絵付けの綺麗な京焼が好きだったあの頃、もうちょっと落ち着いた茶碗が好きな最近
千歳盆と一緒に曽祖母から譲り受けた茶碗は、全部どちらかというとシンプルな風情のものでした。
名物として博物館に並んでいるものほど侘びてはいないけれど、かといって豪華な金彩がふんだんに施されているわけでもないお品。
日々の楽しみとして抹茶を飲むことには事欠きませんでしたが、当時高校生の私は、「いつか、見事な京焼の茶碗を手に入れたい」と熱望していました。
焼き物については勉強中なので、正しくは「京焼」というべきか「清水焼き」というべきなのかまだ確信が持てないのですが……。
英香さんなどが手掛ける、つるりとした肌に綺麗な絵付けが施された茶碗たち。
先生が季節に合わせて出してくださるものの中にはひな祭り立ち雛をあしらったものがあり、またお茶屋さんに行けばクリスマスの絵柄を見かけることもあり……。
心ときめく、平安時代みたいな絵柄も捨てきれません。御所車や扇面、巻物などなど。もちろんオーソドックスに桜や紅葉も。
見かける機会があればついつい熱い眼差しを送って来ました。
先日、古いモノたちとのひょんな縁から、手元に憧れの京焼がひとつ。
わ、わああー!!!! 私の京焼だー!!!!
狂喜乱舞……したのは心の中だけですが(実際にやったら茶碗を割ってしまうかもしれない、自制した)、とにかくものすごく嬉しかった。
さっそく自服に使ったり、家族に供する時に使ったりしました。色柄の綺麗な茶碗はみんなに喜んでもらえます。かわいさもわかりやすい。
……しかし手元に来てから三ヶ月と経たないあいだに、私は長年の憧れだった京焼に対して窮屈さを覚え始めていることに気がつきました。
なんだか、心の敷居が高い。
それはなにも、見た目が金彩いっぱいで豪華だからばかりではありません。
なんだかそれが「美しい茶碗」としてその場にあるだけで、場が完成されてしまう感じがある。
想像や趣向を挟む余地が少ない気がする。
茶碗はじめ茶道具の模様が抽象的だったり、無地や釉薬の色分けだけだったりすれば、そこには「余地」が生まれる感じがします。
その日一日抱えてきたモヤモヤを模様の中に溶かす余地というか、直感的に理解できる意味を与えられていない模様ゆえの余白というか。
私の手元には白地から青へゆるやかにグラデーションする茶碗があるのですが、日によってこれを青空みたいな気持ちで使ったり、川の流れだと思って使ったりします。水だと思うのは心のどこかにモヤついた気持ちがある時が多いかもしれません。無意識に。
目の前にあるお茶碗はひとつだけれど、それが日によって、持ち主である私の心や意図、見せ方(道具組み)の都合によって、空にも川にもなる。もっと工夫すれば成層圏にもなるかも。
絵柄の美しい京焼には、そういう「余地」がないことに気づいたのです。
御所車は御所車以外の何物でもありません。そして京焼に施される具体的な絵柄は大抵、めでたいもので、しっとりした日常とはちょっと温度感が異なっている。
日々の自服や気軽な抹茶に使おうとするとしっくりこない。
きっと直接的な吉祥絵柄の茶碗は、服でいう紋付やフォーマルウェアのように、明確な「ハレの場」に映えるよう作られているのでしょう。舞台用のメイクはステージの上で映えるのであって、女優だって毎日舞台用メイクで町を歩くわけではありません。きっと、それと一緒なんだ。
逆に侘びた茶碗、シンプルな色柄の茶碗は想像力の余地を残しているゆえに、普段使いからしっとりした祝いの席まで、幅広い範囲をどっしりカバーしてくれるのでしょう。
貪るように読んできた茶道関連の本のどれかで、「若い人が侘びた道具ばかりを使うのはあまり良くない、逆も然りである」みたいな格言に出会ったことがあります。
私は年齢の割に大人びていると言われて育ってきたから、年齢だけで判断されるのを好まず、読んだ当初は「いやいや、そんなん人それぞれの好みですやん」と思ったものですが、ここ10年だけでも生まれた茶碗の好みの変遷を振り返ると、的を射た格言だったな、と見方が変わってきます。
あの頃の私は、若かったんだ。年齢相応に華やかなものが好きだったんだ。もしもあの頃の私が茶会を開く機会に恵まれていたら、京焼の茶碗に京焼の水指、九谷の蓋置き……みたいに、目で見てパッと分かる華やかな道具を取り合わせていただろう。
今もそういう華やかな道具たちは好きだけど、知識と経験が多少ついて、価値観も割と変わって。華やかだけでは押しが強くなりすぎることを分かっている。きっと華やかすぎて息が詰まってしまう。
今の私がもしもめでたい席の道具を自分で組めるのなら、京焼の茶碗を華やかに、他の道具は信楽や唐津、萩などシンプルで無地系のものにするに違いない。華やかなものを一つ、プリマヴェーラのように目立たせて、他は「よく見るといいもの」みたいな、主張しすぎないものにするだろう。
もしかしたらもっと年齢を重ねた時は、利休さんみたいに全部極侘びの、落ち着いた道具組みをしているかもしれない。
そんなふうに思うようになってきました。
手元に京焼があって、めちゃくちゃハッピーです。
私は家事のなかで一番お皿洗いが大好きなんですが……京焼ってね、つるりとしていて、洗ってて気持ちがいいんですよ。五感全部を幸せにしてくれる焼き物じゃないでしょうか。
だからこそ、毎日口をつけるのはちょっと緊張してしまう。
いいことがあった日に買って帰るケーキとか、むしゃくしゃした時に淹れるあったかい飲み物みたいに、特別な瞬間に棚の奥から登場してくれたらいいと思うのです。




