70:朝食も一緒に
アズレークの手は、どう見てもひとりでは持ち上げることが無理なソファに向けられている。ドキドキしながらその姿を見守ると。アズレークが静かに告げる。
「風よ、運べ」
ゆっくり床から持ち上がったソファが、壁際へと移動していく。
「……すごいわ!」
「重量があると、集中力と魔力を相応に消費する。でも消費した分だけ、移動させることができるわけだ」
そこで言葉を切ると、アズレークは私をぎゅっと抱きしめる。
「大切なことは既成概念を捨てることだ。こんなもの、持ち上げるのは無理、とは思わないこと。風を信じる。そうすればどんなものでも、風の力で動かすことが可能だ」
その瞬間、「風よ、舞い上がれ」とアズレークが囁くと。
フワリと私の体が床から浮き上がる。
「え、え、え!」
不思議な感覚だった。
見えないし、触れることもない、でも何かの力が作用して、私の体は宙に浮いている。
「ブラックドラゴンだけが風を操る。だからなのかな。パトリシアが短時間で風の魔法を使えるようになったのも」
私の体は、両腕を広げるアズレークの胸の中へと静かに降ろされていく。
背中や太股にアズレークの腕が触れたと思った瞬間。
部屋が変っている。
いや、違う。
私の部屋へアズレークの魔法で移動していた。
そのままベッドに向かったアズレークは。
ベッドに私の体を静かに下ろす。
「風の魔法は最初見せたように、攻撃にも使えるが、物を運んだり、おろしたりと、役立つ使い方もできる。休みの日にゆっくり指導しよう。今日は自力でよく頑張った。相応に魔力を使っただろう」
優しく頭を撫でられ、胸がキュンとしてしまう。
「魔力を送るよ、パトリシア」
頷くと、頭を撫でていた手が顎に触れる。
少し口を開けると、アズレークの顔が近づく。
ゆっくり瞼を閉じた瞬間。
アズレークの唇が重なり、心臓がドクンと反応する。
口腔内に魔力の熱い塊が広がっていく。
それはゆっくりと喉の奥へと流れ込み――。
身体が内側からじわじわと熱くなっていく。
「!!」
逆鱗の反応はアズレークの魔法で抑えているはずなのに。
じんじんとおへその下が熱くなっている。
アズレークが魔法を解除した……?
そんなことはないはずだ。
逆鱗にアズレークは触れていない。
でも……。
熱い。
逆鱗も。逆鱗を起点に全身がたまらなく熱く感じる。
気づくとアズレークに全身を押しつけるようにして抱きついていた。アズレークが私の腕をゆっくりはずしながら、唇もはなした。その息遣いは荒く、その口から漏れる息も熱く、その熱を首筋で感知した瞬間、ゾクリとした感覚が背中を突き抜けて行く。
「パトリシア、落ち着いて」
アズレークが私の両腕をベッドに押さえつけるようにしている。そこでようやく気が付く。抱きついていただけではない。アズレークを全力で自分が求めていたことに。
急激に恥ずかしくなり、顔をアズレークからそむけるようにすると。
「……少し、魔力を送り過ぎたせいだろう。パトリシアは何も悪くないよ」
そう言いながら、アズレークは私が落ち着いたのを確認すると。
するりと腕を首の後ろに滑り込ませ、優しく私の体を抱き寄せた。
「優雅を気取るレオナルドの姿の時でも。パトリシアを抱きたいと思っている。狂おしい程、君のことを求めている。今ここで抱いてしまったら……。パトリシアのことしか考えられなくなる。そうなったら……許された1カ月の休暇を明日から行使してしまうだろう。進行中の案件をすべて放棄して」
自分からアズレークを求めるような行動をとってしまい、猛烈に恥ずかしくなっていたのに。今の言葉でその恥ずかしさがかなり和らいだ。
「……本当に。パトリシアが欲しくてたまらない」
耳元に響くアズレークのテノールの声が熱を帯びており、やはり逆鱗が熱く感じる。魔法で抑えきれない程に、私はアズレークを求めてしまっているのだろうか?
でも……。
私が求める以上に、アズレークもまた、私を求めている。その事実は嬉しくもあり、恥ずかしくもあり。早くアズレークと結ばれたいと思いながら、その胸に顔を寄せる。
「三人の補佐官に一通り仕事を教えたら。安心して休みを取れる。そうしたらまずは身内で式を挙げよう。盛大な式は後日挙げることにして」
「……はい」
返事をするとアズレークは黒い瞳を細め、笑顔になる。そしてぎゅっと私を抱きしめると、「明日は朝食も一緒にとろう」と告げた。同時に。明かりが消え、静寂が広がっていく。
今日は風もなく穏やかな夜だ。かすかに聞こえるのは虫の声。あとは正確に時を刻む時計の音が、離れた場所からわずかに聞こえてくる。
いつも全力投球で仕事に取り組んでいるアズレークは。やはりもう眠りに落ちている。規則正しい呼吸を感じていると、熱くなった逆鱗も徐々に落ち着いてきた。
今日は。
グロリアという女性としての魅力が詰まった補佐官に、必要のない嫉妬を覚えてしまった。それにいつも通りの魔力を送られただけなのに、逆鱗が反応していた。
今日の私はどうしてしまったのかしら? 月のものが近いわけでもないのに。
そんなことを思いながら、アズレークの寝息に導かれるように、私も眠りに落ちていった。
お読みいただき、ありがとうございます!
朝更新、間に合いました~。
更新優先なのであとがきは短く。



























































