は溜息を吐いた。ヒメに似た強い瞳には勝てない。
「一個だけですし、答えるか判りませんよ」
風薙ぎから手を離し、そのまま頭をかく。
それが草麻の最大限の譲歩だった。
「ありがとうございます」
エルは礼を言うと右手を胸に当てた。
その姿は神聖な誓い、清廉な祈りにも似ていた。やがて、エルは子が親に世の不合理を聞く様に、信徒が教祖に神の不条理を問う様に、厳かささえ持って草麻に聞いた。
「五澄は、何故彼女と契約を結んだのですか?」
それは草麻にとっては聞き慣れた問いであり、
だからこそ、草麻は気負うことなく何時もの答えを口にし、
それはエルにとっては唯一の問いであるが故に、
草麻の答えを否定した。
「言ってましたよね。成行きですよ」
「そんな馬鹿な話がある訳ないでしょう。貴方の命も未来も全てあの娘に握られてるんですよ。それが、何故恨む事もせず、成行きという理由だけで従者を全う出来るのです」
「ヒメは主人であり親友ですからね。主人の願いに親友の頼み、命と未来を預けるには十分な理由でしょう」
悩む素振りが一切見えない即答。
考える事も煩う事もない、ただ、彼にとっての事実がそこにあった。
けれど、草麻の答えは出来過ぎている。
嘘みたいに綺麗で、余りにも純粋すぎる彼の世界はまるでお伽噺だ。世界はそんなに美しくは無いのに。エルは揺れる口元のまま、震える声で不確かな反撃をすることしか出来なかった。
「………見返りは何なんですか。頼みを果たした後、貴方は何を貰えるのです」
「経験と自己満足ですかね」
その言葉の何と薄く聞こえることか。
だって、それは偽善で欺瞞で嘘にしか聞こえない虚言の筈だ。けれど、彼は何処までも真面目に言っている。諦めていた可能性を見せてくれている。だけど、結局、エルは負け惜しみの様に呟くこしか出来なかった。
「嘘でしょう」
「かもしれません。実際、俺は百パーセントヒメの言葉を信じる事は出来ませんでしたしね」
エルの駄々の様な言葉に、草麻は苦笑で応えた。
むしろ自身を嘲るように草麻は言った。その言葉の裏側には、自分の生き方への疑問に肯定も否定もしない、完成されたエゴイズムが垣間見えた。
エルの問いは草麻には響かない。
鍛造された鋼に、放った本人さえ自信の無い、揺らいだ言葉が通じる筈も無かった。
「それじゃ、今度こそ俺は行きますんで」
俯くエルの隣を草麻は容易く通り過ぎる。
今の問答が最初から無かった様な薄情さで草麻は歩を進めた。エルの決意を伴った問いでさえ、草麻は何の感慨も浮かべなかった。草麻とエル、背と背が向かい合い、表情が見えなくなった時、エルは顔を上げた。
「待って下さい」
「何ですか。いい加減しつこいですよ」
うんざりとした声。
これ以上の問答は勘弁して欲しかった。言葉はともかくあの瞳は苦手なのだ。そう考えれば瞳が見えない今の立ち位置は悪くないと思える。振り返りさえしなければ、見る事も無いのだ。もはや、エルの言葉に自分が振り返る事は有り得ない、草麻はそう確信していた。
「私も付いて行きます」
「はい?」
けれど、草麻の確信はあっさりと崩れ去った。
エルの突拍子も無い言葉に、疑問符付きで背後を見てしまった。しまったと後悔するが、遅かった。闇の中、毅然と爛々とした白銀の輝きが双眸を照らしていた。
「貴方の言葉が本当かどうか知りたいと思います」
「そんなの知りませんよ。正直、大切な場面で後から刺されたくないんですよ」
「でしたら、簡易契約すれば問題ないでしょう」
「契約って貴女。折角主従契約から解放されたんですから、自由にすればいいでしょう」
「でしたら、私は自由な意思で貴方に付いていきます」
「何でですか。そもそも俺と貴女は初対面であり、俺は殺されかけたんですよ。いきなりそんな事言われても、はいそうです何て言える訳ないでしょう」
エルの言い分が、草麻には全く判らなかった。
彼女が此処まで自分に関心を抱く理由も不明で、さらにまたエルは契約を交わすと言っている。エルが世間知らずの馬鹿なのか、それ以上の信念があるのか。最初の問い、自分に興味を抱いた理由をきっちり聞いとくべきだったと心底思う。
「いきなりではありません。五澄が眼を覚ますまでずっと考えていた事です。もし、貴方が主人を助けるならば、それを見届けたいと」
「見届ける?」
エルは頷くと、最初の問いの答えを口にした。
それは、草麻にとってはた迷惑で、彼女にとっての届かない希望であり夢の続きだった。
「綺麗だったのです。人形となり意志の篭らない映像に映る二人が、町で笑い合う二人が、背中を預け合う二人が、どうしようもなく羨ましかったのですよ」
草麻は頭を掻いた。
彼女の意志に今度は草麻が気後れする番だった。強烈な踏込み、ここまで真っ直ぐな赤心をぶつけられて平然としていられる程、草麻は達観していない。喘ぐように言い訳がましい言葉を漏らす事しか出来なかった。
「別にそんな奴等は他にも一杯いるでしょう。俺等に拘る必要は無い」
「狼の亜人は多くいますが、貴方の親友は一人だけでしょう」
ばっさりとエルは容赦なく草麻の逃げ口上を塞いだ。
ぐうの音が出ないとはこの事か、草麻はとっさの反論を出せない。此処で敵意、害意が微塵でもあれば、押し退けられただろうが、草麻の目から見てエルからそういった感情は一切読み取れない。裸の心を見せられ、草麻の生来の押しの弱さが表れていた。その怯み、強者たる存在が見逃す筈も無い。エルの瞳がさらに強くなる。
「言っておきますが、先程言った通り私は飽く迄も自分の意志で動きます。偶然、エレントで五澄に会う事もあれば、当然、ヨルミナで会う可能性もあるでしょう。だって、私はもう自由なのですから」
鋭すぎる詰めの手際だった。
仮にここで草麻がエルの同行を拒んでも、彼女は偶然を装い草麻の近くに現れるだろう。彼女は自由だから。戦闘力は互角、交渉力は相手が上、何よりヨルミナという最終到達点が見抜かれているのが致命的だ。草麻は天を仰いだ。二つの月は変わらず世界を照らしていた。
「多少の協力くらいは、してくれるんですよね」
額に手をやり草麻は白旗を上げた。
もはや、手札が増える事は良い事だよなと、ポジティブに考えることしか出来なかった。エルはにこりと微笑むと、勝者の宣言をした。
「勿論です。では、早速良いとこ見せましょうか」
言うが早いか、エルは人型から虎型に姿を変えた。
黒衣はあっさりと破けると、草麻の眼の前にはヒメと比べても遜色ない巨大な虎が現れていた。白を流した砂金の様な体毛が何とも神々しい。草麻はごくりと生唾を呑んだ。
「草麻。乗って下さい」
「五澄です」
悔しげに言って、草麻は跳躍するとエルに跨る。
「判りました、草麻」
楽しげにエルは言うと、その巨躯を疾駆させた。
草麻は溜息しか出せなかった。
場所は月の森を抜けた先。
小川と木々茂るある草原である。時刻は未明をさし朝日が遠く山間が覗こうとしていた。オレンジ色の光に照らされながら、草麻は鍋をかき回す。対面には薄い金を溶かした様なワンピースの魔術衣を着ているエルが座っていた。エルは草麻から渡された椀で、穏やかながら幸せそうに食事している。
「パールさん。ちょっと聞きたい事あるんですけどいいですか?」
草麻の問いにエルは顔を不満そうに尖らせた。パールという名字で呼ばれるのが気に喰わないらしい。草麻も理由は判っているが、知らない振りをして鍋から食材を取った。
「それで、何ですか」
「主従契約について何ですけど、普通はどんな風に伝わってるんですか?」
「随分と今更な事を聞くのですね。当事者でしょう」
ぶっきらぼうなエルの言葉。
自分を縛っていた契約なだけにエルの反応は当然だろう。しかし、草麻は気にせず続きを話した。
「や、ぶっちゃけ成行きというか、意識を失って気付いたら勝手に契約を結ばれてたんで、詳細知らないんですよね。一応調べては見たんですけど、よく判らなくて」
「………草麻、それは本当ですか」
「あ、やっぱおかしいですかね」
「ええ、勝手に契約を結んだ貴方の主人も変なら、それを良しとしている貴方はさらに輪を掛けておかしいです」
エルはうんざりとした様に溜息を吐いた。
月の森での道中で会話をしたが、目の前に座る青年は自分の事に関して余りに暢気だ。先の問答で直接聞きはしたが、彼は自分の命を何だと思っているのだろうか。
「まあ、いいです。ともかく主従契約は大きく分けて二つに分類されています。一つは、あの男が私と結んでいた隷属型。従者の意志を無くし人形にする外道の術です。主人から知識と思考の上書きを行う事により従者の意識を蝕み、人形とします。一応、主人から従者へ魔力の受け渡しも出来るのですが、意識の上書きに偏っている分、魔力伝達は弱いですね」
「蝕むってパールさんは大丈夫だったんですか?」
「幸い、私は期間が短く対魔力も強靭ですからね。問題はありません。ただ、あの男を許す事は出来ませんがね」
「そりゃ当然でしょうね」
「それで、もう一つは簡易型と呼ばれる主従契約です。知識と思考の上書きは出来ず、出来る事は強力な魔力伝達のみ。一般的に主従契約と呼ばれるのはこの簡易型になります。とはいえ、基本的に魔力の相性に加え、主人の道連れになる事から主従契約する者は殆どいません。貴方の主人が言っていた、真の主従契約が何を指すのかは判りませんが、草麻の自由な言動から、貴方方が結んでいるのは、簡易型でしょう」
頷く草麻。
エルに主従契約を聞いたのは確認に近い。契約については、図書館で嫌になる程調べている。その際に魔術の受け渡しができ、知識の流入がある事から勝手に隷属型と思っていたが、どうやら違うようだ。草麻は素知らぬ様にさらに聞く。
「ちなみに、隷属型の魔力伝達ってどれくらいの強さなんですか?」
「気休め程度です。少なくとも簡易型の様に主人の魔力を当にして戦闘は出来ませんね」
「ですよね」
エルの言葉が本当なら、ヒメの魔力で戦闘した草麻は簡易型となる。
だが、それだと知識の流入の説明がつかない。さて、両者の相反する特性を有する自分達は何なのだろうか。この依頼前に確認しておけば、こんな事にはならなかったかもしれない。あの時の逃げに改めて草麻は後悔した。
「それで、草麻。何か他に質問はありますか?」
「いえ、特に無いですね。為になりました、ありがとうございます」
疑惑的な瞳のエル。
じとっとした粘着質な視線だが、草麻は何事も無いように食事している。エルは再度溜息を吐くと、現実的な話を切り出した。
「草麻。エレントに到着したら、どうするのです?」
「とりあえずムーンライトの採取依頼を完了させて、セーミアさんという人に会いに行きます。俺がその後どう動くかはセーミアさん次第ですかね」
「セーミアと言うと草麻の専属受付で、あの男が懸想している女性ですか?」
エルの何でも無い確認する様な言葉に、草麻は眼を剥いた。
自分を殺そうとする位だから、セーミアが専属受付と言う事は知っていても良い。しかし、
「専属受付はともかく、懸想ってどういう事ですか?」
「実は草麻を襲う前にあの男はセーミアに会いに行っています。私は影に入っており詳細は知りませんが、あの男はヨルミナ探索にセーミアを誘っています。その際、既に草麻達とパーティーを組んでいるからとセーミアはあの男の誘いを蹴りました。おそらく、あの男が草麻を襲った理由は強烈な亜人嫌いもあるでしょうが、何よりもセーミアが草麻達を優先させたのが気に入らなかったのでしょうね」
長上なエルの話を聞いて、草麻は呆れた様に悔しがる様に表情を崩した。
「んな馬鹿な」
意図せず、呟きが口から漏れる。
下らない愛憎劇が切っ掛けで主人が奪われた等、信じたくも無かった。確かに、アルフレッドが渡したペンダント、そしてセーミアと共にという言葉から、ディーノとセーミアは面識があるかもと考えてはいたが、それが惚れた腫れた嫉妬の末だとは。
今まで多様な妬みを兄絡みで受けてきたが、女に関しては初めてだ。何ともやりきれない、草麻は深く溜息というより深呼吸をすると、食べ終えた椀を置いた。草麻は疲れ切った顔でエルに言う。
「ともかく、こんな時間ですけど寝ますか。俺はちょっと筋トレしてから外で寝るんでパールさんは中で先に寝て下さい」
食事の前に組み立てた簡易テントを見ながら草麻は言う。
けれど、草麻の提案をエルは固辞した。
「それはいけません。私が外で寝ます」
「パールさんが外で寝るなら俺も外で寝ますよ。色々ありましたけど、女性を外で寝せる訳にはいかんでしょう。これは決定です」
「む、でしたら一緒に中で寝ればいいでしょう。私は気にしませんし」
「別にいいんですよ、気を使ってくれなくても。野宿は慣れてますしね」
「そちらこそ。私は無理を言って付いて来ているのですから、貴方が外になると私の立つ瀬が無い。でしたら、中で一緒に寝るのがベターでしょう。それに、私は理不尽に襲ったのです、草麻に襲われても文句は言えませんよ」
「はいはい。まあ、パールさんがそう言うんだったらお言葉に甘えさせて貰います」
それだけ言って、草麻は少し離れた場所で道衣を脱ぐと腕立てを始めた。
その明らかに適当に流した感じにエルは不満を浮かべるが、草麻は先と同じように気にも掛けずにさっさと筋トレを開始していた。
草麻は先ず何時も通り魔力を一切使用せずに片手腕立て伏せを始める。
足すら付かずに完全に腕の力のみで草麻は全体重を支え、腕の筋肉を酷使していく。魔力の恩恵によって細胞が強靭になっているのだろう、草麻の筋力は既に地球に居た頃に比べると格段に変貌していた。
インナーの上からでも判る異様な筋肉の隆起。
極太のワイヤーを幾重にも束ね纏めた鋼鉄の様な筋肉。それでいながら、鞭の様なしなやかさを失わない正に戦士の肉体である。魔力、魔術を旨とする世界に於いてこれ程の肉体はそうはいない。ひたすらに、愚直に練磨した肉体がそこにはあった。彼の身体を見るだけで彼の歩んできた道程が見える様だ。エルは感嘆するとぽつりと独り言の様に呟いていた。
「凄いですね」
「何がです?」
未明の音が少ない世界で、エルの呟きは存外大きかった。
草麻は右手から左手に支えを変えると聞き返した。
「いえ、失礼ながら、貴方はこんな状況でも変わらないのですね」
「習慣ですしね。それに現状に腐って練習を疎かにするのは馬鹿でしょう」
「それでしたら、世の大半は馬鹿でしょうね」
「そうですか?」
会話はそれで終わった。
草麻は黙々と筋トレを消化していく。腹筋背筋など基本的な部位は当然として様々な部位を鍛えると一時間等あっという間に過ぎて行った。
草麻は道衣を着て今度は踏込みの練習に移る。
同時に循気と雲流。特に開花した特性変換に重点を置きながら。草麻は風薙ぎを抜き、丁寧に踏込みを重ねていく。
誠実に地道に草麻はひたすらにそれを繰り返す。
周囲の景色は消え去り、草麻は一個の世界に没入していった。その天賦じみた後天的集中力こそが草麻の何よりの強みだった。やがて、草麻は習慣を終えると強い視線を感じた。筋トレしていた時と同じ姿勢でエルが凝視していた。
「寝てないんですか?」
「言ったでしょう。貴方より先に横になる訳にはいきません。それに十分楽しませてもらいました」
微笑ながら、エルは草麻に答えた。
草麻はエルの言っている事が解らなかったのだろう、首を傾げる。
「ん?何か気を使わせてしまいましたね。すいません。一応四時間後には出発予定ですけど、大丈夫ですか?」
謝罪こそしているが、草麻の言葉からは突き放したような響きがある。
付いてこようが来まいがどちらでも良い、それが草麻の正直なところだった。
「無論です。最速で貴方をエレントまで送りますよ」
「そいつは頼もしいですね」
言って、草麻は収納魔具からタオルを取り出すと簡単に身体を拭く。
じっと見詰めるエルの視線が気になるが、まあいいかと何時も通りの投げやりな思考で推察を終えると、身体を拭き終えた草麻はさっさとテントに潜った。ヒメの結界に比べると、児戯の様な防御力皆無の探知型結界だが、一応張ってあるし多少深く寝入っても問題ないだろう。
手甲と脚絆は嵌めたまま風薙ぎを枕元に置くと、草麻はシーツを被り眼を閉じた。その後、寝息が聞こえるまで僅か十秒。微塵の動揺も躊躇いも無い見事な入眠であった。
さらにその一分後。
おそるおそるテントの幕を開け、眠る草麻の姿を見てエルは呆れと僅かの怒りを感じた。何も無かった様に軽い態度でテントに潜りこみ、逆に自分が意を決してみれば早々と眠っている。別に自分を女として意識して欲しい等と思っている訳でもないし、特別な感情を向けて欲しい訳では無いが、ここまで反応が無いと流石に気が重くなる。
ほんの数時間前まで殺意を持って戦闘をしていた相手に、ここまで無防備で何もないとは自信があるのか、それともただ無関心なだけなのか。エルは思わず草麻の寝顔に殺気をぶつけようとしたが、止めた。間違いなく起きるだろうし、これで印象が更に悪くなっても仕方ない。
エルも草麻の隣で横になると眼を閉じた。
けれど、なかなか寝付けず寝入ったのは結局一時間後だった。ただ、短い睡眠時間ではあったが、エルの顔は穏やかな笑みを浮かべていた。




