89.きっとまた
霧の島、砂浜にて。
砂浜には、五人の人物が立っていた。
アルゴ、メガラ、エマ、シュラ、スキュロスの五人だ。
エマの明るい声が響いた。
「うわー! すっごい! これが海!?」
エマは目を輝かせて海を眺めている。
エマがダンジョンの外に出たのは今回が初めて。
初めて見る海の広さに、エマの心は大きく震えていた。
エマは衝動を抑えきれず、海の方へ走り出してしまった。
「エマ! 危ないよ!」
走り出したエマの背中にアルゴは叫んだ。
それでもエマは止まらない。
アルゴは、仕方なくエマを追いかけた。
エマは海に足をつけ「冷たい!」と言ってはしゃいでいる。
「エマ、それ以上行ったら危ないよ」
「大丈夫大丈夫。わたし、泳ぎ得意だから。アルゴも知ってるでしょ?」
「まあ、そうだね……」
「ねえ、アルゴ」
「ん?」
「この先に本当に大陸があるの?」
エマは人差し指を地平線の方へ向けてそう言った。
「うん、多分……」
「アハハッ、多分ってなによ。これからその大陸に戻るっていうのに、ほんとに大丈夫?」
「うん……」
「わたしさ、決めた」
「ん?」
「わたしもっと強くなる。自分の身を自分で守れるようになるぐらいに。そしたら、わたしも大陸に行く。わたし、色々見てみたい」
「……エマ」
「わたしが大陸に行ったらさ、もう一度会ってくれる?」
「それは……」
「なによもう! さっきから歯切れ悪いわね!」
「ご、ごめん。だけど……約束はできない」
エマは大きく溜息を吐いた。
「アルゴー、本当に女心が分かってないんだから。いいこと? こういう時はね、とにかく肯定しておけばいいんだから」
「そうなの?」
「そう! 嘘でもいいから言うの!」
「嘘でもいいんだ……」
「いいの!」
「わ、分かった。また会おう、エマ」
「そう、それでいいのよ!」
そう言ってエマは満面の笑みを浮かべた。
アルゴも笑みを浮かべた。ついついエマの笑顔につられてしまう。
「アルゴ、これは言わないでおこうって思ったんだけどさ、やっぱり言っていい?」
「……いいよ」
「寂しいよ……アルゴ」
「エマ……」
エマはアルゴに抱き着いた。
「わたし、アルゴがいないと……」
「エマ、俺も寂しい。エマとの生活は本当に楽しかった。本当なんだ。本当の本当に。だから……ありがとう」
「うん。わたしも、わたしも楽しかった。わたしの方こそ、ありがとう」
二人は感謝を伝え合った。
絆を確かめるように、強く抱きしめ合った。
穏やかな波の音が、二人を包み込んだ。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
砂浜にて、アルゴとエマの様子を遠巻きに感じながらシュラは言う。
「へへッ、若いってのはいいもんだなあ」
その台詞を聞いて、スキュロスは鼻を鳴らした。
「フンッ。若いことがよいことだとは限らぬ。若さとは諸刃の剣だ。若さゆえの勢いで命を落とす者を沢山見てきた。時には年寄りのように忍耐することが必要なのだ。敵が強大であれば尚更な」
「ケッ、ありがたいお言葉だことで」
「フンッ」
そこで二人の会話は途切れ、代わりにメガラが口を開いた。
「スキュロスよ、改めて言おう。余はお前の全ての罪を許そう。これまでのお前の忠義、忠節に報いてやる。だが、ここで改めて問わねばならん」
メガラは、一呼吸して続きを言う。
「スキュロス・プロバリンド。お前はまだ―――余の臣下か?」
スキュロスは跪いて答えた。
「勿論でございます。我が君」
「いいだろう。ならば、それを示せ」
「はっ」
スキュロスは短く返事し、懐から小瓶を取り出した。
小瓶には赤黒い液体が入っている。
その液体に顔を向けてシュラが呟いた。
「それが邪竜の血か……」
スキュロスはシュラを一瞥し、その後、小瓶に視線を戻した。
そして、スキュロスは小瓶の蓋を開け、邪竜の血を呷った。
「……うッ」
スキュロスが呻き声を上げ、胸の辺りを右手で押さえた。
スキュロスは苦し気な表情を浮かべ、声を絞り出した。
「我が君、お下がり……ください」
メガラは言われた通りスキュロスから離れた。
離れた位置からスキュロスを見つめる。
スキュロスは叫び声を上げた。
「ぐッ、あ、ああああ、ああああああああああッ!」
その瞬間、スキュロスの身に変化が起きた。
まず体の表面から青い鱗が浮かび上がる。
次に全身の筋肉が膨れ上がり、衣服が裂けた。
頭のツノが伸び、尻から尾が生える。
スキュロスの体がどんどん膨れ上がる。
もはや、人の形を失っていた。
その姿は、まぎれもなく竜。
巨大な両翼。長い尾。丸太のように太い四本の脚。
鼻先から尾までの長さ約十八メートル。
青い竜が姿を現した。
シュラは離れた位置から青竜の様子を感じていた。
「へえ、あれがあいつの真の姿ってやつかい」
スキュロス・プロバリンドは、魔族であると同時に竜の血をひいた竜人である。
竜人の中には、稀に竜の血を覚醒させる者が現れる。
スキュロスはその一人、竜の血を覚醒させた竜人であった。
この通り、竜の姿になれることがその証拠だ。
しかし、好きなように竜の姿になれるわけではない。
竜の血を己が身に取り込まなければ、それはかなわない。
そのため、スキュロスは邪竜エレボロアスの血を飲んだ。
アルゴが討伐した邪竜エレボロアスの死骸から血を採取したのだ。
「我が君、お待たせいたしました」
スキュロスの声がメガラの頭に響いた。
スキュロスは思念をメガラに飛ばしている。
メガラは声を上げた。
「うむ! 見事だ!」
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
「シュラさん、本当にお世話になりました」
「へっ、俺は何も世話してねえよ」
シュラはニヤリと笑いながらそう言ったのち、ポツリと呟く。
「……元気でな」
「はい、シュラさんもお元気で」
そう返事したのち、アルゴは何かを思い出したように言った。
「あの、これ、本当に持っていっていいんですか?」
アルゴは、魔剣ヴォルフラムを握りながらそう言った。
「お前にやるっていっただろう? どうしようとお前の自由だ」
「シュラさん……この御恩は―――」
「あーあー、やめやめ、それ以上はやめだ。しけた空気にはしたくねえぜ」
シュラはそう言いながらアルゴに背中を向けた。
それを見てアルゴは柔らかく笑う。
「はい、そうですね」
その後、アルゴはエマに視線を移した。
「それじゃあ、行ってくる……エマ」
「……うん。元気でね」
「エマも」
アルゴはエマに微笑むと、体を翻して青竜の背に乗り込んだ。
青竜の背に乗ると、メガラに声を掛けられた。
「もうよいのか?」
「うん、もう大丈夫」
「そうか」
メガラは頷くと、大声を上げた。
「スキュロス! 頼む!」
「はっ!」
巨大な両翼が動き出した。
それと共に、突風が吹く。
砂が大量に舞い上がった。
青竜の巨体が浮き上がる。
初めはゆっくりと。
徐々に両翼が羽ばたく速度が上がる。
風が吹き荒れ、やがて青竜の足が砂浜から完全に離れた。
そこから一気に上昇。
両翼が羽ばたくごとに、数メートル上昇。
エマは叫び声を上げた。
「アルゴ! わたし、強くなるから! 絶対に、強くなるから! だから、また会おう!」
そして青竜は、大空へと翔けていった。
エマは小さな点となった青竜を見ていた。
青い大空を一心に見つめていた。
隣から溜息が聞こえた。
「はぁ……いっちまいやがったか」
「寂しい?」
「さあな」
「フフッ」
シュラは森に向かって歩き出した。
それから、エマに背を向けたまま声を上げた。
「エマ、帰るぞ。帰ったら稽古をつけてやる」
「え? いいの? 今までわたしが頼んでも断ってたじゃない」
シュラは足を止めて顔をエマに向けた。
「強くなりたいんだろう?」
シュラは、悪童のような笑みでそう言った。
それを聞いて、エマは笑った。
「うん!」
エマは笑みを浮かべ、シュラを追い越す勢いで走り出した。




