悪酔いの準備
その夜遅くに変わった気配がしてナティリアは目を覚ました。
「あ、フウレンくんだー」
子供だけの部屋からふわりと浮き上がって階下へ向かう。
「おとーしゃまー」
ぎょっとした顔のギードの側には、サガンと白い魔術師ハクレイと息子のフウレンがいた。
「ロキッド!」
文字通り飛んで来た末娘をギードは隠すように抱き、眷属である執事を大声で呼ぶ。
ナティリアの事情を知らないフウレンが目を白黒している。何とか見間違いだと誤魔化す。
慌てて転移して来たクー・シー族の執事はどうやら外で修行中だったらしい。
「申し訳ありません、ギードさま」
「こっちはもういい。ハクレイさん親子の部屋を頼む」
そう言ってロキッドを仕事に向かわせ、ナティリアにはめっと怒った顔を見せる。
「打ち合わせは明日にします」
ギードにそう言われてサガンは了承し、自分の客室へと戻って行った。
ギードはドラゴンの件は、サガンにはほのめかしておくだけに留めている。
判断するには当事者からの説明の方がいいだろう。ギードは現場を見ていないのだから。
ハクレイとフウレン親子もロキッドに案内されて客室へと向かった。
ひと息ついて、ギードは自分の地下室に降りた。
「えっと、タミちゃん」
ギードは機嫌の悪い妻に殴り飛ばされる覚悟はしていた。
寝台に座って待っていたタミリアの横にそっと座る。
「酒にする?、それとも何かお菓子でも作ろうか?」
夫のやさしい申し出にタミリアは首を振る。
「お酒は飲んでも酔えないし、この時間から何か作ってもらうのはギドちゃんに悪いし」
いつになくしおらしい。
だからこそ、これは危険だとギードは判断する。
「わかった。じゃ、こっちからお願いしてもいい?」
そう言ってギードはタミリアに片手を差し出す。
「手を握って欲しい。こう、手のひらを合わせて、指をからめて」
タミリアはぼうっとしている。ギードに何を言われてもその通りにする。
「『魔力酔い』という現象があるんだ。酒を飲んで酔うのと同じかはわからないけど」
ギードは合わさった手のひらから少しずつタミリアへと魔力を流し始める。
「都合のいいことに酒のような二日酔いにはならないらしいよ」
人族とエルフ、というより個々で体感は違うだろうけど、と付け加えておく。
タミリアは魔力を制限されていた時に一度二日酔いを経験しているのだ。
「うん」
無気力な答えだけが返ってきた。
自分の身体の中に他者の魔力が侵入することはかなりの違和感だ。
拒絶されないためには、相手が体力的にも精神的にも弱っている場合に限る。
今のタミリアは疲れている。大好きな酒もお菓子も欲しくないと思うほどに。
タミリアは男性であるズメイの横に座るだけでも男嫌いが暴走しかけていたはずだ。それを抑えるためにかなり気を張っていたのだろう。
ギードはあの遺跡の部屋での行為から、相手に魔力を通すことを覚えた。さらに、タミリアとの生活の中でお互いに魔力をなじませてきた。
拒絶反応は無いと思いたい。
やがて弱っていたタミリアに酔いが回り始める。
「んー」
目を閉じたタミリアの身体をそっと寝床に横たえる。
「それで?」
二階にある一番豪華な客間で、サガンの前にヨメイアが床に跪いている。
「も、申し訳ありません」
ヨメイアは必死に謝罪を混ぜながら事情を説明していた。ヨデヴァスは泣きつかれて眠っている。
着替えを済ませ、あとは寝るだけになっていたサガンは、寝酒を勧められて椅子に座っていた。
「謝罪なんていらないよ、ヨーメ。君はヨディではないんだから」
謝るのはヨディ自身がすればいい。
「でも、でも、私は母親だから!」
サガンはため息を吐く。妖精であるガンコナー族には親子の情など良くわからない。
「じゃあ、こうしよう」
この一件で一番被害を被るのはギード一家である。
「彼らの判断に任せるよ。俺は」
この国を追放されても仕方がない。それだけのことをしでかしたのだ。
しかしサガンは、ギードならばそんなことはしないと思っている。
「あいつのことだ。絶対にとんでもないことを要求してくるに決まってるよ」
サガンは何故か愉快そうに笑う。
ヨメイアは胸を撫で下ろして、夫の姿をした胡散臭い妖精を見ていた。
静かな闇に沈んだ館の地下。
風、土、火、水の最上位精霊と、幻惑の森の主である長老猫というギードの眷属が五体、顔を揃えていた。
「久しぶりの眷属会議だねえ」
ギードがのんびりと自分で入れた薬草茶を口に運ぶ。
タミリアは一階にある寝室へ、ロキッドは子供部屋の監視に戻っている。
「のんきですな、ギードさま。ズメイさまのことはもういいので?」
長老猫の言葉にギードは苦笑を浮かべる。
「いいんだよ。それより、海上輸送の件だけど」
ギードは近々『海の大神』に会うために旅に出ることになる。
「その間の国の管理をお願いしたい」
「私は同行いたします」「私も」「わしもー」
ギードは片手を上げて皆の言葉を遮る。
「気持ちはうれしいけど、自分には『泉の神』も付いてるし、同行はいいよ」
何か月かかるかわからない旅である。
眷属たちはギードの影から駆け付けることが出来るので普段通りにしていてもらう。
「その間の国の代表をサガンさまにお願いしようと思ってる」
眷属たちが驚いた。
「皆には彼の手助けを頼みたいんだ」
今回のドラゴンの件でサガンはギードに対して借りを作った。
「まさか、そこまでー」
眷属たちはギードの腹黒さを知っている。今回の件がギードの仕込みでないとは言えない。
「いやいやいや、今回のことは偶然だよ?」
まあ、ちょうどよい機会だとは思ったが、と軽く笑みを浮かべる。
このようなことがなくても、サガンはギードに頼られれば断らないことは経験上知っている。
ギードの借りを返すためサガンが承諾したと言えば、ヨメイアとヨデヴァスからも文句は出ないはずだ。
「とりあえずサガンさまには長期間、滞在していただくつもりだ」
やはりギードの笑みは何となく黒い。