表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/22

第6話 見送られる朝

 朝の空気は、少しだけ冷たかった。


 エリオは、家の前に立ち、深く息を吸う。

 いつもと同じ朝。

 なのに、胸の奥が落ち着かなかった。


 戸の向こうから、母の声がする。


「エリオ。朝ごはん、できてるわよ」


「……うん」


 返事をして、家に入る。


 食卓には、いつものスープとパン。

 特別な料理じゃない。

 それが、かえって胸に染みた。


 父は、すでに席についていた。


「よく眠れたか」


「……まあまあ」


 エリオは椅子に座り、スープを口に運ぶ。

 温かい。


 しばらく、三人とも黙っていた。

 気まずい沈黙ではない。

 ただ、言葉を選んでいる時間だった。


 やがて、父が口を開く。


「行くんだな」


 エリオは、頷いた。


「ああ」


 それだけで、十分だった。


 父は、少し考えるように目を伏せ、それから言った。


「行ってこい」


 短く、はっきりと。


「帰る場所は、残しておく」


 エリオは、思わず顔を上げる。


「……いいの?」


「当たり前だ」


 父は、いつも通りの調子で言った。


「村を出ることと、村を捨てることは違う」


 母が、くすっと笑う。


「そうよ。帰ってきたら、またパン焼かなきゃ」


「……ありがとう」


 それ以上、言葉は出なかった。


 朝食が終わると、母が小さな包みを差し出した。


「これ」


「なに?」


「着替えと、少しのお金。それから……」


 包みの中には、古い布の袋が入っていた。

 エリオが子どもの頃から使っていた、小さな袋だ。


「お守り代わりよ」


「……懐かしいな」


「でしょう?」


 母は、少し照れたように笑った。


 家を出ると、村の道はすでに動き始めていた。

 畑へ向かう人。

 水を汲む人。

 いつもと変わらない光景。


 エリオは、何人かに声をかけた。


「行ってきます」


「おう。気をつけてな」


「風邪ひくなよ」


 冷たい言葉はなかった。

 引き止める声もない。


 ただ、それぞれが、それぞれのやり方で手を振ってくれた。


 村の外れに、銅像がある。


 竜と、その傍らに立つ守り人の像。


 小さい頃、エリオとリーナは、この像の前で誓った。


――一緒に、村を守ろう。

――竜に選ばれて、守り人になろう。


 エリオは、像の前のベンチに腰を下ろす。


 風が、静かに吹き抜けた。


「……結局、約束は守れなかったな」


 誰に向けた言葉でもない。


 それでも、不思議と後悔だけではなかった。


 ここまで悩んで、考えて、選んだ。

 それは、確かだ。


 風が心地よく、まぶたが重くなる。


 ――少しだけ。


 そう思った瞬間、意識が沈んだ。



 夢の中。


 白でも黒でもない場所に、声が響く。


「……本当に、それでいいのか」


 エリオは、周囲を見回す。


「またお前か」


 返事はない。


 ただ、静かな気配だけがある。


「俺は――」


 言いかけて、言葉が止まる。


 本当に、やり残したことはないのか。


 胸の奥に、何かが引っかかった。


「……」


 声は、それ以上、何も言わなかった。


 エリオが目を開けると、空は少し傾いていた。


 ベンチから立ち上がり、銅像を見る。


 その横顔が、少しだけ遠く感じた。


「……まだ、だな」


 エリオは、ゆっくりと歩き出す。


 風が、背中を押すように吹いた。


その風の中に、

言葉にならない“何か”が混じっている気がして――


エリオは、気づけば歩き出していた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ