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狼浪奇譚  作者: ただ
29/47

月の森3 / 俺が強かっただけだ

物事は何時も唐突だ。

ヒメの視線の先には二振りの牙が煌めいている。その杭の様な短剣は容易くヒメの命を貫くに違いない。ヒメの耳に従者の声が遠く聞こえる。その強烈な哀願じみた怒声に、場違いと判っていても嬉しさが込み上げる。同時に道連れにしてしまう事が、死ぬ以上に悔しく申し訳なかった。


風が吹く。

目は瞑らなかった。ヒメが死を覚悟した直後、不意に女は消えていた。ヒメの耳に鈍い音が届く。視線を向けると女と従者が戯れているのが見えた。助かったと安堵しここまで清々しく無視されたのが悔しいと言えば悔しかった。女は最初から従者しか見ていなかったのだ。




「ヒメ!!」

叫ぶことしか出来なかった。

その悲鳴はもはや無力を表す証明でしかない。空しく伸ばした右手はもはや届くはずも無いただの残照だ。その先、居抜くような瞳で女は俺を睨んでいる。凶悪な肉食獣の牙が裂けた口角の隙間から覗くと、女は舌舐めずりした。獲物を前にした野獣が其処に居た。


女がぶれる。

残像すら置き去りに女は短剣を投擲した。その標的はヒメでは無く、俺だ。何故と疑問に思う間もない、反射となった防御反応は空の右手捻ると杭を払う。ちっと鳥の鳴き声のような擦過音を残すと、短剣は俺の脇腹を抉り取った。


肉が裂け血液が噴出する。

烈火の痛みが脳髄を焦がすと同時、氷点下の死の予感が脊髄を冷却した。もはや風薙ぎを抜く暇も無い。悪寒を反射に、鉄壁の前羽の構えを取ると、眼前にまで肉薄した女を迎撃する。そのさなか左手甲から戻り切らないワイヤーアンカーが間抜けっぽいとふと思った。




ヒメは羨ましそうに草麻とエルの戦いを見ていた。

近接で戦い続ける二人の間にヒメの入る隙間は見当たらない。刹那の領域で生きる格闘者に外からの援護はもはや邪魔にしかならないだろう。瞬きの間で攻守を入れ替え息継ぐ間に生死の秤が傾く中に、どうして割って入れようか。歯噛みし瞬時に結界を張る準備しか出来ない自分が非力で仕様が無かった。だが、助言位なら出来るだろう。ヒメは声を張り上げた。


「草麻!!奴は人獣化しておる、長期戦に持ち込めば勝機はある!!」

「人獣化!?」


主人の声を受け草麻の脳に知識が流入した。

【人獣化】

魔力を多大に含んだ亜人に多く見られる現象で、強大なストレスと外的要因を受け野生の血が暴走する行為を主にさす。人獣化すると流れる血の特性が強く現れると共に、理性が失われ暴走し見境が無くなる事が多い。いわば全ての枷を外した状態となる為に制御は困難で、戻すには失神させるか力の消耗を待つことが最適とされる。また、魔力の過度行使により人間も同様の現象が起きる場合がある。その際は人魔化と呼ばれる。


「了解!が、きついぞ!」


エルの攻撃を必死に逸らしながら、草麻は愚痴をこぼす。

ディーノが居ない理由、おそらくエルに殺されたか倒されたか、その一端は判ったが、それで安心する程、戦闘時の草麻は楽観的ではない。出来る事なら長期戦は避け撤退したい所である。


しかし、人獣化したエルは脅威だ。

自身の持つ全精力を守りに掛けても、エルは力と速度だけでそれを易々と超えて来る。交錯の度に血飛沫が舞い、根本的な体力さえも草麻はエルに負けている状況で長期戦は無謀だろう。しかし、エルの猛攻の狭間を縫い草麻は間合いを取った。エルが迫るまで半秒、草麻は言霊を紡いだ。


「サイクル・E」


それは防御に特化した土の魔力特性。

勝つための最善が長期戦と覚悟した草麻の意志の表れだった。



白銀と黒鉄が交わる度に閃光が舞う。

戦場に響くは金属同士が擦れあう擦過音と地面を叩く足音だけ。両者には主人を護るという制約は既にない。背後を気にする事が無い状況は何処までも自由だ。


道衣が霞む。

草麻の動きに攻めは無い。

円運動を基本とした回し受けは静謐な水面であり、死の悉くを弾く魔境だろう。鍛錬に裏付けられた確固たる技術を持って青年は肉食獣を迎えうつ。


黒衣が消える。

エルの動きには守りは無い。

刺突専用の短剣を用いた連突は、剛毅な直線であり獲物を貪り抉り抜く削岩機のよう。天性の資質、生まれながらの強者が持つ圧倒的力で女は武術と向かい合う。


弱者と強者の戦闘の縮図がそこにはあった。


「サイクル・E!」

「ああぁああ!」


言葉と咆哮。

守と攻。

盾と剣。

交わる事の無い表裏一体のコインが闇夜に転がる。


草麻は飽く迄も流水の様な滑らかな動きを保ったまま、エルの紫電の動きに対応し続ける。それはまるで殺陣の様な鮮やかな舞踏のようだ。木々の群れすらも二人にとっては只の地面であり舞台の一つでしかない。二人はある時は大地の上である時は大木の上でまたある時は中空で二人は交錯を続ける。


銀の瞳は草麻だけを映し、黒の瞳はエルだけを捉えている。

この空間を共有する二人にしか判らない確かな共振。それは戦いの愉悦だった。



やがて、草麻の呼吸が揺れる。

それは長距離走から短距離走へのシフトチェンジ。エルの呼吸を読むと草麻は今まで以上に、十メートル程間合いを開けた。理性を無くし虚を感じれないエル相手だからこそ出来た間の外し方である。


だが、それ程の技術を駆使してもエルの身体能力を超える事は出来ない。草麻の軌跡をなぞる様に瀑布じみた弾丸が飛来する。水月を狙う魔力を含んだ短剣は、まさしく魔弾と言って差し支えない。草麻の膂力を持ってしてもそれを弾き飛ばす事は出来なかった。


草麻は右足を大きく下げると身体を開く。

真半身となった身体では次に備えられはしない。ヒメの背筋が凍る。短剣に貫かれる草麻のイメージが脳裏を過った。


ぼっと焦げた臭いを残しながら草麻の前面を短剣が通り過ぎる。

その刹那草麻は短剣に繋がる鎖に左手を添わせた。一直線になった鎖と手甲、鎖の継ぎ目に鈎爪を掛けるとワイヤーアンカーを即座に射出する。相対速度は余り変わらないが、それでも短剣をさらに押す事は出来た。空いた右手を左側に伸ばし鎖を掴む。短剣に繋がる鎖の遊びが少なくなった今なら出来る。


「ふっ!」


右手に掴んだ鎖を力の限り反る様に引っ張った。

突然の力の変化にエルの身体が浮かぶと、柔らかな放物線を描いて草麻を飛び越していく。それは獣となったエルにとって理解出来ない合気の技。鎖の遊びに余裕があったなら踏ん張る事が出来たろうが、伸びきった鎖は草麻の力を余すことなくエルに伝えると、彼女は不思議と投げられていた。


逆さになったエルの視界の先には体勢を直し抜刀する草麻が見える。研ぎ澄まされ練磨された絶対の意志がエルを居抜いた。ぞわりとエルの全身が総毛立つ。弱者の可能性が其処に居た。


「サイクル・Wi」


速度特化。

草麻は風の魔力を纏い疾走した。土からの急激な変換に神経が軋むが関係ない。精神と肉体の枷は既に彼方の先。この一撃を作る為だけに此処まで積み上げてきた以上、失敗は有り得ない。


故に、音すら置き去りにせんとする凄絶な踏込みの時点で勝負は決していた。


エルもそれを判っている。

草麻もそれを判っている。


後に残るのはこの空間が終わるという微かな離愁のみ。草麻とエルの視線が絡んだ瞬間、終決の鐘が鳴らされた。




どんという音と黒鉄の壁が草麻とエルを分断する。

草麻とエルが交錯する直前、直上より落とされた大剣が草麻とエルの間に割り込んだのだ。


眼前には鋼の壁。

草麻は足を交差させ絶妙な体捌きを持って大剣を躱すと、勘だけを頼りに風薙ぎを振るう。ギンと一拍遅れた駄剣はエルに容易く弾けられた。舌打ちし、草麻はヒメの元に駆け戻る。


エルは追撃してこない。

突然の闖入者がエルに重圧魔術を掛けていた。エルの背後には見知らぬ女が立っていた。女の前頭部には螺旋を巻いた角が覗き、新雪の様な白い髪と瞑られた両目が彼女に凛とした静寂を持たせているようだった。


エルと同じデザインのチョーカーと長いダッフルコートに似た白いローブを着る女は、緩やかに左手をエルに向けた。女が掛けている重圧魔術は、精神を抑えるモノでは無く、物体を押さえるという魔術だが、人獣化したエルを此処まで束縛するなど尋常では無い。びきりとエルに見えない重力がのしかかる。


「ぎ、ぐ」


唸り、喘ぐような呻き声がエルの口から零れた。

身体に掛る重圧は既に軽く数トンは超えているだろう。エルの足は震え両脚を支える大地は窪んでいく。だが、それでもエルは倒れなかった。大腿部が膨張し包んでいた黒服が弾け飛ぶ。エルは瞳を草麻に向けた。まだ、戦えるとぼろぼろの身体で必死に叫んでいるようだった。


白い女はその瞑られた目を微かに動かすとエルに近寄っていく。

女は何気ない仕草でエルの額に人差し指を当てた。魔力が動く気配を感じる。


「やめ」


思わず草麻の口から言葉がもれると同時、ばちっとエルの額から音が弾けた。何らかの力か、エルの身体は今までの躍動が嘘の様に呆気なく崩れ落ちた。倒れたエルの肉体が人のそれに戻っていく。生きているのか死んでいるのか、それすらも判断できない。女はゆっくりとした動作で森に向き直る。エルも含め草麻達には一切興味が無い様だった。


「終わりました」


色の乗らない、氷の様な冷たい声の先から一人の男が現れる。

隆々とした肉体に野生的な顔立ちを持つ男は、朗らかに言った。


「おお。相変らず仕事が早いな」

「いえ」


女の隣に男が並び立つ。

焼けた黄金色の髪にそれに負けない強い瞳が特徴的な男だ。黒い鎧を着こみ、右手にはリュック型の収納魔具、反対の肩にはディーノが担がれている。男は真っ直ぐに草麻を見ると男臭い笑みを浮かべた。


「お前やるなあ。これだけ月の魔力が濃い場所で、人獣化した相手と格闘出来るやつはそうは居ねえよ」


その男を前にじっとりとした汗が草麻の背に滲む。

正直に言えば草麻はもう限界に近い。理不尽な不意打ちに強烈な殺意を浴び続けた精神の摩耗に加え、枷を外した代償と攻撃を受けた肉体の損傷が、草麻から生命力を奪っていた。その上で今度は機械仕掛けの神の様な、理不尽な力を持つ存在の出現である。


身体も心も既にリミット一杯。

パニックに陥られればどれ程楽だろうか。しかし、草麻は呼吸を整えると口を開いた。


「儂の従者じゃからな。当然じゃ」


だが、ヒメの言葉の方が早かった。

草麻の前に悠然と立つと準備していた結界を発動させる。キンという音と共に半径三メートル程のドーム状の結界がヒメと草麻を覆うと、男達との間に半透明の壁が出来ていた。これ以上従者だけに負担を掛ける事は自身の矜持が許さない。ヒメは男を睨む、隣に立つ女もだ。


「ふふん。魔術師に格闘特化の従者か。いいコンビだな」


ヒメの鋭い眼光に男は愉快そうに口角を上げた。

結界の中で草麻の肉体が異常に回復している事に気付いているが、意にも介さないようだ。


「遅れたが、俺はアレフレッド・ノエルだ。それで隣のこいつは従者のフロスティ・ネーヴェ。弟子が世話かけたな」


言ってアルフレッドはディーノを担いでいる方の肩を揺らす。


「全くじゃな。いきなり人を襲わせるとは、教育がなっとらんぞ」

「はっはっはっ!わるいわるい、弟子の不出来はこれで許してくれ」


男は豪快に笑うと、草麻が持っていたリュック型の収納魔具を投げた。

リュックは結界に当たり地面に落ちる。それを見てヒメは鼻を鳴らすと不機嫌そうに言葉をもらした。


「それは元々儂等のモノじゃ。落とし前としては軽かろう」


アルフレッドはヒメの挑発的な言葉を気にせず言う。


「何言ってんだ。ネーヴェは一応この森の主だぜ。人の庭の花勝手に採ってんだから少しは遠慮しろよ」


アルフレッドは空いた右手で白の女、ネーヴェを差しながら言う。

螺旋を巻いた角がある時点で一角獣の亜人と確信していたが、まさか本当に月の森の主とは。嘘という可能性もあるが、ヒメの鼻と数多の経験が事実だろうと告げていた。少なくとも、森の主と言えるだけの実力をネーヴェは保有している。焦燥を隠しヒメは変わらない表情でアルフレッドを睨む。


「まあ良いわ。それで何でこの森の主たる存在がお主と共におるのじゃ?」


「そりゃあ簡単だ。俺がネーヴェに勝って従者にしたからよ」


「従者じゃと?お主はそやつと主従契約を結んでおるのか?」


「おお。凄えだろ」


はっはと楽しげに笑うアルフレッドにヒメの眉間が強張る。

アルフレッドは何でもない様に言ったが、森の主と言ったネーヴェは間違いなく彼より強く、また主従契約とは気軽に出来る代物ではない。


ヒメは注意深くネーヴェに視線を送る。

目を閉じ主の隣に立つネーヴェは雪の様な静けさを纏うのみである。やがて、ヒメの眼にある物が映った。それはチョーカー、エルが巻いていた物と良く似ている。


「お主、まさか魔具を使っておるのか?」


「ご明察。詳細は教えんが、嬢ちゃんの思ってる通りだろうよ」


「貴様」


「おいおい、怒んなよ。この世の基本は弱肉強食。野生で生きる者は特にそれが顕著だ。その結果が今っていう話だろう」


アルフレッドの言い分は真理の一つだ。

世界は力で成り立っている。ある者は腕力で、ある者は財力で、またある者は権力で、弱者を淘汰し糧としてきた。これは今後変えられない絶対普遍の在り方に違いない。けれど、理解はしていても納得できない。


「まあ、嬢ちゃんもネーヴェと同じ亜人だしな。仕方ねえかもな。だがよ、坊主を従者にしてる嬢ちゃんに俺を責める資格はねえだろ」


「師弟揃って間抜けじゃな。儂と草麻が結んでおるのは、貴様等の様な紛い物では無い。同じにするな」


区切り、侮蔑を込めてヒメは宣言した。

そのヒメの堂々とした振る舞いに草麻は苦笑してしまった。知らない事のオンパレードだが、その勝手さが、らしいと納得してしまったのだ。


「俺も知らない事ばっかですけど、どうやらそうらしいっすね。用が無いなら俺等はもう帰りますよ。流石に疲れましたからね」


草麻が何時もの軽い調子で言う。

だが、先程の言葉以降アルフレッドは何かを考え込む様にヒメと草麻を見ており、返事が無い。ぴりと嫌な緊張感が二人に走った。


「紛い物か。確かに俺も調べた中に特異な契約が散見された。古過ぎて虫食いだらけだったけどな」


独り言の様に言葉を零しながら、アルフレッドは大地に刺さったままの大剣を引き抜く。今までの陽気な雰囲気は霧散し、重いプレッシャーが周囲に漂い始めた。


「お前等がもしそうだとすると、此処で出会ったのもまた運命かもな」


アルフレッドは大剣を担ぐとヒメと草麻に視線を戻す。

彼の眼には諦めに似た感情が映っていた。


「ディーノの契約が容易く壊れたのも気になるし、やっぱお前等は何かあるんだろうよ」


アルフレッドの身体から魔力が吹き上がる。

黄金色の気勢が彼を包むと、其処には一人の戦闘者が居た。月の魔力が溢れるこの場所で人間がこれ程の闘気。冗談もいいところだった。


「という訳で悪いな。唐突だが嬢ちゃんを貰うわ。恨み言も文句も言って良いぜ、俺がお前等より強かっただけだ」


その簡潔な言葉と行動は確かにディーノの師というだけはある。

しかし理屈はどうあれ、巻き込まれた側は全く以て洒落にもならない。草麻は直ぐにヒメの前に立つと、何か言いたげなヒメを無視し足掻きの言葉を紡いだ。


「何言ってるんすか?俺等は普通の四級冒険者っすよ。別に構う必要は無いでしょう」


何とも苦しい言い様である。

自覚はしているが、今の草麻にこの空気を壊せる程の戯言を言う実力は無い。それでも今は一秒でも時間を稼ぎたかった。


「だから、別に」

「わりいな」


草麻の言葉に割り込み、アルフレッドが大剣を振るう。

ぎんと結界と大剣がぶつかり合い衝突面で火花が散った。ヒメの前で大剣が停止し、その間に新たな呪文を唱える。呪文を練って張った結界だ、五小節はいけるか。草麻も僅かな時間とはいえ、気勢を溜める。これだけの実力者。一点集中による突破を狙うしかない。標的はアルフレッド一人。


「ネーヴェ!!」


アルフレッドの怒声が響く。

ネーヴェは一つ頷くと右手を翳した。アルフレッドの大剣が黄金に輝き魔力が迸る。


「おおりゃああ!!」


気合一閃。

アルフレッドの大剣は結界を見事に切り裂いた。飛散する結界、その時にはヒメは一歩下がり大地に手を付いている。アルフレッドの頭上に影が覆うと、主従の声が響いた。


「サイクル・F!」

「真槍・土舞!」


アルフレッド囲う様に前後左右から土槍が伸び、直上から風薙ぎが彗星の様に落ちてくる。完璧では無いが、速度、威力、共に申し分ない全方位攻撃。相手は屈み尚且つ荷物すら担いでいる。確信に近い勝利への予感。その甘い幻想を抱こうとした最中、白の従者が左手を上げた。


「グラビティインパクト」


その一言で勝負は決した。

草麻は落雷を受けた様に空中で痙攣すると墜落し、土槍は砂となって崩れ去るとヒメの意識さえも飛ばしていた。ネーヴェはたった一小節で、主の脅威を駆逐したのだ。それも、守に秀でた草麻を一瞬で貫き、魔力を十分に込めた物質を粉砕し、その上でアルフレッドには何の影響も与えずにだ。正しく機械仕掛けの神じみた出鱈目さ。余りにも簡潔な結末だった。


「さて、嬢ちゃんは貰ってくぜ」


アルフレッドは大剣を背中に収めると、ヒメを担いだ。

踵を返しネーヴェに指示を送ろうとした時、彼の足に何かがぶつかる。草麻が風薙ぎをアルフレッドの足首に刺そうとしていた。しかし、彼の鎧を貫くには貧弱すぎる。草麻は風薙ぎを放すと、アルフレッドの足首を掴んだ。


「ま、て」


全身が先の衝撃で麻痺しているのだろう。

草麻は涎をこぼしながら、それでも従者としての意地を張っていた。アルフレッドはネーヴェを見やる。殺さない程度にはしてあるが、間違いなく失神してしかるべき魔術だった筈だ。ネーヴェは主人の視線に首を振る。


「凄い人です」


その手短で簡素な言葉にアルフレッドは笑った。

豪快に雄叫びを上げるようにアルフレッドは笑う。足首にかかる負荷が鎧を軋ませているがが、それすらも愉快でしょうがなかった。この月の森でその主の魔術を受け、なお意志を貫くとは。アルフレッドは倒れ伏す草麻に向き直ると、胸元から出したペンダントを投げた。


「予定変更だ。お前に時間をやる。ありがちな台詞だが、嬢ちゃんを帰して欲しいなら、セーミアと一緒にヨルミナに来い。詳細は魔具に記録しておく」


「ふ、ざけろ」


アルフレッドは草麻の手を振り払うと、そのまま踏んだ。

踏みながらアルフレッドはネーヴェから掌大の伝達魔具を受け取ると、委細を魔具に書き込み、それを草麻に放る。こつんと草麻のとなりに魔具が転がった。


「さっき言っただろ。恨み言も文句も言って良い、ただ俺が強かっただけだ。ま、今お前に死なれちゃ意味ねえからな、結界だけは張ってやる」


アルフレッドは今度こそ踵を返した。

草麻の手から何もかもが零れ落ちていく。循気により脳は活性化しているが、肉体と魔力を繋ぐ神経が断線した様に動かない。草麻の身体は芋虫の様に這いずる事しか出来なかった。ネーヴェが呪文を唱えると草麻の周りに結界が張られる。頑強なそれは牢屋でもあった。


「それじゃ、またな」


草麻の視界からアルフレッドが消える。銀色の光も同様に森に消えた。


涙に滲んだ先には鬱蒼とした森しか見えない。

草麻は懸命に手を伸ばした。まるで見えない何かを掴む様に。だが、伸ばした手は空しく結界に当たるだけで、手は腕の重さを支え切れず落下した。


草麻は諦めず手を伸ばす。

阻まれ落ちた。もう一度伸ばす。落ちた。もう一度、もう一度。もう一度。何度も何度も何度も、草麻は手を伸ばしては叩き落された。まるで壊れた機械の様に草麻はその動作を繰り返す。だが、結界は微塵も揺らぐことなく巨大な壁としてそこに在るだけだ。


それは五澄草麻が積み重ねて来た修練が、圧倒的な力に敗北した瞬間でもあった。


もう、何も動かない。

後に残るは主を奪われた無惨な従者だけ。無様な嗚咽が空しく森に吸い込まれた。

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