最終話
活動報告にも書きました通り、これで最終回となります。
長文かつ地文が多いので、お読みになられる場合はご覚悟を。
一応、用語説明をします。たぶんいろいろと忘れていると思いますので。
エド……主人公がつくった国。
サンドラ王国……最初の町をつくった際、主人公と戦った国
藤原信秀……主人公。
カトリーヌ……ラクダ。
ミレーユ・サン・サンドラ……サンドラ王国の姫。主人公の町に攻め入ろうとした過去あり。
宗教戦争……休載する前にやってた東西戦争。
これだけ知っていれば、わかる内容になっています。
水が欲しければ井戸で水を汲み、明かりが欲しければ蝋燭に火を点した。
冷たい水に手を浸して衣服の洗濯を行い、水を切った布で拭いて体の汚れを落とした。
侘しい食事が食卓に並び、栄養乏しくて病気になれば神へと祈った。
国々の生産量は容易に上がらず、それを補うために多くの者が一日のほとんどを働くことで費やし、余暇などはほとんどなかった。
どれもこれも、ある時代においては当たり前の風景だ。
しかし、現在の大陸においては過去の風景でしかない。
転換点は、東西に分かれて争った宗教戦争。
この何十年にも及んだ長き戦いを境にして、人々の科学への探求が始まり、それに伴って大陸の文明は発展し続けることになった。
結果、蛇口をひねれば水が出るようになり、スイッチを押せば電気がつき、汚れた衣服は洗濯機を回し、温かい湯水を使った風呂やシャワーで体を洗うことだってできるようになった。
食卓には満足な食事が行き渡り、栄養失調による免疫の低下から病気を呼び込むということもほとんどない。
それでも、もし病気になってしまったとしたら、その時は病院にて微生物学とウィルス学に則った治療が施されることだろう。
もはや祈るべき神は、人々にとってより遠い存在になってしまっていたのだ。
無論、一日中働くのも今では昔のこと。
生産量は産業革命を経て著しい上昇を遂げた国の生産量は、白黒のテレビに向かって団欒を過ごすような余暇を人々に与えていた。
このようにして、大陸に住む者たちは前時代的な生活を捨て、現代的で豊かな生活を送るようになったのである。
なお、それらの進化の過程で、かつてあった国のほとんどが名を変えたり、政治体制を変えたりと、その姿を大きく変えた。
もはや大陸のあり様は、かつての面影を全く残していないといっても過言ではないであろう。
その中にあって、唯一大きな変化もなく現代にまでその歴史を刻み続けていたのが、大陸の南東に位置するサンドラ王国である。
貴族制こそなくなってはいたが、依然としてサンドラ王が主権を有しており、国はいっそう栄え、大陸において――いやさ、世界において、サンドラ王国は比類なき巨大国家へと成長していたのだ。
そんな国の王様が住む、豪華絢爛な王宮。そこに、エヴァンスという七歳ばかりの少年がいた。
正式名をエヴァンス・ヒューリッチ・サンドラといい、彼こそはサンドラ王国の第三王子である。
――これはかつて起きた宗教戦争より数百年後の話。
『町をつくる能力』 最終話
王宮に住んでいるエヴァンス少年には、秘密のおばあちゃんがいた。
兄弟はたくさんいれども、誰のおばあちゃんでもない。大人の誰に尋ねても、おばあちゃんのことを皆知らないと言う。
唯一、父親であるサンドラ王だけが何かを知っているような態度を見せたが、「そのことはもう口にするな」と強く言われた。
だから、おばあちゃんはエヴァンス少年だけの秘密のおばあちゃんなのだ。
おばあちゃんは、時折ひょっこり姿を見せてはエヴァンス少年をかわいがった。
おばあちゃんがくれたお菓子はこれまでに味わったことがないほどおいしかったし、おばあちゃんがしてくれる話は聞いたことのないものばかりでとてもおもしろかった。
それが、なんだかエヴァンス少年には嬉しかったけれど、『でも、なんで僕の前だけに現れて優しくしてくれるのだろうか』という不思議さはいつも持っていた。
ある時、エヴァンス少年がそのことを訊くと、「坊やは〝あの人〟にとても似ているから」とおばあちゃんは言った。
「あの人って?」と聞き返しても、笑ってはぐらかされるだけだ。
「じゃあ、どこが似ているの?」
エヴァンス少年が質問を変えると、おばあちゃんはどこか遠くを見つめるようにしてから、ゆっくりと口を開いた。
「そうね……その髪、その目、昔見た〝あの人〟にそっくり……」
おばあちゃんが言った、髪、目。
エヴァンス少年の髪と目は、ほかの家族と違って真っ黒だ。
このことを、兄弟たちからはよくからかわれる。
おそらく〝あの人〟も黒髪で黒目だったのだろう。
おばあちゃんとを繋ぐ、エヴァンス少年だけの特別――。
エヴァンス少年は、〝あの人〟のことが俄然知りたくなったが、おばあちゃんは決して教えてくれなかった。
――いつか会えるのだろうか。会えたらいいな。
会ったこともないのに、どこか親近感を抱かせる〝あの人〟への思いを募らせつつ、エヴァンス少年は今日もおばあちゃんからいろいろな話を聞いて、一日を過ごす。
しかし、〝あの人〟との出会いが遠からずにやってくるとは、この時のエヴァンス少年には思いもよらぬことであろう。
それは、エヴァンス少年が八歳になってすぐの頃だった。
きっかけは、軽い倦怠感と微熱。
当初、風邪だと思われたその病気は、しかし一向に治る様子はなく、エヴァンス少年の容態は次第に悪くなっていく。
すぐに行われた再診察の結果は――いまだ治療法が確立されていない肺の死病。
エヴァンス少年は離宮の一室へと隔離された。
感染を避けるため、国王である父はもちろんのこと、母親から兄弟、はては使用人にまで至るまで、その部屋を訪れようとする者はいない。
医者の必死の治療もむなしく、病状は悪化の一途をたどり、エヴァンス少年はベッドで寝たきりの状態が続いた。
この時、つきっきりでエヴァンス少年の看護をしていたのは、彼の秘密のおばあちゃんだ。
「おばあちゃんは一緒にいて大丈夫なの? うつらない?」
「おばあちゃんは大丈夫。〝あの人〟の子どもだから」
熱に浮かされながらもエヴァンス少年が尋ねると、おばあちゃんは優しく微笑んで言った。
この苦しみの中、おばあちゃんだけがずっとエヴァンス少年のそばにいてくれた。それがどんなに励みになったことかは、言わずと知れたこと。
だから、エヴァンス少年は誓うのだ。
必ず元気になろう、と。元気になったら、必ず恩返しをしよう、と。
けれども、限界の時はすぐにやってきた。
体に一切の力が入らず、『ああ、もう死ぬんだな』とエヴァンス少年は朦朧とした頭で思った。
父親にも母親にも、兄弟にも友達にも、使用人たちにももう会えない。
もちろんおばあちゃんとも。
そのことがとても悲しくて、瞳からは涙がこぼれ、枕を濡らした。
そんな時だ。
おぼろげの意識の中、真っ黒い髪のお兄さんが現れたのは。
誰なの? とエヴァンス少年は尋ねたかったが、もう満足に口を動かすこともできない。
『もしかしたら、死神だろうか』という考えが頭上に浮かぶと、ようやく生きることにあきらめがつく心地であった。
しかし、その耳に聞こえたのは、とても死神とは思えない優しい声――。
「よく頑張ったな。もう大丈夫だ」
大きな手で頭を撫でられた。
それはとても心地よく、エヴァンス少年は誘われるように静かに目を閉じる。
そのまどろみの内で、『ああ、この人がおばあちゃんの言っていた〝あの人〟なんだろうな』という確信にも似た思いが、エヴァンス少年の脳裏によぎった。
はたして夢か幻か。
翌日にはエヴァンス少年はこれまでの容態が嘘のように回復し、いざ診察したところ病気の痕跡は一切なく、医者も驚きっぱなしであったという。
男は誰であったのか。病気は何故治ったのか。
そのようなことは置いておくとして、とにもかくにもエヴァンス少年は元気になった。
ならば、今こそベッドの中での誓いを果たす時である。
エヴァンス少年はおばあちゃんに目いっぱいの恩返しをしようと思い、宮殿中を探し回った。
しかし、その誓いが叶うことはない。
エヴァンス少年が、宮殿のどこを探してもおばあちゃんは見つからず、またおばあちゃん自らがエヴァンス少年の前に現れることもなかったからだ。
唯一おばあちゃんのことを知っていそうだった父も、何も語ることはなく、まるでおばあちゃんをいない者であるかのように扱った。
エヴァンス少年はいつまでもいつまでもおばあちゃんを探したが、その姿を見つけることはとうとう叶わなかったのである。
やがてエヴァンス少年は成長し、中等学校へと進学する。
この頃には、もうおばあちゃんの顔も思い出せなくなっていたが、しかし、エヴァンス少年の心にはおばあちゃんと過ごした日々しっかりと息づいていた。
◇
中等教育になると、クラスには獣人たちがちらほらと見受けられるようになる。
種族の違いによる体力差と心の未熟さから、初等教育において両者は同じ場所で学ばせないというあり方が常識であったが、中等教育においてはこの限りではない。
体力差はともかくとして、その心はどちらも大きく成熟しているため、互いを隔てた敷居も必然的に低くなるというわけだ。
もっとも、この取り組みはサンドラ王国だけのこと。
ほかの国々では、そもそも人間と獣人が同じ学校で学ぶという考え方自体が存在しなかった。
『獣人は肉体労働のみをしていればいい』『獣人が勉強なんてもってのほかだ』
――といったような言論が世界の主流を占めており、昔と比べれば獣人の地位はそれなりに上がったものの、いまだその立場は圧倒的に低いといわざるを得ない。
ゆえに人間と獣人を同一に扱うのは、一般的な見地からいえば世界でサンドラ王国のみ。
こういった面から見ても、サンドラ王国の文明が他国よりもいかに先に行っているかがわかるだろう。
だが、慢心してはならない。
これらの人権主義は国全体を見た場合における先駆に過ぎず、たとえサンドラ王国であって前時代的な考え方をする者はいるものだ。
もちろんそれはエヴァンス少年が通う学校にもいえることで、獣人を下に見る者はエヴァンス少年のすぐ傍に存在していた。
「エヴァンス君、ちょっといいか?」
中等学校の入学式を終えた次の日のことである。
昨日貰った歴史の教科書を開いていたエヴァンス少年であったが、そこに声をかけたのは初等学校からの顔見知りの男。
エバンス少年は教科書から目線を移して、「何かな?」と用件を尋ねた。
「キミも知っているだろうが、ここはサンドラ王国でも選りすぐりの者たちばかりが通う学校だ。そんな場所に、獣人は相応しくないと思わないか」
なんとなく予想はついていた。
話しかけてきた彼は貴族の血筋を持つ、いわばエリートだ。
貴族制は廃止されていようとも、貴族だった者の多くは官の要職に就いたり、大きな企業を運営したりとその力を脈々と次代に繋げており、彼もまたその一人――。
彼ら貴族の血筋が持つ、その選民思想はひときわだった。
「そうだな。〝相応しくない〟」
「だろ? そこで相談なんだが、僕らで署名を集めて理事長に談判しないか? 理事長も、王子であるキミが学生多数の意思を伝えたなら、必ず何らかのアクションを起こしてくれるはずだ。王と民の一体。これこそが、我が国の政治構造なのだから」
王民一体政治。
サンドラ王国の政治体制は議会制民主主義を旨とし、その最終決定権をサンドラ王が持つものである。
ゆえに、この貴族の系譜を継ぐ男の考えはある意味では正しいといえた。
しかし――。
「その必要はないよ」
「ということは、もしかして既に理事長のもとへ?」
「いいや、勘違いしないでくれ。僕はね。獣人ではなく、キミがこのクラスに〝相応しくない〟と言ったんだ。キミがその蒙昧な考えを改めないのであれば、もう僕には話しかけないでくれ。もう一度言うが、今のキミは僕の学友には〝相応しくない〟」
撥ねつけるように言うと、エヴァンス少年はもう彼には見向きもせず、その瞳を再び教科書へと落とした。
貴族の系譜を継ぐ男は唖然とし、クラスの者たちはひそひそと囁き合う。
はたしてその反応は、是か非か。
しかし、これによってクラスの者たちから疎まれようとも、エヴァンス少年はどうでもいいと思っていた。
その心にあるのはおばあちゃんの教え。
人間と獣人。互いに手を取り合って生きていかなければならない、とおばあちゃんは言っていた。
これを忘れた時、国は滅ぶのだろう、と。
エヴァンス少年は、その教えをしっかりと守ったに過ぎなかったのだ。
とはいえ、もはやどんな顔をしていたかすらも定かではないおばあちゃん。
エヴァンス少年がおばあちゃんのことを思い出すことは、今となってはほとんどないといえた。
だが先ほどの一件のように、当時おばあちゃんが話してくれた多くのことがエヴァンス少年の心を育み、そして今日のあり方を形作っていたのは確かである。
その証拠に、今エヴァンス少年が歴史の教科書を開いていることも、おばあちゃんの影響の一つ。
年表をなぞりつつ、エヴァンス少年は歴史を想像するのだ。
脳内に煌めくのは、そこに書かれた偽りの歴史じゃない。おばあちゃんが教えてくれた〝本当の〟歴史について、である。
たとえば、もう何百年も前に起きた大戦争。
神の名のもとに大陸中の国々が東西に分かれて争った宗教戦争であるが、その末路は勝利国から発生し拡大した激しい疫病だった。
人間も獣人も隔てなく襲ったその死の病によって、大陸に生きる者の内、実に五分の一もの数の人々が死に絶えたのだから、これぞまさに大陸の国々が滅ぶかどうかの瀬戸際だったといってよいだろう。
これに尽力したのが、ミレーユ・サン・サンドラ。
のちにサンドラ王国の女王の座につき、稀代の英雄と称えられることとなった、エヴァンス少年にとっての偉大なご先祖様。
おばあちゃん曰く、彼女はおばあちゃんの母親であるのだそうだ。
そうなるとおばあちゃんの年齢は何百歳ということになるのだが、それをエヴァンス少年が尋ねると、おばあちゃんは決まってうすら笑いを浮かべて話を逸らせた。
それはともかくとして、今はミレーユの話。
彼女は疫病の特効薬を開発して各国に無償で配布、またその予防策について、これまでの病気に対する考え方とは一線を画す見解を発表した。
そのおかげもあって死の疫病は次第に鎮まっていき、大陸はようやく平穏を取り戻すことになる。
すなわち、彼女の功績は誰がどう見ても英雄と称えられてしかるべきものであった。
けれど、これには歴史の裏がある。
実のところ、薬に関わる功績はミレーユのものではない、とおばあちゃんは教えてくれた。
薬に関する全ては、〝ある国〟が秘密裏にミレーユへと渡したものなのだという。
その〝ある国〟とは、大陸の北方に位置する――エド。
この宗教戦争を機に建国され、そう時も経たずにして人々から忘れ去られるようになった謎の新興国家。
何十年という長き戦いに飽いたのか、それとも大陸のあり方というものに見切りをつけたのか、宗教戦争の終末期には国境に長城が築かれ、エドには何者も立ち入ることができなくなっていた。
そののちに疫病が起こり、エドと今後一切関わらぬことを条件として、各国には薬が配られ、その窓口がサンドラ王国のミレーユであった――というのが、事の真相である。
ちなみに現在では、透明な壁がその国全てを覆い、地・海・空、いずれからもエドの状況をうかがい知ることは不可能となっている。
過去から現在にわたり、比類なき科学力を有するエド。
この疫病の話のみならず、おばあちゃんの語る本当の歴史には必ずその名前が登場した。
たとえば、大陸中を惨禍の真っただ中へと落とし込んだと宗教戦争よりも、さらに大きな規模となった大戦争――。
世界中の各地を地獄と化し、実に三千万人もの犠牲者を出すことになった世界大戦こそ、まさにこれである。
◇
宗教戦争以後の科学の発展は近代に突入しても衰えを知らず、それに比例して、人々の欲望はまるで大陸からあふれるがごとく、海の向こうへと注がれた。
数多の戦艦や潜水艦が開発されると、それらはレーダーを積み、大砲や魚雷を装備し、もはや海獣すらも脅威ではない。
人は海を支配することによって、大陸間を移動することが可能になったのだ。
大陸の者たちがその活動範囲を大陸の外へと移すと、日月が過ぎるごとに新大陸が発見され、それに付随して世界の地図はどんどんと描き変わっていった。
その勢いは、まさしく水を得た魚のごとし、である。
あっという間に世界地図は完成され、もはや世界が平面であるなどという考えは、宗教家ですら否定すること。
世界は球体であるというのが通説となり、誰が名付けたのか、皆は自分たちが住むこの星のことを『地球』と呼ぶようになっていた。
ところで、外の世界にも人間や獣人といった者たちが存在していた。
が、しかし。これに関しては、いようがいまいが関係ない。
というのも、彼らの文明の程度は低く、宗教戦争を経験し、海すらも制覇した大陸の者たちの敵ではなかったからだ。
こうして行われるようになったのが、世界各地での植民地化政策。
統治方法はさまざまであったが、いずれにせよその利益を享受せんがために、大陸の者たちは武力によって外の国々を支配下に置いた。
またこの際、国の体をなしていない土地に関しては、本国から多くの人間を移住させて開拓させもした。
特に、医療の発展によって大陸の人口は日々増え続けており、その受け皿とするべき土地が見つかったのは幸い以外の何物でもない。
いくら科学が進歩したからといって、大陸という限られた土地で賄える資源には限界がある。
このままいけば、人口はいずれその許容限度を超え、大陸は破たんしていたであろうからして。
しかし、この植民地化政策が長く続くことはなかった。
新天地にて新たな国をつくった者たちはもちろんのこと。属国に甘んじていた者たちも、高度な文明に触れ、それを扱う術を学べば、独立の機運が高まるのも当然――。
ある時、大陸の者たちから直接統治を受けていた現地民がその総督府を占拠した。
これこそが、世界大戦の始まりとなるべき事件である。
この事件を皮切りに各地では植民地解放戦争が起こり、遂には各地の被支配国がそれぞれ連合を組んで、支配国へと立ち向かった。
なお、サンドラ王国だけは自国の植民地の独立を早々に認めており、今回の戦いでは被支配国側に近しい中立の姿勢をとっていたことを付け加えておく。
支配国と被支配国。国力の差は明らかなれど、しかし両者の戦いは意外にも均衡した。
支配国側からは戦車や戦闘機といった大型の兵器も投入されていたが、被支配国側の対応は徹底したゲリラ作戦。山野に隠れられては、戦車や航空機の優位性を十分に発揮することができなかったのだ。
また被支配国側がサンドラ王国から輸入した武器が、支配国側のものと比べて遜色なかったことも戦力均衡の要因の一つとして挙げられる。
もっとも支配国側からすれば、被支配国側のここまで激しい抵抗は予想外のことであり、それゆえに相対的な厳しさは被支配国側の比ではなかったかもしれない。
戦争は長期化し、多くの兵士が戦場に倒れ、そのたびに新たな兵士が増員されていった。
大義を感じられない支配国側の兵士たちは次第に士気を衰えさせていたが、戦いは一向に終わる気配を見せることはない。
そんな折、支配国側の一国(以後、開発国)が原子爆弾を開発した。
かねてより、この開発国は濃縮ウランの製造に着手しており、長い時間をかけてようやく原子爆弾に必要な量のウラン235を精製することに成功したのである。
無論、その開発目的は敵国に使用するためだ。
では、原子爆弾は一体どの被支配国に使われるのか。
――違う。
原子爆弾が使用されるべき敵国とは、被支配国のことではない。
その恐るべき矛先が向けられたのは、中立でありながらも被支配国側に武器輸出を積極的に行い、この戦争をいたずらに長引かせることになった原因――サンドラ王国。
加えて、サンドラ王国の力は誰もが認める世界第一位であり、かの国に勝利するということは、すなわち自国を第一等国家へと押し上げることを意味する。
ゆえに開発国は、嬉々として早速サンドラ王国へと宣戦布告を行った。
しかし、悲しきかな。
この原子力爆弾がサンドラ王国に投下されることはなかったといってよい。
その理由は簡単だ。
開発国が有していた原子爆弾は二発あったが、そのどちらもが意図せずに核分裂反応を起こし、そこに秘められた驚異的な威力を自国内にて発揮したのだから。
この爆発による被害はあまりにも甚大である。
原子爆弾の二発のうちの一発は、人里離れた研究施設で保管してあったため人的被害は軽微で済んだが、もう一発の所在は都市部にほど近い位置。
ちょうどこれよりサンドラ王国へと投下を行おうとしていた時であり、原子爆弾を積んだ爆撃機が都市近郊の基地にて燃料補給を受けていたところだったのだ。
そのため、原子爆弾の爆発によって周辺都市は一瞬にして焼け野原と化し、十万を超える数の人々がその尊い命を散らした。
そして、これこそがまさしくエドの暗躍であった。
唯一の友好国ともいえるサンドラ王国の危機に対し、この頃の人々が想像もできない超科学によって、原子力爆弾を遠距離から誘爆させたのである。
こうなると、もはやこの世界大戦の趨勢も決まったといってよい。
どちらが善で、どちらが悪であるか。
それを容易く決定づけるほどに、原子爆弾による被害はあまりにも大きすぎたのだ。
なにせ、たった一発で十万人以上も殺戮し、その後も長い年月にわたって人と土地に大きな影響を及ぼす、あまりにも人道に反する兵器である。
原子爆弾なんてものを今後も秘密裏に開発されて、もしその矛先を自国に向けられたらどうなってしまうのか。
そんな戦々恐々とした思いが大陸の者たちにはあった。
さらに開発国の核戦略に関する重要書類がエドからサンドラ王国へと流れており、それも世界に公開された。
その中身は、サンドラ王国への原子爆弾投下計画書と、核兵器所持による〝各国〟への抑圧効果の研究資料。
言うまでもなく、〝各国〟とは被支配国に対するのみの言葉にあらず。支配国である大陸諸国も含まれるものである。
結果、大陸の世論は開発国を悪とし、それに付随して、被支配国の独立を認めてはいいのではないか、という主張があふれた。
いつまでも続く戦いに誰もが辟易とし、終わらせる口実をどこかで欲していたのだ。
こうして支配国と被支配国間で和平交渉が始まり、被支配国は次々に独立が認められていくことになる。
加えて、開発国はサンドラ王国に宣戦布告を行っていたため必然的に戦争状態となり、おまけに、大陸の各国もまた開発国に対して、その核戦略を理由に宣戦布告を叩きつけた。
もっとも、開発国にはもはや大陸の各国と戦う余力はない。
ゆえに、一戦も交えないうちに降伏。その後、必死の交渉も実らずに、開発国はその身を四分五裂とした。
開発国の原子爆弾を使って世界の一等国に躍り出るという目論見は、国そのものを崩壊させるという手痛すぎるしっぺ返しと共に潰えることになったのである。
やがて、世界大戦が完全に終結すると、今後、地球上で原子力爆弾を使わぬことを定めた条約が大陸国家間で結ばれた。
調印式には各国の代表者が集まり、サンドラ王国が用意した書面に署名していくのであるが――ここで皆は驚愕する。
署名欄に既に書かれてあった、エドの代表者の名。
多くの国々が、ようやくそこで事の真相を悟ったのだ。
――そして場面は、エヴァンス少年が中等部のクラスで学ぶ現代へと戻る。
◇
世界大戦が終結したのは、今より三十年近くも前の話である。
現在の大陸の国々は当時よりも大きく発展していたが、エドが有している圧倒的な科学力に対しては、いまだその足元にも及んではいない。
それゆえ、以前からの『エドには決して関わらない』という約定を守るように、今なおも各国は自尊心を保つため、エドの存在を無視し続けている状況だった。
つまり、エドというのは存在しないものとして扱われ続けている、禁忌の国であるといっていいだろう。
そのせいかして、かつてこの話ををおばあちゃんから聞いたエヴァンス少年が、『エドはまるでおばあちゃんのようだね』と言葉を返したのは、いわば必然である。
おばあちゃんもまたエドと同様に、周り者たちからは認識されていなかったのだから。
今さらながら、とても失礼な言葉を吐いたものだとエヴァンス少年は反省せざるを得ないが、しかし、この時のおばあちゃんの顔がとても嬉しそうにほころんでいたのを覚えている。
それだけ、おばあちゃんはエドのことが好きだったのだろう。
それを裏付けるように、おばあちゃんはエドの様子をよく語ってくれた。
そこはまるで天国のようなところなのだと。
あらゆる物が自動機械化されながらも、その科学の発展に反し、人が住まぬところでは美しい自然にあふれ、動物たちがのんびりと暮らしている。
『エドは昔を大切にするのよ?』
まるで前しか見ていない世界に当てつけるように、おばあちゃんは言った。
エドには多くの種族が住んでいるが、それぞれが自身の先祖を敬い、独自の文化を大切に現代まで伝えているのだそうだ。
それに伴って、エドには多数の神が存在することとなり、一神教を旨とする大陸人には少し想像できないあり方かもしれない、とおばあちゃんは笑っていた。
飢えも、病気もない夢の国。
高度な知識を学び、適度に働き、余暇を楽しむ。
特に余暇に関しては、数限りない楽しむべきことが存在し、どれだけ時間があっても足りないのだという。
そんな楽しむべきことを、おばあちゃんはいっそう焦がれるように説明してくれた。
その中でも気になったのは、この言葉――。
『宇宙を旅行して、特等席で星々を眺めたりするのもいいわね』
おばあちゃんの言う宇宙という言葉が、当時のエヴァンス少年には想像もつかなかった。
真っ暗な世界に、星が無数に浮かんでいるといったこと以外は、何一つわからない。
なので、エヴァンス少年は『宇宙はどうなっているの?』と尋ねた。
それに対するおばあちゃんの答えはこうだ。
『そうね……それは自分で確かめたらいいんじゃないかしら。この国も、もうじきだと思うわ。宇宙に行けるようになるのは』
今にして思えば、その言葉に嘘はなかったといえる。
陸から海へ。海から空へ。人の可能性はとどまることを知らず、そして今日――。
それは、エヴァンス少年が中等部二年となって久しいある日のことであるが、サンドラ王国は新たに〝空から宇宙へ〟という歴史の一ページを刻もうとしていた。
「えー、であるからして、このaは――」
授業の最中に鳴り響いた、ピンポンパンポーンというアナウンス音。
すると、続く放送を予想してか、期待のこもったざわめきが教室内を一巡した。
ノートをとっていたエヴァンス少年もこれに倣うものである。
ハッと顔を上げて、次に流れる放送を焦れるような心地で待った。
『連絡します。これより――』
その内容は予想通り、宇宙船が発射されるという知らせ。
加えて、各教室はテレビをつけるようにとの指示。
「先生! テレビ、テレビ!」「早くしないと始まっちゃうよ!」
生徒たちが急かすように、テレビを早くつけろと叫んだ。
教師も「わかった、わかった」と言って、教室に備え付けてある白黒テレビに手を伸ばし、その電源が入る。
映し出されたのは、ロケットの発射場だ。
そこに、空に向かって突き立っている多段式ロケットがあった。
細長い円柱型のロケットで、その先端の尖った部分が宇宙船本体であり、下部にはいくつもの推進ブースターが取り付けられている。
発射まではどうやらもう少しかかりそうで、その間を持たせるために、教師がうんちく話を始めた。
曰く、今日の有人宇宙飛行は国家の威信をかけた大事業であるとか。他国の宇宙開発の進度はどうであるのかとか。宇宙はどうなっているのかとか。
そうしているうちに、ようやく発射の時間となり、いよいよカウントダウンが始まった。
最初は『10』から。
次に『9』、次に『8』、次に『7』、と数はどんどんと小さくなっていく。
この時にはもう喋る者もおらず、誰もが固唾を飲んで見守っていた。
そして遂に、最後のカウント――。
『――ゼロ』
それと同時、画面の向こうでは、宇宙船を積んだロケットが激しい炎を吐き出しながら空へ向かって飛び立っていく。
教室内は「うおおおおお!」とやかましい限りだ。
その後、宇宙船は空の彼方へ消えるも、教室内の騒ぎは収まることはない。
いや、この教室ばかりではない。外からも激しい歓声が聞こえている。
おそらくは学校中、いや世界中がこの偉大な一歩に熱狂していることだろう。
だが、このような状況にあっても、エヴァンス少年だけは冷静だった。
なぜならば、その心はある疑問に傾注していたから。
「先生」
「なんですかエヴァンス君」
「宇宙からエドは見られますか?」
エヴァンスの質問に、教師の顔がギョッとなった。
エドは禁忌。それはこのサンドラ王国とて例外ではないのだ。
しかし、教師もさるもの。
「こればかりは宇宙から見てみなければわかりません。ですが、我々のこの偉大な成果をかの国が知れば、かつての国交が復活するかもしれませんよ」
誰よりも先んじて宇宙へと行く。これはサンドラ王国民にとって誇りである。
現在先進国といわれている国では、競って宇宙開発競争が行われていたが、有人宇宙飛行はいまだどの国も成し遂げてはいない。
すなわち、それだけの偉業なのだ。
ならば、この偉業によってエドとも対等になれるのではないか。
少なくとも話くらいは聞いてもらえるのではないか。
そんな期待が、教師にはあったのかもしれない。
しかし――。
「エドが宇宙に行ったのはいつ頃でしょうか?」
「……」
エヴァンス少年の新たな質問に、教師は何も言わなかった。
その答えが、国の名誉を汚しかねないものだったからであろう。
学校中が熱狂している中、エヴァンス少年のクラスだけやや勢いを失ってしまったのも仕方のないことである。
が、それも少しの間だけだ。
やがて、新たな燃料ともいうべき飛行士の生の声が、宇宙から届けられた。
――地球は青かった、と。
こうしてエヴァンス少年の興味は宇宙へと移り、中、高と優秀な成績で学校を卒業すると、大学では宇宙科学を専攻し、そののちはサンドラ王国航空宇宙局へと就職した。
就職に際しては、王族としての官職も勧められたが、それは拒否している。
王子といえど、所詮は三男坊。
成人してしまえば、一般の者とあまり変わらぬ自由がエヴァンス少年には存在していたのだ。
それからさらに何十年という年月が経つと、エヴァンスももう五十半ば。
間違っても、少年とはいえぬ年齢である。
かつて黒かった髪は白一色となり、顔にも年相応のしわを刻みつつ、エヴァンスは毎日の仕事に励んでいた。
とはいえ、その職場は宇宙局ではなく王宮――。
「なんだこのふざけた書類は! 水道の民営化だと! 民営化した国々の現状を知ったうえで言っているのか! こんな馬鹿げた考えを議題に上げようとする無能をさっさと呼び出せ! 背後にある企業も全部洗え! 王家を舐めたらどうなるか、目にもの見せてやる!」
王宮の執政長室にて、今日も元気に響くエヴァンスの怒声。
サンドラ王国第一執政官。それが五十を過ぎたエヴァンスの肩書だった。
その名の通り執政を司る第一位の官職であるから、サンドラ王を除けばエヴァンスはこの国で最も権力を持っているといっていいだろう。
「エヴァンス様、H2Aロケット32号機の打ち上げが無事に成功したとのこと」
「そうか、関係各所にはご苦労だったと伝えておいてくれ。王陛下にはしかと伝えておく」
秘書からの報告に対し、エヴァンスは特にさしたる興味もなく返答した。
一昔前は熱狂を生んだロケットの発射も、現在では雑事の一つでしかない。
自国だけでも、これまでに百回以上も行っている有人宇宙船の打ち上げ。
地球の周りを飛ぶ人工衛星などに至っては、何千もの数に上り、人々の生活における多種多様な役割を担っている。
宇宙ステーションには三人ほどが常駐して実験などを行っているし、近隣の星々には無人探査機も放たれている。
そんなわけであるから、もうロケットの発射などといっても珍しい物でもなく、特別に注目されるものでもなかったのだ。
「老いたかな……」
ふと、宇宙に対する自分の反応の薄さに気づいたエヴァンスは、嘆くように呟いた。
宇宙開発に関しては、既に一線を退いた身。最近は宇宙に対する食指も、全くといっていいほど動かなくなっていた。
そもそも、だ。何故あれほど宇宙にこだわったのか、という思いがエヴァンスにはある。
いいや、本当のところエヴァンスはその理由をよくわかっている。
記憶の片隅にある、子どもの頃のおぼろげな風景。
安らぎとぬくもりを与えてくれた――おばあちゃんという存在だ。
しかし、年を重ねる連れ、『本当に彼女はいたのか?』という疑問が強くなっていった。
もはやあまりにも不鮮明過ぎて、不意に思い出した時には、夢ではなかったのかと自問自答しているくらいだ。
父親は死に際ですらも、何も語らなかった。
だが、語らなかったのではなくて、そんなもの本当は存在していなかったのではないか、とつい考えてしまう。
ほかの家族とは違う、自身の黒髪と黒目。
兄弟からは散々にからかわれ、いびられ、また使用人たちからも何かしら言われていたことは、子どもながらに気づいていた。
この負い目に対する防衛本能が、〝おばあちゃん〟などという優しい幻想を生み出していたのではないか。
エヴァンスは、そう思わずにはいられなかったのだ。
自身、四十で政治の世界に入り、五十で王付きの第一執政官となった。
それに伴って、多くの機密事項を見ることができるようになった。
だが、どこにもおばあちゃんの存在はなかったし、おばあちゃんが話してくれたエドの記録も一切見つからない。
当時、黒死病といわれたペストに対する特効薬は、ミレーユ・サン・サンドラが開発したものとしか記録されておらず、また、かの国で起きた原子爆弾の事故も、あくまでも管理ミスによるものとされているだけだった。
しかし、未練だろうか。
いまだに心のどこかで、おばあちゃんのことを信じたい自分がいるのを、エヴァンスは気づいていた。
そもそも、おばあちゃんがよく話してくれたエドという国自体は確かにあるのだ。
未知の国――エド。
未知ゆえに、宇宙という未知を求めた。
されど、どれだけ多くの人工衛星を飛ばそうとも、宇宙からは何も見えなかった。
なんらかの電波によって妨害されており、唯一わかったのは、これまで同様にエドが恐るべき科学力を誇るということのみ。
そして、エヴァンスの宇宙への興味もだんだんと薄れていったのである。
しかし、この数ヶ月後。
興味があろうがなかろうが関係なしに、宇宙への関心を引き戻さざるを得ない事態が起きることになる。
それは、世界全てを巻き込んだ未曽有の危機だった。
宇宙開発競争が最も盛んであった時代、ビッグイヤーと呼ばれる電波望遠鏡が受信した謎の電波信号。別名、Wow!シグナル。
これに対し、宇宙の彼方へと送った信号がいらぬものを呼び寄せた。
――宇宙人の襲来である。
◇
世界は絶望した。
突如として世界中の上空に現れた巨大な空中投影スクリーン。そこに映し出された、地球外生命体の姿とその要求に。
――徹底支配。
この地球上のありとあらゆるものを統括する、と宇宙人は言った。
地球の全てを自らが有すべき資源とし、人間や獣人などの知的生命体であってもこの例に漏れるものではない、と。
また、この放送は無駄な抵抗をさせないための慈悲でもある、と。
その言葉が示す通り、続いてスクリーンに映されたのは真っ暗な宇宙空間と、そこに昂然と並ぶ夥しい数の宇宙船団――。
この瞬間、地球上の誰もが世界の終わりを予感せざるを得なかったのだ。
途方もないほどの技術格差のある相手。
もし歯向かえば、訪れるのは死あるのみ、である。
これについては、サンドラ王国第一執政官であるエヴァンスの反応も、ほかの者と大きく変わるものではない。
一連のスクリーン映像を自身の執務室の窓から見ていたエヴァンスは、どうすればいいのかと絶望し天を仰いでいた。
しかし、その天にこそ宇宙からの侵略者がいるのかと思うと、うなだれるようにして力なく椅子にもたれかかるしかなかった。
本来であるならば、早急に対策会議を開くところであるが、そんなものが何の意味を成すのか。
宇宙人は、小さな要望すらも許さないと言っている。
電話の呼び出し音がうるさく鳴り響く中、行動を起こす気力もすぐには起きない。
――と、そんな時だった。
「エヴァンス様」
突然かけられた若い女の声に、エヴァンスは体をびくりと震わせた。
部屋には誰もいなかったはずなのに、何故いるのか。
しかし、目の前にいるのが見知った王宮のメイドであることを理解すれば、その心も落ち着いた。
気配なく部屋に入り込まれたことについても、先ほどまでの茫然自失であった自身を思えばこそ、さして難しいことではないだろう。
とはいえ、どんな理由があろうとも無礼は無礼であるし、そもそもここはメイドが来ていい場所ではない。
エヴァンスはメイドを叱りつけようとも考えたが、地球存亡の危機にあって、この程度のことで怒るのも馬鹿らしく思えた。
ならば、とエヴァンスがとった行動は、優しく語りかたりかけること。その上で、何故ここにいるのかを問いただそうと思った。
メイドが現れたことによる小さな驚きのおかげで、ある程度の自我を取り戻すことができたのだから。
「キミは国王付きのメイドだったな」
「はい、メイド型アンドロイドS300と申します」
「……は?」
あまりにも意外な返事に、エヴァンスの口かららしくない呆けた声が漏れた。
だが、それを無視してメイドは言葉を続ける。
「私の任務は、このサンドラ王国の危機において、母国であるエドへと連絡することにあります。
今より四十四年前、あなたのひいひいひいひいひいひいひいひいおばあさまであらせられるエノワール様のご異動に当たって、エドより密かに私が派遣されました」
エノワール。その名はエヴァンスもよく知っていた。
偉大なご先祖であるミレーユ・サン・サンドラの娘であり、そして、秘密のおばあちゃんの名前。
しかし、常識的に考えて、彼女が生きているはずはないのだ。
「まてまてまて、なにを言ってるんだキミは。話がついていけん。エノワール様はご先祖様だぞ。何百年も前にご逝去なさったはずだろう!」
「いいえ、エノワール様はエドへと住まいを変えられたにすぎません。今もまだご健在であられます」
「なんだと……?」
「これ以上は無用の問答でしょう。とにかく、我が国は現在敵と交戦を始めております。どうぞご覧ください」
言い終わるや否や、エヴァンスの目の前に投影されたスクリーン映像。
照射機の類はなく、全世界に及んだ宇宙人による空中スクリーン映像と同様に、現在の地球の科学力では不可能な芸当だ。
「こ、これは……!」
そこには、先ほどと視点こそ違うものの、宇宙人を名乗る者たちの船団が映し出されていた。
そして次の瞬間、目も眩むほどの光の奔流がその宇宙船団を飲み込んだのである。
SF映画さながらの戦闘シーン――ではない。
光が通り過ぎたあとには、もはや何物も存在していなかったのだから。
「な、なにが起きている……! わ、私をたばかっているのか……!」
急激な事態の変化に、エヴァンスはもはや何が何だかわからなかった。
むしろ、何もかも全て嘘。本当は宇宙人なんておらず、何者かが一芝居を打っているのではないかとさえエヴァンスは思った。
しかし、目の前のメイドのあまりにも冷静な態度がその考えを否定する。
「敵の宇宙船団は壊滅しました。今後このようなことがないように、既にかの星との接触も図っております。我々は宇宙全てを掌握しており、もともと彼らの存在は知っておりましたので。
こちらに危害を加えない限りは、と観察するに留めておいたのですが、それがよくない方向へと進んでしまったようですね」
ここでようやくエヴァンスは理解した。
目の前の者が何者であれ、自身よりもはるか上位にあるのだということを。
「私に何をさせようというのだ……」
「かつて、黒死病によって大陸が死に瀕した折、エドが治療薬を大陸中の国々に供与しました。その窓口を担ったのが、あなたたちサンドラ王国。
このたびも同じ。宇宙人たちのことは我々にお任せください。あなた方は各国に対して説明を――今、連絡が入りました」
突然の台詞の変更。
連絡が入ったというには、目の前のメイドにそれらしい様子は一切なかった。
「申し訳ありません、予定を変更します。エヴァンス様、どうか今すぐに国賓を迎える支度を整えてください。準備ができ次第、エドの王フジワラが来国するとのことです」
メイドの言葉に、エヴァンスはその顔面を凍りつかせた。
一難去ってまた一難というべきか、あまりにも急な来訪の知らせ。
目の前のメイドの言うことが本当であるならば、地球を征服しようとした宇宙人たちをさらに凌駕する相手が、この国にやって来るというのだ。
それからのエヴァンスの行動は、極めて迅速だったといえるだろう。
まずはサンドラ王以下、各閣僚を集めて、すぐに意思の統一を図った。
疑う者に対しては、王に口添えしてその場で一時的に職権をはく奪し、また機密事項を漏らされぬように軟禁した。
さらに国民に対しては、危機は全て去ったという声明を出し、それ以上の説明は追ってすると言って、各メディアとは取り合うことをしなかった。
またこの声明に関しては、あくまでも国内に向けてのことであり、諸外国への説明は一切なし。
いまだ事の全貌は掴めておらず、不足事態が起きた場合には何の責任も取れないためである。
「できるだけのことはやったが……」
自身の権力を最大限に使用した、暴挙ともいえるここまでの取り組み。
もしこれでメイドの言っていたことが嘘であれば、間違いなく相応の処分がなされるだろう。
しかし、つい先ほどまでの地球存亡の危機を思えば、いかに小さなことで悩んでいるのかとエヴァンスは自嘲した。
だが、その心配は不要――。
彼らはやって来た。
メイドの指示に従い、王宮の前にてサンドラ王を中心に閣僚たちを並ばせて迎賓の礼をとっていたところ、突然、人の一団が目の前の空間から現れたのだ。
口にこそ出さなかったが、これに仰天しない者はいない。
エヴァンスも同様で、目を丸くして驚くと、その脳裏には『瞬間移動』『ワープ現象』といったチープな単語がよぎった。
「これはサンドラ王。このたびは大変な国難であらせられましたな」
集団の中より一人前に進み出て、そう口にしたのは、黒髪に黒い眼をした男性。
年は二十ばかりだろうか。獣人が祭事で着るような民族衣装を身に纏っている。
これに対し、言葉をかけられたサンドラ王。
早くして亡くなった前王の息子であり、まだ少年でしかないためか、困ったように視線をさまよわせていた。
しかし、これは当然だ。
言葉をかけた男性がエドの者であるのは確かだが、相手の身分がわからない。もし下男にでも対等の礼をとってしまえば、それこそ赤っ恥である。
「失礼ですが、エド王であらせられますか?」
「おっと、これは失礼を。こちらの紹介がまだでしたな。私はエドの王ノブヒデ・フジワラという。以後、お見知りおきを」
エヴァンスが勇気を出して尋ねると、男がエド王を名乗り、王同士で握手が交わされた。
その後、王宮内で非公式の会談が行われたが、この際、サンドラ王がまだ若年であることを理由にエヴァンスは傍について補助に当たっている。
会談の内容は、今回の事件の概略と、今後サンドラ王国が世界の各国にどのように説明すべきか、であった。
「今後は少しずつではあるが、表立った舞台にも露出していこうと考えている。ああ、もちろん他国を侵略しようなどという考えは毛頭ないので、安心していただきたい。エドと世界。これからも不干渉の関係は続けていくつもりだ」
というエド王の言葉。
信じるべきか信じざるべきか。
しかし、その考え自体が不毛であるとエヴァンスは思った。
相手は宇宙の隅々まで掌握していると豪語した超大国。
彼らにしてみれば、この地球の国々など小さなアリの巣でしかないのだから。
会談が終われば、ミレーユ・サン・サンドラの墓参りに行きたいとエド王は言った。
何故、という疑問がエヴァンスの中に浮かんだが、独自の風習かもしれないと思えば、断る理由はない。
他国を訪問した際にはその国の英霊に対し礼を尽くす。
なるほど、悪くないとエヴァンスは思った。
「では、車を用意させますので、少しお待ちいただけますか」
「いや、墓地はすぐ近くだろう。車は必要ない」
エヴァンスの提案に、勝手知ったる、とでもいうようにエド王は言った。
その言葉に間違いはない。
王家の墓は歩いていくにはやや遠いが、今会談を行っている王宮の敷地内にある。
「では、そのようにいたします」
墓地への道すがら、エド王は自らの紹介をしながら歩いた。
その話を聞きながら、不思議な男だとエヴァンスは思った。
南東の砂漠地帯に住む獣人たちが神獣として扱うラクダを連れ、人間でありながら獣人を第一夫人に置いている。
人間と獣人の結婚など昨今においては珍しくないものであるが、しかし立場のある者については別だ。
血筋もまた文化の一つ。
差別などといったものとは全く別の扱いとして、人間にしろ獣人にしろ、互いに種の保存に関しては余念なく力を注いでいるのが現状である。
それに、王というにはあまりに若々しい年齢も気になった。
自国のサンドラ王などはさらに若いが、エド王にはその若さにはそぐわない老練した雰囲気が備わっているのだ。
やがて、王家の者が眠る墓地に到着し、エド王を始めとしたエドの一行はミレーユ・サン・サンドラの墓石に手を合わせた。
見たこともない儀式である。だが、その熱心さは、崇高な祈りのようなものに思えた。
それと同時、エヴァンスはこの墓参りが独自の風習などではないことを理解した。
エド王は、ミレーユ個人に対し何らかの確かな感情を抱いていると気づいたのである。
しばらくすると、儀式を終えたエド王が、別れを惜しむように立ち上がった。
はたして、ミレーユと彼との繋がりはなんであるのか。
訊くべきか訊かざるべきかをエヴァンスが悩んでいると、その考えを見透かしてか、エド王から声をかけられた。
「あの時の少年が立派になったのものだ。さすがはミレーユの子孫といったところか」
その言葉は、あまりにも意外なもの。
まるで、自身が少年の頃にあったことがあるような言いようだった。
しかし、互いの年齢差は歴然。そのようなことはあるわけがない。
「失礼ですが、陛下とわたくしは初対面では?」
「そうかな?」
「はい、そうだと思いますが……」
「では、キミをよく知る人物にその答えを訊いてみようか?」
そうしてエド王が顔を向けたのは、エド側の列中いた黒い髪の蒼い目をした若い女性。
誰だ? と思考を巡らすが、一向に思い当たる人間は浮かんでこない。
「あの、どこかでお会いしましたでしょうか?」
しびれを切らし、エヴァンスは女性に尋ねた。
「私の大好きだった黒い髪も、今では真っ白ね」
返ってきた声は、どこか聞き覚えがある気がする。
しかし、どこだったかと悩むも、あと一歩――あとほんの少しところで、エヴァンスはその記憶を引き出せないでいた。
「ふふっ、これでどうかしら」
途端、女性の顔が瞬きもしない間に別のものに変わった。
妖術の類でもあろうか。女性の黒い髪は真っ白へ、みずみずしかった肌は老年の枯れたものとなり、そこには 先ほどの若々しい女性とは似ても似つかない老婆の姿があったのである。
これにはサンドラ王国の者たちも、あっという驚きを見せ、エヴァンスもまた目を大きく見開いた。
だが、この時のエヴァンスの驚きは、ほかの者たちの驚きとは全く意味が違う。
――知っていた。
目の前にいる老婆。その垂れ下がった目じりに湛えられた、とても優しいぬくもり。
エヴァンスはその温かさを知っていたのだ。
それに気づいた瞬間、もう忘れ去ってしまったはずの記憶が蓋を開けたようあふれ出して、エヴァンスの頭の中を目まぐるしく駆け巡った。
「まさか……」
エヴァンスはとても信じられないという風に呟いた。
「まさか……まさかそんなっ!」
二度目、そして三度目はもう叫んでいた。
走馬灯のごとく、エヴァンスの脳裏に次々と浮かぶ子どもの頃の記憶。
どれもこれも大切な思い出だった。なぜ忘れてしまっていたのか、という強い思いがエヴァンスにはある。
いいや、エヴァンスは追い求めた。追い求め続けたのだ。
けれど、目に映る現実に否定され続けて、いつしかそれは夢となった。
ゆらゆらと陽炎のように揺らいで消えていく、はかなき夢に。
しかし――。
「おばあちゃん……なのか……?」
しかし、決して夢ではなかったのだ。
あの日、確かにおばあちゃんがいて、己はその隣で陽だまりのようなひと時を過ごしていたのだから。
「――坊や、お久しぶり」
その日、エヴァンスはおばあちゃんの胸の中で少年に戻った。
◇
花は咲き、そして散る。
されど、エドに住む者はもうその命を散らせることもない。
信秀が持つ『町をつくる能力』はさらなる進化を遂げ、未来すらも手の内にした。
ミラも、カトリーヌも、ジハルも。あの頃を共に生きていた仲間たちは皆、今日を生きている。
その未来の科学力により、信秀たちは永遠に近い時間を生きることが可能になっていたのだ。
しかし、今、信秀の前にあるものはなんであるか。
それは、ミレーユ・サン・サンドラの墓石だ。
紆余曲折ののち、信秀とは子どもを授かるほどに親密な仲になっていたが、彼女はサンドラ王国の人間として死んでいった。
それがけじめであるのだと言って。
彼女が残したサンドラ王国は、エドを除けばこの地球で最も優れた国に成長した。
人と獣人の調和。その考えは、見事にエヴァンスへと受け継がれている。
「ミレーユ。キミが残した国はこんなにも立派になったぞ」
ミレーユの墓石に信秀は小さく呟いた。
すると、ぽつりと晴れ渡った空から落ちた一粒の滴。
信秀が空を見上げた時、ふとミレーユの微笑が瞼に浮かんだ。
ミレーユが落とした嬉し涙。
エノワールとエヴァンスの再会に対してのものか、それとも己との再会に対してのものか――。
ちょうどその時、傍にいたカトリーヌが空に向かって「グエエ!」と鳴いた。
その首を優しく撫でると、信秀もまた空に向かってニコリとほほえみを返した。
ここまで読んでくださった方、お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。
最終回を書くにあたって、今後の展開のダイジェストと今回の話と迷いましたが、結局こちらを選びました。
あとのことは活動報告に書こうと思います。




