60:静寂を破って……
朝食を終えると、マルクスを来客用のベッドルームに案内した。
義父のエリヒオは捜索に参加するため屋敷を出て行った。義母のロレナと私はスノーの部屋に向かい、冷たい手と足をさすり、湯たんぽのお湯を変え、その寝顔を見守っている。
ロレナは温室で摘んだ春の花であるクロッカスを、スノーの枕元のサイドテーブルに飾った。
クロッカスはバリエーションの多い花だ。
紫、白、黄色の単色のものに加え、白と紫のグラデーション、白に紫のストライプ、青紫に紫のストライプなど本当に種類が豊富。とても華やかで、目を覚ましたスノーがこれを見たら、大喜びしそうだ。
さらにロレナはスノーが最近読み始めた本の朗読を始めた。
ロレナが紡ぐ物語と置時計のカチ、カチ、カチという時を刻む音。時々爆ぜる暖炉の薪の音。窓の外から聞こえる鳥のさえずり。静けさの中で聞こえるいくつもの小さな音を聞きながら、ゆっくり時が流れていたが……。
「奥様、パトリシア様。ロレンソ先生と街の方々が訪ねてきました。カ、カロリーナ嬢を捕えたということです!」
メイドではなくバトラーが部屋にやってきて告げた。
「「えっ」」と驚き、ロレナと共に立ち上がる。
顔を見合わせ、バトラーに「マルクス様を起こしてください」とお願いした。
今、義父のエリヒオもレオナルドも屋敷にはいない。
頼れる男手はマルクスしかいないと思ったのだ。
同時に私はレオナルド……アズレーク宛にメッセージを書き、魔力を鳥の形に変え、窓から外へ放つ。その間にロレナはメイドにロレンソと街の人をひとまず小ホールへ案内するよう指示を出した。
マルクスはすぐに駆け付けてくれて、ロレナと三人、小ホールへ向かった。
驚いた。
そこには30人ほどの街の人がいる。ロレナの指示でスープとパンが配られ、皆、それを手に私達の到着を待っていた。
まずはロレンソにマルクスを紹介した。ロレンソの活躍を聞いていたマルクスだが、本人に会うのは今が初めてだったので、尊敬の眼差しでロレンソのことを見ている。ロレンソはロレンソで、街の人からマルクスのことは聞いていたのだろう。マルクスは庶民の出から王太子付きの三騎士まで昇りつめたのだ。ロレンソもまた尊敬の眼差しでマルクスのことを見ていたし、その場にいた街の人間も、マルクスの登場に大喜びしていた。
街の人からするとマルクスは希望であり、ヒーローだった。
「それでロレンソ先生、例の悪女は……?」
マルクスに尋ねられたロレンソは、近くにいた二人の男性に声をかける。
すると二人の男性に肩を押され、少年が前に出てきた。
カロリーナは、オレンジブラウンの髪にヘーゼル色の瞳、口元にほくろがあり、肌は白く、スタイルが良いのが特徴だったはずだが……。
髪の色はダークブラウンで短髪、瞳の色はヘーゼル。顔は煤まみれで、だぼだぼでボロボロの外套を着ている。頭にはハンチング帽を被っているが……。
え、まさか、変装しているの、少年に!?
「森の中に潜伏しているのを発見しました。魔術師レオナルド様にも連絡を入れたので、間もなく戻って来るでしょう。どうやら森の中で魔女にでもあったのでしょうか。声を封じられているようです。でも魔術師レオナルド様なら、簡単にその魔法も解けるでしょう」
そう言ってロレンソは私にウィンクする。
ロレンソは自身が魔法を使えることを街の人に公にしていない。だからこんな言い方をしたと思うのだが。間違いない。カロリーナが魔法を使えないよう、声を封じたのだ、ロレンソが。
「なるほど。女であるとバレないように、少年の姿に変装したのか。しかし、せっかくの美しい髪をバッサリ切って、白肌を煤まみれにするのとはな。そうまでしてパトリシアさまを『呪い』たかったのか」
マルクスが金色の瞳を細め、カロリーナのことを一瞥した。
こんなにマルクスが冷めた目でカロリーナを見るなんて。
その視線を向けられたカロリーナはいたたまれなくなったようで、視線を床に落とした。
「……というか……。この匂いはなんだ……?」
マルクスが独り言のように呟くと、街の人間が一斉にドッと笑った。
実は。
私もロレナもこの小ホールに入った瞬間から。
ずっと気になっていたのだ。
でも街の人々はその匂いに慣れているのか、気にすることなく用意されたスープとパンを食べている。だから聞きづらかったのだが。
マルクスが聞いてくれた。
「どうやら逃亡の際、獣の糞を踏み、そこに転んだようですね」
ロレンソが苦笑すると、カロリーナは完全に俯いた。
マルクスは「げっ」と絶句している。
私は……率直に可哀そうになっていた。
元は公爵家の令嬢なのだ。
獣の糞を踏むなんて初めてのことだろうし、しかも転んだなんて……。
でもここで同情を示すと、カロリーナはムキになるはずだ。
「お義母様。さすがにこの状態でスノーの『呪い』を解くのは……」
この姿と匂いでスノーの部屋に連れて行くのはどうなのか、という言い方にしてみた。対してロレナは即答する。
「入浴させ、身支度を整えてもらいましょう」
こうしてカロリーナのことは、入浴をして着替えをさせることになった。
私は見張りも兼ね、メイドと共にカロリーナに付き添うことにする。
スープとパンを食べ終えた街の人達は、それぞれ家に帰ることになり、ロレナは土産に焼き菓子をもたせた。ロレンソは街の人を見送り、その後はマルクスと共に、カロリーナの逃走に備え、見張りについてくれることになった。
ロレンソは廊下に、マルクスはバスルームにつながる寝室で、私と待機。ロレナはスノーのそばについてくれた。
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次回は明日、朝(8時前後)『未来の分かれ目』を更新します。
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