85:前代未聞
結局。
舞踏会は明け方まで続いたが、アルベルトが私にプロポーズをすることはなかった。本人はプロポーズをするつもりだったのだろうが、ひしめく令嬢たちがそれを許さなかった。この機会を逃してはという、女性の執念は相当なものだ。アルベルトとて、将来は国王に立つ身。王都から離れた地方貴族は、それでなくてもコントロールが難しい。だから令嬢の、その先にいる貴族の親の機嫌は、極力損ねたくなかったのだろう。最後の一人となる令嬢とのダンスを終えてから、自室に戻ったという。
一方の私はというと、もう途中から完全にすることもなく、ミゲルやマルクスからも「無理にこの場にいる必要はない。見知らぬ令嬢とアルベルト王太子がダンスするのを、ただ延々と眺めるという苦行は、自分達が請け負う」と言ってもらえて、夜半過ぎに部屋に戻ることができた。部屋に戻ると、スノーは既にソファで熟睡していた。私も大急ぎでドレスを脱ぎ、入浴をすませ、ベッドへ潜り込んだ。
翌日、朝食の席に現れたのは、領主ヘラルドとその家族で、アルベルトや三騎士の姿はない。今頃全員疲れ切って、爆睡中だろう。かくいう私も朝食のために起きたものの。部屋に戻ると、ソファでスノーと昼寝してしまった。一時間ほど昼寝した後は、読書をして過ごした。
アルベルト達と会えたのは、アフタヌーンティーの席だ。
昼食を終え、部屋で寛いでいると、メッセージが届いた。アルベルトからのアフタヌーンティーへのお誘いだった。ミモザ色のティーガウンに着替え、アルベルトの部屋に向かうと……。皆、午前中いっぱい休んでいたはずだが、疲れ切った顔をしている。
気心の知れたメンバーでのアフタヌーンティーだったからだろう。マルクスはサンドイッチを食べながら、欠伸をしている。
もし私が本物の聖女だったら……。こんな時に聖なる力で、皆を回復させることができるのに。そう小さく呟き、ティーカップに触れると。
ぽわんと小さな光が、カップを包んだ。驚いて皆の方を見ると、ルイスが私をガン見している。
「ルイスさま、もしかして見えましたか?」
「ええ、見えました。失礼ですが、パトリシア様に、魔力はなかったはずでは?」
「そうなのです。でも今、もし私が本物の聖女だったら、お疲れの皆さんを回復できるのにと思い、ティーカップに触れたんです」
するとアルベルトが椅子から立ち、私の席にくると、その場に片膝を地面につき、跪いた。
「わたしに対し、ティーカップにしたのと同じように、していただけますか?」
「はい」と返事をして、両手でアルベルトの頭を包み込むようにする。そして……。
「疲れが回復しますように」
そう呟くと、両手で包み込んだ頭が、ぽわんと淡い光に包まれる。
光が消えてから手をはなすと、アルベルトの瞳が、驚きで大きく見開かれた。
「睡眠のリズムが崩れ、頭が重かったのですが……それがなくなり、とてもスッキリしました」
「ルイス、これはどういうことだ? パトリシアさまに何が起きた?」
マルクスの問いかけにルイスは首を傾げ、そして一つの推論を口にする。
「魔術師様の魔力を、パトリシア様は自身の体になじませていました。でもその魔力はすべて、『呪い』を解くのに使われていたはずです。でもパトリシア様の体には、すでに魔力の流れができあがっていたのでしょう」
ルイスは一口紅茶を飲み、話を続ける。
「魔力は体内を循環していると言われています。とはいえ目に見えるものではないので、推測の域をでません。でも魔力は血管を通っているのではないかと、考えられています。パトリシア様の体内では、一度魔力が流れ、魔力の循環が確立されました。そして一度はすべて失われた魔力が、体を休めることで回復し、再び血管の中を巡るようになり、魔法として発動できるようになったのではないでしょうか」
ルイスの推論を聞いたミゲルが、驚きながらもこんなことを言う。
「ルイスの言う通りであれば、パトリシア殿は、魔法を使える人間になったということですよね。これは……こんなことは、前代未聞。しかもその魔力は、魔術師レオナルド殿のものです。きっと覚えれば、幅広い魔法を使うことができそうですね」
これにはアルベルトもマルクスも、驚いて言葉が出ないようだ。
「自分の推論が正しいのか、違っているのか、それは王都で魔術師様に確認ですね」
そう言うとルイスは席を立ち、アルベルトがさっきしたように片膝を地面につき、その場に跪いた。
「パトリシア様、自分にもその魔法を使ってみていただけませんか?」
「もちろんです」
こうして私はルイスの疲れも無事に癒すことができ、「俺も!」「わたしもお願いしていいでしょうか」というマルクスとミゲルの疲れも回復させた。
「パトリシア、これは奇跡です。回復の魔法は、魔法の中でもかなり高度なものになります。わたしの魔力では扱えない魔法。それを使えるなんて……。驚きです」
アルベルトに最後にそう言われた私は。
あの魔法を試してみよう。
そう決意する。
そこまで強い魔力が自分の中にあるなら。
きっとできるはずだと。
◇
どうやら魔法が使えるらしいと分かった私が、まずしようとしたこと。
それは、スノーを人間の姿に変身させることだ。
だからアフタヌーンティーを終え、アルベルトと三騎士に部屋まで送ってもらうと。
ソファでおとなしくしているスノーに、声をかけた。
「スノー、話があるの。ちょっといいかしら?」
スノーはちゃんと私の言葉が分かるようで、すぐさまソファから降り、私の足元に駆け寄る。その体を持ち上げ、ぎゅっと抱きしめ、魔法が使えるようになったと報告する。するとスノーは、ミニブタとは思えない表情で、驚きを示す。
「それで、スノーを人間に変身させることができないか、試そうと思うの」
そう言った瞬間、スノーが激しく暴れ出した。
いつもおとなしく抱っこされているので、驚いてしまう。
「ちょ、どうしたの、スノー」
スノーは絨毯の上に降りると、そのままソファの下に隠れてしまう。
「え、もしかして人間になりたくないの?」
ソファの下をのぞきこみながら尋ねる。
するとスノーはぶんぶんと首を横に振る。
人間になりたくないわけではない。
それなのになぜ隠れたのか。
しばらく考え、再度、ソファの下をのぞく。
「もしかしてスノー、人間に変身させるための魔法って、難しいの?」
ものすごい勢いで、スノーが首を縦にふった。
なるほど。
駆け出しの私が使うような魔法ではないのか。
もし失敗すれば、スノーは中途半端な姿に変身してしまうのかもしれない。
「分かったわ、スノー。人間の姿には、王都に戻ってから、ちゃんとアズレークに……レオナルドに教えてもらう」
この言葉に安心したのか、スノーがソファの下から出てきた。そして私の膝に乗ろうとする。
その体を抱っこし、ソファに座る。
夕食までの時間は、明日の王都への出発に向け、荷造りする必要があった。スノーの分もあるから、相応に時間は必要だが……。
少しだけ、スノーとおしゃべりタイムをすることにした。
「ねえ、スノー、王都についたら、アズレークは……魔術師レオナルドは、私に会ってくれるかしら?」
スノーは「会ってくれますよ!」という感じで頷く。
「会ってくれたとして……魔法を教えてくれるかしら?」
「もちろん!」と言いたげに口を動かし、頷いてくれた。
この反応を見るにつけ、スノーは彼のことが大好きなのだと分かる。
「ねえ、スノー、アズレークは……レオナルドは、私のこと、好きだと思う?」
私と過ごすアズレークの姿を見ていたスノーの意見を、聞きたいと思った。するとスノーは、ピョンと私の膝から降りると、すたすたとテーブルの方へ歩いて行く。そしてテーブルの上をじっと見る。
テーブルには食べ物などなく、ただ花が飾られているだけだ。
「……まさか、この花を食べたいの?」
「とんでもない」とばかりにスノーが首を横に振る。
前足をあげ、懸命に何かをアピールしている。
再度、テーブルの上を眺め、首を傾げた私は、そこでようやく気づく。
花瓶に飾られているのは、赤とピンクのビオラの花だ。
ピンクのビオラは、アズレークが魔法で私の髪に飾ってくれた花。
――「『私のことを想って』『信頼』『少女の恋』ですよ、オリビアさま」
スノーの言葉を思い出す。
ピンクのビオラの花言葉を。
アズレークがもし『私のことを想って』と、ピンクのビオラを、あの時、髪に飾ってくれたのなら……。私が自分の番だと気づいていて、でも私の気持ちはアルベルトにあると思い、密やかに花言葉で自身の想いを伝えていたなら……。
あの時のアズレークの顔を思い出し、胸がキュンとした。
お読みいただき、ありがとうございます!
次回は本日12時に「あの件、分かったぞ」を公開します。



























































