第八十五話 ライアーライアー
灰色の煙は、時間が経つにつれ霧散していく。
その場に立つ者の影がまず現出し、次いで銀色の瞳が一気に距離を詰める。
「チィ! やっぱそこまで、あもう無いのう!」
ジャンヌの鋭い突きが大気を貫いた。が、あたる直前に身体を捻り躱す。
そしてブルームはそのまま大地を蹴り、距離をとる。
そこから更に軽やかなステップをみせ、曲線的な動きで相手との間合いを離した。
相手の突きを警戒しての事だろう。
そんなブルームに聖姫の研ぎ澄まされた視線が向けられる。
「おおっと。怖いのう。だけどもわいの方ばかり気を取られていたら痛い目みるでぇ」
そのブルームの言葉と、彼女の背中に近づく密かな回転音で、何かに気づいたのかジャンヌが彼にバク転を披露する。と、その下を巨大な刃が通りすぎた。
「流石やな。よう躱したわ。だけんどな、それは【ホーミングブーメラン】や。一度狙ったら中々諦めへんで。それにヨイちゃんによる巨大化のおまけつきや」
ブルームの言うように、ジャンヌが躱した後も、ブーメランは軌道を変え、執拗に彼女を追いかける。が――。
「くだらな、い」
小さな声で言い、そして迫る刃に槍の一撃を重ねた。
それにより、【ホーミングブーメラン】にヒビが生じ、そこから瓦解するように亀裂が走り、ついには砕け散った。
「なんや。勿体無いことするのう。安くはないんやで」
「減らず口はそこま、で」
ブーメランによる強襲をものともせず、言い放った言葉とともにジャンヌが数歩ブルームまで近づき腰を回した。
そして両手に構えた槍を円を描くように薙ぎ払う。
しかしそこからではまだブルームは間合いの外。
通常であれば当たらない距離だ。
だが、ロンギヌヌの槍と共にジャンヌの身体も回転し、すると、円を描くその軌跡が白銀に、そして鋭利な刃と化し一気に間合いを広げ、ブルームの身体に直撃する。
「うぉ!」
短い声を上げ、そのほうき頭が傾きブルームが吹き飛んだ。
「ブ、ブルームさん!」
ヨイが思わず叫んだ。
視界が露わになったことで、ヨイの目にも一連の動きが確認できたのだろう。
瞳を潤わせ、その小さな顔に不安の色を滲ませている。
「大丈夫のはずです!」
プリキアがどこか自信に満ちた表情で言う。
その言葉に応えるように、ブルームは地面に手をつき、更に吹き飛ばされた勢いをそのまま利用し、後ろに身体を跳ね上げ、一回転した後に着地を決めた。
「ふぅ。焦ったで」
着地と同時に屈みこんでいたブルームは、喋りながら左腕で額を拭ってみせる。
「どうやらプリキアちゃんとウリエルちゃんってののおかげで助かったようやなぁ」
ブルームは確かに相手の技を喰らったが、ダメージは大して受けていないようである。
これがきっと【大天使の加護】による力なのだろう。
「――その力は少しやっか、い」
ジャンヌは半身をブルームに向け言い。直後視線をプリキアとその後ろに浮かぶウリエルに向けた。
「なら。け、す」
握りしめた聖槍から右手を放し、開いた掌を地面に向けた。
「召喚【ルキフェル】……」
静かに呟くと、地面に青白い魔法陣が浮かび上がり、その中から闇色に染まった八枚の羽を持つ、天使が姿を現す。
「そ、そんな――記述もなしに魔法陣を展開させて、更にルキフェルだなんて」
狼狽した表情でプリキアはその姿を見据えていた。彼女の召喚した天使とは違い、ジャンヌが現出させたのは男の天使、いや堕天使であった。
「堕天使ルキフェルで、す。悪に心を染め天界を追放された天使――その恨みは強く、別名……天使殺、し」
静かな口調で話すジャンヌ。その後ろでルキフェルが羽を広げ、彼女の頭上に飛び上がる。
そして、ゆっくりと両手を広げると、八枚の翼が不気味な光を放ち、刹那、その口から天使とはとても思えないような獣の咆哮が飛び出した。
「き、きゃぁああぁああぁあ!」
突如プリキアが叫喚する。その後ろに浮かぶウリエルも耳を両手で塞ぎ苦しんでいた。
だが、ブルームやヨイは不快気に顔を歪めはするが、直接的ダメージは負っていないように思える。
「早く返したほうがい、い。貴方きっともたな、い」
「ウリエル! 戻って~~!」
ジャンヌの言葉に触発されるように、プリキアが叫びあげ、ウリエルがその姿を消した。
彼女の細い両膝が崩れ、ガクリと大地に手を付きながら、はぁはぁ、と荒い息を立てる。
「プ、プリキアさん! だ、大丈夫ですか!?」
咄嗟にヨイが駆け寄った。その小さな肩に手を置いて、心配そうな顔を覗かせる。
その姿を遠目にみていたブルームは、どこか合点がいかないといった様子を見せていた。
「どういうことや。なんでプリキアちゃんがあんなに苦しんだんや?」
「条件召、喚」
聖姫の呟きに、ブルームの耳がピクリと反応した。
「彼女の今の力。本来ウリエルはむ、り。でも感覚の共有を条件、に、きっと召喚し、た」
「成る程のう。しかしそれであんなに苦しんでたんかい。しっかし無茶するのう」
徐ろに腕を組み、一人頷く。
「でもこれで、もう、貴方達に加護はつかな、い。天使が消えた、ら、あの効果はなくな、る。それにあれは、もう、暫くよべな、い」
そこまで言うと、彼女の後ろにいたルキフェルの姿が弾けるように消滅した。
「なんや? もうえぇんかい?」
「役目は、終了したか、ら」
両の瞼を一度閉じ、ジャンヌが呟くように返した。
「ふ~ん。だがのう、あんまり余裕ぶっとると痛い目みるで」
「お前に、は、もう私の攻撃、を、躱す術がな、い」
「そうかい。だったら――」
懐からブルームが黒い玉を取り出す。
「これで、どうかのう!」
それをおもいっきり地面に叩きつけると、玉が弾け、煙幕が周囲に広がった。
「こん、な、子供だま、し」
ジャンヌが駆け、ブルームのいたであろう場所目掛け槍を横薙ぎに振るう。
だが、ソレは黙々と立ち込める白煙を撫で付けたにすぎなかった。
「どこ、に?」
立ち込めていた煙も消え、その場に彼の姿はなかった。遠目には心配そうに彼のいた方をみやる二人の少女が見えるが、その側にもブルームの姿はない。
「どうやら完全に見失ったようやな」
墓地の中に、彼の声だけが響き渡った。
ジャンヌは忙しく瞳を動かし、その姿を確認しようとする。
「ブ、ブルームさん、か、完全に姿を、け、消しちゃいました」
不思議な現象に思わずヨイが目を丸くさせる。隣のプリキアに関しては黙ったまま、その様子を見守り続けていた。
「さて、驚いてもらいのはまだ早いで。ここからが本番や。あんたの主ちゅうのは確か死体を蘇らしたりしとったっけなぁ。アレ、実はわいにも……出来るんやで!」
ブルームの声が辺りに響き渡った瞬間。土塊が舞い上がり、墓の中から多量の死体が起き上がってみせた。
「え、えぇえぇえぇええ!」
これにはヨイも驚きを隠せないようである。冷静にその様子を静観し続けるプリキアよりも感情が有り有りと見て取れた。
「さぁどないする? 聖姫さん」
アンデッドが動き出し、ブルームの挑発の声が鳴り響く。
「無駄なこ、と」
ジャンヌは言って両手を左右に広げた。その瞬間、眩ばかりの光が広がりアンデッドたちを包み込んでいく。
「【ホーリー・ライト】で、す。これでアンデッドは消滅す、る」
「どうかのう?」
ジャンヌが余裕の表情でそう述べるも、不正解と言わんばかりの口調を見せるブルーム。
そして、光が収まりを見せたその瞬間、多量のアンデッドの腕がジャンヌに襲い掛かる。
「な、に?」
ここにきて初めて、彼女が驚きの表情をみせた。
周りに押し寄せたアンデッドが次々とジャンヌの身体に覆いかぶさるように迫り、その細い身を押さえつける。
「くっ、ん!?」
アンデッドの手は彼女の口も押さえつけた。モゴモゴという声にならない声が辺りに響く。
「悪いのう。スキル封じや。しっかしこれでもう何もでけへんやろ?」
勝ちを確信したようなブルームの言葉。そこへジャンヌの手元から槍が落ち、地面に転がる。
「これで武器も無くしたってとこかい」
だが、ジャンヌはその瞳をブルームに向けた。消えてるはずの彼を、見つけたと言わんばかりの双眸だ。
すると、ジャンヌの手からこぼれ落ちたロンギヌヌの槍が一人でに動きを見せ、回転しながら彼女の周りを旋回し始める。
「な、なんや! 落としたんちゃうんかい!」
プルームが慌て始め、それをあざ笑うかのように回転する槍が、アンデッドたちの真上を通りすぎていく。
すると不思議なことに、ジャンヌを抑えこんでいたアンデッド達が力を無くしたかのように次々と地面に崩れ落ちていった。
「チッ! ばれたんかい!」
舌打ちするブルーム。すると意志でも持っているかのように動き続ける聖槍が、何も無いはずの墓石の上を通り過ぎる。が、何かを引き裂いたような音が響き、消えていたブルームの姿が露わになった。
「……ようわかったのう」
地面に着地したブルームが言う。
「声の位置。それ、に。私を抑えこむアンデッドの上に、細い糸がみえ、た」
「なんやバレバレかいな」
言ってブルームが両手の指を見せた。そこには確かに何本もの糸が巻き付いている。
「この指の動きで人形のように動かしたんや。得意技やったんやけどなぁ。オマケに周りと擬態化する【ミラージュマント】も破けちもうた。全く、こんだけいろいろつこうてしもうたら、赤字や。商売上がったりやで」
「そんなの知らな、い」
そう言いのけ、ジャンヌが身体をブルームに向け。彼とその後ろで見守り続けている二人の少女を睨めつける。
「もう次、で、全員終わらせ、る」
これまでで一番、迫力の感じられう声音であった。
恐らくその言葉に偽りはないであろう。
だが――。
「待った! 堪忍や! もう負けや。わいの負け。だから許してくれへんか?」
「……ま、け?」
「そうや。わいはもとはアルカトライズ出身のケチな盗賊や。こんなん成り行きできてもうたが、命かけるなんてわりにあわん。あの二人は好きにしてえぇから、わいだけは見逃してくれぇな」
ジャンヌの眉がピクリと蠢く。
「な? えぇやろ? そのべっぴんさに免じてな? な?」
両手を合わせ恥も外聞もなく懇願するブルーム。その姿を、背後の二人がどこか哀しげな瞳で見続けていた。
「わかっ、た」
「おお! ほか! だったらわいは――」
嬉しそうにブルームが声を上げる。が、全てを言い切る前に、影が疾風のごとき勢いで迫り、その身を貫いた。
「な!?」
「自分だけが助かりた、い? 恥をし、れ。お前を先ずころ、す」
瞬時に肉薄し、その槍がブルームの身を貫いていた。そして怒りの表情でジャンヌが彼を見上げる。が――。
「んて、な、これで計算通りや――」
プルームの右手には紅く輝く水晶。そして――。
「わいの持ってる中で一番破壊力のある魔道具や。へへ、こんなべっぴんさんと一緒にいけるなら、本望やで」
「おま、え……わざ、と――」
「ほな、さいなら、や」
プルームが何かを呟いたその瞬間、強烈な閃光が一気に広がり、轟音と共に墓石も大地も周囲の木々も全てを吹き飛ばした。
そしてブルームの最後の抵抗が終わり。その場に彼の姿はなかった。バラバラに吹き飛んでしまったのかもしれない。
だが――聖姫ジャンヌは立ち続けていた。そして憂いの瞳で残された二人をみやる。
遠くから何かの弾けた音が聞こえた。すると地面に幾本もの亀裂が走った。
「ガッツ、か。なら、可愛そうだけ、ど、こっちもおわらせ、る」
ブルームの壮絶な最後を目の当たりにし、二人は喋ることも動く様子をも見せなかった。あまりにショックが大きすぎたのか――。
だが、そんな二人の間を銀色の髪をなびかせながら、聖姫が通り過ぎ、同時に槍も振るわれた。
二つの小さな球体が宙を待った。ドサリと力なく無垢な胴体が大地に崩れ。直後にポトンと二つの珠が地面に落ちた。あまりに軽い響きであった。
ジャンヌはそれを一顧だにする事なく、胸の前で十字を切る。そして、静かにその場を後にした――。




