2. とおくまで(後編)
10歳の山羊農家の少年・朔夜から見た、複雑王子・玲の誕生を描いたエピソードとなります。
湖の近くで薬草と野草探しをやって、また円になって龍樹の解説を聞いていたとき、翡翠宮から執政の桔梗さんが走って来た。
男の人っていう話だけど、髪が長くて小柄で、どこからどう見ても綺麗な女の人だなと見かける度に思う。でも、剣術の先生は桔梗さんで、おっそろしく強いんだ。
「朔夜、翡翠宮の妖魔が来たぜ」
近所の悪ガキのひとり・旭が俺に耳打ちしてくる。
そう、桔梗さんはその綺麗さに反してあんまりにも強えから、〝翡翠宮の妖魔〟ってあだ名が付いてるんだ。
桔梗さんと龍樹は小さな声で話してたけど、いちばん近くにいた俺には、奏が、という声と、生まれる、という声がかいつまんで聞こえた。
わかった、と頷いた龍樹、ちょうど昼時になってたからか、子ども全員の顔と名前を確認して、よし、今日の薬草の授業はここまでだ、ちょっと雲行もあやしくなって来たし、神殿に戻るぞ、と言って皆で戻ることになった。
そして、俺たちのことは僧医の清涼さんにまかせて、龍樹は翡翠宮に走って戻って行った。
俺は前に一度会った絶世の美女で龍樹の奥さん、神官の奏さまのことを思い出してた。あのときはまだ、腹ン中に子がいるんだな、くらいの感じだったけど、今月が生まれ月だったのか。
俺が生まれるときは半日かかったって、前に父ちゃんが言ってた。
奏さま、身体弱いって言ってたし、赤子が生まれるのは明日になるかもしれないな。
俺の家の山羊たちは、秋頃に交配して春に子ヤギが生まれる。それで生まれる前の数ヶ月は乳を出すのを休ませるんだけど、今は秋だ。
搾乳して、前は捨ててた余った乳を、最近、龍樹のおかげで神殿や翡翠宮に届けて、家の前で"ほっとみるく"っていう、あっためた乳を売るようになっていた。
そしたら、ちょっとずつ俺の家は、前ほどの貧乏暮らしをしないでよくなってきてた。
今日は十月七日の火曜日。明日は水曜日。
最近、いつもは、火曜日は神殿に、翡翠宮には金曜日に父ちゃんが乳を届けるようになってんだけど、父ちゃんに言って、明日の学び舎に行くときにちょっと持って行こうかな。
赤ん坊は母ちゃんのおっぱい飲むだろうけど、前に会ったとき、奏さま、おいしいって言ってくれてたし、栄養になるって龍樹言ってた。
そう思った俺は、夕方、翡翠宮の横を通るとき、そっと覗いてみたけど特に声も聞こえなかった。
あんまり奏さまが苦しくないといいな。
俺は山羊が赤ちゃんを生むときを見慣れてる。お産って大変なんだよな。前に隣のおばさんが赤ん坊を生むときなんて、すげえ叫んでたし……。俺はそんなことまで思い出しながら、家に帰った。
◇
翌朝、俺はちょっと早起きして、街はずれの俺の家の少し先、街と外を隔てる外壁の門のところに置いてある、風雅の国と翡翠の街を守ってるって言われてる〝風の神さま〟の小さな石像にお参りに行った。
無事に生まれてますように。
奏さまも赤子も元気でいますようにって。
それで、父ちゃんに話して、徳利に俺が持てる二合くらいの山羊の乳を入れてもらった。
「赤ん坊にはまだ強すぎるから飲ませるなって伝えてくれよ」
ちょっと前に、近所の人が赤ん坊にあげたら具合が悪くなっちゃったことがあったんだ。それで父ちゃんは反省して、売るときは必ずそれを言うことにしていた。
そして俺は、徳利を大事に持って、翡翠宮に寄ったんだ。
その朝は曇り空で、ほんの少し霧雨が降っていた。
翡翠宮の裏口、いつも配達をしてる厨房に繋がっている扉から、すみません~と覗くと、料理長の桐矢さんが朝食を作っているところだった。俺は配達のときに父ちゃんと一緒に来たりするから、桐矢さんとも顔なじみになっていた。
「朔夜、今日は早くからどうしました?」
にこにこと聞いてくる桐矢さん。俺はそっと言う。
「なんか、昨日、奏さまが赤ちゃん生まれそうってちらっと聞こえて。赤ん坊はおっぱい飲むだろうし、強すぎるからあげないで欲しいんだけど、これ、奏さま飲むかなと思って」
「なんと、喜ばれますよ。ありがとう」
ちょうどそのとき、笑顔の桐矢さんの後ろから、のんびりした龍樹の声が聞こえてきたんだ。
「桐矢~、なんか、奏におかゆみたいなもん作れるか?」
「おお、龍樹。ちょうど朔夜が来てまして」
「おー早いな、朔夜。おっはよー」
呑気な様子の龍樹に、奏さまも赤子も無事な感じだと思って俺は聞いてた。
「うまれた? 奏さま、山羊みるく飲むかなと思って」
「持って来てくれたのですよ」と桐矢さん。
龍樹は破顔一笑って感じで笑った。
「すげえなおまえ! 昨夜、無事に生まれたぜ! 見て行くか?」
「え、でも、俺きたねえし」
「ぜんぜん汚くねえよ。心配なら、部屋に入るとき俺の割烹着かしてやるよ。洗ったばっかりだから綺麗だぜ」
「なんで割烹着なんか持ってるんだよ」
「俺、料理得意だもん」
かわいく龍樹が言いながら、俺の手を引いて厨房に上げてくれる。
「まってまって、桐矢さん、ちょっと手洗っていっていいか?」
「勿論どうぞ」
整えられた厨房の流しで、小さな石鹸をもらって、桐矢さんは綺麗な水を俺の手にかけてくれる。
「すげえなおまえ」
感心する龍樹、自然乾燥とばかりに手をぶんぶん振っている俺に、懐から清潔な手ぬぐいを取り出した。
「……こういうところ、薬師って感じするな」
手を拭きながら俺は呟いてる。
「そうか?」
龍樹はにやっと笑って、俺たちはそのまま食堂の白龍亭へ出た。
「奏さまも元気なのか?」
「あー、まあ、産んですぐだから疲れてっけど、今朝はもう起きておっぱいやってたから、ちょっとくらいは大丈夫な感じだ」
部屋の入り口で龍樹の割烹着を借りて、そうっと俺はその部屋に入った。ちょうど、窓の外、霧雨がぱらぱらと降る湖の向こうから朝の光が差してきていた。
天気雨だ……。
そして、その光に照らされた浴衣姿の奏さまと、そこに抱かれた真っ白なおくるみにくるまった赤子は、なんだか天上のものなのではないかと思って、俺は一瞬黙った。普通、赤子ってもっとくしゃくしゃな顔で泣いてるもんだと思ってたけど、そいつは白くて、産湯に浸かったからなのか? なんかつるんとして、ゆで卵むいたばっかりみたいだった。
すると、奏さまが微笑みかけてくれた。
「朔夜くん。おはよう。見にきてくれたの?」
「おー奏、なんか、朝早くから山羊ミルク届けてくれたんだ。赤ん坊はたぶん一歳くらいまで待った方がいいだろうけど、奏は栄養取らないとだからな! あとであっためてきてやるよ」
「うん、ありがと、龍樹」
前に会ったときと同じに、あでやかに微笑む奏さま。すやすや眠っている赤子を俺はそっと見つめた。生まれてすぐなのに、肌は真っ白で黒髪がちょっと映えていて、寝顔はなんだか龍樹にそっくりだった。
「見てくれ、俺たちの玲だ」
「あきら?」
「そう。玉のように美しいとか、澄んだ音って意味なんだ」
「ぴったりだな」
「そう思うか?」
うれしそうに聞いてくる龍樹に、俺はうんうん頷く。
明るくなってきたと思って窓の外を見たら、登ってきた太陽が湖の水面を照らしていた。
とおくまで、湖の水面に一本の光の道が出来ているみたいに見えた。
そして、天気雨が降っている湖の遠くに、かすかに虹がかかってる。
「虹だ……」
俺の声に、龍樹と奏さまが視線を窓の外に流した。
先週だったか、学び舎で国語の授業中、僧医の清涼さんが教えてくれた言葉を俺は思い出していた。
「……こないだ、学び舎で、希望って言葉、習って。
そのときはよくわかんなかったんだけど……それって、こういうことをいうんだな……」
ぼんやりと呟く俺に、龍樹と奏さまは顔を見合わせて笑う。
「……ほんとうにそうだな」
龍樹がしみじみとそう言って、俺の頭をぽんぽんとした。
その名前のとおり玉みたいな玲と、龍樹と奏さまはこれから先への明るさにあふれていて、俺は黙って心に誓ってた。
この国は戦とかずっとやってて、俺の母ちゃんも病気でもういなくて、すごく近くに、失うってことがある。
でも、こういうのがあるから進めるんだと思った。
前に龍樹が、怪我した俺の父ちゃんを助けてくれたみたいに。
俺もいつか。
「俺、玲がいつか、何か困ったりしたとき、絶対に助けてやるから!」
俺の言葉に、龍樹、うれしそうに笑う。
「いちばんに助けるのは俺だけどな」
奏さまも微笑んだ。
「それなら、二番目は私ね」
二人をじっと見て、俺も笑った。
「じゃあ俺は、三番目に玲を助けるな!」
俺は龍樹と知り合うまで、毎日父ちゃんを手伝って山羊を放牧させて、お腹がすいていて、父ちゃんとの暮らしは男二人で楽しくやっていたけれど、言葉にして面白いとか、わくわくするとか考えることなく過ごしてた。
でも、龍樹と知り合って、学び舎ってところで少しずついろんなことを勉強しはじめて、なんでかわかんないけど、毎日どきどきしてるんだ。
そして、昨日生まれた龍樹と奏さまの子、玲って赤ん坊は、そのドキドキの最たるものって感じがしてた。
「じゃ、俺、学び舎行ってくる! おじゃましました!」
龍樹の割烹着を脱ぎながら元気よく言った俺に、奏さまが微笑んでくれて、龍樹もにこにこと笑った。
「お~がんばってこいよ! 学び舎に行き始めて、どんな感じだ?」
のんびりと聞いてくる龍樹に俺は笑った。
「たのしい! なんか、毎日わくわくしてるんだ」
龍樹も奏さまもそれを聞いて微笑んで、そうしたら赤ん坊がふにゃっと顔をゆがめて泣いた。
「ごめん、赤ちゃん起きちゃった。俺、行ってきます!」
「大丈夫よ、行ってらっしゃい」
優しい奏さまの声を聞きながら、俺は部屋を出て駆け出した。
俺と龍樹が友達なのがとくべつなら、あの赤ん坊、小さな玲はもっととくべつだと俺は思っていた。
神官さまは、その家系の中でしかなれないというのは街の皆が知っていることだった。そしたら、奏さまの次の神官はぜったいに玲がなるんだ。
俺は思った。
俺は学び舎がはじまるまで、人生は同じことの繰り返しだって思ってた。
でも。
玲がうまれた日の翌日に、きらっきらした雨が降って、湖に虹がかかった。
それはめっちゃくちゃ綺麗で、俺の心にまで何か夢とかまぼろしみたいなものが強く残って、もしかしたら未来っていうのは、ぴかぴか光っているものなのかもと思わせた。
さっき見えた綺麗な虹や、光の道みたいなきらきらしたところを通って、とおくまで、あの赤ん坊が進んで行けますように。
そうしたら、俺も、がんばって、ほんのちょっとそれを助けられたらいいな。
それは、俺が学び舎に行き始めてわくわくしていた気持ちに、もっと火をつけた。
「俺がんばる!」
なんだかわかんねえけど、俺の心の中で、希望の光みたいになったんだ。
それが俺と玲が初めて会った日、だった。
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この物語はCaita ショタ部の部誌に寄稿した、身代わり姫と複雑王子 ー風雅の国ーの番外編。
"ものごとのはじまり ー朔夜と薬師の龍樹ー"という短編の続編となります。




