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54話 平家物語『剣の巻』──神代の霊剣

『……娑羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす』


 二人の声が重なり、海底に満ちる萌黄色の光と共鳴する。

 大蛇の巨躯(きょく)が震え、その鱗の隙間から、過去の断片が溢れ出した。


 琵琶の音は次第に激しさを増し、荒波が岩を打つような音色へと変わっていく。


 唱和が止んだ瞬間、海底の景色が歪んだ。

 水底を透かす青白い光の渦の向こう側から、一振りの剣の影がゆっくりと浮かび上がってくる。


「……おい、お前ら、ちょっと待て」


 弥沙を後ろから抱きしめるクナドの腕に、さらにぐっと力がこもった。

 その密着した熱に、弥沙はドキリとして、思わず身をよじる。


「……ねえ、クナド。ちょっと、離して。……苦しい」

「ダメだ。また闇に引きずり込まれるかもしれねぇだろ」


 クナドは耳元で低く言い捨て、さらにガードを固める。その必死すぎる様子に、弥沙は頬が熱くなるのを感じながら、精一杯の提案をした。


「わ、分かったから。でも、せめて座って見ようよ。……クナドも疲れるでしょ?」


 少しだけ抵抗してみたが、クナドは鼻を鳴らしてしぶしぶ承知した。

 彼は海底の柔らかな砂の上にどっかと腰を下ろすと、弥沙を自身の足の間に引き、後ろから包み込んだ。

 

 背中から伝わる熱が、思いのほか大きかった。

 寄りかかった体越しに、クナドの鼓動が響いてくる。思ったより、速い。


——心配させてごめん。


 弥沙は目を伏せた。彼がこれほど動揺するとは、余程のことだったのだろう。そっと、クナドの腕に手を添える。このまま身を委(ゆだ)ねていようと、観念した。


 スリングの口からハルが半身を乗り出した。闇の奥から響いてくる琵琶の音の方を油断なく見渡す。その耳がぴんと立っていた。


「……勘違いしてるだろ、弥沙」

 視線はそのままに、ぼそりと呟く。


「え? 何が?」


 ハルは答えない。ただ、しれっと虚空を見続けている。

 その様子に、背中から伝わるクナドの速い鼓動を思い出し、少しだけ胸がざわついた。

 彼はただ、私を心配してくれているだけ。そう自分に言い聞かせるように、弥沙はざわめきを心の奥に押し込めた。


 隣にいた亀吉が、袖で口元を隠しながら、くすくすと笑う。


『……見苦しいわね。神なら、もう少し余裕を見せたらどう?』


 少し離れたところで、ツキが冷ややかな声を投げた。彼女は砂の上に膝を抱えて座り、呆れたようにクナドを横目で見ている。


「うるせぇ。……俺の勝手だろ」


 クナドは鼻を鳴らして、腕に力を込めた。

 弥沙は正面の安徳帝へと視線を向ける。


「……安徳帝。さっき、闇の中から『剣を龍宮へ』って声が聞こえたの。どうして今、平家物語なの? それが、あの声の主と関係があるの?」


 弥沙が胸に抱いた違和感を口にすると、クナドが唸るような声を出す。


「そうだ。弥沙を引きずり込みやがった連中をぶっ潰すのが先だろ。悠長に昔話をしてる暇なんてねぇはずだ」


 クナドにとって、呪縛の解けた大蛇はすでに眼中にない。彼の鋭い視線は、いまだ深淵の闇に潜み、弥沙を狙う「何か」へと向けられていた。


 帝は、二人の対照的な反応を見つめ、厳かに答える。


『クナド神よ、案じなさるな。彼らが弥沙を求めたのは、失われた剣への未練が、弥沙の心に宿る光と共鳴したゆえ……。彼らの嘆きを解き、その執着をあるべき場所へと還さねば、弥沙は何度でもこの深淵に引き戻されることになりましょう』


「……私の光と、共鳴……?」


『この物語は、単なる昔語りではありません。千年の時を止めている彼らの魂を、真実へと導くための「道標(みちしるべ)」』


 クナドが、睨むように言い放った。


「……要するに、そいつらを納得させなきゃ、弥沙を連れて帰れないってことだろ。おい、お前ら、続きを始めろ。一気に終わらせるぞ」


 亀吉と亀助が気圧されたように背筋を伸ばす中、クナドは弥沙の耳元で囁く。


「……来るぜ。千年の時を止めていた、壇ノ浦の『真実』がな」


         * 


 亀助が、胸に下がっている小さな青い珠をその小さな手で包んだ。すると、淡い光を放ち、琵琶と撥(ばち)に変化する。その撥の先を弦に滑らせた。


 その音色は海底の闇を切り裂く刃のように鋭く、弥沙の肌に粟(あわ)を生じさせる。


「亀助、お前……琵琶が弾けるのか」

 クナドが思わず呟く。


『はい。この物語には、これが似合いにございまする』

 亀助は微笑み、再び弦を爪弾いた。


『では、語らせていただきまする。……神代より伝わる、三振りの霊剣の話を』

 亀助の琵琶が低く鳴り、海底の闇に光の靄が広がっていく。


 べべんっ──!


<< 神代より伝わる霊剣、三振りあり。 >>

<< 十握剣(とつかのつるぎ)に天早切剣《あめのはやきりのつるぎ》、そして草薙剣(くさなぎのつるぎ)。 >>


 光の靄(もや)の中に、三振りの剣のシルエットが浮かび上がった。


<<十握剣(とつかのつるぎ)は大和国の磯上布留社《いそのかみふるかみしゃ》に。>>

<<天早切剣《あまのはやきりのつるぎ》は尾張国熱田宮に。>>

<<草薙剣(くさなぎのつるぎ)は内裏(だいり)にあり>>


「磯上(いそのかみ)……って石上神宮(いそのかみじんぐう)? ——磯良神に繋がる名前じゃない?」

 弥沙が思わず呟いた。


 側にいた亀吉の白い珠が、ちりんと鳴る。


『灌頂本(かんじょうぼん)では、石上(いそのかみ)ではなく磯上(いそのかみ)と記されております。書き換えられていない本来の名でございます』


 言いながら亀吉は海底の砂の上に「磯上」と漢字を書く。弥沙は息を飲む。


 亀助が再び琵琶を鳴らすと、光の靄は色鮮やかな色彩を帯び、弥沙たちの周囲に唐の都を思わせるような、煌びやかな宮廷の情景を映し出した。


<< そもそも草薙の剣の由来は、遠き神代にさかのぼる──。 >>

<< 素戔嗚尊(すさのおのみこと)、出雲の国、曽我の里に宮を造らんとした時。 >>


 海底の闇に、荒れ狂う大蛇の影が浮かぶ。八岐大蛇──八つの頭が、嵐のような渦を巻いた。

 

「八つの頭? 前に聞いたわ。……『八幡愚童訓』の「難(なん)」よ。八岐大蛇も難?」

 その声は、クナドだけが聞いていた。


 やがて、八岐大蛇を討つ、勇ましいスサノオの姿が浮かび上がる。


 十握剣が龍の尾に触れ、火花を散らす。尾の中から現れたのは、瑞雲を纏(まと)い、鈍く、けれど恐ろしいほどの霊気を放つ一振りの剣だった。


 亀助が弦を掻き鳴らす。

 

「……あれが、天村雲剣《あめのむらくものつるぎ》。後の草薙剣……」


 ジャラン……と余韻を響かせた。

 その響きは、神話の光景をさらに色濃く、深く、海底の闇へと刻みつけていく。


お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも、面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、★★★★★、お気軽にコメントもいただけると、執筆の大きな励みになります!




*参考・引用資料

・永井一孝 校『平家物語』,有朋堂書店,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/964450 (参照 2026-05-05)

・作者不明,灌頂本『平家物語(剣の巻)』独立行政法人国立公文書館(公開日不明)

https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/heikemonogatari/contents/photo.html?m=41&pm=1&pt=5&cno=15_5,(参照2026-5-06)

*素晴らしい古書の公開!!ありがとうございます!!

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