第五話 白銀の瞳に宿るもの
泉を離れた悠真とシロは、森の中をゆっくりと歩いていた。
昨日までの悠真なら、見知らぬ森を歩くことなど不安で仕方がなかっただろう。
けれど、今は少し違う。
隣にはシロがいる。
そして、自分には《育成》と《生命感知》という不思議な能力がある。
「なんとかなる……かな」
そう呟くと、シロが振り返った。
「いや、お前に言ったわけじゃないぞ」
シロは首を傾げる。
その仕草が妙に可愛らしくて、悠真は思わず笑ってしまった。
「まあ、いいか」
シロの前足の傷は、昨日よりもずいぶん良くなっている。
歩き方も安定してきた。
《育成》のおかげなのかもしれない。
そう考えながら、悠真は新しく手に入れた能力を試してみることにした。
「《生命感知》」
意識を集中させる。
すると、周囲の景色に淡い光の粒が浮かび上がった。
木々の中には緑色の光。
草花には小さな光。
地面の下には、さらに小さな光がいくつも動いている。
「へえ……こんなにたくさんの命があるんだ」
普段なら気にも留めないような小さな生き物まで感じ取れる。
まるで森全体が生きていることを教えてくれているようだった。
しかし、そのとき。
悠真の視界に、ひときわ暗い光が映った。
「……なんだ?」
少し離れた場所。
大きな木の根元に、黒ずんだ光がまとわりついている。
周囲の植物は、そこだけ不自然に弱々しかった。
「シロ、ちょっと見に行ってみよう」
シロは短く鳴くと、悠真の隣を歩き始めた。
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そこには、大きな樹木が一本立っていた。
幹は太く、枝は空を覆うほど広がっている。
しかし、その根元だけが異様だった。
黒い蔓のようなものが、木の根に絡みついている。
その周囲の草は枯れ、土も黒ずんでいた。
「病気……なのか?」
悠真はしゃがみ込んだ。
生命感知を使う。
すると、樹木の光が弱々しく揺れているのが分かった。
本来なら強い生命力を持っているはずの大木。
それなのに、何かに生命力を吸い取られているようだった。
「これ、放っておいたらまずいんじゃないか?」
近づいて黒い蔓を観察する。
すると、蔓の表面がまるで生き物のようにかすかに動いた。
「うわっ!」
悠真が身を引いた瞬間、黒い蔓が地面から跳ね上がった。
シュルッ!
「危ない!」
シロが飛び出した。
小さな身体で黒い蔓に飛びかかり、鋭い爪で引き裂く。
ギィッ!
蔓から奇妙な音が響いた。
「シロ!」
黒い蔓は一本ではなかった。
地面から次々と伸びてくる。
シロは素早く避けているが、まだ本調子ではない。
「くそっ、どうすれば……!」
悠真は周囲を見渡した。
戦う力なんてない。
武器もない。
けれど、生命感知で見た樹木の光は、まだ完全には消えていなかった。
そのとき、ふと気づいた。
黒い蔓の光は、木の根元から伸びているのではない。
少し離れた地面の下。
そこに、異様に強い黒い光が集まっている。
「あそこが本体か!」
悠真は地面を指差した。
「シロ! あの場所だ!」
シロは一瞬だけ悠真を見た。
そして、黒い蔓を避けながら地面を駆け抜ける。
しかし、黒い蔓がシロの後ろ足に絡みついた。
「シロ!!」
シロが地面に倒れる。
その瞬間、悠真の中で何かが弾けた。
「離せ!」
考えるより先に、悠真は黒い蔓に手を伸ばしていた。
《育成》。
植物を育てる力。
ならば、逆にこの黒い蔓の成長を止めることはできないのか。
悠真は目を閉じた。
黒い蔓の生命の流れを感じる。
そこには、何かを吸い取ろうとする不自然な力があった。
本来あるべき生命の流れとは違う。
「お前は……その木の命を奪っているんだな」
悠真は黒い蔓の根元に意識を集中させた。
止まれ。
これ以上、奪うな。
その願いとともに、指先から緑色の光が溢れた。
すると。
黒い蔓の動きが止まった。
【固有能力:《育成》が反応しました】
【対象:侵食性植物】
【異常な生命活動を検知】
【育成制御を開始します】
「制御……?」
次の瞬間、黒い蔓の表面に亀裂が走った。
パキッ。
パキパキッ。
蔓は乾いた枝のように崩れ落ち、地面に散らばった。
そして、地中にあった黒い光もゆっくりと消えていった。
【侵食性植物の活動停止を確認】
【経験値を獲得しました】
【育成 Lv.2】
【新たな知識を獲得しました】
【生命の流れを乱す存在を認識しました】
「はぁ……はぁ……」
悠真はその場に座り込んだ。
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
ただ、シロが無事であることを確認すると、ようやく胸を撫で下ろした。
「大丈夫か、シロ!」
シロはゆっくりと立ち上がった。
足に絡んでいた蔓は、すでに消えている。
そして、悠真の手に鼻先を近づけた。
「よかった……本当に」
悠真はシロの頭を撫でた。
すると、シロの身体から青白い光が溢れ始めた。
「え……?」
昨日、泉で見た光と同じだ。
しかし、今度はその光がはっきりと形を作っていた。
シロの身体を包み込むように、淡い光が揺れている。
その中心にあるのは、青く輝く二つの瞳。
悠真の視界に文字が浮かび上がった。
【対象:白銀狼】
【生命力:安定】
【潜在能力:未覚醒】
【種族情報:一部閲覧制限】
「閲覧制限……?」
さらに、文字が切り替わる。
【特殊個体を確認】
【古き森の守護者の血脈】
【覚醒条件:未達成】
悠真は息を呑んだ。
「シロ……お前、いったい何者なんだ?」
シロは答えない。
ただ、いつもと変わらない様子で悠真を見つめている。
そして、悠真の頬に鼻先を押しつけた。
「……ははっ。今はそれでいいか」
正体が何であれ、シロはシロだ。
昨日出会った、小さな白銀色の狼。
それ以上でも、それ以下でもない。
悠真はもう一度、その頭を撫でた。
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その後、悠真は大木の様子を確認した。
黒い蔓が消えたことで、樹木の生命力は少しずつ戻り始めている。
生命感知で見ても、先ほどまでの弱々しい光ではなくなっていた。
「よかったな。これで元気になるといいけど」
悠真が木の幹に手を添える。
すると、木の表面に小さな緑色の光が浮かんだ。
一瞬だけ、悠真の手のひらに吸い込まれる。
【微弱な世界樹の魔力を検知】
【固有能力:《育成》との親和性を確認】
【経験値を獲得しました】
「また経験値か……」
悠真は自分の手を見つめた。
《育成》という能力。
ただ植物を大きくするだけではないらしい。
生命の流れを感じ、時にはそれを整えることもできる。
まだ分からないことばかりだ。
けれど、少しずつ理解できることが増えている。
「もっと練習しないとな」
そう呟いたときだった。
シロが突然、森の奥に向かって吠えた。
「どうした?」
シロの視線の先。
そこには、巨大な木々の隙間から見える、淡い緑色の光があった。
昨日、泉で感じたものと同じ。
しかし、今度は少し違う。
光の奥から、誰かがこちらを見ているような気がした。
そして、悠真の頭の中に声が響く。
――その子を、頼みました。
女性のような、優しい声だった。
「誰だ!?」
返事はない。
光も、ゆっくりと消えていった。
悠真はしばらくその場から動けなかった。
隣では、シロが静かに森の奥を見つめている。
その青い瞳には、ほんの少しだけ寂しそうな色が浮かんでいた。
悠真はまだ知らない。
シロがなぜ一匹で森をさまよっていたのか。
そして、あの声の主が何者なのか。
その答えは、森のさらに深い場所に眠っている。
世界樹の根元で、長い間閉じられていた一つの蕾が、静かに開き始めていた。




