第1話 ヒロイン全員死亡済みとかクソゲーかよ
深夜二時四十七分。
俺の机の上には、ゲームソフトが一枚、攻略サイトを印刷した紙束が三十七枚、手書きの分岐メモがノート二冊分、そして凶器みたいな厚さの公式設定資料集が積まれていた。
タイトルは、『灰かぶりのエリアス』。
ジャンルは、公式いわく「六つの祈りと恋を巡る幻想恋愛アドベンチャー」である。
まあ、嘘ではない。
幻想はある。恋もある。アドベンチャーもある。
ただし、攻略ヒロインが全員死んでいる。
そこは先に言え。
パッケージでは、美少女たちがいかにも王道ファンタジー恋愛ゲームみたいな顔で並んでいた。白い衣装、やわらかい光、意味ありげな月、そして主人公らしき黒髪の青年。
ああ、これはきっと、呪われた青年が巫女たちと出会って救われる話なんだろうな。
そう思って始めた俺が馬鹿だった。
実際に始めてみると、ヒロインは全員死者。
肉体なし。デート先は墓地、廃神殿、夢の中。好感度を上げると成仏イベント。成仏させると、なぜか世界の防衛システムが壊れる。
おかしいだろ。
普通、ヒロインを救ったらハッピーエンドだろ。なんでヒロインを救った結果、村が滅ぶんだよ。
俺はコントローラーを握りしめたまま、画面を睨んだ。画面中央には、もう何度見たか分からない無慈悲な文字が出ている。
【北方結界が崩壊しました。】
【魔獣の群れが王国領内へ侵入します。】
「またかよ……」
これで、北方ルートは二十一回目の失敗だった。
いや、失敗と言っていいのかも分からない。ゲーム上はちゃんとエンディングを迎えている。ヒロインは救われる。音楽は泣かせにくる。スタッフロールも流れる。
でも、村が滅ぶ。
それはハッピーエンドではない。少なくとも、俺は認めていない。
『灰かぶりのエリアス』は、いわゆる鬱ゲーとして有名だった。
誰を選んでも破滅。救うと世界が壊れる。救わないと当然ヒロインが救われない。トゥルーエンドらしきエンディングでは主人公が自己犠牲を強いられる。
掲示板では、何度も同じ話題が立っていた。
「これ、グランドルートないの?」
「六人全員救済ルートある説」
「王都スタートが怪しい」
「いや修道院だろ」
「攻略不能サブキャラの好感度が鍵では?」
「公式設定集の年表、ゲーム本編と矛盾してない?」
噂だ。
ただの考察かもしれない。釣りかもしれない。開発者のミスかもしれない。
でも、俺は信じていた。
ここまで世界を作り込んで、キャラを作り込んで、設定資料集を広辞苑みたいな厚さにしておいて、全部破滅で終わりなわけがない。
どこかにあるはずだ。
まだ誰も見つけていない、未発見のグランドルートが。
俺はそのルートを探すために、何十回も最初からやり直していた。
出生エリア選択。
辺境、港町、穀倉地帯、荒野、王都、修道院。
どれを選んでも主人公エリアスの身分と初期ステータスが変わる。俺が今選んでいるのは王都。確証はない。けれど、グランドルートがあるなら、たぶん王都が一番怪しい。
情報が多い。人脈も作れる。攻略不能サブキャラとの接点も多い。図書館もある。教会資料にも近い。
ただし、初見殺しの塊。
入学式で詰む。図書館で詰む。お茶会で詰む。地下礼拝堂で詰む。寝不足でも詰む。
恋愛ゲームなのに、早寝早起きと身だしなみと読書量が重要ステータスなの、だいぶおかしい。
俺は画面に表示された「王都」を選んだ。
何度目か分からないプロローグが始まる。
【王都。】
【下級貴族ヴェイル家に、一人の男児が生まれた。】
はいはい、いつもの成長ダイジェスト。
ここから十六年分が数行で飛ばされて、王立高等学院の入学式から本編開始。
そのはずだった。
画面の白い文字が、ゆっくり流れる。
その左手には、黒い痣があった。
ああ、それ。
入学式の聖印検査で反応して、教会監視ルートに入るやつ。
俺は眠気でぼんやりした頭のまま、設定資料集を開いた。王都ルートのプロローグページ。そこには、赤ん坊のエリアスの一枚絵と、短い説明文だけが載っている。
黒い痣。王家傍系の血。教会の定期観察。十六年後、王立高等学院へ。
たったそれだけ。
ゲームでは、ここは操作できない。
だから俺は何度も思った。
この空白期間に何かあるんじゃないのか、と。
だが、どれだけ周回しても、赤ん坊時代を操作する選択肢は出なかった。
眠気が限界だった。
俺はコントローラーを置き、設定資料集を開いたまま机に突っ伏した。
「……次こそ、見つける」
そう呟いたのを最後に、意識が落ちた。
◆
次に目を開けた時。
俺は、知らない天井を見ていた。
いや、知らないはずなのに、知っている天井だった。
白い天蓋。金糸の刺繍。揺れる燭台。慌てる大人たち。泣きそうな女の声。
そして、俺自身の口から出る、情けない泣き声。
「あ、あぶ……!」
喋れない。
手を動かす。
小さい。
めちゃくちゃ小さい。
赤ん坊の手だった。
その左手の甲に、黒い痣がある。
蛇に見えるような。ただの染みにも見えるような。でも、俺には分かる。
これ、入学式で爆発するやつだ。
俺は叫ぼうとした。
だが、赤ん坊の喉から出たのは、元気な産声だけだった。
おい。
待て。
たしかに俺は、赤ん坊時代に何かあるんじゃないかと思っていた。
思っていたけど。
実際に赤ん坊から始めろとは言ってない。
スキップは?
ない。
攻略サイトは?
ない。
設定資料集は?
ない。
セーブロードは?
あるわけがない。
いや、落ち着け。
夢だ。
これは夢だ。
さすがに夢だ。
俺は昨日、深夜まで『灰かぶりのエリアス』をやっていた。設定資料集を開いたまま寝落ちした。だから、ゲームの夢を見ているだけだ。
よくある。ゲームをやりすぎた時に、画面の残像が夢に出るやつ。
問題は、夢にしてはやけに寒いこと。
夢にしては、腹が減っていること。
夢にしては、母親らしき人の腕が温かいこと。
そして何より、夢にしては、俺の左手の黒い痣がくっきり見えすぎること。
まあ、いい。
赤ん坊だから、できることはない。
俺は泣き疲れて、目を閉じた。
次に目を開けたら、いつもの部屋の天井に戻っているはずだ。
戻っているはずだった。




