0.昔の話
花の町とよばれる小さな町。そこは、花の香りがどことなくただよう穏やかな町でした。理由はかんたん、町のあちこちに季節ごとのきれいな花が咲いているからです。だから、風向きが変われば、すぐにまた違う花の匂いがただよいます。この町で生まれた人たちは、いつもそれらの心落ち着く香りに包まれながら、暮らしてきました。そんな町人たちは、自分たちのこの町が好きでしたし、誇りに思っていました。なので、余所から流れ者が入り込むと、鼻高々に、自分たちの町を紹介していました。事件などとは無縁の、静かで、美しい町。生まれながら、この町の人々は温厚な性格をしていたといいます。
そんな町に、一人の旅人がやってきたのは、夜風がいよいよ寒々しくなってきた、ある秋の日のことでした。旅人はあちこちをよたよたと見回ると、夜でも空いている、酒屋へと迷い込むように訪ね、そのままお酒を頼んだそうです。かなり遠くから来た人らしく、やや浮いた顔立ちをしていて、すぐに店にいた客たちの注目を集めました。
いえ、注目を集めたのは、なにも顔立ちのせいばかりではありません。彼の格好にもあります。彼の身につけているマント、ハット、グローブ、すべて、銅とエンジ色の合間というかなり目立つ色合いだったのです。少なくともこの町に、こういった色を好んで着る者はあまりいません。だから、とても異質で、とても珍しかったのです。
しかし、注目されることには慣れているのか、旅人は平然と酒を注文し、店主と普通に会話しました。会話の内容は、こんな感じです。まず、店主が花の町のことを紹介し、旅人に聞いてもらいます。そして、話し終わると、旅人に旅の話をふって、今度はふられた旅人が、自分の旅の中でもってこいだと思う話をしてから、また、店主に町のことをたずねるという、ターン制です。おかげで、どちらも同じくらい話せるし、同じくらいきくことができて、気持ちよく会話をすることができます。
店に響き渡る店主と旅人の会話は、いつしか店にいる客たちの酒の肴へと変わっていました。彼らは町の人ですので、花の町のことなんかよく知っていますけれど、自分たちの町を旅人に知ってもらうということはすごく喜ばしいことなので、うずうずしながら旅人の反応を見ていました。そして、その次にくる、旅人の話になると、静かに耳を傾けました。旅人の話すことは、下手な小説よりもずっと面白かったのです。人によっては、いままで読んできたどの本よりも面白いと感じたに違いありません。と、いうのも、この旅人、ものすごく口達者なのです。聞く人のこころをぎゅっとつかんで離さない。そんな魔力が彼の言葉にはあるのです。
だから、彼が話せば話すほど、人々は他国や他の町への興味を募らせていきました。そして、それ以上に、旅人自身への興味を膨らませたのです。でも、おかしかったのは、旅人が自分について言ったことでした。彼は、自分の事を「魔法使いだ」と言い張ったのです。ならば、魔法を見せてくれと誰かがもてはやすと、いまは休業中だから魔力が切れてしまって出来ないと言い訳をします。酒もよくまわっている頃合いでしたので、杯の場での独創的な洒落だ、と、皆がそう納得したのですが、旅人の目は真面目でしたので、何人かは不審がりました。しかし、彼の話の面白さと、彼が気まぐれに見せてくれた手品が、素朴だけれども、なかなか画期的で物語を含んだ面白いものだったので、その場にいた皆が旅人へ好感を抱き、何人かが酒をおごりました。
酒屋がとてもにぎわったその翌日、旅人は人知れず去っていったといいます。去った後も一か月ぐらいは、町中旅人の話で持ちきりでした。その日に酒屋にいた人々は自慢げに旅人の話をしましたし、いなかった者も、聞いた話をし合いました。ですので、当然、その話は子どもたちにも広まり、しばらく旅人ごっこやら、その旅人が話した山賊の物語やら、余所の国ごっこなどの遊びが流行りました。
しかし、おかしなことに、こんなにも話題になり、こんなにも影響を残していった旅人だったのに、あの日店にいた人たちは、誰ひとりとして、彼の名前を覚えていなかったといいます。それどころか、誰ひとりとして、誰ひとりとして、彼の顔までも思い出せなかったのです。ただ、思い出せるのは、彼の着ていた、銅とエンジ色の間くらいの色ばかり。目立つ配色の、風来坊という印象だけでした。
今から何百年も、昔の話です。




