儀式 1
幕をくぐって儀式の場に入ると、特殊な香の匂いがむっと押し寄せた。
結界のように白い縄で囲われた内側には、セイエイが座禅を組んで座っている。
周囲を取り囲む影の者たちは、長時間にわたり交代で途切れることなく術の言葉を唱えている。
ウケイがその場に入ったとき、ちょうど佳境に差し掛かったようで、声に力強さが増した。
ウケイの代わりに、場を監督するために控えていた男が、ウケイが入ってきたのを認めて、呆れたように笑う。
この男は、里長の補佐の役にあり、ウケイの側近のような立ち位置で、この儀式でも補佐を務めることになっている。
「そろそろ呼びに行かせようとしていました。里長の勘は外れませんな」
ウケイは肩をすくめた。
「そろそろ行けと周りがうるさかっただけだ」
音量と力強さを徐々に上げていた影の者たちの声がひときわ力強く言葉を唱えたのち、しんとした静寂が満ちる。
垂布で顔を隠した者が、セイエイに薬湯を飲ませる。
その間に、先ほどまで言葉を唱えていた者たちが、音もなく場から立ち去り、ウケイと控えていた男、そして垂布で顔を隠した小柄な者だけが残った。
ウケイは、ぼうと中空をみつめるセイエイの正面に立つ。
「儀式を始める。・・・・誠影、名乗れ」
「誠影・・・贄・・血脈を、護るもの・・、・・・・・影がひとり、ツキヒが子」
まず名乗らせるのは、自身をどう認識し、何を重要視しているかの確認になるからだが、名乗りの順番がおかしい。
普通の影の者であれば、真名を告げてから、影の一員だと宣言し、出自を告げ、それから役職や立場を名乗る。出自によりその者の能力が定まるからであり、外部から加わった場合は出自は述べない。
補佐役はちらりとウケイを見たが、ウケイは特に何の反応しなかった。
「・・・誠影、生まれたときからを語れ」
香と薬湯と長時間にわたる術の言葉で、特殊な精神状態に落とされたセイエイが、その命令に従い、淡々と言葉を紡ぎ始める。
ウケイは、どかりと座り、さらにごろりと横になって目を閉じる。
「里に来たあたりで、起こせよ」
「ちょっと、里長! さすがにまずくないですか?」
補佐役がさすがに焦ったように言う。
「里に来るまで何もないだろうよ」
「いやまあ、里長がそういうなら、そうなんでしょうが・・・・長に怒られませんか?」
ウケイは目を閉じたまま、ひらひらと手を振っただけで、すぐに寝息が聞こえ始める。
セイエイにその生い立ちを語らせるのは、儀式の一部ではあるが、記憶を失ったことへの手がかりがあるだろうと考えられている。
イオンから、ウケイもそう言い含められているはずで、それゆえに聞き漏らしがあってはならないはずなのに。
補佐役は、小さくため息をつき、ウケイの代わりにセイエイの言葉に耳を傾けた。
***
セイエイの声がかすれて聞き取りづらくなり、ウケイに連れられて里に着いたところまでが語られたので、補佐役は合図を送った。
垂布の小者が、セイエイに薬湯を与えている間に、補佐役はウケイに声をかけた。
ウケイの目覚めは早い。
すぐに身を起こし、場を見渡してから、伸びをした。
「里に着いたところです」
首を鳴らしたウケイはうなずき、薬湯を与え終わった小者に、食べる物を持ってくるように言う。
儀式を受ける者は、眠らず休憩もなく長時間の儀式をうける。それもまた、その者に与えられる試練の一部であるからだ。何日かかろうとも食事はなく、薬湯をわずかに与えられるだけだ。
儀式を進行する側は交代で、儀式の場を退出して休憩や食事をとる。
例外は語りの段で、その者の後見にあたる引受人がすべてを聞きとる必要があり、引受人だけはその場を離れることは許されない。そのため、語りを聞きながら儀式の場において最低限の飲食を摂る。今回の引受人は、里でのセイエイの全般を監督していたウケイである。儀式の進行と引受人の両方を務めるのは難しいと、進行役の代理を務めるべく補佐役は控えているのだが、ウケイの行動は少々逸脱していると言えた。
運びこまれた軽食とは言えない量と内容の食事を平然と食べ始めたウケイを、補佐役は恨めしそうに横目で見た。
里に来るまでの話は、規則正しい生活と、勉学の話ばかりで、ツキヒや世話をする侍女の話がわずかに出たぐらいだ。ウケイの言ったとおりだったが、少しは王城や王都の有様や美しいツキヒの話でも聞けるかと期待していただけに、補佐役はいささかうんざりしていた。
セイエイがいま語っているのは、里での鍛錬の内容で、里の補佐役である彼にとっては、知りすぎた内容である。
補佐役は、いい匂いをさせている食べ物をちらちらと見た。
それに気づいたウケイは、眉を上げてからにやりと笑って、手招きした。
ウケイの側にいたせいで、よくいえば融通が利くようになった補佐役は、ウケイの側に寄って自分も食べ始めた。
セイエイの鍛錬はウケイがすべて取り仕切っており、生活の場も長の館だったため、補佐役はセイエイの人となりをそれほど知らない。
「里に来る前も勉学の話ばかりでしたが、このあとも、こんな話ばかりなんですか?」
セイエイの語りにも耳を傾けながら、小さな声で補佐役はウケイに尋ねた。
「だろうな。あいつは御子の贄となることがすべてだからな」
補佐役は首をひねりながら言う。
「立派な影の一員になるのが目標の里の子らでも、友人との悪戯だとか、鍛錬の合間の遊びだとか、そいつらしい話があるもんでしょう?」
「そうだな。だが、あいつには親との触れ合いも、友人もない」
断言されたことで、補佐役は口をつぐむ。
食事を終え、ウケイはセイエイの正面に座った。
「誠影」
ウケイに呼ばれて、セイエイは語りを止め、ぼんやりとウケイを見返す。
「お前、自由時間にはどこへ行っていた?」
「・・・森、へ」
「森で何してた」
「・・・・・・なにも」
「森をずっと歩いていたのか?」
「・・・走って・・・・やすんだり」
「どこで?」
セイエイの顔がわずかに歪む。
「・・・・滝・・・・」
補佐役は食事をやめて、ウケイの側に寄り、セイエイの話に耳をそばだてる。
「走って行って、滝で休んだ?」
「・・・はい」
「ほかは?」
「・・・・・花を・・つんだり・・」
ウケイが意外なことを聞いた証に片眉を上げる。
「花?・・何故だ?」
「・・・・・きれい、だったので」
「・・つんでどうした?」
セイエイがぎゅっと眉根を寄せた。上体がぐらりと揺れ、胸を押さえて喘ぐ。
「・・・わか、り・・ません」
補佐役が顔色を変える。儀式中のこの精神状態で隠し事ができるはずがない。
ウケイは笑みともしかめ面ともいえぬ顔になり、質問を変える。
「休むのは滝だけか」
「・・・たき・」
セイエイは、顔を歪め、ハクハクと言葉を発しようとして何も言えずに、うめく。姿勢を保てないようで、上体がふらふらと揺れだすのをみて、ウケイは小さく舌打ちした。
「滝で、何を、していた?」
「・・・・ねこ・ろんで・・・・ひなたが・・・・にじに・・・」
息ができぬ者のようにあえぎ、しぼりだすようにして言葉を紡ぐが、意味が通っていない。ついに、セイエイは胸を押さえて身体を折った。
ウケイは質問を変える。
「なぜ滝に行く?」
「・・・・・ぁ・・・」
ゼイゼイと息を乱しているセイエイを、ウケイは腕を組んで見下ろしている。
「滝で、人に会ったか?」
「・・・・ひと・・・・あわ・・ない」
セイエイが呼吸を乱して苦悶する様子は異常だ。ウケイはセイエイの限界を見定めているようで、補佐役は止めに入るべきか悩んだ。
「滝であったことを話してみろ。なんでもいい」
「・滝・・・・落ち・・。・・・・水・・・・・重・い・・ぅ・・暗い・」
補佐役は息を呑む。落ちたのが滝壺なら、命の危険もあったはずだ。しかも、それに続く言葉は、溺れたとしか思えない状況だ。
「それで?」
ウケイが冷静に続きを促す。
「・・・ひかり・・っ」
それだけを言葉にして、セイエイは息を詰まらせくずおれる。
「里長っ!」
ウケイは、セイエイの呼吸と脈を確かめる。
「・・・問題ないだろ」
言いながら、ウケイは息をつく。
「気付けは・・・・まずいか。薬湯と香の追加を用意、術者にも待機させろ。それから、兄者に報告を入れろ」
補佐役はすばやく立ち上がって出て行った。




