終
ロレッタと公爵夫妻は、街はずれに建てられた堅固な建物の中に収容された。
高い塀に囲まれており、建物はすべて白く塗られていた。
それは内部にも及んでいる。
部屋の壁も、床も天井もすべて白だ。
白は最も刺激が少ない色、精神を安定させ物事を受け入れやすくするとこの国では言われていた。
三人はその場で簡素な服に着替えさせられた。
その色も白。生地は木綿で荒く織られて、不快ではないが心地い肌触りとも言い難い。これもまた刺激を与えないための処置だった。
不快なのは当然ながら、心地いというのも精神を安定させるには余計な刺激の一つだと考えての処置だ。
食事もまた、不味くはないが特別美味しいものではない。辛くも甘くもなく、硬くもなく、柔らかくもない。
量もまた空腹を覚えるほどではないが、満腹にはならない量。
とにかく、刺激を無くすことを第一に考えられていた。
こういった処置は考え抜かれたものだが、まだ手探りだ。
最初の入居者たちをモデルケースとして、様々な実験をすることで最良を探り当てる予定だった。
「出してよーーー!私を誰だと思っているの!!」
ロレッタは割り当てられた部屋の中で叫び、真っ白な扉を叩く。
しかし閉ざされた分厚い扉はその声を外へ伝えることはない。そしてロレッタの声が止むと、耳が痛くなるほどの静寂が訪れるのだった。
完全防音の静寂の世界。
声を出さなければ、自らの息遣いだけが響き渡る。心臓の音すら聞こえてくる。
ロレッタは一人、この部屋に閉じ込められていた。
私物どころか家具一つない部屋。照明も天井に埋め込まれており、扉の取っ手すらない。
部屋に入って以来、ロレッタは誰にも会っていない。
誰の声も聞いていない。
完全に防音された部屋の中では、外で何が起こっているのかすら分からなかった。
何の刺激もない部屋。
この部屋の中で彼女の精神が安定させ、安定すれば正しい貴族としての教育が始まるのだ。
つまり、精神が安定するまで彼女はこの部屋に居続けることになる。
食事も扉の下に開けられた小窓から差し入れられるだけだ。その食事には睡眠薬が入っているらしく、食器の回収や部屋の掃除、ロレッタの身を清める作業まで彼女が眠っている間に行われた。
どれだけ時が過ぎたかすら、もう彼女には分からない。
何もない部屋で、ロレッタは自分すら見失いそうになっていた。
「私は!私は!!誰か、声を聞かせなさい!誰か、姿を見せなさい!私に聞かせて!私に見せて!私に触れて!何かを、なにかを、ちょうだい!!」
彼女は何もない部屋の中で、自分すら失いそうになっていくのだった。
公爵夫妻はロレッタと違い、すぐに部屋から出された。
二人はそれなりに普通の教育を受けていたおかげだろう。自分たちがどういった状況に置かれているかをすぐに理解し、おとなしくなった。
今、二人は別々に教育を受けている。
庶民の生活がどういったものか、本来の貴族がどういった暮らしをするべきなのか。
庶民の暮らしを知るために、農作業も体験している。
土を耕し、水を撒く。雑草を抜いて、肥料を与える。
つらく厳しい作業だった。
手も荒れ、いつも筋肉痛だ。
しかしそこまでして育てた作物は素人が育てたものであるため実りが悪く、さらに紛れ込んでくる害獣たちに荒らされた。
水路に流れる水が足りず、枯らしてしまうこともある。
「害獣や天災から平民たちが育てた作物を守るのが貴族の役目だ」
「平民たちが耕した大事な土地を他者に奪われないようにするのが貴族の役目だ」
「大事に育てた作物が高く売れるようにするのは貴族の役目だ」
農作業で何か辛いことがある度に、そういった言葉を監督者から投げつけられた。
貴族は平民が幸せに生きるのを助ける存在だと、心から刻まれていった。
自分たちがいかに、貴族として正しくなかったかを思い知った。
しかし、彼らの更生が終わるのはまだまだ先だ。
まだ貴族としての教育が始まったばかり。それが終わってもまだ先がある。
二人にはさらに親として更生しないといけないのだから。
リシェンヌに、そして、ロレッタにしたことの意味を自ら理解するまで、二人は出られない。
それはロレッタよりもはるかに長い時間がかかるだろう……。
ロレッタと公爵夫妻が更生施設に入れられて、第三王子は苦悩していた。
「……なぜこんなことに……」
リシェンヌと婚約破棄し、ロレッタと婚約を結んだことですべては上手くいくと思っていた。
公爵家との繋がりを強め、より有利な生活をするために婚約者を変えたはずだった。
しかし、現在、第三王子は危機に直面している。
ロレッタが更生施設に入れられ、婚約は白紙となった。
リシェンヌはすでに別の男と婚約しており、しかも王太子である兄の肝入りだ、再婚約するわけにもいかない。
公爵夫妻も不在では、何の手も出せない。
他の有力な貴族の令嬢には婚約者がいるか、年齢が釣り合わない者ばかりだ。なにより、自分の都合で婚約者を変え、その婚約も白紙になった者と婚約させたいという家はなかった。
一度やらかせば、同じような行いをするかもしれないと疑われてしまう。
かといって、下級貴族の婿になる気はなかった。
結局、彼には領地を持たない宮廷貴族の道しか残っていなかった。
しかしそれでは王宮で仕事をし、しっかりとした成果を上げていかなければいけない。楽な生き方はできなくなった。
元々勉強嫌いの第三王子には、苦痛でしかなかった。
「どうして……」
何を間違ったのか?
彼は考えるが、答えが出ることはなかった。
一か月後……。
王太子主導で計画された不良貴族の更生施設についての発表があった。
それと同時に、最初の入所者たちについての説明された。
モデルケースのため、その入所者たちと収容された理由まで公開されたのだった。
それは更生施設の入所基準の説明のためという建前であったが、実質は見せしめだ。
その基準を聞いて、多くの貴族が震え上がった。
それまで貴族は犯罪さえ起こさなければ、何をやっても許される立場だと勘違いしていた。
しかし、更生施設のことが発表されたことで庶民たちのことを考えた生き方をしていないと、その立場を取り上げられてしまう。
そして考え方を改めるまで取り戻すことはできないのだ。
それは裕福な平民の商人たちの方が自由があると思えるほどの厳しさだった。
だが本来の貴族とはそういうものだ。
その厳しさと引き換えに、豪華な暮らしを得られるのだから。
その更に一年後。
更生施設の責任者となったモーリス・バダンテール男爵が、その功績によって子爵に昇爵されることが発表された。
男爵になったことでも異例であったのに、異例に異例を重ねる功績だ。
昇爵の式典の時、バダンテール子爵の隣には結婚したばかりの妻の姿があった。
輝くばかりの笑みをたたえたその姿は、誰もが羨むほど美しかった。
幸せそうな二人に、祝福の言葉が降り注ぐのだった。
完
最後まで読んでいただきありがとうございます。
恋愛ジャンルでは初めての作品でした。
普段はアルファポリスメインで活動しています。
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