幕間 醤油の神とポン酢の神が親子喧嘩したんじゃ
「早くしないと、日が暮れちゃう」
商店街のアーケードを、結衣は小走りに抜けていった。
八百屋の軒先で足を止め、白菜を一玉、両手で抱え上げる。
「……重い」
白菜は、見た目の三倍くらい本気だった。
「あとは春菊と、豆腐と、つみれ」
今夜は鍋だ。灯も来る。
「おお……結衣ちゃん」
黒い板張りの醤油屋の店先で、小柄な老人が樽に腰かけていた。
「あ、かけすぎ爺。こんにちは!」
「その荷物、今夜は鍋かのぅ」
「はい! あかりんも来るんです」
「ええのぅ、ええのぅ」
目を細め、醤油の神は何度もうなずいた。
店の中は薄暗く、今日も客はいない。
今日も、と結衣が思えるくらい、いつ見ても客はいなかった。
「ええか、結衣ちゃん」
醤油の神が、急に真剣な顔になった。
「はい?」
「鍋には醤油じゃ」
「はい」
「取り皿に、たっぷりかけぇ。こう、たーっぷりじゃ」
醤油の神が両手で示した「たっぷり」は、どう見ても白菜が泳げる量だった。
だから頭道の人たちは、この神様を「かけすぎ爺」と呼んでいる。
「……気をつけます」
「かけすぎるくらいで、ちょうどええんじゃ」
ちょうどよくない。
結衣は会釈をして、再び歩き出した。
角を曲がる直前、なんとなく振り返る。
かけすぎ爺は、まだ樽に座っていた。
角の先から漏れてくる明かりを、目を細めて、じっと見つめている。
あんな顔をするのを、結衣は初めて見た気がした。
◇
角を曲がった先は、まぶしいくらいに明るかった。
白い庇の下には、黄色い果実がぎっしりと積まれている。
ジュース、ケーキ、はちみつ漬け。
観光客たちは商品を手に取り、写真を撮り、別の商品を手に取って、また写真を撮っていた。
「あ、レモンケーキ、もう売り切れてる」
同じ商店街なのに、角を一つ曲がっただけで、声の量が違った。
活気がまるで違う。
「お姉ちゃん、鍋の買い出しか?」
振り向くと、男の子がにこにこと笑っていた。
大きすぎるエプロンの袖を、何重にも折り返している。
見た目は小学生くらいだ。
「オレは、ちょい足し小僧! 鍋にはポン酢をちょい足そう!」
「……ポン酢?」
「ただのポン酢と違うで。せとうちレモンを搾っとるんじゃ!」
どうやら神様らしい。
男の子は背伸びをして瓶を掲げ、ラベルを親指で得意げになぞった。
「そのへんのもんとは香りが違う。蓋を開けた瞬間に分かるけぇ」
「きみ、ひとりで店番してるの?」
「鍋には、これが一番ええ!!」
質問は聞こえなかったことになったらしい。
その顔は、もう商売というより布教だった。
「じゃあ、一本ください」
「ありがとねぇ!」
ちょい足し小僧は、手際よく瓶を包んで袋に入れた。
「ええ鍋になるわ。保証する」
人懐っこく笑うと、もう次の客へ向かって声を張り上げている。
結衣は買い物袋の中をのぞいた。
白菜の葉の隙間から、ポン酢の瓶の首が、ちょこんと顔を出していた。
◇
帰り道は、来た道を戻るしかない。
「結衣ちゃーん。鍋には醤油を、たーっぷ……」
樽の上で片手を上げたまま、かけすぎ爺が止まった。
その視線が、結衣の買い物袋へゆっくりと落ちる。
「結衣ちゃん」
「はい」
「まさか……」
「はい?」
「ポン酢を、買うてしもうたんか!?」
「はい。そうですけど」
「結衣ちゃんも、そっち側じゃったんかあああああ!」
かけすぎ爺が、膝から崩れ落ちた。
通行人は誰も振り返らない。頭道ではよくあることだった。
「そっち側って、なんですか」
「……角の先におる、ちょい足し小僧じゃ」
「あ、さっきの子」
かけすぎ爺は答えなかった。
よろよろと樽に座り直し、うなだれたまま、しばらく黙っている。
「……あれはのぅ」
「はい」
「わしの倅じゃ」
認めたくないものを、自分の口で認めてしまったような顔だった。
「息子さん!?」
結衣の声が、アーケードに響いた。
かけすぎ爺は、それきり何も言わなかった。
「あの、それって――」
「柑橘に、魂を売りよったんじゃ」
吐き捨てるように言って、そっぽを向く。
もうこの話はしない、という背中だった。
結衣はしばらく考え、思いついたことをそのまま口にした。
「あの。今夜、うちで鍋するんですけど、来ませんか?」
「行かん」
「ポン酢もありますよ」
「行かん」
「あ、そうですか」
「……何時からじゃ」
完全に来る気だった。
◇
結衣はそのまま再度、角を曲がり、明るい方へ戻った。
「さっきの子、いますか?」
「お姉ちゃん、もう一本?」
「今夜、うちで鍋するんです。よかったら来ませんか?」
「ええの? 行く行く!」
ちょい足し小僧は、もうエプロンを外し始めていた。
人の家の鍋に呼ばれることに、まったくためらいがない。
「お父さんも来ますよ」
「……え?」
◇
鍋の湯気で、居間の窓が白く曇り始めていた。
「あかりん、そこのお皿取って」
「はいはい」
灯は慣れた手つきで、座卓に取り皿を並べていく。
オサフネは、とっくに鍋の前に座っていた。
箸まで持っている。
「オサフネさま、まだ煮えてないですよ」
「知っとる」
「お客さんも来てません」
「それも知っとる」
「じゃあ、なんで箸を持ってるんですか?」
「いずれ煮える」
呼び鈴が鳴った。
「あ、来た!」
結衣が玄関を開けると、かけすぎ爺が立っていた。
見たこともない、糊の効いた着物姿だった。
「結衣ちゃん、邪魔するのぅ」
差し出された風呂敷包みの中身は、自家製の醤油だった。
持ってこなくていいとは言えないまま、結衣は受け取った。
「お姉ちゃん、来たで!」
かけすぎ爺の背中越しに、ちょい足し小僧が箱を掲げている。
「これ、せとうちレモンゼリー。うちの店の一番人気じゃ!」
そこで、二人の目が合った。
沈黙。
「……また柑橘か」
「レモンじゃ!」
「柑橘じゃろうが!」
「挨拶がそれか!」
これが、数年ぶりの親子の会話だった。
内容は、柑橘の分類だった。
「かけすぎ爺さん。ちょい足し小僧さんも」
廊下から顔を出した灯が、二人を見比べて動きを止めた。
「……あー」
「なに?」
「ううん。なんでもない」
灯はそれ以上何も言わず、居間へ戻っていった。
◇
鍋が煮えた。
座卓を囲んで五人。
かけすぎ爺とちょい足し小僧は、きっちり対角線上に座っていた。
座卓の上で取れる、最大限の距離だった。
「いただきます!」
結衣が取り皿を持ち上げた瞬間、左右から二本の瓶が飛び出した。
「醤油じゃ」
「ポン酢じゃ」
「待ってください。まだ具が入ってません」
「なら白菜じゃ」
「つみれも要るのぅ!」
左右から箸が伸びた。
結衣は皿を右へ逃がした。
醤油が追ってきた。
左へ逃がした。
ポン酢が待ち構えていた。
「挟み撃ち!?」
白菜が一枚。
つみれが二個。
豆腐が三切れ。
いや、気分としては三丁くらいの圧だった。
「育ち盛りじゃろうが」
「女子高生を相撲部屋みたいに扱わないでください!」
さらに春菊が載った。
皿の上で具材の山が、ぐらりと傾く。
「あかりん、助けて!」
「こっちに渡さないで! あたしの皿まで巻き込まれる!」
結衣が皿を灯の方へ逃がす。
ちょい足し小僧が先回りし、つみれにネギを載せた。
かけすぎ爺がその上から醤油を注いだ。
「混ぜないでください!」
「醤油が上じゃ!」
「ポン酢が土台じゃ!」
「あたしの皿の上で争いをしないでください!」
皿の具材が、再びぐらりと傾いた。
結衣は慌てて鍋へ戻そうとする。
しかし。
鍋がなかった。
「……あれ?」
「危ないけぇ、こっちへ避難させた」
オサフネが、自分の前に鍋を置いていた。
すでに二杯目を食べている。
「鍋ごと避難させないでください!」
「お主らが争うけぇじゃ!!」
「オサフネさまが独占したかっただけですよね!?」
「人聞きが悪いのぅ」
オサフネは、つみれを一個すくった。
「二個目です」
「数えるでない」
かけすぎ爺は、自分の取り皿へ醤油を注ぎ始めた。
どぼどぼどぼどぼーー。
豆腐が沈んだ。
「豆腐が見えなくなりました」
「心の目で見ぃ」
「食事に心眼を要求しないでください」
反対側では、ちょい足し小僧が豆腐にポン酢を少しかけていた。
味を見る。
「ネギを、ちょい」
味を見る。
「七味を、ちょい」
味を見る。
「レモンの皮を、ちょい」
味を見る。
「いつ食べるんですか?」
「今、完成度が八十二点まで来た」
「食事に採点機能いらないです」
「あと一味なんじゃが……」
「冷めますよ」
「冷めたとき用の調整も考えんとな」
「永久に食べられないやつだ」
やり方は正反対なのに、豆腐が食べられていないという結果だけは同じだった。
「孫か」
オサフネが豆腐を口へ運びながら、二柱を交互に見た。
「孫じゃない」
ちょい足し小僧が、間を置かずに答えた。
「息子じゃ」
かけすぎ爺は、何も言わなかった。
「ねえ、あかりん」
結衣は声を落とし、隣に座る灯の袖を引いた。
「あの二人、どう見ても親子に見えないんだけど」
「神様の見た目は、人からどう思われてるかで決まるの」
灯は、かけすぎ爺に奪われそうになった白菜を箸で守りながら答えた。
「醤油は、ずっと昔からありがたがられてきたでしょ。ポン酢は新しくて、気軽なものだから」
「じゃあ、オサフネさまは?」
オサフネの箸が止まった。
「聞かない方がいいよ」
結衣は小さくうなずいた。
聞かない方がよさそうだった。
「……あかりん、二人が親子だって知ってたの?」
「知ってるよ。巫女だもん」
「言ってよ!」
「聞かれてないし」
灯は春菊を口に運んだ。
「昔、ちょい足し小僧さんが柑橘と組んで家を出たの。それからずっと、口をきいてないって」
「何年くらい?」
「あたしたちが生まれるより前」
結衣は、対角線の両端をもう一度見比べた。
どちらも、相手ではなく鍋だけを見ている。
ふと、気づいた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「鍋の豆腐が、もう半分ない」
誰も食べていないのに。
正確には、オサフネの取り皿だけが、さっきから休まず往復していた。
「オサフネさま」
「なんじゃ」
「豆腐、何個目ですか?」
「神に数を問うでない」
「神様だからって食べ放題ではないですよ」
◇
「結衣ちゃん」
かけすぎ爺が、箸をびしりとこちらへ向けた。
「正直に言うてみい。醤油とポン酢、どっちが旨い」
「おう。今日こそ白黒つけようや」
ちょい足し小僧も、身を乗り出した。
四つの目が、まっすぐ結衣を見つめている。
「え……えっと」
結衣は、皿の上の黒い白菜と、着飾ったつみれを見比べた。
「ど、どっちも、おいしい……です」
「「…………」」
露骨にがっかりされた。
「なんですか、その顔!」
二柱の視線が、次にオサフネへ向く。
「ワシか」
オサフネは、箸を止めなかった。
「ワシは、出されたもんを食うだけじゃ」
「どっちの味が上か聞いとるんじゃ!」
「口に入れば、だいたい同じじゃろ」
「神様が調味料の存在意義を否定した!」
「かみさま、今それ言っちゃだめなやつだよ!」
しかしオサフネは、本当に出されたものを食べ続けていた。
鍋の減りが異様に早いのは、この神のせいだった。
二柱の視線が、最後に灯へ向く。
灯は鞄を開け、一本の瓶を取り出した。
当たり前のような顔で、取り皿へとろりと注ぐ。
「あたし、鍋はごまだれ派なんだよね」
「「ごまだれじゃと!?」」
この夜、初めて二柱の声が揃った。
かけすぎ爺とちょい足し小僧が、同時に灯をにらむ。
「ごまだれは逃げじゃ!」
「素材の味が分からんようになるじゃろうが!」
「急に二人で共闘しないでよ!」
灯は涼しい顔で、白菜をごまだれにくぐらせた。
「おいしいよ?」
「そういう問題じゃない!」
「神様の喧嘩には、口を出しちゃだめなんだよ」
全部知っていて、何もしない。
灯は二杯目のごまだれを注いだ。
ごまだれという共通の敵を得て、二柱は3分ほど同じ側に立った。
しかし、4分目には刺身の話で再び決裂した。
◇
「大体のぅ、わしはお前が昔から気に食わんかった」
「なんでじゃ! 言うてみい」
「刺身じゃ。刺身に何をつける」
「白身なら、ポン酢もええじゃろ」
「それがありえんのじゃ!」
かけすぎ爺が座卓を叩いた。
「焼き魚は」
「レモンポン酢」
「醤油じゃ!」
「唐揚げは」
「レモンポン酢」
「それはレモンをかけたいだけじゃろうが!」
「目玉焼きは」
「ポン酢」
「そこは醤油じゃ!」
「それは家庭によるよ」
灯が口を挟んだ。
「巫女は黙っとれ!」
「なんであたしまで怒られるの!?」
「冷奴は」
「ポン酢とネギ」
「湯豆腐は」
「ポン酢一択じゃ」
「餃子は」
「酢多めのポン酢」
「醤油じゃろうがああああ!!!!!」
かけすぎ爺が立ち上がった。
ちょい足し小僧も立ち上がる。
「危ないので、鍋は預かります」
結衣は鍋を抱え、座卓の端へ避難させた。
オサフネの箸が、空中で鍋を追った。
「結衣」
「駄目です」
「まだうどんが残っとる」
「もう締めに入ってたんですか!?」
「お主らが目玉焼きについて争うとる間に入れた」
「……ええか、小僧」
かけすぎ爺が、ゆっくりと座り直した。
初めて、まっすぐに息子を見る。
「お前には、ありがたみがない」
「なんじゃ、それ」
「安うして、気軽に使わせて、それで喜んどる。神が自分を安売りして、どうするんじゃ」
ちょい足し小僧が、箸を置いた。
「気軽に使うてもらえんかったら、誰も手に取らんじゃろうが」
「客の数の話をしとるんじゃない」
「じゃあ、聞くけど」
声の調子が、少しだけ変わった。
「今日、あんたの店に何人来た?」
かけすぎ爺が、言葉に詰まった。
結衣は昼間の店先を思い出した。
薄暗い土間。
誰も入っていかない入口。
角の先の明かりを、黙って見つめていた老人。
「……わしは何百年、この町の飯を守ってきたと思うとるんじゃ」
「知っとるわ」
ちょい足し小僧の声が、急に静かになった。
「知っとるけぇ、オレは――」
「あんなもんは」
最後まで言わせず、かけすぎ爺が遮った。
「わしの倅じゃない」
鍋が、ことことと鳴っていた。
ちょい足し小僧は、言い返さなかった。
しばらく黙り、静かに箸を置く。
「……悪いのぅ、お姉ちゃん。ごちそうさま」
立ち上がり、居間を出ていこうとする。
誰も動けなかった。
灯も、箸を止めている。
「……このうどん、つるつるしてて旨いのぅ」
オサフネがうどんをすすった。
誰も返事をしなかった。
オサフネも、返事を待ってはいなかった。
結衣が立ち上がった。
◇
「待ってください!!」
言ってから、次の言葉が出てこなかった。
止めたい。
けれど、何を言えば止まるのか分からない。
結衣は座卓へ手を伸ばし、とりあえず目の前にあったものを掴んだ。
ポン酢の瓶だった。
掴んだ拍子に、ラベルの裏側が目に入る。
「……あれ」
ちょい足し小僧の足が止まった。
「原材料の、一番上」
結衣は瓶を持ち上げ、書かれている文字を読んだ。
「しょうゆ、って書いてあります」
誰も、何も言わなかった。
「レモン果汁、醸造酢、砂糖……一番最初が、しょうゆです」
結衣は瓶を下ろした。
「家は出ても、味まで捨てたわけじゃないんですよね」
そこまで言って、結衣は自分でも少し驚いた。
そんな立派なことを言うつもりはなかった。
ただ、瓶の裏に「しょうゆ」と書いてあったから、そう思っただけだった。
「かけすぎ爺のお店に来なくなった人にも、その味を届けてたんじゃないですか?」
答えは返ってこなかった。
否定もされなかった。
結衣は、かけすぎ爺の方を向く。
「かけすぎ爺、ポン酢って食べたことありますか?」
「あるわけなかろう」
言い切った声が、少しかすれていた。
結衣は白菜を一枚取り、ポン酢につけた。
皿ごと、かけすぎ爺の前へ置く。
「食べてから怒ってください」
かけすぎ爺は、しばらく皿を見つめていた。
やがて箸を取る。
白菜を口に入れた。
噛んで。
飲み込んで。
動かなくなった。
「……わしが、おる」
鍋が、ことこと鳴っていた。
オサフネは食べている。
灯も、再び食べ始めている。
誰も、気の利いたことは言わなかった。
ちょい足し小僧が、黙って席へ戻った。
*
しばらくして、かけすぎ爺が二枚目の白菜にポン酢をかけた。
三枚目にもかけた。
つみれにもかけた。
豆腐にもかけた。
うどんにもかけた。
白飯にも、かけようとした。
「親父、それはかけすぎじゃ」
「うるさいわ。わしの半分はお前じゃろうが」
喧嘩の形をした会話が、戻ってきていた。
結衣は、白飯にまでポン酢をかけようとする老人を見た。
それを、本気で止めにかかる子供を見る。
「やっぱり、親子には見えないですね」
かけすぎ爺は、白菜にポン酢をかけながら、顔も上げずに言った。
「息子じゃ」
ちょい足し小僧の手が止まった。
何も言わなかった。
ただ、かけすぎ爺の取り皿に、ネギをひとつまみ足した。
かけすぎ爺は、どけなかった。
「あ、そうだ」
灯が、思い出したように顔を上げた。
「ごまだれにも醤油入ってるよ。原材料」
「……なんじゃと」
かけすぎ爺が、ごまだれの瓶を手に取った。
目を細め、ラベルを裏返す。
「親父、それは深入りせん方がええ」
「待て。砂糖の次に、ごま、醤油、酢……」
「ほら、始まった」
「ということは、ごまだれもわしの――」
「親父!」
調味料の系図がどこまで続くのか、この夜は誰も確かめなかった。
◇
二柱が帰っていく。
坂の下まで、同じ道を、少し離れて歩いていった。
途中でまた何か言い合っているのが、暗がりの向こうから聞こえてくる。
「白飯にポン酢はないじゃろうが!」
「醤油ならええんか!」
「それは好きにせえ!」
結衣は玄関先に立ち、その背中を見送っていた。
「まさしく頭道らしい、しょうもない喧嘩じゃったのぅ」
いつの間にか、オサフネが隣に立っていた。
誰への返事でもなかった。
ほんの少しだけ、嬉しそうだった。
◇
翌朝。
台所の棚には、醤油とポン酢が並んで置いてあった。




