第四十九話 戦いの行方
ゼンカイは迫り来る炎を眺めながら、このまま死んだら火葬の手間が省けそうじゃのう、等と自分でも不思議なぐらい冷静な気持ちでことの成り行きを見守っていた。
人間は死を悟った瞬間、思い出が走馬灯のように流れるというが、ゼンカイにはそれすら起こらなかった。
何故か? 思い出がまだ少ないからなのか? それとも迷信だというのか? いやどれも違う。きっと彼は心の奥底では、こんなところで死んでしまうとは思っていなかったのだろう。
そして、それは間違ってはいなかった。
豪炎が己が身体を焼き尽くそうとしたその時。一つの影がゼンカイの身体を抱きかかえ、炎の渦を避け、更に上空まで飛び上がったのだ。
「お爺ちゃん大丈夫!」
ゼンカイの目の前で、見慣れた猫耳が可愛らしく弾み、二人を包む風の導きで、彼女の髪も軽やかに踊る。
「ミャウちゃん! 回復したんじゃな!」
「うん。なんとかね。でもお爺ちゃんやるじゃない! おかげでマンサも無事でいれたし」
「当然じゃ! わしだってやるときはやるんじゃぞ」
にかっと入れ歯を光らせ、笑ってみせるゼンカイに、ミャウの口元も緩んだ。
そうこうしてる間に、二人はゆっくりと地面に近づいていく。だが、その着地点を狙うは不気味な一つ目。
「お爺ちゃん。一旦風の付与は解くから一気に落下するわよ! 準備して!」
「了解じゃ!」
二人はお互いに頷き合い、そしてミャウは剣を掲げ【アイスブレード】! とスキルを発する。
その瞬間、剣に纏われていた風は消え失せ、代わりに刃から冷気が溢れ出る。
ミャウは一旦ゼンカイから腕を放した。風の付与も消えたことで二人の落下速度も早まる。だが、事前に承知していた為、着地はどちら共に軽やかだった。
「ぐぉおおぉおお!」
その時再び巨人が吠え上げ、着地のタイミングに合わせるように、再び炎を吹き放つ。
「なめないでよ! こっちだってレベルは上がってるんだから!」
迫り来る紅い衝撃に向け口上し、ミャウは一瞬で手持ちの剣に魔力を込めた。
ピキピキッ――という何かが固まっていく音が刃から零れた。そしてミャウが豪炎目掛けて剣を振るう。
「【ブリザードエッジ】!」
叫び上げた声と共に放たれた斬撃に乗って、氷晶混じりの凍気が渦を巻き炎へと突き進む。
そして迫り来る豪炎とミャウの放った凍気の渦が激しくぶつかりあい、周囲の大気が燃焼と氷結を交互に繰り返していく。
だが――。
「くっ! まだ――私の力じゃ……」
ミャウが悔しそうに唇を噛む。その視線の先では炎によって少しずつ侵食され押されていく凍気の渦。
「わしにまかせんかい!」
炎と氷による激しいぶつかり合いが続く中、ゼンカイが一歩踏み出し息巻いた。
そして口元に手を添え、【ぜいは】! と叫び、入れ歯を抜いた。
ゼンカイの手を離れた入れ歯は、ギュルルルルルゥ――と激しく回転しながら、一旦は地面すれすれを辿るように突き進むも、目標の近くで一気に上昇し曲線を描くようにしながらその顎を捉えた。
その一撃によって、巨人の顎は跳ね上がり、炎を発していた口も強制的に閉じられる。
勿論この所為によって、炎は消え去り、代わりにミャウの放った凍気が敵のその身を包み込む。
「ウガァアアアァア!」
断末魔の叫びにも似た声が、巨人から発せられた。ゼンカイが放った入れ歯はその声を受けながら、彼の手元に戻ってくる。
ゼンカイはそれを受け止め、口にはめ直した。
「やったのかのう?」
ゼンカイがミャウに向けて問いかける。彼女は肩で息を切らしながら顎を拭った。その姿を見る限り、かなり体力を消耗するスキルだったのかもしれない。
「……だといいんだけど」
二人の視線の先には、ミャウのスキルによって凍てつき、動きを止めた巨人の姿。皮膚が霜を貼ったように白く染まり、指や肘からは氷柱が垂れ下がっている。
正直これで生きているとは思えないところだが――。
「グ――ガッ――」
「こ、こいつまだ動けるのかい!」
巨人は、凍てついた身体を無理矢理動かし、脚を一歩一歩前に運び、二人に向かって前進してきた。
「……お爺ちゃん。止めを刺すわよ!」
ミャウの言葉にゼンカイも頷く。
そして、行くわよ! と上げた声を合図に、二人が駆け出す。
巨人はその一つ目で二人を捉えると、腕を大きく振りかぶらせ、その拳を振り下ろした。
だが、体全体が凍りついてしまっている事で巨人の動きが鈍くなっている。
二人はその軌道を完全に見極め、その一撃を躱し、左右に散った。
そしてゼンカイとミャウの二人は、両方から挟み込むように駆け、巨人目掛け飛び上がる。
「【アイスエッジ】!」「ぜいい!」
すれ違いざまにミャウは巨人の顔面に、ゼンカイはその後頭部に、其々交差するようにスキルを喰らわせ、そして着地を決める。
直後に巨人の崩れ落ちる音が二人の耳に届いた。ズシィィン――という重苦しい音だ。
そしてゼンカイの身に訪れる高揚感。
それはミャウにも同じように起きていたようだった。
「レベルアップじゃ!」
「レベルアップよ!」
二人がほぼ同時に歓喜の声を上げた。そしてそれが、巨人の息の音が完全に止まった証明でもあった――。
「――6、7……」
ミルクは小さな声で秒を刻んでいた。目の前ではタンショウが必死に炎を防ぎ続けている。恐らく今の彼には10秒という時間が恐ろしく長く感じられている事だろう。
だが、それさえ耐え忍べば、間違いなくミルクが決めてくれる! そんな思いが固く結んだ口と、見開かれた瞳から感じられた。
「……9、10! よく堪えたタンショウ!」
ミルクが叫び、タンショウの頬が軽く緩む。その瞬間再び巨人が息をついた。敵はこうやって時折息を吸い直すのだ。そしてそこがミルクの狙い目でもあった。
敵は再び深く息を吸い込んだ後、一気に炎を吹き出した。その瞬間にミルクがタンショウの肩を蹴り大きく飛び上がる。
豪炎がタンショウの盾にぶつかるのと、飛翔したミルクが、巨人の背後を捉えるのとはほぼ同時であった。
しかし巨人は自らが発した炎が視界を妨げる事となり、ミルクの存在に気づいていない。
「くたばれクソ野郎! 【グレネードダンク】!」
スキルを発し、落下と同時に溜めた力の全てを開放するように、ミルクが敵の後頭部目掛け両手の武器を振り下ろす。
左右の手に握られた巨大な戦斧と槌が巨人の頭を捉える。その宣言通り叩き潰すという表現が相応しい一撃だった。
頭蓋の砕ける音が耳朶を打ち、砕けた骨が宙を舞い、その見た目通りの緑色の鮮血が彼女の着衣を濡らした。
巨人の口からは悲鳴すら上がらなかった。その暇なく絶命したのだろう。大きな一つ目が眼窩から半分ほど迫り出し、口は力が抜けたようにだらしなく開け広がれた。
ミルクが片を付け、大地に降り立つのと、後頭部に穿かれた穴から鮮血を垂れ流しながら、巨人が大地に倒れこんだのはほぼ同時であった。
そして、その緑の体躯が再び動き出す事はなかった。
「ミルクちゃん! どうやら無事みたいじゃのう!」
巨人との戦闘を終え、ミルクの下へ戻ってきた二人は、その姿をみて安堵の表情を浮かべた。
「ゼンカイ様! はい! あたしは無事です。ゼンカイ様を残して死んでなどおられません!」
そう言って両手を広げるミルク。だがゼンカイはピタッと動きをとめ、ミャウも、
「今それやったら本当にお爺ちゃん天に召されかねないから」
と苦笑した。
ミルクは眉を落とし、残念そうに腕を引っ込める。が、次に顔をタンショウへ向け、
「お前のおかげで助かったよ。ありがとう」
と笑みを零した。
その姿に彼は大きな顔を緩ませ、照れくさそうに頭を掻く。
「全く随分時間が掛かったな」
ふと張り上げるような声が、皆の耳に届いた。四人が声の方へ顔を向けると、ジンが己が得物を肩に掛け立ち尽くしていた。
その身体はミルクと同じように緑色に染まっていた。彼の近くにはバラバラになった肉片が散乱している。
「たった一人でアレを倒すなんて……どれだけよ――」
ミャウが眉を顰め言った。自分たちが二人がかりで漸く倒した化物をジンはたった一人で挑み、怪我一つ負うことなく倒して見せたのだ。しかもその顔に疲れの色はない。
その姿にミャウは思わず戸惑いの色を滲ませた。
「それだけ強いのじゃったら、助けてくれてもよかったじゃろうが!」
ゼンカイが腕を振り上げ文句を言った。しかし彼は肩を竦め特に悪いとも思っていないような表情で口を開く。
「こっちは護衛する馬車から一番近い場所にいるんだ。いちいち頼りにならない奴の援護になんていってられるかよ。まぁそっちが殺られるようなら、俺が一人で片を付けただろうな」
ジンのその物言いに、ゼンカイは地団駄を踏むようにしながら、何じゃとー! と更に怒りを露わにする。
「もういいわよお爺ちゃん。それに護衛の事を考えたらあの男のやり方は間違っていないわ。それよりも皆を」
ミャウのその言葉に、おお! そうじゃ! とゼンカイが周囲を見渡し、倒れている仲間たち……というよりは、プリキアの方へ猛ダッシュで駆けていった。そしてその後ろをミルクが、ゼンカイ様! と叫び上げ、追いかけていく。
「全く――」
二人の姿を眺めながら、ミャウは呆れたように吐息し、タンショウと共に仲間のヒカルの下へ歩みを進めた――。




