五、再び奈良の旅 その4
二人が奈良に向かったのは9月も終わりのころであった。
今回も郊外のお寺を見たいという彼女の希望で、
室生寺に向かうことにした。
近鉄線で室生寺口大野駅まで行って、
どこからはタクシーに乗ったが、
室生川沿いの道は杉木立の中を行くと思えば
すぐ川べりへ向かっている。
「静かですわ」と彼女が言うと、運転手が
「ここも紅葉の時期になるととても混み合うんですが・・・」
と言っているのを彼女は頷いているが、
私は余計な口をきく運転手が不快であった。
やがて道の両側に土産物の店、
旅館が並んできて車は寺の前に着いた。
山門をくぐり参道を登って金堂に入ると
ずらりと平安時代の仏像が並んでいる。
私は左側のほうにある観音像を指差して言った。
「僕はここの十一面観音様が好きでね。
体付きもがいささか豊満で、ほっぺたがふっくらとして、
まるで純真な乙女のように可愛いお姿だと思わないかい」
と語りかけると彼女も
「ほんとうにこの観音様は
穏やかなお顔をしていらしゃるわ。」
と答える。
私はこういう彼女が好きであった。
金堂をあとになおも参道を登って行くと
やがて杉木立に守られるように、
朱に染まる柱と檜皮葺きの屋根の五重塔が、見えてくる。
「ここの五重塔は大和のどのお寺の塔よりも
女性的な美しさをもっていると思うよ」
と私が言うと彼女は黙って頷いている。
室生寺を出てもとの駅までタクシーで戻り、
また近鉄線で長谷寺駅に向かった。
駅から長谷寺までのゆるい坂の道は
古い門前町の風情が残っていて、
ここを歩くのが好きである。
彼女も同じような感慨を覚えたらしく、
少しはしゃぎながら草餅の店をのぞいたりしている。
長谷寺について仁王門をくぐると
すぐに399段のゆるい石段を重ねる登廊が現れる。
両側の太い列柱と整然と並ぶ垂木から下がる
釣り灯籠が美しい。
いつもはお寺の階段に閉口する彼女も
ここばかりは楽しそうに登って行く。
やがて本堂のほの暗い内陣に
大きな観音像が現れると今度は黙りこむ彼女であった。
そして京都の清水寺に似た舞台から
庭を眺めればまた明るい顔色に戻っているのである。
宿のホテルに戻る電車の中で彼女は耳元で囁いた。
「今日はとても美しいお寺を案内して頂いて
有難うございます。
やはりあなたと旅行するのが一番楽しいです。」
その夜の彼女は食事をしているときも、
そしてバーで飲んでいるときも、
終始楽しそうにしていた。
そして体を重ねているときにも
これまで以上に体の喜びを味わうことに
貪欲な姿をみせていたのであったのである。
しばらくは彼女との付き合いは
比較的平穏であったと思う。
ときにはどちらかが忙しい時期になり
会うことがままならないこともあったが
それ以外は彼女とは2週間に一度くらいの頻度で会って、
半年に一度は奈良に出かけていた。
「たまには温泉でもいこうか」
と私が奈良以外の場所を提案したこともあったが、
彼女は奈良が落ち着くと言って
結局は奈良に行くことになった。
そのうちに何回かは京都にも足を伸ばしたこともあるが
泊まるのは奈良の決まったホテル
ということになったのだった。
彼女とのそういう付き合いは結局最後まで続いたのである。
ときおり彼女は私に聞いた。
「わたしのこと愛している?」
それに対して私は答えることが出来なかった。
もちろん「愛している」
と答えてもそれは嘘ではなかったと思う。
しかし私は「愛している」と答えることは、
現在の家庭を捨てて彼女と暮らすことであった。
しかしそれは出来ないということだけははっきりしていた。
彼女とそうした付き合いをして10年近い歳月が過ぎた。
彼女が40歳代の終わりに近づいて
私が還暦に近づいていた。
そのころ彼女は会っていてもいらいらすることが多かった。
そして些細なことで気まずくなったことがきっかけで
お互い連絡が途絶えたことがあった。
とうとう私は根負けして彼女に次のように連絡した。
「会いたくないということは
もうお終いにしたいということですね?」
それに対して彼女からすぐ返事が来た。
それは奈良で会いたいという返事であった。




