人生ここからリスタート
メガエリス前伯爵に抱えられたまま廊下を進み、室内に入ったようで肌に感じる空気が変わったのがわかった。
食事の配膳の準備をしているのだろう。料理やアルコールなど飲み物の匂いがする。食堂のようだ。
「あれっ、オネスト君どうしたの!? 父様に抱っこされてる!」
ルシウスの声だ。まだ変声期前の高めの声。
「ルシウス、オネスト君は魔法樹脂で目にカバーを付けたのだよ。少しずつ視界に慣れてもらおうと思ってな」
「そうなのー?」
ゆっくりと身体を下ろされ、優しく体勢を支えられた。
目を覆う手拭いの結び目が解かれる。
(ルシウス様、ルシウス様をはっきり見られるんだ!)
「さあ、オネスト君や。目を開けてごらん」
「は、は……い………………?」
手拭いを取られた目が最初に見たものは。
「……あれ?」
なにこれ? 丸い目は金色。大きな口の中には鋭く尖ったたくさんの歯。
黒い頭は……魚!?
「あれ。オネストくん? 驚かせ過ぎちゃったかな」
「いや、あれは大の大人でも泣くだろ……」
固まってしまったオネストにルシウスが首を傾げ、ボナンザは呆れている。
手拭いを取ったオネストの視界に現れたのは、晩餐の準備の整った食堂の入口付近に立てられた魔法樹脂の柱だった。
ただの柱ではない。中には巨大な魚類モンスターが封入されていた。
オネストの目の前にいたのは鮭の魔物、デビルズサーモンだ。
今にも動き出しそうな躍動感だった。実際、生きたまま封印されているので、魔法を解けばこの魔物たちはその場で暴れ出すに違いない。
「オネスト君? オネストくーん?」
「あちゃあ。立ったまま気絶してるわ」
オネストが意識を取り戻したのは、それから間もなくのことだった。
「あっ、目を覚ましたね、オネスト君!」
「ルシウスさま……?」
まだ魔法樹脂のコンタクトレンズを装着したままのオネストの視界に、キラキラした光が飛び込んできた。
かすかに緑がかったティールカラーみのある薄水色。ルシウスの虹彩の色である。
次にオネストの目が認識したのは、透明感のある青みを帯びた銀色――ルシウスの頭髪だ。
そうして次々と、白い肌や丸みを帯びた柔らかそうな頬やその輪郭、鼻や口といった凹凸、小柄な体格のわりにしっかりした首や、略礼装の白い装束などが視界に入ってくる。
自分は横に寝かされている。ここはソファだろうか? 頭の下に柔らかいような、それでいてしっかり弾力のある枕のようなものが……
(あれ。これ、もしかして膝枕……?)
そうか、気を失ってしまった自分に膝枕をして休ませてくれていたのだ。
場所は食堂内の壁際にあるソファのようだ。
「オネスト君、ごめーん。気絶するほど驚かせるとは思わなくて……」
申し訳なさそうに眉尻を下げるルシウスは、あの魔法樹脂の中のお魚さんモンスターが、彼が学園の高等部に進学する前に他国の冒険者ギルドで捕獲したものだと教えてくれた。
「まったく。友人に何て嫌がらせをするんだ、お前は!」
「だってえ。友達に自慢したかったんだもんー」
呆れたようなお叱りの声はルシウスの兄カイル伯爵だろう。
「オネスト君、大丈夫か? すぐ動かないほうがいいぞ、もうちょっとそのまま休んでな」
「ぶー!」
こちらはボナンザの声だ。彼は見た目は大柄だが、なかなか爽やかな好青年の声をしている。
ぶー、ぶー、とご機嫌な声ではしゃいでいるのはルシウスの甥っ子ヨシュアだろう。どうやらボナンザに抱っこされているようだ。
だが周りから声をかけられても、オネストの視線は目の前にあるルシウスに釘付けだった。
「ルシウス様、そういうお顔をされてたんですね」
「ん? そうだよ? なかなかイケメンでしょ」
(父から『リースト伯爵家の男子の麗しさ』は聞いていた。なるほど、この顔が麗しの美貌)
「……目のレンズがあると、ルシウス様の魔力が見えません」
「えっ?」
ルシウスの膝に頭を乗せたまま、オネストは一度目を瞑って手のひらで覆い、魔法樹脂のレンズを解除した。
再び目を開けると、今度は今までのようにルシウスがネオンブルーに光る〝いつもの姿〟にちゃんと見えた。
「もう一度、精密検査をやり直したほうがいいな。その感じだと、視力低下ではなく、単に眼球のピント合わせ対象が魔力だっただけのようだ」
「あらー。でもそれだと、普通に人や物を魔力と一緒には見れないってことかしら?」
カイル伯爵とブリジット夫人が何やら話している。
そういうことか、とオネストは納得した。
「ルシウス様、お膝ありがとうございました」
身を起こしてソファから立ち上がった。
裸眼だと、今まで通り視界はボヤけている。人を見ても輪郭だけ。そのまま見続けていると相手の魔力が色と光の強さで見えてくる。
メガエリス前伯爵は紫がかった青色。
カイル伯爵は原色に近い青だ。
ブリジット夫人はほんのり青みがかった白色。夫のカイル伯爵に染まった形なのだろう。
特筆すべきは夫妻の息子ヨシュアだ。まだ幼い幼児だが、瑠璃色とも群青色ともつかない濃い色と、強い光を持っている。
そのヨシュアを抱っこするボナンザは、本人の肌は薄いピンク色だが、魔力はほんのり黄色みがかった乳白色をしている。
まさに夜空に浮かぶ月の如しだ。優しい色なのに鋭さを包含している。
そしてルシウスは。
ネオンカラー、輝きのある青色の魔力の結晶だった。
(やっぱり凄い。こんなに美しく輝く人をぼくは見たことがない)
再び手のひらで目元を覆い、レンズを装着した。
すると鮮やかな魔力は見えなくなり、普通に衣服を身につけた人の姿になった。
この日、文字通りオネストの世界は変わった。生まれ直したと言っても過言ではない。
以降、オネストはルシウスのファンクラブ会長であると同時に、グロリオーサ侯爵家の男として『やっぱり親リースト伯爵家派』として知られるようになるのである。