その1
浅井悠一は、今年で二十五になる自称詐欺師である。副業、ということにしてあるスーパーのアルバイトのために、いつもより少し早めの七時に起床した彼だったが、今まさに、どうしようのない不可解な現象に襲われていた。
窓も扉も締め切った、たった六畳しかない部屋の中で嵐のような旋風が巻き起こり、眼を焼く程の閃光が迸っているのだ。床に放置していた滞納している家賃やキャッシュカードの催促状、昨日の夜に食べたカップ麺、ティッシュ、チラシ、あらゆるゴミが宙を舞い、悠一の身体を軽く何度も打ち付けた。
目を覚ましたばかりで無防備だった彼は、唐突に起きたその理不尽な現象に身を竦めることしか出来ないわけであったが、みょんみょん、いや、ひょわひょわ……とにかく言葉では表現不足な聞いたことのない音に、ぎゅっと固く瞑っていた両の目を開けた。
頭部だけの女性が悠一を冷たく見下ろしている。
絶叫した悠一は全力で後退するが、すぐ後ろには壁であるので、距離を置くことはまるでなかった。腰が抜けて立ち上がることもままならず、鯉のように口をぱくぱくと繰り返している。
そうしているうちに、女性の身体が首から肩に掛けてじりじりと構成されているということがわかった。まるで、目に見えない巨大なプリンターがそこにあって、彼女を空間に直接描いているように見えた。
新たにわかったことが一つ、彼女はまだ女子高生のようだった。凛とした端整な顔付きだったので、黒のセーラー服を着ていることがわかるまでは成人女性に見えるほどだった。
一分足らずでつま先まで彼女という存在は完璧に仕上がったわけであるが、同時に突風と閃光も治まり、部屋は妙なまでに静寂になる。ひらひらと、最後に落ちたレシートが悠一の頭に乗っかった。遠くから消防車のサイレンが聞こえてくるまで、お互い微動だにしなかった。
あの、と悠一は声を掛けた。それはいいのであるが、それ以上は言葉が続かなかった。あまりにも現実離れしたことが起きたので、何をどこから聞けばいいのか混乱していたのである。
と、悠一がもごもごとしている間に、彼女が一歩前に出た。悠一の頭を叩くような早さで乱暴にレシートを鷲掴みにし、それを口に持って行って咀嚼し始めたのである。
悠一は頭頂の髪が数本抜ける痛みを覚えたが、それに驚くよりも彼女の行動に目を白黒とさせ、ただ彼女の行動を見ていることしかできなかった。
味が気に入らなかったのだろうか、彼女はぷっと吐き捨てる。唾液まみれのレシートだったものは悠一の膝の横、布団の上にべちゃりとへばり付いた。指先で慎重に拾った悠一は、遠くにある旋風で無残に転がったゴミ箱の方へと投げた。
私はお前たちで言うところの高次元に存在するものである、と彼女は言った。
声変わり最中の少年のような声だった。言っていることが分からなかったが、悠一は無難に簡単な自己紹介をした。が、彼女は悠一を無視しているかのように返事もせず、ただ部屋の中を簡単に見まわしている。
それから彼女は、一方的に淡々と、悠一が聞きなれない小難しい単語を並べて、ここに来た経緯のようなものを語り始めた。それは十五分に渡る長い話であり、何一つとして理解できるものはなかったが、悠一は眠るまいと懸命に彼女の話に耳を傾けた。
さっぱりわからないことでもわかった風な神妙な顔で適度な相槌を打つ。悠一の最も得意とする詐欺師としての能力である。そして、それを存分に発揮させたのは彼女の容姿と声色によるところが大きかった。
内容を理解できたところを搔い摘むと、彼女はエヅナという名前らしい。エズナではなくエヅナだと無駄に念を押された。これでも妥協したイントネーションとのことである。彼女は、人間が住んでいるより一つ上の次元、つまり四次元から色々あってやってきたらしい。そしてその際、丁度良い位置、ここより二つ隣の部屋で藤森玲子という女子高生が首吊り自殺をしたばかりで、その場しのぎに乗り移るにはうってつけだったということだった。藤森玲子の亡骸がなければエヅナという存在は、二次元、一次元へと縮小されていき、そのまま消滅してしまっていたらしい。ともかく、運良く三次元で存在を確定出来た彼女はもとの高次元に帰るためテレポーテーションを試みたようであるが、縦ではなく文字通り二つ隣の横移動しかできなかったということだった。
元々散らかった部屋ではあったが、より凄惨なことになってしまったのも彼女の意図があってではないことがわかったわけである。
それで、どうしろと? 悠一は訊ねたくなったが、それよりも先に彼女は受け身も取らず後ろに倒れた。悠一は這い蹲って彼女に寄って身体を揺すったが、反応はなかった。目を閉じて息をしている様子から眠ったのだろうという推測が出来たが、同時に今すぐにバイトに出勤しなければならない時間だということに気が付いて、彼は悩むのも面倒臭くなり、適当に彼女に掛け布団を投げるようにしてかけてアパートを飛び出して行ったのだった。




