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第61話 共鳴

 蛇が天地を揺るがす咆哮を上げた。


 その声は。


 怒りではない。


 助けを求める悲鳴だった。


 黒い筋が脈打つ。


 ドクン。


 ドクン。


 巨大な身体が苦しそうに震える。


 次の瞬間。


 蛇が消えた。


「っ!」


 エリオは反射的に身体を沈める。


 頭上を巨大な尾が薙ぎ払った。


 ゴォォォッ!!


 空気が裂ける。


 岩柱が何本も砕け散った。


「右。」


 ルミスの声。


 考えるより先に身体が動く。


 一歩。


 踏み込む。


 巨大な牙が鼻先をかすめた。


「前。」


 さらに一歩。


 蛇の懐へ潜り込む。


 エリオは目を見開いた。


(見える……)


 違う。


 見えているんじゃない。


 聞こえている。


 筋肉が動く音。


 骨が軋む音。


 空気を裂く音。


 全部。


 攻撃になる前に聞こえる。


 だから避けられる。


 ベルクが息を呑んだ。


「全部……読んでる。」


 ルルカも信じられないように呟く。


「さっきまで押されていたのに……」


 エリオは蛇の攻撃を紙一重でかわし続ける。


 速くなった訳じゃない。


 蛇と同じ呼吸で動いているだけだった。


 ルミスが静かに言う。


「そうだ。」


「合わせろ。」


「斬るためじゃない。」


「聞くためだ。」


 エリオは小さく頷く。


「ああ。」


 もう迷わなかった。


 ベルクが刹那丸を構える。


「今なら行ける!」


 飛び出そうとした。


 だが。


 蛇の尾が迷宮の壁を叩く。


 ドォォン!!


 砕けた石が宙を舞う。


 その破片が青白い水路へ触れた瞬間。


 壁そのものが形を変えた。


 ゴゴゴゴ……


 石柱がせり上がる。


 床が折れ曲がる。


 水路が蛇のように絡み合う。


「なっ……!」


 ベルクの目の前へ巨大な壁が現れた。


 ルルカも足を止める。


「迷宮が……!」


 通路が閉じる。


 開く。


 また閉じる。


 まるで意思を持っているようだった。


 サフィラが円月輪を放つ。


 しかし。


 円月輪は突然現れた石壁へ弾かれる。


「近付けない……!」


 ベルクが歯を食いしばる。


「俺たちだけ隔てられてる!」


 ルミスが蛇を見据えたまま呟く。


「番人がお前を見ている。」


 エリオは答えない。


 蛇もまた。


 自分だけを見ていた。


 蒼い瞳と。


 エリオの視線が交わる。


 敵意はない。


 そこにあるのは。


 苦しみだけだった。


 その時。


「……っ」


 小さな声が後ろから聞こえた。


「……っ」


 小さな呻き声だった。


 ルルカが振り返る。


「リュカ!?」


 リュカが胸を押さえ、その場へ膝をついていた。


 額には脂汗が浮かぶ。


 息が浅い。


 ベルクが叫ぶ。


「どうした!」


 リュカは苦しそうに首を振った。


「……分からない」


 短く息を吸う。


「でも……」


「嫌な音がする」


 エリオは蛇を見た。


 蒼い瞳。


 その奥が。


 一瞬だけ、黒く濁った。


「……っ?」


 エリオの胸がざわつく。


 ルルカが息を呑む。


「エリオ!」


「あれは……厄災よ!」


 ベルクが振り返る。


「何だと!?」


 蛇の蒼い瞳が、


 ゆっくりと黒く染まる。


 首が震える。


 戻る。


 また黒く染まる。


 番人は苦しむように首を震わせる。


 蒼と黒。


 二つの意思が。


 一つの身体を奪い合っているようだった。


 次の瞬間。


 ドクン!!


 蛇の身体を走る黒い筋が、大きく脈打った。


 青白い水路を侵すように、黒が一気に広がる。


「グアアアアアアッ!!」


 番人が絶叫する。


 ルルカが叫ぶ。


「間違いない!」


「あの黒い筋……厄災よ!」


 一拍。


「エリオ!」


「あそこだけを狙って!」


 その時。


 蛇の蒼い瞳が、ゆっくりと動いた。


 視線の先は。


 エリオではない。


 リュカだった。


 巨体が向きを変える。


 苦しそうに身体を引きずりながら。


 一直線に。


 リュカへ迫る。


「リュカ!」


 ベルクが飛び出した。


 刹那丸を振り抜く。


 ガギィィン!!


 火花が散る。


 牙の軌道が。


 ほんのわずかに逸れる。


「ぐっ……!」


 次の瞬間。


 衝撃ごと吹き飛ばされた。


 その先には。


 もうリュカしかいない。


「しまっ――」


 ルルカが杖を掲げた。


聖結界アイギス!!」


 幾重もの光の膜がリュカを包む。


 ドォォォン!!


 蛇の牙が結界へ突き刺さる。


 結界が軋む。


 砕ける。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 ルルカの膝が崩れる。


「まだ……!」


 最後の一枚だけが、

 かろうじて蛇を止めた。


 ルルカの額を汗が伝う。


「もって……!」


 サフィラが咄嗟に円月輪を投げる。


 甲高い音。


 蛇の牙がわずかに逸れる。


 リュカは尻もちをついたまま息を呑んだ。


「リュカ!」


 エリオも駆け出そうとする。


「見るな。」


 ルミスだった。


 エリオの足が止まる。


「でも!」


「両方救いたいなら。」


 ルミスは蛇を見据えたまま言う。


「まず、番人を救え。」


「……!」


「番人が解放されれば、

 あの牙も止まる。」


 エリオは唇を噛む。


 助けたい。


 リュカも。


 蛇も。


 だから。


 逃げない。


 蒼刃を握り直した。


 その時。


 蛇の腹の奥から。


「うまっ。」


「苦っ。」


「……なんか増えた!」


 もぐ。


 もぐもぐ。


「食べきれないよぉーー!!」


 そのたびに。


 蛇が苦しそうに身を震わせる。


 ドクン。


 黒い筋が脈打つ。


 エリオは深く息を吸った。


 ドクン。


 蒼刃。


 ドクン。


 迷宮。


 ドクン。


 番人。


 鼓動を重ねる。


 ルミスが小さく頷く。


「今だ。」


 エリオは地を蹴る。


 番人も動く。


 大地を砕きながら。


 巨大な牙が迫る。


 白い蒼刃。


 黒い侵食。


 二つが一直線に近付く。


 あと一歩。


 蒼い瞳が揺れた。


 その牙は。


 最後までエリオを噛まなかった。


 エリオは振り抜く。


 白い光が。


 黒い侵食へ吸い込まれた。

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