【番外編】王太子リカルドとアベルマリアの結婚〜前編〜
もうすぐ、アクアクリスタ王国の王太子リカルドと、その婚約者であるアベルマリアの結婚式が執り行われようとしていた。
街は色鮮やかな花々や華やかな装飾で彩られ、国中がこの吉兆に沸き立っている。
しかし――そんなお祝いムードに包まれる自国をよそに、なぜか当事者であるはずのアベルマリアは、隣国サルベール王国の城内にある一室にいた。
豪奢なソファーに腰掛け、不機嫌そうにドレスの裾を揺らす彼女の目の前には、困惑した表情を浮かべるロゼリアとルディアス夫妻の姿がある。
「やっぱり、結婚なんてまだしたくないわ! 王太子妃になったら、私のやりたいことなんて何一つできなくなってしまうもの! もっと自分だけの自由な時間が必要なんですのよ!」
優雅な扇子をパチンと音を立てて閉じ、そう身勝手をのたまうのは、他ならぬアベルマリアであった。
普段の完璧で気位の高い公爵令嬢の姿はどこへやら、彼女はいわゆる「マリッジブルー」のどん底に陥っていたのだ。
そんな彼女の様子に、ロゼリアは困ったように微笑みながら、そっと温かいお茶を差し出した。
「まぁ……アベルマリア様。そんなことをおっしゃっていたら、リカルド殿下が深く傷ついてしまわれますわ。きっと今頃、あなたのお姿が見当たらず、顔色を変えて捜していらっしゃるのではなくて?」
ロゼリアが優しくなだめると、傍らに立つルディアスも深々と頷く。
「たしかにロゼリアの言う通りだ。結婚式を目前に控えたこの重要な時期に、花嫁が行方をくらましたとなれば、リカルドも生きた心地がしていないだろうな」
「だ、だからと言って、私がここにいることは絶対に内緒にしてくださいまし! 私、まだ結婚なんて嫌なんですもの……!」
アベルマリアは子供のようにそっぽを向き、頑な態度を崩そうとしない。
すると、これまで穏やかな表情を浮かべていたロゼリアが、すっと眉を寄せて凛とした佇まいへと変わった。その瞳には、親友を心から案じる真剣な光が宿っている。
「アベルマリア様。……お気持ちは、痛いほど分かりますわ」
ロゼリアはアベルマリアの小さな手を優しく包み込むように握り締め、力強い言葉を紡いだ。
「けれど、貴方様はこれから次期王太子妃となられるお方。ただの王子妃とは、背負う責任も立場もわけが違いますわ。あなたがこうして姿を消している間にも、国中の人々がどれほど心配し、混乱しているか……。理由があるにせよ、そのようなお振る舞いはよろしくありません」
「そっ……それは、分かっているわ……!」
ロゼリアの真っ直ぐな言葉が胸に刺さったのか、アベルマリアは一瞬言葉に詰まり、視線を泳がせた。
そして、次第にその強い気性が萎んでいき、消え入りそうな声でゴニョゴニョと本音を漏らし始めた。
「……でも、私のような女に、本当に王太子妃なんて……次期王妃なんて役目が務まるかしら? 自分がどれほど我儘で、高飛車な性格をしているかくらい、自分自身が一番よく理解していてよ。王太子妃という重責を担えば、この我儘すら許されず、二度と自由なんて手に入らないのではないかと……怖くなってしまったのよ……」
日頃の強気な態度の裏に隠されていた、自信のなさと未来への不安。
妻の大切な友人である彼女が素直に本音を吐き出したのを受け、今度はルディアスが穏やかで包容力に満ちた声をかけた。
「それでも、リカルドは君を選んだんだよ、アベルマリア嬢」
ルディアスは静かに言葉を続ける。
「リカルドは普段でこそあのような態度を見せるが、国の行く末や未来のあり方を、誰よりも深く真剣に考えている男だ。その彼が、生涯を共にする唯一無二のパートナーとして君を選んだ。……それが意味することはお分かりだろう? 彼の中に、君なら共に国を支えていけるという絶対の確信と資質を見出しているからだ。どうか、彼が選んだ自分自身に、もっと自信を持ってほしい」
二人の温かくも力強い説得を受け、アベルマリアの瞳から次第に迷いの色が消えていく。
彼女は深く息を吐き出し、胸の前でキュッと手を握りしめた。
「……そうね。私としたことが、少し身勝手で愚かだったわ。……二人のおかげで、少しだけ覚悟と自信がつきましたわ。ありがとう、ロゼリア、ルディアス様」
素直にお礼を口にし、ようやくいつもの気品ある微笑みを取り戻したアベルマリア。
――その直後のことだった。
部屋の扉が勢いよく開き、息を切らした従者が慌ただしく駆け込んできた。
「ルディアス殿下! 大変です、リカルド殿下が当城へお越しになられました! かなり急を要するご様子で……っ!」
「「……えっ!?」」
その報告を聞いた瞬間、アベルマリアの顔から一気に血の気が引いた。
「いやだわ、もう追いつかれてしまいましたの!? ど、どうしましょう……!」
先ほどまでの凛とした決意はどこへやら、パニックに陥ったアベルマリアは、スカートの裾を翻して部屋の隅にある大きな観葉植物の陰へと逃げ込み、必死に身を隠してしまった。
そのあまりに分かりやすく愛らしい姿に、ロゼリアとルディアスは顔を見合わせ、思わず苦笑いを漏らす。
ルディアスは溜め息混じりに呼吸を整えると、従者へ向かって静かに告げた。
「通してくれ。……用件は、おおよそ分かっている」
アベルマリアの突然の家出(?)を受け、早馬を飛ばして追いかけてきた王太子リカルド。
果たして、部屋の隅で小さくなっている愛しい花嫁を前に、彼はどのような反応を見せるのか。
そして二人は、無事に最高の日を迎えることができるのだろうか――。
最後までお読みいただきありがとうございます!
本編ではカッコいい活躍を見せてくれたアベルマリア様ですが、実は裏でこんな逃走劇(?)を繰り広げていた……という番外編前編でした。
隠れたアベルマリア様と、早馬で追いかけてきたリカルド殿下の決着はどうなるのか、ぜひ後編もお付き合いいただけると嬉しいです!
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