揺蕩う
一週間が経った。
海に置いてきたはずの感情は、
少なくとも表面上は静まり、
私を落ち着いた日常へと戻してくれていた。
時刻は午後一時。
オンラインでの新規案件の打ち合わせを終え、ひとつ息をつく。
あとは納期の迫った案件に最終校正を入れるだけだ。
「それが終わったら、お昼にしよう」
画面とのにらめっこに疲れた目を、何度か瞬かせて叱咤する。
すると、
「グゥ〜」
と、今度は身体が空腹を訴えてきた。
「どうしようかな……」
そのとき、不意に懐かしい声が耳の奥によみがえる。
『空腹じゃ頭回んねーぞ。食う時は食う! 休む時は休む! 働く時は働く! やりすぎ厳禁!』
心地よい声に、思わず口元が緩んだ。
「……ご飯食べてからにしよーっと」
パソコンを閉じ、仕事部屋を出る。
あの凪いだ青に感情を置いてきてから、
拓未を思い出しても、以前ほど深く沈まなくなった。
ちゃんと、過去にできている。
そう思いたかった。
リビングへ入り、そのまま窓を大きく開ける。
夏の終わり。
秋の入り口を告げるには、まだ少し温かい風が、
薄緑のレースカーテンを軽やかに踊らせた。
風に包まれながらキッチンへ向かう。
昼食は昨夜の残り物でいい。
筑前煮に冷凍ご飯。
オクラの胡麻和えに、インスタントの味噌汁。
電子レンジに頑張ってもらっていると、
通知を知らせる光が画面に灯った。
「……結?」
メッセージアプリに届いた、田中結からのメッセージ。
眉をひそめたまま、それを開く。
『結婚式に絶対来てほしい。待ってる。』
無言でスマートフォンを伏せ、キッチンカウンターへ置いた。
「意味わかんない」
やっと落ち着いたのに。
何。
なんで。
どうして。
何がしたいの。
「ダメ。冷静に。落ち着こう」
そのタイミングで、電子レンジが食事の準備完了を知らせた。
今は、ご飯と仕事だけ。
そうやって頭の隅へ追いやったまま、どれくらい経っただろう。
ここ最近は仕事用のスマートフォンばかり使っていて、
プライベート用の存在をすっかり忘れていた。
うんともすんとも言わないそれは、
キッチンカウンターの上で、
あの日のまま沈黙していた。
電源ボタンを軽く押す。
「あちゃ。充電ないや」
数日も放置していたせいで、
本当にぴくりとも動かない。
スマートフォンにも「ご飯」を食べてもらいながら、
私も遅めの昼食を口へ運ぶ。
まだ残っている仕事を片づけるためにも、
まずは腹ごしらえだ。
箸を動かしながら、再び起動したスマートフォンを開く。
しばらくすると、
ここ数日のあいだに届いていたメッセージで、
通知欄はあっという間に埋め尽くされた。
《大丈夫?》
《いつ別れたの?》
《何があったの?》
かつての学友たちから届いたのは、
私を気遣う言葉と、隠しきれない好奇心。
返事をする気にはなれなかった。
意味のない《OK》と、
腕で丸を作るウサギ、
親指を立ててウィンクするクマのスタンプで流していく。
上から順に処理していくうちに、
少し古い通知に指が止まった。
《待ってる。》
その一言を見た瞬間、
ふと、取引先の中に
結の父親が経営する会社があったことを思い出す。
「……そういうことね」
新郎新婦の友人であり、
新婦の父は大切なクライアントでもある。
最初から、
《出席》するしかない運命だったのだ。
【わかった】
たった一言、そう返信した。




