第14話 感情のコントロール
先へ進むため階段を登っていたミナトの方はだんだんと足取りが重くなっていき、踊り場となっている箇所で足を止めてしまう。この突撃においてカイに危ないところを助けられてばかりで、ボクは足をひっぱり何もできないという己への忌避感が芽生えていた。
そんなことがよぎるとこんなボクがルカを助けられるのかという考えにとりつかれる。もちろん、特攻をかけていくという無茶で非現実的である計画であることはわかっていた。しかし、そんなことはわかった上で机上の空論ではあるものの助けることができるかもしれない一縷の望みをかけてきたのである。
それを現実はあっさりと打ち砕いて絶望を見せてくる。──若さゆえの勢いで進んできたものを足止めしてしまうには容易なほどに。
この状況で幸いであったことは突撃をした護衛以外にグレイウォッチの奴らが気付いていないことだ。断頭台までの長い道程に遮蔽物がないので街の民からは丸見えであるが、好んで集められたわけではない民衆にとってミナトがいることは演出の一部程度にしか考えない。ここで騒ぎ立ててあちらの敵が気付いてしまえば、おとなしく引き返す以外に方法がなかったであろう。
どうやら、争った護衛たちから何も情報が渡ってないのか増援が来る気配もない。距離があって音が聞こえなかったのだろうか、それとも準備に集中していたのか真相はわからない。もし、遠くに情報を伝達できるものを持っていたら今ごろ護衛に取り囲まれているであろう。
それでもいずれは気付かれてしまうわずかな時間ではあるがそのわずかが今は貴重な時間、ただただ立ち尽くしていたミナトは老人の言葉を思い出す。
──辛さに耐えきれずくじけそうになった時に開けると良い
誘われるかのようにポケットに手を入れ綺麗に畳まれた紙を取り出す。伝えたいことがあると旅の前に渡された紙切れ、直接話をしてくれればこのようなものは必要ないであろうと考えてしまう。最後まで大した情報を語ってくれなかった老人のお守り、今の状況を打開してくれるとは到底思わないがもう縋れるものはこれしかない。そう思い破けないように丁寧に開いていく。
そこにはただ一文、だが一瞬よろめきそうな衝撃的な内容であった。
『霧を押しのけるには感情を取り戻せ』
紙の真ん中に少々丸みを帯びた文字で書かれていた語意を認識するのに1,2秒。そして、内容を咀嚼し始める。『感情』が必要だなんて想定していなかった。ましてや今まで調査していたことを解決するのにはうってつけの方法であるなんて。
こんな内容は冗談であるかもしれない、知っているのであれば初めて会ったあの場で言えば良いことである。でもなぜ今言うのであろうか。
今の状況を改めて客観的に見るとその理由は簡単かもしれない。恐怖で立ちすくんでいる少年、言うなれば感情に支配された未熟者を奮い立たせてくれる目的であったのではないか。
──感情
感情は危険であると教えられ、最低限の必要な行動以外は無関心で生活をしてきた。その日常の中でもイレギュラーがあり感情が発現する可能性は全くないとは言わないが、それでも感情を持つことは物心ついたころからなかった。周りを見渡したってロボットのような人たちばかり、進んで感情を取り戻す状況でなければ気にすることすらなくなるものだ。
だが、ルカと出会ってからボク自身は自覚することはなかったかもしれないが、大きく影響を与えているのは間違いがなかった。見たことのない顔を見せてくれたとき──『安心』、どうにもならない相手に足がすくむ──『恐怖』、そしてルカを連れ去られた際の衝動──『怒り』、感情は完全になくなってきたはずのミナトに新たに気付かせてくれていた。それを無意識化に行われていた感情の抑制によって気付かないフリをしていただけであったのかもしれない。
──ルカが刺激を与えてミナトの本来あった『感情』を思い起こしてくれたのである。
もっと考えて悩むであろうと思っていたのだが、自ずと答えはすぐ出てきていた。
ならばもう感情を捨てるということはしなくていい。親からの教えで抑制していたものを解き放つ──最初で最後の反抗期。
そうして、霧を押しのけルカも助ける、無茶な目標ではあるが再び足を前に出し希望へと向けて進んでいくのであった。
断頭台まで一本の直線となった階段をミナトはひたすらに進んでいく。
抑えることをやめた感情、恐怖や怒りといった今まで感じたものが溢れてくるが、未来を変えていく期待や解放したばかりなのに溢れてくる感情への驚きのような、自覚することで改めて気づく感情も捉えることができていた。ただ、何もない状態という土台があり自覚できるものができたことで目立っているだけである。まだ表情への変化には及ばないほど微々たるものである。
──そのころ断頭台にはルカの最期のセリフが響いていた。
「玉雪のような私なのにこんな処刑なんて間違ってるよ。みんなーっ、助けてほしいなぁ!」
救援を呼びかけるが観衆は誰ひとり動くことなく一連の流れを見守っている。助けに行こうなどという特異な人はこの場には居なかった。
「それでは始める。そちらへ移動してギロチンのもとへ」
ルカのそばにいたノクトがギロチンの方へ誘導する。なすすべなく定位置に着こうとしたしたときであった。
「……はぁ……待ってください」
階段を登ってきて断頭台の端に到着したミナトが今にも開始しようとしている処刑に物申していた。
「ミナトっ! 広美な私を助けに来たんだねっ!」
「あなたがきましたか、想定通りです。──おや待ってください、想定外があります。なんですかそれは」
今まで飄々としていたノクトが初めて狼狽した顔をこちらに見せていた。まるで存在しない怪異でも見つけてしまったかのようである。
「赤い光──だけじゃないね! スゴイ綺麗な光だよ!」
ルカのこの時を待ち望んでいたかのような興奮した声を聞いてやっとミナトは己の姿を見た。
初めに視認したのは赤い光──ルカの青とは真逆の明るく情熱的な高揚する色であった。その色を確認したと思ったら次には青色が見えてきた。ルカと同じような、でも厳密には若干深みが増しているような色である。そして、他にも黄色、緑色といった様々な光がそこにはあった。今にも体の外へ溢れてきそうな勢いを見せる。
「これが……ボクなんだ?」
「そうだよ! あの時出会ったのは運命だったんだね。まさか他にも光を出せる人に会えたんだから!」
「……それでこれからどうすればいいのかな?」
「勝手に話を進めないでいただけます? イレギュラーに苛立っているのです」
二人だけの世界に入り込もうとしていたところにゾッとするような声が割り込んでくる。ノクトがルカを乱暴に引き寄せようとしているのが見えた。その瞬間スイッチが切り替わったかのようにミナトの顔が変わる。
「やめろ──」
鶴の一声のような周りを圧倒させる一言と共にミナトは右手を前に出した。手の先からはいつかルカが見せてくれた光の咆哮がでていた。位置としてはどうしてもルカにも当たってしまうところにいたのだが、ノクトだけがのけぞり、ルカには衝撃すら感じなかったかのように立っているだけであった。
「これはまずいです。最後の手段を使うしかない」
「……もう何もしないでください。これ以上手を出したくはないですから」
「あなたは無理でもこのお嬢さんはやらないといけません──」
そう言ってどこからか出したナイフでルカのもとへ跳びかかろうとする。
──途端にミナトの光がひときわ大きくなった。抑えきれない怒りの感情が体に纏われる状態を崩壊させてしまうほどに溢れ、その光は高度を上昇させていき頭上を覆う霧にまで届き始めていた。
周りにも影響を及ぼすほどで直撃していないにもかかわらず、ノクトはまたもやのけぞっていた。
「な、なんですかそれは」
霧へ到着した光は突き破ることなく吸い込まれることで更なる変化を見せ始める。今まで灰色しか見せなかった霧が虹色に色づきだしたのである。この段階になると断頭台を見ている観衆はひとりもおらず、変色を始めた霧に視線が釘付けになっていた。
「サイコーだねっ!」
「まだこの光を出しているのがボクだとは思えないよ……」
そう言い終わるとミナトから出ていた光が打ち止めになる。先ほどとは違っていて赤い光を纏った状態である。
「止まっちゃった……」
名残惜しそうに空を見上げると霧が更なる変貌を遂げようとしていたところであった。放たれた光をすべて取り込んだことで霧がこちらに迫ってくるような圧迫感を感じ始める。──実際には霧の体積が大きくなったことで距離感が近くなっただけである。
この変化に動揺するものは街におらず、ノクトのみこの想定外な状況を危惧していた。
「まさか霧が──、このままではまずいです」
ミナトが断頭台に上がってきてから狼狽した姿を隠せておらず、この部分だけ切り取ればとてもグレイウォッチをまとめていたなど思えないほどの滑稽さを感じる。
──とうとう限界を迎えたのか霧が光りだして刹那の後、爆発したかのように霧が晴れていき頭上には青い天井が広がり始めた。
霧の代わりとして新たに現れた光の粒子が今まで灰色に覆われていた街に降り注がれる。
──鮮やかに、──軽やかに。
「ミナトからとっても綺麗な贈り物を貰っちゃった!」
まだ手の自由がないルカであったが足は動かせたため、この奇跡を起こした張本人のもとへ近寄り自慢げにそう語った。
「ボクがやったことなのに驚きすぎてなんて言えば良いかわからないや。……そういえば光、戻ってきたんだね」
赤い光を纏ったミナトは今後見ることができなくなるかもしれなかった青い光を再び見ることができて安堵していた。
「ミナトの光を浴びたからかなっ! すっごーい元気いっぱいになった気がするよ!」
そんな風にガッツポーズでもしたそうなルカのもとへ後ろから不穏な影が近づいてくる。
いつの間にか至近距離にいた不穏な存在に警戒をするが、
「霧がなくなった以上あなたたちに関わる必要はありません。そちらの少女も解放します」
そう言うと「カチャカチャ」と金属音がしてルカの手を拘束していたものが外れる。
「──こんな有様ではグレイウォッチはもう解散するしかない。あの方になんて報告すれば良いのでしょう」
最後に小さい声で何か言ったようだが、ミナトはおろか傍にいたルカにも聞こえることはなかった。
事を終えたノクトはミナトが来た方向とは違う階段から降り始めていた。
「この崇高なる美貌に目を背けたくなっちゃったかな?」
こんな状況でも相変わらずのルカに、いつもの日常が戻ってきたみたいで気持ちが穏やかになっていた。




