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神愛 ― それいけ華蓮ちゃん ―  作者: 神愛
第1章 全部こいつらのせい
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第1話 あいつのせいで、あたしは農業高校にいる(挿絵あり)

本作は『神愛─永遠と刹那─』のスピンオフ作品です。

本編に登場するキャラクター「坂本 華蓮」が主人公で、御珠の高校生活をぼのぼのと見守る内容となっています。

本編「神愛─永遠と刹那─」も併せてよろしくお願いします。


【本編リンク】

https://ncode.syosetu.com/n3006ll/





「華蓮ーっ!見よ見よ!ジャガイモの芽が出ておるぞ!!」


春の陽気が降り注ぐ篠見農業高校の農場に、場違いなほどよく通る声が響き渡った。

声の主は、土にまみれた作業着姿で畝の前にしゃがみ込んでいる天野 御珠だ。

ぶんぶんと手を振るその姿に、あたしは思わず眉間を押さえた。


「……でか声出すな」


周りの生徒たちからの奇異の視線に、あたしのほうが恥ずかしくなってくる。

だが、当の御珠はそんなことなどまったく気にする素振りも見せない。


「これを見い!ちいさいのじゃ!可愛いのじゃ!!」

「わかった、わかった。ちょっと落ち着け」


興奮気味に指を差す御珠をなだめるように、あたしは短く息を吐いた。

土から顔を出したばかりのその芽は、確かに小さくて弱々しいけれど、御珠の瞳にはまるで宝物のように映っているらしい。


「華蓮も触るとよい!ふわふわじゃ!」

「……お前、中学の時と別人か?」


呆れ半分でそうこぼすあたしの手を、御珠は遠慮なく引っ張った。

そのまま無理やり畑の前にしゃがまされ、緑の双葉を間近で見せつけられる。


中学の時は「お清楚」を気取って(後半はそうでもない)、完璧な美少女を演じていたくせに。

土に触れてはしゃぐこいつは、どう見てもただの無邪気な子供だ。


(こいつのせいだ)


あたしの手を引く、この小さくて体温の高い手のせい。


(全部こいつのせいだ)


あのカラオケでの祝詞を聞いて、あたしは思わず「付いてく」なんて、らしくもないことを叫んでしまったのだ。


(……なんであたし、ここにいるんだっけ)


ふにゃりと笑う御珠の横顔を見つめながら、あたしは柄にもなく、そんなため息を心の中でこぼした。


―――


あいつを初めてみたのはどこだったか。

遠い日の記憶を辿ってみても、はっきりとした場所は思い出せない。


修学旅行か?林間学校か?

いや、もっと日常的な学校の行事だった気もする。

ただ、その姿だけは鮮明に脳裏に焼き付いている。


巫女装束を着たとにかく目立つやつが隣のクラスにいた。

普通の小学生なら絶対にありえない格好だ。


遠巻きに見ているだけで、関わってはいけないヤバい奴だと直感した。

それなのに、そいつの周りにはいつも人がいた。


なんか変なのに、いつも仲間に囲まれて楽しそうだったのを覚えている。

雪杜や咲良たちと一緒に、馬鹿みたいに笑っている姿。

それが、あたしの中の「天野 御珠」の最初の記憶だ。


―――


中学の入学式、やたら背が高くてカッコいい奴がいた。

真新しい制服を着た生徒たちの中で、そいつだけがひときわ大人びて見えた。


一目惚れだった。


精悍な顔つき、自信に満ち溢れた顔。

言葉にするなら、まさに男らしいを体現したようなやつだった。


こっそり周囲の会話に耳をそばだてると、どうやら佐々木というらしい。

残念ながら違うクラスになってしまったが、密かに憧れた。


これから始まる中学校生活が、少しだけ輝いて見えた瞬間だった。


だが、そんなあたしのささやかなときめきをぶち壊すような出来事が、背後で起きていた。

こっちのクラスでは、誰かが突然誰かに告白するという奇行を行っていた。


出会ったばかりのクラスメイトたちの前で、信じられないような光景が繰り広げられている。

何やってんだあいつら?


呆れて視線を向けた先にいたのは、小学生の時に見たあのヤバい奴、御珠だった。

当時はまだ「御珠 ミタマ」とかいうふざけた名前だった。


「別れた」


ポツリと一言だけこぼした。

どうやら、いま告白されている人物「天野 雪杜」とは別れたらしい。

勝手にやってろ。


―――


佐々木が振られた。

大勢の前で御珠に告白してこっぴどく振られた。

あんまりな出来事に我慢ならなかった。


あいつと対峙したのは、中1の夏休み明けだった。

放課後の校門。

長く伸びた夕陽の影を踏みつけながら、あたしは下校しようとするあいつの前に立ちはだかった。


「やっと捕まえた」

「何か用?何日も前からうっとうしいんだけど」


じろりと睨みつけると、あいつは涼しい顔でため息をついた。


「気づいてたのかよ」

「当たり前でしょ。隠れてるつもりだったの?」


さも当然のように言い放つその態度に、あたしは奥歯を噛み締める。


「……なんで佐々木を振ったんだよ」

「佐々木?……ああ、休み前に告白してきたあれ」


まるで道端の石ころでも思い出すかのような、ひどく無関心な声だった。


「“あれ”って何だよ。佐々木の何が悪いんだよ」

「別に悪くないわよ。興味がないだけ」


「はぁ?サッカー部のホープだぞ?顔だっていいし、人気だって――」

「だから何?」


ピシャリと跳ね返された言葉に。


(……言葉が詰まる)


「私が誰を好きになるかは私が決める。佐々木がどれだけ優れていようと、関係ない」

「お高くとまりやがって……」


「不思議なことを言うのね。あなたにも機会が回ってきたと喜ぶべきでは?」

「あたしなんかじゃ釣り合うはずねーだろ……」

「あなたの値踏みなんて、知ったことじゃない」


あいつの翠の瞳が、あたしを真っ直ぐに射抜く。


(……なんだこいつ。目が、まっすぐすぎる)


「あたしだってほんとはなー!佐々木の隣に立ちてーんだよ!それなのに、なんで選ばれたお前が選ばねーんだよ!!」

「……なるほど。ようやく、あなたの話になったわね」

「うるせぇ!」


「立ちたいなら、自分で立ちなさい」


そう言い残し、あいつはあたしの横を通り抜けていく。

夕暮れの風が、あいつの長い髪を揺らした。


(……なんなんだよ、あいつ)

(……くそ)

(……くそっ)


こみ上げてくる悔しさと情けなさに、あたしはギュッと拳を握りしめた。

いま思えば、なんであんなことでつっかかっていったんだろうとも思う。

御珠は正論しか言っていなかった。


その数日後、あたしは佐々木に告白した。

放課後の人気のない校舎裏。


「あたし、お前のことが好きだ」

「……えっと、悪い。お前誰だっけ?」


勇気を振り絞ったあたしの言葉に、佐々木は困ったように頭を掻いた。


「……2組の坂本」

「あー……ごめん、分かんねーわ」

「……だろうな」


短い沈黙が落ちる。


「……悪い。俺、お前のことそういう目で見たことない」

「……そっか」


「……怒んねーの?」

「怒ってどうすんだよ」


「……なんつーか、度胸あんな、お前」


あたしは背を向けて歩き出し、片手をひらっと上げた。


(……振られた)

(分かってたけど……やっぱ、つらいな)


(でも)


(……なんかすっきりした)


胸の奥につかえていた重たい泥のようなものが、嘘みたいに消えていた。

翌日、あたしはあいつの席へと歩み寄った。

騒がしい昼休みの教室で、あいつは相変わらず澄ました顔で本を読んでいた。


「……告った」

「……そう」


「振られた」

「……そう」


「……すっきりした」

「良かったじゃない」


視線すら上げずに、淡々と返すあいつ。


「……ありがとな。背中、押してくれただろ」

「押してない。あなたが勝手に動いただけ」


「……っ、素直に受け取れよ!」

「事実を言ったまで」


「……やっぱムカつくわ、お前」

「そう。じゃあもういいかしら」


全く可愛げのない態度に、あたしは踵を返す。


(……嫌いになれない)

(なんでだよ)


自分の複雑な感情に悪態をつきながら、あたしはあいつの席から離れた。


―――


翌朝が、まずかった。

始業前の教室は、いつもより嫌なざわめきに満ちていた。


「ねえ、坂本さんさ。御珠ちゃんに逆恨みしたあげく、佐々木に振られたらしいよ」

「ダサ」

「告白して玉砕とか、まじウケる」


クスクスという嘲笑とともに、教室中の無遠慮な視線があたしへ向く。


(……うるせぇ)

(分かってた。分かってたけど)

(……痛いな)


机に肘をついたまま、あたしは身動き一つできなかった。


俯くあたしの耳に、少し離れた席からパタンと硬い本を閉じる音が聞こえた。

顔を上げると、あいつが静かに席を立っていた。


ピンと張り詰めた空気に、教室が水を打ったように静まり返る。


「勇気をもって告白した人を貶すのは、見ていられない」


「貶したいなら、自分も告白して玉砕してからにしなさい。人の覚悟を、娯楽にするな」


凛とした声が、静寂の教室に響き渡った。

どこかから、ぱち、ぱちと乾いた拍手が鳴る。


(……は)


あたしは信じられない思いで、あいつの真っ直ぐな背中を見つめた。


(なんで)

(なんであいつが)

(あたしのために……立つんだよ)


奥歯が、ぎゅっと音を立てるほど噛み締まる。

ガラリと扉が開き、担任が入ってくると同時に、教室に誤魔化すようなざわめきが戻った。


(……泣くな。ここで泣くな、あたし)


―――


休み時間。

人気の引いた教室の端で、あたしはあいつを捕まえた。


「……なんで庇った」

「別に庇ってない」


「は?あれが庇ったんじゃなかったら何なんだよ」

「事実を言っただけ」


相変わらず涼しい顔で言い返すあいつに、あたしは食い下がる。


「……あたしのこと嫌いじゃなかったのかよ」

「嫌いとは言ってない」

「じゃあ、なんなんだよ」


あいつは、少しだけ間を置いた。


「……あなたを焚きつけたのは私だから」

「は?」

「責任を取っただけ」


「あなたが告白したのは、私があの日言ったからでしょ。『立ちたいなら、自分で立ちなさい』って」


「だから、あなたが勇気を出した結果を嘲笑われるのは、見ていられなかった」


(……)


予想外の言葉に、あたしは完全に虚を突かれた。


「一度だけよ。次は自分で何とかしなさい」

「……なんだよそれ」

「そのままの意味」


突き放すような物言いだけど、その目は誤魔化してるように見えた。

長い沈黙の後、あたしはぽつりとこぼす。


「……ありがとな」

「礼を言われることはしてない」

「うるせー。黙って受け取っとけ」


照れ隠しに悪態をついて、あたしは踵を返す。


(責任、か)

(そんな理由で……立てるのかよ)

(あたしだったら……絶対無理だ)


廊下を歩きながら、あたしはこっそり目元を拭った。


(……やべ)

(やべ、やべ、やべ)

(こいつ……好きになったら終わりだろ)

(……終わった)


こうしてあたしは、御珠のことが好きになった。

レズじゃないけど。

そういう話でもないんだけど。

……うるさい。


―――


中1の文化祭が終わった後のこと。

あたしは莉子に誘われて、人生で初めてまともな買い物に出かけた。


美容院でボサボサだった髪を切り、古着屋で莉子に見立ててもらった服を選ぶ。

そこに御珠と咲良も合流してきて、あたしは完全に着せ替え人形にされてしまった。


「……よい。非常によいぞ。お主の変化、しかと見届けてやろう」

「こっち見んな!!死ぬ!!」


身内にしか見せないという謎ののじゃ言語を前に最初は面食らったが、まじまじと値踏みしてくる御珠の視線に、あたしは顔から火が出そうだった。


(……心臓がうるさい)


慣れない服のせいか、それともあいつに見られているせいか。


古着屋の試着室。

莉子に眉と薄いリップだけを整えられ、あたしはその鏡の前に立たされた。


(……いや、いい)


自分の顔なんて、まじまじと見たくない。

目を逸らそうとしたあたしの背中を、御珠の声が引き止める。


「逃げても何も変わらぬぞ。見るのじゃ」


その言葉に背中を押されるようにして、あたしはゆっくりと鏡へ向き直った。

数秒の沈黙が落ちる。


「………………え」


「……誰だよ……これ……」


鏡の中にいたのは、いつも不機嫌そうにしている自分じゃなかった。


「華蓮ちゃんだよ」


咲良の弾むような声が耳に届く。


「そなたは、元より美しかった。ただそれに"気づけなかった"だけじゃ」


あいつの真っ直ぐな言葉が、胸の奥の柔らかいところをチクリと突いた。

不意に視界が滲み、涙が一粒、熱を帯びて頬を伝い落ちた。


「……なんで……たったこれだけで……泣く意味わかんねぇ……っ」


(……こいつら、なんなんだよ)


止めどなく溢れる涙を乱暴に拭いながら、あたしは悪態をつくしかなかった。

この日から、あたしはちゃんと鏡を見るようになった。


―――


冬になって、あいつはとんでもないことをやった。


孤児であること、虐待を受けていた過去、そして子供を産めない身体であること。

咲良を雪杜の隣に立たせるために、自ら身を引いたのだ。


自分の抱える最も重い秘密のすべてを、教室のど真ん中でぶちまけた。


夜の自室。

机の前に座ったまま、広げた宿題のノートにはもう何十分も文字が書き込まれていなかった。


(……御珠)

(なんであんな顔で、話してたんだ)


教室で淡々と事実を語っていたあいつの横顔が、まぶたの裏から離れない。

不意に、机の上のスマホが震えた。

画面を覗き込むと、クラスのグループトークに無責任な言葉が次々と流れてくるのが見えた。


(……“かわいそう”って言うのは、なんか違う)


あいつが背負っているものは、そんな薄っぺらい同情で片付けられるようなものじゃない。

苛立ちに任せて、あたしはスマホの画面を伏せた。


(なんで、自分で言えたんだ)

(あんな大きいもの……自分でさらして)

(強い。あたしには、絶対できない)


あいつの強さが、痛いほど胸に突き刺さる。


(……放っとけない)

(理由なんかない。ただ、放っとけない。それだけだ)

(誰かが面白半分で話してたら……止める)

(あたしにできるのは、それくらいだけど)


窓の外から忍び込む冬の冷気が、熱を持った頬を撫でていく。


(……お前、どんだけ強いんだよ)


暗い窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、あたしは誰に届くわけでもない思いを吐き出した。


―――


中2の夏祭り。

あいつが初めて、あたしにもたれかかってきた。


夜の川沿いには、ぼんやりとした灯籠の明かりがいくつも流れている。

祭りの喧騒から少し離れた暗がりから、あたしたちは遠くを見つめていた。

視線の先で、雪杜と咲良の影が静かに重なっているのが見えた。


「……好きなのに近づけないって、つれーよな」


ぽつりとこぼしたあたしの言葉に応えるように。

あいつの小さな頭が、そっとあたしの肩に寄りかかってきた。


(……軽い)

(こんなに軽いのに)

(こんなに重いもん、抱えてんのか)


触れた肩から伝わる華奢な体温に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

あたしはゆっくりと腕を回し、その壊れそうな背中をしっかりと受け止めた。


「……泣いていいぞ」


それでもあいつは黙ったまま、揺れる水面と灯籠の群れを見続けていた。

その横顔は、今すぐどこかへ消えてしまいそうなくらい、ひどく遠い。

やがて、瞬きもせずに見開かれたあいつの頬を、涙がひと粒だけ静かに伝い落ちた。


(……御珠)

(……お前のそばにはあたしがいてやるよ)

(……いまは泣いていいぞ)


声にならない言葉で抱きしめながら、あたしはただ、その温もりを守り続けた。

二人の影を照らすように、無数の灯籠がどこまでも暗い川面を流れていく。


―――


中2の文化祭準備期間。

あいつはクラスのみんなに、自分の話し方の「本当の理由」を打ち明けた。


「互いに傷ついていた我らは、生き延びるために役を演じることにした」


「妾は必死に神を演じたのじゃ。雪杜を救いたい一心で」


「普通に話そうとすると……『雪杜に捨てられるのでは』という恐れが勝ってしまうのじゃ」


「ゆえに、この話し方は妾の矜持じゃ。本当は曲げとう……ない……」


絞り出すようなあいつの声に、教室は静まり返っていた。

耐えきれなくなったように、あいつの目から涙が一筋こぼれ落ちる。

その痛切な告白に、教室のあちこちからすすり泣く声が広がり始めた。


(……なんでそんなもん一人で抱えてたんだよ)


胸の奥がめちゃくちゃに掻き乱される。

あたしはたまらず、あいつの元へ走って強く抱きしめた。


「御珠!お前どんだけ重い過去背負ってんだよ!」

「華蓮よ。そなたの気遣い、心地よいのじゃ」


あたしの腕の中で、あいつはふにゃりと力なく微笑んだ。


(……こんな軽い体で、こんなもん抱えてたのか)

(……放っとけるはずないだろ)


夏祭りの夜と同じ、壊れそうなくらい華奢な体温。

その日から、あたしの中であいつは、絶対に守らなきゃいけないとても尊い存在となったのだ。


―――


中3になって、進路の話が出た頃。

休み時間、いつものようにあいつの席の前に立って何気なく尋ねてみた。


「なぁなぁ、進路決めた?」

「妾、農業高校へ行くのじゃ」

「え、農業!?」


あまりにも予想外すぎる単語に、あたしは素っ頓狂な声を上げてしまった。


「農業じゃ」

「……農業」

「うむ」


「……お前が、農業」

「うむ」


真顔で自信満々に頷くあいつを、あたしはまじまじと見つめ返した。


(……農業)


土いじりなんて一番似合わなそうなこいつが、よりによって農業。


(農業かぁ……)


正直、まったく想像がつかない。

席に戻ったあたしは、自分の机に置かれた白紙のプリントに視線を落とした。

進路調査票にはとりあえず第一希望は商業で、第二希望に農業って書いておいた。


―――


その夏、みんなで海に行った。

強い日差しを避けて、あたしはビーチパラソルの下で胡座をかいていた。


視線の先の砂浜では、御珠たちがビーチバレーで容赦なく暴れ回っている。

隣に座っているのは、澄香と透だ。


三人でパラソルの陰から、そのカオスな光景を眺めていた。


「ってか御珠ちゃんの動きなんなのよ。体育の時と別人じゃない!」


呆れたように声を上げる澄香に、あたしは苦笑しながら答える。


「あれ、わざと鈍く動いてるんだって。目立ちたくないから」

「は?雪杜といい、実力隠すの流行ってんの!?」


「まぁ御珠だし?あんま深く考えない方がいいぞ」

「出自が謎過ぎる……」


澄香がこめかみを押さえる横で、ザザーッと穏やかな波の音が響く。

しばらくの間、心地よい沈黙が落ちた。


「華蓮は高校決めたの?」


不意に投げかけられた澄香の言葉に、あたしの肩がピクリと跳ねる。


「え、高校?」

「そう。みんな決めたみたいだし」


(……来た)

(どうすんだあたし)


心臓が嫌な音を立てる。


「颯太と莉子が東だったか。あたしは……」


言いかけて、思わず口ごもってしまった。


「なんか悩んでる?」

「うん……」

「相談のるよ。生徒のケアも生徒会の役目」


優しく微笑む透の言葉に、少しだけ気が楽になる。


(……ありがと透。タイミングいいな)


意を決して、あたしはずっと胸の奥にしまっていた本音を絞り出した。


「御珠と……同じ高校行きたい……」

「え?御珠ちゃん?」


澄香は少しだけ目を丸くした後、何かを察したようにゆっくりと頷いた。


「……そっか。御珠ちゃんのこと好きだもんね」

「え!?好き!!?べ、別に!!レズじゃねーからな!」


盛大に動揺したあたしは、バンッと勢いよく砂浜に立ち上がってしまった。


「そこまで言ってないでしょ!バカなの!?」

「二人とも落ち着いて……」


透の苦笑い混じりのなだめ声に、あたしは渋々腰を下ろした。


「……御珠、農業だって」

「そうなんだ。御珠ちゃんらしい」


澄香は納得したように相槌を打つ。


「あたしは……商業がいいかなって……」

「将来なりたいものとかないの?」


「……莉子に髪を切るのが上手だって褒められたことがある」

「じゃあ美容師とか向いてるんじゃない?」


(……美容師か)

(考えたことなかった)


「美容師ってどうやってなるんだ?」


あたしが首を傾げると、透が手元のスマホで手際よく調べ始めてくれた。


「高校卒業したら美容専門学校に入るのが王道みたいだよ」


「へー。農業高校卒でもいいの?」


「全然問題ないんじゃない?」


「そ、そうなのか!?」


(農業高校からでも美容師になれる)

(……あれ)

(じゃあ)


パズルのピースがカチリとはまるような感覚。


「ほら。御珠ちゃんと同じ高校行けるじゃない」


澄香のニヤリと笑う声に、あたしは緩みそうになる口元を必死に引き締めた。


「……考えとく」


(御珠と同じ高校に……)

(美容師)

(卒業後は専門学校)

(どうすっかなぁ……)


顔が熱くなるのを誤魔化すように、あたしは再び海の方へ視線を向けた。

照りつける太陽の下、砂浜では御珠がまだビーチバレーで涼しい顔をして無双している。


―――


文化祭の打ち上げ。

案内されたカラオケボックスの大部屋は、めちゃくちゃ賑やかなメンバーたちの熱気で溢れていた。


颯太がフルパワーでアニソンを歌い上げ、その隣で駆がうるさそうに顔をしかめている。

その喧騒の中で、咲良が明るい声であたしに向かってきた。


「華蓮も来てくれてよかった!」

「……いや、あたしここにいていいのか?ちょっと場違いじゃ……」


「何言ってんの。文化祭で散髪披露してくれたじゃん」

「……別に、たいしたことじゃないし」


莉子の言葉に照れ隠しでそっぽを向くと、史さんがそっと微笑みかけてきた。


「お上手なんですね。私も見てみたかったです」


(……史さんに言われると照れる)


「……あ、えっと……ありがとう」


しばらくして、咲良がターゲットを変えた。


「御珠ちゃん、今日こそ歌って!」


(……あ)

(来る)


以前のカラオケでの光景を思い出し、あたしは小さく呟いた。


「あ、始まるやつ」


「え?何が……?」


澄香が不思議そうに首を傾げる中、あいつはおもむろにマイクを受け取った。


「……妾は歌を知らぬゆえ、祝詞でよければ」


マイクを通して、重々しい祝詞が詠まれ始める。


(……なんだろ)

(胸に来る)


響き渡る祝詞は、ただの儀式的な言葉じゃない。


文化祭の労い。

これからの受験への鼓舞。

そして、みんなの将来を祈る温かい言葉へ。


(……すごい)

(こいつはほんとに)

(……なんなんだよ)


「かしこみ、かしこみぃ……」


祝詞が終わる。

一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手と歓声が上がり、再び部屋に賑やかさが戻ってきた。


あたしはじっとあいつを見つめたまま、気づけば立ち上がっていた。

自分でも何をしているのか分からなかった。

ただ、テーブルに置かれた空いているマイクを手に取り、大きく息を吸い込む。


「……決めた。あたし、農業高校に行く!御珠に付いてく!」


「「「おおーっ!」」」


みんなからどっと歓声が上がる。

あいつは目を丸くした後、深く頷いた。


「ふむ。一緒に畑の神になるのじゃ」

「あたしは美容師志望だっての!」


あたしのツッコミに、部屋中で笑い声が弾ける。


(……言った)

(言っちゃった)

(……でも後悔してない)


あたしはこっそりとあいつの方を見た。

あいつはもう、咲良たちと別の話をして笑っている。


(こいつは何も知らない)

(あたしがこいつのせいで進路決めたことも)

(こいつに引っ張られてばっかだってことも)

(……まぁいいか)


グラスの氷がカランと溶ける音が耳に届いた。


(……全部あいつのせいだ)


―――


家に帰って進路を告げたら、案の定だった。


親には「本当に農業でいいの?」と何度も念押しされた。

弟には「ねーちゃんが畑仕事(笑)」と鼻で笑われた。


どうでもよかった。


全部、どうでもよかった。


―――


春の風が吹き抜ける畑の前で、あたしは作業着姿のまま、ぼーっと立ち尽くしていた。

不意に、真横からひょっこりとあいつが顔を覗き込んでくる。


「華蓮?どうかしたかの?」

「あ、いや、なんでもねぇ」


慌てて首を振って思考を現在に引き戻す。

あいつは小首を傾げた後、再び目の前の畝へと視線を落とした。


「このジャガイモが大きくなったら雪杜に見せるのじゃ」

「家、持って帰っていいのかこれ?」

「良い。妾が許す!」

「お前が許しても学校が許さないだろ」


胸を張って言い切るあいつに、あたしは思わず呆れ声を出した。


「あっちの畑も見にいくのじゃ」

「はいはい」


あたしの返事も待たず、あいつは遠慮なくあたしの手を引っ張った。

土の匂いがする風の中を、ぐいぐいと畑の奥へ引きずられていく。


(こいつのせいだ)

(全部こいつのせいだ)


あたしがこんな泥だらけの作業着を着て、農業高校の畑に立っているのは。

全部、前を歩くこの小さな背中のせいだ。


内心で文句を垂れ流しながらも。

引きずられるあたしの口の端は、自分でも分かるくらいにわずかに上がっていた。


(……でも、悪くない)


これが、あたしと御珠の、農業高校生活の始まりだ。



挿絵(By みてみん)


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― 新着の感想 ―
華蓮視点だからこそ伝わる感情の変化がとても丁寧に描かれていて、気付けば最後まで一気に読んでいました。強気な口調の裏にある不器用な優しさや、御珠に少しずつ惹かれていく心情が自然で、とても微笑ましかったで…
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