表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/11

第10話 魔術は右手でお願いします

 祈りを覚えたあと、父レオンは俺に家庭教師をつけた。

 貴族の子どもとしては、少し早いらしい。


 理由は、俺が本を読むのを嫌がらなかったから。

 いや、嫌がるわけがない。

 こっちは攻略サイトも設定資料集も失っているのだ。


 本は命綱である。

 ただ、父が用意した家庭教師は、読み書きだけの先生ではなかった。


 算術。

 地理。

 礼法。

 そして、魔術まじゅつの基礎。


 来た。

 ようやく来た。

 俺は内心で拳を握った。

 ファンタジー世界に転生して、赤ん坊期間を乗り越えて、ようやく魔術である。


 長かった。

 長すぎた。

 ここまでの主な攻略行動、泣く、寝る、手袋をはめる、絵本を読む。

 地味すぎる。

 そろそろ火球くらい撃たせてほしい。



     ◆



 家庭教師の名前は、ベルトラム・ヨルグ。

 白い髭を短く整えた、細身の老人だった。

 貴族向けの初等教育を請け負う元宮廷魔術師きゅうていまじゅつしらしい。


 宮廷魔術師。

 肩書きが強い。

 俺の中の少年心が少し騒いだ。

 だが、実際のベルトラム先生は、黒いローブを翻して雷を落とすタイプではなかった。


 眼鏡。

 革の鞄。

 分厚い手帳。

 細かい字。

 完全に塾講師である。


「エリアス様。まず確認します」


 ベルトラム先生は、俺の前に小さな蝋燭ろうそくを置いた。


「魔術とは、何だと思いますか」


 いきなり問答。

 五歳児に聞く質問ではない。

 ただし、俺の中身は前世込みなので答えたいことは山ほどある。


 霊脈れいみゃく魔力まりょく術式じゅつしき媒介ばいかい

 設定資料集で読んだ単語が頭の中に並ぶ。

 だが、ここで全部言ったら危ない。


 五歳児が急に用語を並べ始めたら、天才ではなく不審者である。

 俺は子どもらしく首をかしげた。


「おねがいすると、ひがつく?」


 ベルトラム先生は、少しだけ笑った。


「惜しい。お願いでは火はつきません。手順を通すのです」


 手順。

 いい言葉だ。

 俺は一気に信用した。

 祈りは願う。

 魔術は手順を通す。

 この区別、かなり大事そうだ。



     ◆



 ベルトラム先生は、机の上に小さな紙片を置いた。

 紙には円と線が描かれている。

 子ども向けの簡単な術式じゅつしきらしい。


「これは火を呼ぶための形です。火そのものを作るのではありません。近くの熱を集め、芯へ渡すだけです」


 なるほど。

 つまり、いきなり爆炎ではない。

 蝋燭に火をつけるだけ。

 地味。


 だが、今の俺には十分すぎる。

 ベルトラム先生は俺の右手を取り、指先を蝋燭の前に向けさせた。


「息を吸って、止めて、ゆっくり吐く。手の先を熱が通る道だと思いなさい」


 俺は言われた通りにした。

 吸う。

 止める。

 吐く。


 指先が、少しだけ温かくなった。


 お。

 おお。

 これ、来てるのでは。


 蝋燭の芯が、ほんの少し赤くなった。

 火はつかなかった。

 つかないのかよ。

 俺の初魔術、ぬるい指先で終了。

 ベルトラム先生は満足そうに頷いた。


「初回で熱を動かせたなら十分です」


 十分なのか。

 俺としては、せめて火花くらい欲しかった。

 ファンタジーへの期待値が高すぎたかもしれない。



     ◆



 問題は、二回目に起きた。

 右手でうまくいかないなら、左手ならどうか。

 そう思ったわけではない。


 いや、少しは思った。

 だって左手には黒痣くろあざがある。

 厄ネタではあるが、何か特別な力が流れている可能性は高い。


 ゲームの主人公的には、呪われた左手で特殊魔術。

 絵面は強い。

 でも、危険なのも分かっている。


 だから俺は左手を動かすつもりはなかった。

 なかったのだが、呼吸に合わせて、左手の奥が勝手に熱を持った。


 手袋の下。

 黒痣のあたり。

 そこだけ、じわりと熱い。


 蝋燭の火はまだついていない。

 だが、芯の赤みがゆらりと揺れた。

 白いはずの蝋燭の影が、一瞬だけ黒く伸びた。


 父が立ち上がった。


「そこまでだ」


 声が低い。

 母が隣で息を呑む。

 ベルトラム先生も、表情を変えた。


 しまった。

 これは、普通ではない。

 俺は慌てて右手を下ろし、左手を胸元に引き寄せた。


 いつもの癖。

 手袋を隠す。

 黒痣を隠す。

 大人たちは、その動きを見ていた。


 空気が重い。

 初魔術体験、いきなり事故りかけである。

 チュートリアルくらい安全にしてくれ。



     ◆



 ベルトラム先生は、しばらく黙ってから言った。


「左手は、使わない方がよろしいでしょう」


 父は即答した。


「当然だ」


 当然らしい。

 俺も同意である。

 左手、危険。


 これを本日の授業のまとめにしたい。

 ただ、ベルトラム先生は俺を怖がっているというより、考え込んでいる顔だった。


「右手で熱を動かす素質はあります。呼吸も悪くない。ですが、左手が勝手に流れを引く。これは癖になる前に分けた方がいい」


 分ける。

 つまり、右手は普通の魔術。

 左手は黒痣に引っ張られる危険な流れ。


 そういうことか。

 父が俺を見た。


「エリアス。魔術は右手で習いなさい」


 言い方が、小さい子どもへの注意ではない。

 家訓みたいな重さがある。

 俺は素直に頷いた。


「うん」


 本音である。

 左手で格好よく闇魔術とか、そういう中二病を発症する余裕はない。

 十六年後の聖印検査せいいんけんさで詰まないことが最優先だ。


 主人公の呪われた左手。

 使えば強いかもしれない。

 でも、使ったらたぶん監視ルート直行。


 ロマンより生存。

 現実はだいたいこういう選択になる。



     ◆



 その夜、俺は寝台の中で右手を握ったり開いたりした。

 指先に、まだ少しだけ熱の感覚が残っている。

 魔術は使える。


 少なくとも、入口には立てた。

 ただし、左手は危ない。


 祈りに反応する。

 教会にも反応する。

 魔術にも反応する。

 黒痣、反応条件が多すぎる。


 センサーか。

 いや、センサーならまだいい。

 これは爆弾に近い。


 でも、今日分かったことは大きい。

 魔術は願いではなく手順。

 呼吸で流れを整える。


 右手なら、少しだけ熱を動かせる。

 左手は、勝手に流れを引く。

 つまり、今後の目標は決まった。


 右手で普通の魔術を覚える。

 左手は隠す。

 左手に流れそうになったら、呼吸で逃がす。


 地味。

 本当に地味。

 でも、地味なことを積み上げないと、このゲームはすぐ殺しにくる。

 俺は右手を見つめた。


 小さい。

 まだ弱い。

 でも、動く。

 熱も通る。


 それだけで、少しだけ安心した。

 世界を救うには、まず右手で蝋燭に火をつけるところから。

 救世主というより、火の用心係である。


 だがまあ、火の扱いを間違えたら普通に屋敷が燃える。

 そう考えると、わりと大事かもしれない。

 俺は右手を布団の上に置き、左手は手袋ごと胸元に隠した。

 魔術は右手で。

 左手は、まだ使わない。

 今日のところは、それでいい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ