68.濃霧
ゆっくりと慎重に森の中を進む。
周囲の様子を確認しながら歩き続ける。
急いで森を駆け回りたい気持ちはあるが、未知の土地でそれをするのは自殺行為だ。
きっとメガラならそう言うだろう。
それに、もう一つ問題がある。
森に立ち込める濃い霧。
その霧のせいで歩く速度が遅くなってしまう。
濃い霧のせいで見通しが悪い。
極度の視界不良。
これでは、敵の接近に気付くのが遅れてしまう。
ゆえに、慎重に進まざるを得ない。
加えて、根本的な問題。
そもそも、目指す方向が分からない。
何処を目指せばいいのか。現在地も方角も分からない。
だが、行動しなくては。
あのまま砂浜で呆けていても何も始まらない。
「随分……歩いたな……」
どれぐらい歩いただろう。
霧が立ち込める暗い森では、日の高さから時間を割り出すことはできない。
「少し休むか」
敢えて言葉にする。
そうすることで、まだ自分の頭が正常に働いていることを確認する。
その場に座り込んだ。
ほんの少しだけ気を緩める。
「喉が渇いたな……。腹が減ったな……」
水も食料も無くしてしまった。
我慢するしかない。
そう思いながら、なんとなく地面に目を向けた。
湿気でぬかるむ土が目についた。
泥と言ってもいいのかもしれない。
泥に顔を近づけた。
舌を伸ばす。
舌先が泥に触れた。
そのまま泥を啜る。
「うげっ」
眉間に皺を寄せて泥を吐き出す。
泥に含まれる水を泥ごと飲もうとしたが無理だった。
反射的に泥を吐いてしまった。
きっとこれは正常な反応。
体の検知器がまだ正常に機能している証拠。
そんな風に考えて探索を再開しようとした時、アルゴは気付いた。
一メートルほど先、ぬかるむ地面に窪みがあった。
その窪みをよく観察した。
よく見ると、人の足跡のようにも見える。
この森でようやく手掛かりを見つけた。
無人と思われた森に誰かいる。
アルゴは、両手で自分の頬を軽く叩いた。
「行くぞ」
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足跡を辿る。
足跡が唯一の手がかり。唯一の道標。
濃い霧が立ち込める暗い森。
周囲を警戒しながら進む。
アルゴは確信していた。
正体不明の足跡の主との邂逅が近い。
研ぎ澄まされた感覚がアルゴにそう告げている。
その感覚を信じ、アルゴは歩き続けた。
しかし、足が止まる。
止めざるを得なかった。
濃い霧の影響で先を見通すことができないが、アルゴには分かった。
何か……いる。
生物の気配。それも一つや二つではない。
十か二十か。あるいはもっと。
アルゴは腰に手を伸ばすが、剣が無いことを思い出した。
剣はどこかにいってしまった。
波に飲まれたのだろう。
しかし、鞘は残っている。
鞘を右手で握る。
剣に比べれば格段に殺傷能力が落ちるが、何も無いよりはマシ。
霧にまぎれる正体不明の生物。
ぼんやりとその姿が明らかとなる。
人ではない。四足歩行の生物。
毛のない緑色の肌。
その正体は、巨大な蜥蜴。
全長は約三メートル。
巨大蜥蜴はアルゴを捉えた。
細長い舌をチロチロと出し入れし、アルゴの様子を窺う。
蜥蜴はアルゴのことを餌だと認識した。
太い脚を使って飛び上がる。
巨体に似合わぬ素早い動きだったが、アルゴにとってはむしろ遅すぎるぐらいだった。
最小限の動きで蜥蜴を躱し、鞘を蜥蜴の頭部に叩きつけた。
渾身の一撃。
鞘が蜥蜴の頭部にめり込み、蜥蜴は「ギッ」と鳴き声を上げた。
そして蜥蜴は、舌を出したまま動かなくなった。
一瞬で蜥蜴を無力化することに成功したが、気を抜くことはできない。
蜥蜴は一体ではない。
蜥蜴たちは堰を切ったようにアルゴへと襲い掛かる。
アルゴは走りながら蜥蜴の攻撃を躱していく。
目に頼らず、蜥蜴の気配を感じ取る。
感じる。そして分かる。
蜥蜴がいる場所や、襲い掛かってくるタイミング。
どう動こうとしているのかが。
蜥蜴の隙を見つけては鞘で頭部を叩く。
次第に蜥蜴の数が減っていく。
はずだった。予想以上に数が多い。
減らしただけ増えている。そんな風に感じた。
キリがない。
アルゴは、戦うことよりも逃げることに比重を傾けた。
前を向き走り出した。
蜥蜴の突進を避けつつ、森を駆け抜ける。
地面の足跡を確認しながら走り続ける。
蜥蜴の爪や牙を躱し、走り続ける。
ぬかるむ地面に足を取られても走り続ける。
とにかく走り続けた。
すると、前方に微かな気配を感じた。
蜥蜴の気配ではない。人の気配だ。
足跡の主が近い。
その主は、アルゴにとっては希望そのもの。
絶対に主と会わなければならない。
そう自分に言い聞かせた時、わずかに肌がひりついた。
なんだ?
頭に疑問を浮かべ、周囲を注意深く観察。
前方にて強い発光。
眩い雷光。轟く雷鳴。
紫電が森の中を突き抜けた。




