4:すべて計算済み
絶対に忘れることができないキスをできた。
だから「自制できなかった」と謝罪をするアズレークに「問題はない」と答えたかったのだが。何せとんでもない感覚が体内を巡ったので、力も入らなければ声も出ない。
ただただ、アズレークに抱きしめられるままになっていた。
アズレークの胸の中に包まれていると。
守られるような気持ちになり、安心できる。
そして逆鱗がアズレークの存在を感じているからか。
この胸の中を懐かしく感じてしまう。
「パトリシア。ドルレアン一族の一件はもう落ち着く。あと数日もすれば、通常の仕事量に収まる。……仕事中毒と言われているが、それは少し押さえよう。パトリシアやスノーと過ごす時間も大切にしたいから」
まだ声は出ない。
でも力は少し入る。
ゆっくりと顔を上げ、アズレークを見上げると。
「この一ヶ月間、寂しい思いをさせてしまった。でもこれからは朝と夜の食事は共にできる。休日はちゃんと休む。もう寂しい思いはさせないから」
アズレークの両手が私の頬を包み込んだ。
優しさを帯びた黒い瞳が慈しむように私を見つめている。
「……アズレーク」
囁くようにその名を呼ぶと、彼の唇が再び、私の唇に重なった。
◇
「あっ! 来た! アズレークさま、パトリシアさま!」
ベンチに座っていたスノーが立ち上がり、そばにいた鳩が一斉に飛び立った。警備の騎士がチラリとこちらを見て、敬礼している。
結局。
あの後、三回キスをして。
その後は逆鱗にアズレークが魔法をかけ直したことで、ようやく体の反応も収まった。そしてアズレークは魔術師レオナルドの姿に戻り、魔法を使いあっという間に庭園へ私と二人、移動していた。
確認したところ、アズレークの執務室から庭園まで、大人が徒歩で15分ぐらいかかるという。スノーの足では20分以上かかったはずなので、執務室でついアズレークと熱い時間を過ごしてしまったが。スノーを待たせることにならずに済んだ。その事実を知り、一安心する。
きっとアズレークはすべて計算済みだったと思う。
「おー、本当にいた、いた! パトリシアさま、スノー! 魔術師さま!」
元気に手を振るのは、いつもの軍服姿のマルクスだ。
「あー、マルクス兄~!」
スノーがご機嫌でマルクスへと駆けて行く。
「元気にしていたか、スノー!」
マルクスはスノーを抱き上げ、まるで子供にするような高い、高いをしている。スノーはキャッキャッと喜んでいた。
「昼休憩ですか、マルクス」
アズレークが……魔術師レオナルドが優雅に尋ねる。
さっきまでの情熱的なアズレークとは別人過ぎて、思わずその姿を穴があくほど見つめてしまう。
「そう。アルベルト王太子は大臣達と会食している。ミゲルは同席して飯を食っているが、ルイスは部屋の外で護衛。俺は普通に休憩をとって良し。今回、貧乏くじを引いたのは間違いなくルイスだな」
マルクスはスノーを降ろし、ニカッと笑う。
いつ会ってもマルクスはこの調子で明るく元気だ。
深夜にしか屋敷に戻って来られないアズレークの代わりに、マルクスは何度か屋敷を訪ねてくれた。そしてアズレークの様子を教えてくれたり、スノーにお菓子をプレゼントしてくれたりした。だからスノーとマルクスは兄と妹みたいに仲がいい。
「それでマルクスはもうお昼を召し上がったのですか?」
私が尋ねるとマルクスは大きく首を振る。
「宮殿内を巡回警備している騎士から聞いたんだよ。魔術師さまの婚約者が可愛らしい従者を連れてやってきているって。だからまずは二人に会おうと思った。で、昼飯にでも誘おうと思ったのだが」
マルクスがベンチに置かれた大きな籠に目をやる。
贅沢にトリュフ入りのオムレツをサンドしたサンドイッチもあった。いい香りが今も漂っている。
「もしや三人でここでお昼か?」
「ええ。そうなの、マルクス。私とスノーで、三人では食べきれない程のお昼を用意してしまったの。良かったら一緒にマルクスも食べない?」
私の言葉を聞いた瞬間。
マルクスの顔がキラーンと輝く。
「いいのか、俺も? お昼を用意したって、まさかパトリシアさまとスノーの手作り……?」
「そうだよー、マルクス兄! スノーはね、パンにマスタードをたっぷり塗ったんだよー」
「本当に手作りなのか。すごいな。パトリシアさまの手料理を食べたと知ったら、アルベルト王太子もミゲルもルイスも悔しがるだろうな」
「そんな。手料理と呼べるようなものではないですから。これからも邪魔にならなければ、お昼を届けたいと思っているので」
私はそこでチラッとレオナルドを見る。
一応、こんな風に執務室にお昼を届けることが、迷惑ではないか確認の意味を込めて見たのだが。さすが勘のいいレオナルド。すぐに理解し、問題ない、の合図で頷いてくれる。
「今後もお昼を届けるつもりだから、今日、食べることができなくても、またスノーと私の用意をしたお昼を食べられるチャンスはあると思うわ、ミゲルやルイスも」
さすがに。
さすがに王太子であるアルベルトは食べないだろうと思い、敢えてその名を言わなかったのだが……。
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