呆然
セイエイが自身の流した血の海に倒れ伏している。
トゥリアは、自分が垣間見ている光景に、呆然とする。
そんな・・・と、自分が呟いてよろめいたことも、それを支えようとしたセイエイに触れられたことも気づかぬほどに。
こんなはずがない。
振り払うように首を振り、周囲にもまた、凄惨な光景があることに気づき、血の気をなくす。
そんなはずがない。
胸の内から、何かが間違っているという違和感が強く湧き起こる。
この違和感は・・・?
そのとき、背後で絶叫が上がる。
弾かれたようにトゥリアは振り向いた。
今よりも歳を重ねたセイエイが、天を仰いで絶叫していた。
悲痛な叫び。
悲しみ、嘆き、後悔・・・絶望が、叫びにのって撒き散らされる。
聞いているだけで、胸をかきむしられるような思いがして、トゥリアは胸元をつかむ。
ありとあらゆるものを終わらせるような絶望、触れるもの全てを破壊しかねないほどの拒絶。
そしてその絶望が、一番向けられているのは。
セイエイ自身。
全てを抱え込んで消えゆこうとするその姿。
トゥリアの口から、ぽつりと言葉がこぼれおちる。
「・・・世界の、”贄”・・・」
トゥリアは、はっと我に返り、口を押さえるがもう遅い。
その言葉はセイエイの耳に届いてしまう。
セイエイの姿がぶれたように見えたかと思うと、絶叫をあげた姿のままのセイエイと、崩れ落ちるセイエイに分かれる。
声が消え、あたりがしんと静まりかえる。
トゥリアは混乱する。
あたりに浮かぶ様々な未来の光景は存在感をなくし、ほとんど感じられないほどになった。
だが、倒れこんだセイエイが、変わらずそこにある。
その姿は、現在のものだ。
トゥリアはゆっくりと近づき、おそるおそるその身体にふれた。
倒れているのは、生身の、現在のセイエイだった。
どうして、彼が、ここにいるの?
未来を垣間見るこの場は、現在のトゥリアの森とは別の位相だ。
現在のトゥリアの森で、どれほど側にいようとも、トゥリアと同じものを見聞きなどできないはずなのに。
それに、彼は未来の姿から分離したように見えた。
わからない。
わからないが、この場に留まってもできることはない。
現在の森へと場を変えても、同じ姿でセイエイは倒れている。
動揺を抑えて、トゥリアは考える。
どうにかして、彼はトゥリアのあの場に入り込んだ。
そして、未来を垣間見るどころか、同化するほどに未来を感じてしまった。
そんなこと、耐えられるわけがない。
生気の感じられない身体、ここに彼の心がないことがわかる。
あの場で迷い出てしまったとしか思えない。
準備して身体から離れたならまだしも、この状況で、自力で戻ってくると楽観はできない。
「セイエイ?・・ねえ、セイエイ!」
呼んでも、喚んでも、セイエイは戻らない。
かすかにつながっている感じはするが、今日名乗りあった程度のトゥリアの縁では、彼の魂を呼び戻せない。
もっと縁の深い者が喚ぶ必要がある。
では、誰が?と考えて、トゥリアは眉根を寄せた。
まず思いつくのは親や家族。それから、恋人。戦友といった心を通じ合った友でもいい。
だが、実の母であるツキヒとも縁遠い様子だった。そして、それ以上のことはトゥリアが知らない。
知っているとすれば、森に残したままの、影の者たち。
まだ、一刻はあの場に残ると聞いた。そして、考えてみれば、彼らはセイエイの伯父でもある。
この状況で、嫌いだから助けを求めない、なんて言えない。
ここまでの森の惑わしを解き、彼らにこちらへ来るよう呼びかけると、トゥリアはセイエイのそばに座る。
彼らがここに着くまで少し時間がある。
セイエイを仰向けに寝かせ直し、人形のように生気のないその顔を見つめる。
未来を垣間見たときの、こんなはずがないという、強い違和感。
あれは・・・。
セイエイの未来を見てもきっとわからない。見るべきものはきっと・・・。
強い予感にしたがって、トゥリアは、獅子王への託宣をするときに見た、獅子王の未来をもう一度垣間見る。
獅子王が、その生を終える場面を。
そうして目にしたのは、壁際に座り込む獅子王。
その頭上の壁に突き刺さっているのは、彼の息子の剣。
獅子王の身体に食い込む別の剣が、彼の命を失わせる。
柄に、刻まれている紋は、牙の国のもの。
それだけを見て取って、トゥリアは顔を覆った。それ以上は見ていられなかった。
これは違う。
トゥリアが託宣をしたときに見た光景とは違っている。
あの時見たのは、寝台に横たわる獅子王だった。
壁に、彼の息子の剣が飾られていて、獅子王は裏切られた、と呟いた。’
突き刺さっているにしろ、飾られているにしろ、獅子王の頭上にあるのは、彼の息子の剣。
<息子の刃の下で、お前の生命は消える>
トゥリアが予言として伝えた言葉とは、違ってはいない。
でも、その光景は全く違う。
トゥリアが垣間見た未来を、悪意を持って託宣の言葉にしたから。
その託宣を聞いた者たちの行動によって、未来は変化した。
そのことを、トゥリアは痛切に悟った。
トゥリアのしたことが、セイエイの未来も凄惨なものに変えてしまった。
なんてことを、自分は!
トゥリアが自責に押しつぶされるようにうつむいたとき、木立が揺れ、影の2人が姿を現した。