3、砂時計の塔
3、砂時計の塔
夜が明け未知がテントの外に出ると、夜明けというほんのひと時にだけ優しさを垣間見せる太陽が、一人の人物の影を生まれたばかりの生命のように描き出していた。
それは昨夜の砂漠の民だった。満天の星々を指揮した魔法はその指からもはや消え去っているように見えたが、彼はやはり指が会話の道具だというように、太陽が昇ってくる方向を指し示した。
よく見ると、ターバンで蔽われた顔の中で、口が独立した生き物のように動いていた。そこから聞こえてくる音声を未知はかろうじて判別することができた。
「クロノス! クロノス!」
それは夢の中で聞いた星々のざわめきと符合した。未知は自分の時間の神クロノスを追う漠然とした捜索の旅が、はっきりした方向性を与えられたと確信した。砂漠の民が指さした方向へ進んでいけば、クロノスを捉えることができるのだ。
乾いた砂一面の世界、そこに潤いを与えるのは、夢幻かもしれない。夜ごとの夢が、ロマンや情熱の源流となって乾ききった砂漠に潤いをもたらす。
夢は砂漠に必要なのだ。たとえ幻でも、蜃気楼を追い求めることが枯渇に冒されていく世界から心を救える。
砂をかむようなという表現もある無味乾燥な砂。それは時間に翻弄され、意思も持たず流動し、時間そのものの表徴にすらなって砂漠の莫大な空虚に敷き詰められる。生命から脱落する物を餌食にしながら。
そんな気力をそぐ砂の堆積の中、東という方角を得たことで、未知は自身を砂地獄から奮い立たせることができた。
砂漠のバスと綽名されるラクダは、コブの中に水に相当する脂肪を蓄えてエネルギーに変えるので、何日も水なしで生きられる。まさに環境に適合した生き物だ。そのラクダに身を任せ、未知は東へと向かっていく。
「黄金の指先は指し示す 東へ 東へ
そこは黎明の王朝 朝陽の国
無垢の光が戯れ
永遠の美と若さが咲き誇る
希望と微笑のたわわになる国」
果たして朝陽の国やルシアンも、クロノスの放つ冷徹な矢によってはかなく消滅するものなのだろうか。
突然雲がもくもくと湧き上がって、瞬く間に空を覆いつくすかと思えた。それは巨大な砂嵐だった。地表にかぶせられた砂と、略奪の賊の襲撃のように襲ってきた砂嵐の砂との激突。渦巻き、荒れ狂い、貪欲にすべてを飲みつくす砂。
あたりは砂の攻撃によって、時間も空間も無に帰したかのようだった。未知の意識も視界も空白になり、夢の世界に迷い込んだかと一瞬思った。
眠りと覚醒が砂嵐の中で交錯し、夢と現が目まぐるしく錯綜した。
砂から守るために目を閉ざしていたが、静寂を思わせるひんやりした空気が頬に触れ、恐る恐る目を開けると、風景が一変していた。一面に砂漠は依然として広がっていたが、ラクダは影も形もなく、新たに展開した視界の果てに塔のようなものがそびえているのが確認できた。近づくにつれ、それが法外な大きさを持つ砂時計の塔だとわかった。
それは天を突くようにそびえたち、頂が雲に達するかと思われた。こんなに大きな砂時計は見たことがないと、未知はそのスケールに気圧されて呟いた。
その形は明らかに砂時計であり、それを証明するように中央のガラスの管には滝のように砂が絶えず流れ落ちていた。通常の砂時計は3分で砂が落ちつくすが、その塔の砂時計は尽きることなく、永遠の時間を計るように流れ続けていた。実際、永遠の時間というものを想定しなくては、その膨大な砂が無尽蔵に流れていることを納得できなかった。
中央の砂が流れ落ちる管を取り巻くように、塔の中には螺旋階段が上に向かって続いていた。それを登っていけば何かクロノスに関する手掛かりが得られるかもしれないと考え、未知は塔の中に入っていった。
これだけの規模だと滝の爆音のような音をたてそうなものだが、管を流れ落ちる砂は、時間に音はないという法則にしたがい、やはり音を立てていなかった。
塔の中はガランとして、大きな建物の空洞によくあるそそり立つような静寂に満ちていた。らせん階段はどこまでも続き、疲労と軽いめまいを覚えたころ、ようやくフロアに出た。そこは外を見下ろすことのできる展望台だった。胸元くらいの高さの障壁から下を見ると、砂漠は遥か眼下にもう記憶の奥に飲み込まれていったようにかすんで見えた。
塔を登った分だけ、下界から距離だけでなく時間の上でも遠ざかったように思えた。かすんでいるのは砂漠だけでなく、景色も靄がかかったように見えた。すべてが忘れ去られて記憶に靄がかかり、砂時計だけが確かな手ごたえをもって実在するかのように、「時」を流し続けていた。
この塔はどこまで行くのだろう。どこまでも登り続けるとますます忘却の濃度が高くなっていきそうだと、未知は思案した。
その時、背後で囁き声が聞こえた。
「クロノスを追っているのかね」
驚いて振り向くと、空間は刻一刻と忘却の靄に覆われていて、背後の人物の姿もはっきり識別できなかった。頭にターバンを巻き、全身を砂漠の衣装で包んでいるが、声音から年老いた人物だとわかった。
老いたまなざしは老獪な輝きを放ち、口元には皮肉ともとれるゆがんだ笑みを浮かべていた。
未知の返事を待たず、老人は言葉を継いだ。
「わしは昔クロノスに会ったことがある。クロノスは雪男や竜のような伝説の存在だが、会いたいと強く願う者にはその姿を見せることがある。」
「姿を見せる?」
未知は半信半疑で老人の言葉を繰り返した。
「そうだ。わしはこの塔を管理している。この塔は見ての通り、砂時計だ。だからこの塔はクロノスを祀る神殿であり、わしはそれに仕える司祭のようなものだ。わしのように、クロノスが大きな意味を持っている者に、クロノスは姿を現す。おまえもそうなのか?」
「私はただ…変化を生み出す残酷な時間の正体を知りたくて…」
そう言い終わらないうちに、あたりに忘却の靄が火事の煙のように急速に充満し、危険な状態になった。
老人はこの事態を予測していたかのように落ち着いて、脱出口を指し示した。
「そこから逃れるといい。クロノスにも近づくことになる。」
見ると、ウォータースライダーのような筒状の脱出口がフロアの隅にあり、もはや一刻の猶予もない状態で、未知は盲滅法にそこにとび込んだ。




