第一〇九話 森からの脱出
「ん、くぅふ、ん、プハッ! はぁ――はぁ……」
暫くしてブルームが重ねた唇を離した。ダークエルフの浅黒い筈の肌は一部が完全に紅潮し、そして荒い息を吐き出しながら、彼女は虚ろな瞳で顔を伏せた。
「これでオッケーやな」
唇を舌で拭い、何かを確信したように発するブルーム。だが――。
「何がオッケーよ! このバカ!」
「ぐぼぉ!」
ブルームの背中にミャウのドロップキック炸裂。
「な! 何するんや!」
「それはこっちの台詞よ! 突然に何してくれてんのよあんた!」
ブルームの襟首を掴んでは引き寄せ、ミャウが怒鳴り上げる。
その興奮ぶりに、ブルームが僅かに戸惑いをみせた。
「な、何キレてんのや。……まさかおまん、わいに惚れとんのか? やったら正直わいのタイプやな――」
「あんった馬鹿!? 私があんたなんかに惚れるわけないでしょうが! 調子こいてんじゃないわよ!」
「やったら何でキレとんねん! わけわからんわ!」
「ヨイちゃんの為よ! あんた少しはヨイちゃんの気持ち考えなさいよ! このタコ!」
ヨイの気持ちは皆にはバレバレだったのだ。
ちなみにその本人は、地面に両手を付けズーンといった具合な重い空気を放ちながら、
「キ、キキ、キッ、ブ、ブルームさ、キ――」
とぶつぶつ呟き続けている。
「ヨ、ヨイ! 気をしっかり持って!」
「そうじゃ! なんじゃったらわしが慰めてやるぞい!」
ミルクとゼンカイが必至に励まそうとしているが、あまり効果はないようなのだ。
「ヨイちゃん? はぁ? 何言うてんねん。ヨイちゃんは何も関係ないやろが!」
「あんたそれ本気で言ってるなら今すぐそのホウキ頭刈り取って、二度と毛根も再生できないようにしてやるわよ」
ミャウがメンチを切るような瞳で言いのけた。彼女はどうやら本気である。
「クッ、なんなんや一体。あぁもうとにかく放せや。いうておくが、わいだって別に何の考えもなしにこんなんしたわけちゃうで。しっかり理由があるんや!」
ブルームの言葉に、フンッ! と鼻を鳴らし、襟首を放して、彼を開放する。
「で、理由って何よ? 言っておくけど、納得出来ないものだったら本当に刈るからね」
「そのときはあたしがこいつを押さえつけるよ」
「ならばわしの入れ歯をカットに使うのじゃ」
「うん。二人共ありがとう」
「ありがとうあるか! てか入れ歯でカットってなんやねん! そんなんで切れるかボケェ!」
納得出来ないと言わんばかりにブルームは叫ぶが、三人の目はマジである。幼女の心を傷つけた罪は重いのだ。
「たく。まぁえぇわ。ようみとけ」
そう言ってブルームがダークエルフの側まで歩み寄る。だが彼女の反応はない。未だ眼は虚ろでまるで意識そのものがどこかに飛んでいってしまったようだ。
「のう。わいらをアルカトライズ側の出口まで案内してくれるか?」
「……ハイ」
抑揚のない声で返事し、ダークエルフが立ち上がった。そしてフラフラとどこかへ向かって歩き出す。
「え? これって?」
ミャウが眼を丸くさせ、疑問の声を発した。
するとプルームが皆を振り返り。
「ほれ、いくで。さっさとここを抜けんと間に合わなくなるわ」
そう言ってダークエルフの後を追い始めるのだった。
「つまり薬を飲ませて言うことをきくようにしたってわけね?」
「そうや。だから奥の手や言うたやろ」
一行はダークエルフの後を追いかけ森の出口へと向かっていた。
その途中ブルームより詳しい説明をうけたのだが、それでもミャウはまだ納得ができていないようであり。
「だとしてもなんで口移しなのよ。普通に飲ませればよかったじゃない」
「アホかい! んなの飲めいうて飲むかいな! かといって薬を取り出したら警戒されるやろし、無理やり舌で押し込むのが手っ取り早かったんや」
ブルームのその言葉に、し、した、とヨイの表情が再び暗くなった。
森を抜ける手段としてと、一応は納得しようとしたヨイであったが、舌までいれてるとなるとその心境は複雑であろう。
「とにかくあんた、ヨイちゃんに謝りなさいよ。土下座で」
「はぁ!? なんでやねん!」
ちなみにブルームはこの後に及んでヨイの気持ちには1ミリも気づいていない。
その様子に一行は呆れるばかりである。
「というかヨイちゃん結局あまり休めなかったじゃろ? 大丈夫かのう?」
ゼンカイが心配そうにヨイの顔を覗きこんだ。確かにまだ疲れはとれていないように思える。更にさきほどの件で精神的疲労もたまってそうだが……。
「だ、大丈夫です。も、もう、お、おくれるわけ、い、いかないし」
するとブルームがピタリと足を止め、ヨイの側まで近づき――その腰を落とした。
「え? え?」
「疲れとるんやろ? ほれ、背中にのりぃや」
「で、でも……」
「ほらヨイちゃん。こいつもこういってるんだから甘えときなって」
「そうだ! 遠慮すんなって!」
「本来はわしがやりたいとこじゃが、しょうがないのう。この男に譲ったるわい」
三人に促され、気恥ずかしそうにしながらも、ヨイがその背中に乗った。
「落ちないようにしっかり掴まっとるんやで」
ヨイをおんぶし立ち上がると、ブルームが優しく声を掛けた。
すると、は、はい……、と顔を赤らめつつも、ヨイはその小さな両腕を肩に回し、背中にその身を預けた。
「……まっ。これでその髪を刈るのだけは勘弁してあげるわ」
ミャウがやれやれと言った具合にそう言うと、何やソレ! とブルームが返し。
そして一行は森の出口を目指すのだった。
「ココガ、デグチデス」
ダークエルフの案内で一行は無事森を抜けることが出来た。だが、その頃には辺りもすっかり暗くなっており、月の光も届かないせいか、霧を抜けたにもかかわらず視界は良くはなかった。
「ご苦労さん。ほな、もう帰ってえぇで」
ブルームがそう命じると、ハイ、と短く応え、ダークエルフは森へと帰っていった。
「それにしても。本当に山に囲まれてるのね」
ミャウが周囲を見回しながらいう。あたりは暗いが、それでも連なる山の輪郭ぐらいは見て取ることができた。
「そやな。まぁ、とは言え、今夜は一旦野宿やな。ほんで明朝から山道を辿ってアルカトライズに向かう。まぁ霧の中よりはましやが、それでも結構険しい道や。しっかり休んどくんやで」
そうブルームは言うが、森を抜けた先は、ゴツゴツとした岩場が多く、正直良い寝心地などは期待できそうになかった。
とは言え、皆、森を歩き続けてきた疲れは当然ある。霧の為、詳しい時間は判らなかったが、それでも丸一日中は歩き続けていた筈なのだ。
一行はそれぞれあまり離れないような位置で眠りにつき始めた。勿論見張りは必要なので、ヨイ以外は順番に番を引き受ける事とし、最初はブルームが見張りに付く。
そして次にミャウ、ミルクと続き……最後にゼンカイが見張りに立つ事となった。
「後はわしが朝まで見張れば出発じゃのう」
そんなことを言いながら、気を引き締め、周囲に気を張るゼンカイであったが――
「退屈じゃのう」
すぐに緊張の糸は途切れたのだった。
そしてゼンカイはなんとなく身体を動かし始める。生前暇な時だけやっていたラジオ体操だ。だがその動きはオリジナリティあふれる独特なものである。
だが、その時――。
「グルルゥ。こりゃラッキーだぜぇ」
突如唸るような声がゼンカイの耳に届く。ムッ! と体操をやめ、ゼンカイが周囲を見回すと、闇夜に紛れた数体の影。
「グフッ。人間がこんなところで野宿とはな。久しぶりの餌だ」
舌なめずりをしてみせたその者達に、なんじゃお前たちは! とゼンカイが誰何するが。
「グフフ。俺達はこの辺り一体を縄張りにしてるウェアウルフだ。悪いが、てめぇらの肉は美味しく頂くぜ」
そういった彼らの姿は、ウルフというだけに狼そのものであった。ただ通常の狼と違うのは、人のように二本足で歩いているというところか。背丈もゼンカイよりは高く、左右の手からは鋭利な長い爪が、口からは鋭い牙が見えていた。
ウェアウルフを名乗る魔物の数は五体。ゼンカイはその数を確認した後、後ろを振り返る。どうやら他の面々はまだ寝ているようだが――。
「どうした? なんなら全員起こしたっていいぜ? まぁ俺達ウェアウルフに敵うはずがないだろうしな」
自信ありげに言いのけ、顎を上下に揺する。
が、ゼンカイが魔物たちを睨めつけ。
「いや。やめておくわい。お前ら如きわし一人で十分そうじゃからのう」
ウェアウルフよりも更に自信に満ちた表情で言い返した。
するとウェアウルフがお互いの顔を見合わせ、グフフフッ、と忍び笑いを見せる。
「随分と威勢がいいが、爺さん如きが俺達に勝てるだなんて悪い冗談だ。強がりもその辺にしておくんだな。それよりどうだ、もしこのまま逃げるなら爺さんだけは助けてやってもいいぞ」
何? とゼンカイが口にすると。
「正直俺達は爺さんの肉なんかに興味はない。喰ってもまずそうだしな。むしろ後ろのメス共こそが狙いだ。俺達は特に人間のメスが大好物でな」
ウェアウルフは何かを期待するようにその眼を細め、そして長い舌で口の周りを舐めまわす。
「人間のメスは勿論肉が柔らかくて旨いってのもそうだが、俺達はアッチの方も獰猛でな。人間のメスに突っ込み、泣き叫び懇願する顔を見ながら、犯したまま喰らうのが最高の楽しみなのさ。涙ながらに、犯さないで、食べないで、と懇願する顔はたまらねぇ。一度やったらやみつきになってしまうぜ」
口内から涎を溢れさせ、身体を震わせるその姿に、ゼンカイは眉を顰めた。
「わかったのじゃ」
「おお、そうかい。だったら大人しく……」
「勘違いするでない。お前らみたいな屑には全く容赦する必要がないことがわかったのじゃ。まったくそんな話を聞いてしまっては、もう許すわけにはいかんのう」
そう言ってゼンカイは首をコキコキとならし、そして――鋭い瞳を魔物たちに向ける。
「ふん。せっかくもう少しぐらい生き延びるチャンスをくれてやったというのに……まぁいい、だったら――」
言うが早いか五体のウェアウルフが一斉にゼンカイに跳びかかり。
「とっとと! 死ね!」
各々が自慢の爪や牙を、一人の爺さんに向け振るった――。




