第37話「初めて、彼女と並んで歩いた」
第37話「初めて、彼女と並んで歩いた」
東京・丸の内。
その会合は、ようやく終わった。
世間に発表しなければならないような大きな決定があったわけではない。
写真撮影が必要になるような契約書への署名もない。
先ほど合意されたばかりの協力関係も、まだ十分にシンプルな範囲に収まっている。
いくつかの連絡経路を開く。
特定の市場情報を交換できるようにする。
必要であれば、西園寺が持つ物流ネットワークを利用する。
そして投資については、双方が互いに意見を提供するだけで、提示された案件を必ず受け入れなければならないという義務はない。
蓮にとって、すべてが納得できる内容だった。
深すぎない。
縛りすぎない。
そして何より――
黒瀬ホールディングスが、自分たちの意思決定権を失わない。
蓮は高橋とともにビルの外へ出た。
その数歩後ろでは、麗華が同行していた西園寺側のスタッフの一人と、短い会話を終えていた。
外の空気は、会議室の中とは違っていた。
より開けている。
大通りからは車の走る音が聞こえる。
人々が足早に行き交い、仕事用のバッグを持っている者もいれば、スマートフォンを見ながら歩いている者もいる。
丸の内は、いつもそんな場所だった。
誰かが少し立ち止まって息を整えている間にも、周囲の街は動き続けている。
蓮は両手をズボンのポケットに入れた。
先ほどの会合は、正直なところ、彼が想像していたよりもうまく進んだ。
また別の投資提案を持ち出され、それを断って終わるのではないかと思っていた。
だが、そうはならなかった。
麗華は本当に、やり方を変えてきた。
無理に押しつけることもない。
西園寺の名を利用することもない。
まして、黒瀬ホールディングスを西園寺に依存させようとすることもなかった。
そのことについて、蓮は少し彼女を評価していた。
女性としてではない。
まだ。
正確には、相手との境界を理解している人間として。
それだけだ。
少なくとも、今は。
高橋がビルの入口付近で足を止めた。
「黒瀬様」
蓮が振り向く。
「私は会社へ戻ります」
「分かった」
高橋は、ちょうどビルから出てきた麗華へ視線を向ける。
それから蓮を見る。
その視線には、何かがあった。
蓮はすぐに気づいた。
「何だ?」
「いえ」
「何もないなら、そんな目で見るな」
高橋が小さく笑った。
「今日の会合は、かなり順調だったなと思っただけです」
「仕事の話をしたからな」
「だからこそです」
高橋は肩をすくめた。
「時々、一番難しい会合というのは、ビジネスの話に個人的な思惑を持ち込もうとする人間が多すぎる会合ですから」
蓮はゆっくり頷いた。
言いたいことは分かる。
そして高橋は、もう一度口を開いた。
「もう私が必要なければ、戻ります」
「そうしてくれ」
高橋は軽く頭を下げる。
「では、また」
「ああ」
男はそのまま歩き去っていった。
蓮は、その背中を数秒見つめる。
そして、ようやく気づいた。
麗華が、それほど離れていない場所に立っている。
彼女は片手に小さなバッグを持っていた。
表情は、会議室にいた時ほど厳しくない。
穏やかで。
相変わらず上品ではある。
だが、説明するのが難しい、ほんの少しの変化があった。
まるで何かを考えているようだった。
蓮は待った。
やがて、麗華が口を開く。
「このまま会社へ戻らないのですか?」
「まだです」
「それなら……」
麗華は少しだけ言葉を止めた。
前方の道路へ目を向ける。
そして再び蓮を見る。
「もう食事はされましたか?」
簡単な質問だった。
だが、蓮は一瞬黙った。
「……まだです」
麗華が薄く笑う。
「私もまだです」
蓮はすぐには答えなかった。
彼女が何を言おうとしているのかは、もう分かっている。
食事。
会合の後。
技術的に考えれば、何もおかしくない。
日本のビジネスの世界では、会合の後に食事をすることは珍しいことではない。
むしろ、会議の席では話しにくいことを話す機会になる場合も多い。
ただ、一つ違う点がある。
先ほど、二人はもうビジネスの話を終えている。
だから蓮は尋ねた。
「まだ何か話したいことがありますか?」
麗華は彼を見る。
「どうして、食事を一緒にするなら必ず何か目的があると思うのですか?」
「普通はそうだから」
「今回は、そうじゃなかったら?」
蓮はわずかに眉を寄せる。
麗華は続けた。
「私はただ食事をしたいだけです。追加の提案もありません。書類もありません。投資の話もしません」
そこで一度、言葉を切る。
「もし嫌なら、気にしなくて構いません」
蓮は彼女の顔を見る。
圧力はない。
言葉を必要以上に飾っているわけでもない。
ただの、シンプルな誘いだった。
蓮なら断ることもできる。
会社へ戻り、大和の報告書を開いて、今さっき合意した協力関係の進捗を確認し、それからいつも通り一日を終える。
そのほうが安全だ。
そのほうが簡単だ。
そして、いつもの自分にも合っている。
なのに、なぜか今回は断る必要を感じなかった。
単純に、まだ食事をしていないからかもしれない。
あるいは、一つ知りたかったのかもしれない。
麗華が一人の取締役ではない時、どんな人間なのか。
蓮は、ようやく頷いた。
「分かりました」
麗華の目が、わずかに変わった。
驚きではない。
どちらかといえば、ほっとしたような変化だった。
「それなら、この近くに小さなレストランがあります」
「ビジネス向けの店?」
「違います」
「それならいい」
答えが早すぎた。
麗華が小さく笑う。
「食事中にビジネスの話をするのが、本当に嫌いなのですね」
「俺は食事をするために食べる」
「それが、あなたらしい答えなのですか?」
蓮は彼女を見る。
「俺はそういう人間だから」
「少し分かってきました」
二人は歩き始めた。
最初の数歩は、まだ互いにそれなりの距離を保っていた。
近すぎない。
遠すぎない。
つい先ほどまで企業同士の話をしていて、今はたまたま同じ歩道を歩いている二人。
蓮は前を見ていた。
麗華は、その隣を歩いている。
秘書はいない。
顧問もいない。
会社のスタッフもいない。
ついてくる人間も、誰もいない。
初めて蓮は、書類の中にある西園寺という名前ではなく、麗華を見た。
ただ隣を歩いている、二十三歳の女性。
不思議だった。
なぜか、その事実のほうが報告書に並んでいたどんな情報よりも、現実味を持って感じられた。
蓮はちらりと横を見る。
風に吹かれ、麗華の髪が軽く揺れている。
服装は会議室にいた時と同じように整っている。
だが、あの正式な空間を離れたことで、その姿は少し違って見えた。
もっと人間らしい。
蓮はすぐに視線を前へ戻した。
あまり見続ける必要はない。
恥ずかしいわけではない。
ただ、そこまで気にする必要がないと思っただけだ。
一方、麗華もその短い視線に気づいていた。
だが、何も言わなかった。
むしろ、別のことが彼女の注意を引いていた。
蓮は、自分の歩調に合わせて歩いている。
速すぎない。
かといって、わざと遅くしているわけでもない。
その単純な動きは、蓮にとっては何の意味もないのかもしれない。
だが、麗華にとっては、そんな小さなことさえ目についた。
彼女の働く環境では、自分より速く歩く人間が多い。
部下は歩調を合わせようとする。
ビジネスパートナーもリズムを合わせる。
彼女の注意を引きたい人間は、わざと半歩前を歩こうとすることさえある。
蓮は、そのどれもしなかった。
誰の立場が上なのかなど、まるで考えていないように見える。
麗華は薄く笑った。
「あなたは、いつもそうなのですか?」
「どういう意味です?」
「隣に誰がいるのかを気にせず歩くところです」
蓮は質問について考えた。
「よく分かりません」
「例えば、今です」
蓮は彼女を見る。
「一緒に歩いている」
「はい」
「なら、歩けばいい」
麗華は笑いをこらえた。
「それだけですか?」
「何か複雑にする必要があるのか?」
麗華は答えなかった。
彼女の中では、むしろその答えこそが少し厄介だった。
蓮は謙虚に見せようとしているわけではない。
自分が他人とは違うことを示そうとしているわけでもない。
本当に、そう考えている。
それは彼の話し方からも分かる。
わざとらしい間がない。
相手の同意を得るための笑顔もない。
声を魅力的に聞かせようとするような調整もない。
麗華は、話すことが上手い人間とこれまで数えきれないほど会ってきた。
その中で蓮は、会話を美しく聞かせようとしない人間だった。
それなのに、不思議なことに――
彼との会話は、ずっと楽だった。
二人は交差点を通り過ぎる。
歩行者信号が青に変わった。
人々が一斉に動き始める。
蓮は、二人の前を歩いていた年配の女性に気づくと、反射的に歩調を緩めた。
麗華も自然に歩みを緩める。
誰も、そのことについて話さない。
歩行者の流れが再び空くまで、ただ待つ。
横断歩道を渡り終えると、麗華が尋ねた。
「この辺りは、よく歩くのですか?」
「時々」
「いつも車を使っているのかと思っていました」
蓮は息を吐く。
「それも問題の一つです」
「問題?」
「車が多すぎる」
麗華が小さく笑う。
「何台ですか?」
蓮は少し黙った。
「今のところ?」
「はい」
「三台」
麗華が振り向く。
「三台?」
「ああ」
「それを、まるで傘の本数でも話しているように言うのですね」
「傘のほうが保管は楽だ」
麗華は今度こそ本当に笑った。
形式的な笑いではない。
ビジネスの席で使う笑顔でもない。
短い笑い声だったが、そこには温かさがあった。
蓮も、わずかに笑う。
自分の答えのどこがそんなに面白いのか、自分でもよく分からない。
だが、麗華が笑っているのを見ると、歩いている空気が少し軽くなったように感じた。
「どんな車ですか?」と麗華が尋ねる。
蓮は、何の誇りも見せずに答えた。
「Mansory P9LM EVO 900」
麗華は頷く。
「以前、見たことがあるものですか?」
「たぶん」
「Ghost Series II by MANSORY」
「そう」
「それと、もう一台は?」
蓮はポケットに手を入れた。
「Jesko by MANSORY」
麗華は黙った。
「三台とも、あなたのものですか?」
「ああ」
「それで、多すぎると?」
「全部、手入れが必要だから」
麗華は数秒、彼を見つめた。
そして笑う。
「少し分かってきました。あなたが車のコレクションではなく、会社を選んだ理由が」
蓮は首を横に振った。
「選んだわけじゃない」
「では?」
「システムが与えた」
その言葉が、何気なく口から出た。
蓮はすぐに、自分が注意しなければならないことに気づいた。
すぐに言い直す。
「つまり、もう用意されていた車なんだ。俺は使っているだけ」
麗華は彼を見つめた。
短い沈黙が流れる。
だが、彼女はそれ以上追及しなかった。
「それなら、これ以上は聞かないことにします」
蓮は彼女を見る。
「ありがとう」
その返事には、はっきりとした素直さがあった。
麗華は、蓮から「ありがとう」と言われただけで、少し嬉しくなるとは思っていなかった。
二人は歩き続ける。
遠くに東京駅が見えてきた。
丸の内の駅舎が、近代的なビル群の間に堂々と佇んでいる。
駅周辺の人の流れは、さらに多くなっていた。
麗華が言っていたレストランは、大通りから少し外れた、比較的静かな道にあった。
高級店ではない。
大企業の家族が取引先をもてなすために利用するような店にも見えない。
看板はシンプルだった。
店内は温かみがある。
いくつかのテーブルには、少し遅い昼食を取っている会社員が座っていた。
蓮は入口の前で足を止める。
「ここ?」
「はい」
麗華が扉を開ける。
「どうぞ」
蓮が眉を上げる。
「あなたから」
「どうして?」
「誘ったのはあなただから」
麗華は微笑んだ。
「分かりました」
二人は店内へ入る。
店員が出迎える。
「いらっしゃいませ」
「二人ですが、席はありますか?」
「はい。どうぞ」
二人は店の隅にあるテーブルへ案内された。
個室ではない。
特別扱いもない。
名前を知られることもない。
蓮はむしろ、そのほうが落ち着いた。
席に座る。
麗華は向かいの席に腰を下ろした。
メニューがテーブルに置かれる。
しばらく、会話はなかった。
二人ともメニューを見る。
蓮は料理の一覧を確認する。
「ここには、よく来るんですか?」
「たまに」
「どうして?」
麗華はメニューから顔を上げる。
「料理がシンプルだからです」
蓮は頷いた。
「なるほど」
「私たち、共通点がありますか?」
「まだ分からない」
麗華が小さく笑う。
「本当に、褒めにくい人ですね」
「褒められているとは思っていない」
「そこなんです」
店員がやってくる。
二人は注文をする。
蓮は、十分にシンプルな料理を選んだ。
麗華も、特別に何か豪華なものを選ぶことはなかった。
店員が去ると、再び静かな空気が戻ってくる。
だが、今度はその沈黙が気まずくなかった。
麗華はテーブルの上に手を置く。
「蓮」
それが、彼女が敬称を付けずに名前を呼んだ初めての瞬間だった。
蓮が顔を上げる。
「何?」
「会社のこととは別に、一つ聞いてもいいですか?」
蓮は少し黙った。
「いい」
麗華はまっすぐ彼を見る。
二人の間には、もう報告書はない。
数字もない。
会社名もない。
役職もない。
あるのは、ただ一つの質問だけ。
「あなたは、本当は何が欲しいのですか?」
蓮はすぐには答えなかった。
簡単な質問だった。
だが、なぜか――
どんな投資の質問よりも、その答えのほうが難しく感じられた。
何が欲しいのか。
昔なら、答えは簡単だった。
普通の生活。
面倒ごとは少なく。
必要以上に注目されない。
朝にコーヒーを飲む。
大学へ行く。
帰宅する。
何かを読む。
眠る。
シンプルな生活。
だが、今の生活は変わってしまった。
黒瀬ホールディングスがある。
大和ロジスティクスがある。
三井マリンフーズがある。
少しずつ増えていく企業や資産がある。
美雪がいる。
静香がいる。
自分が計画したことなど一度もなかった、さまざまな人間関係がある。
駐車場に置かれている三台の車だけでも、かつてのように単純な生活ではなくなったことを十分に証明している。
だが、それらすべてを取り除いたとしたら――
何が残る?
蓮はテーブルを見る。
そして、穏やかな声で答えた。
「平穏」
麗華は動かなかった。
「平穏?」
「ああ」
蓮は顔を上げる。
「俺は、一番金持ちになりたいとか、そういうことをあまり考えてない。地位を追いかけたいとも思わないし、誰かに自分を認めてもらいたいとも思わない」
少し間を置く。
「ただ、あまり面倒なことのない生活をしたいだけだ」
麗華は黙った。
その答えに、すぐ返事をすることができなかった。
感心するような答えだったからではない。
むしろ逆だった。
あまりにも単純だった。
麗華の世界では、ほとんどすべての人間が何かを求めている。
権力。
金。
影響力。
人脈。
地位。
名前。
そして、そのすべてを欲しくないと言う人間でさえ、たいていは別の何かを欲しがっている。
だが、蓮は……。
本当に、そのすべてを追いかけていないように見える。
だからこそ、彼には理解しにくいものがあった。
「断る」と言える自由。
麗華は視線を落とした。
「変わった答えですね」
蓮は頷く。
「俺もそう思う」
「黒瀬ホールディングスほど大きな会社を持っている人が、穏やかに暮らしたいと言うなんて」
「俺の生活が穏やかだったなんて、一度も言ってない」
麗華が微笑む。
「それは、そうですね」
料理が運ばれてくる。
会話は一度止まった。
店員が料理を一つずつ置いていく。
蓮は礼を言う。
店員が去った後、麗華は蓮が箸を手に取る様子を見ていた。
急いだ動きはない。
手元にスマートフォンを置いてもいない。
数秒ごとに通知を確認するような習慣もない。
本当に食事をしている。
シンプルに。
普通に。
不思議だった。
麗華は、こういう状態のほうが、会議室に座っている時よりも蓮という人間をはっきり見ることができるような気がした。
彼は黒瀬ホールディングスではない。
会社のオーナーでもない。
さまざまな報告書で語られる若き富豪でもない。
ただの蓮だ。
一人の男として昼食を食べている。
麗華も、ようやく自分の料理に手をつけた。
「ありがとう」
蓮が手を止める。
「何に?」
「付き合ってくれて」
蓮は首を横に振った。
「俺も腹が減ってたから」
麗華は微笑んだ。
「それなら、親切で付き合ってくれたとは思わないことにします」
「もともと違う」
二人は、今度も小さく笑った。
長くはない。
大げさでもない。
それでも、会議室に残っていた最後の形式ばった空気を消すには十分だった。
店の外では、東京がいつも通り動き続けている。
電車が来ては去っていく。
人々はそれぞれの予定を追いかける。
企業は仕事を続ける。
電話は鳴り続ける。
そして、決して完全に静かになることのない街の真ん中で――
本来なら、ただのビジネスパートナーであるはずの二人が、企業について話すことなく向かい合っていた。
まだ、名前を付けるような感情はない。
関係が変わったわけでもない。
ただ、小さな会話があった。
簡単な昼食があった。
そして、二人の間の距離が、以前よりほんの少しだけ近くなった。
食事を終えると、二人は再び外へ出た。
蓮は空を見上げる。
晴れている。
雨が降る気配はない。
麗華は、その隣に立っていた。
「会社へ戻るのですか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「いくつか確認しなきゃいけない報告書がある」
麗華は頷く。
「私もです」
二人は数歩歩く。
その後、麗華が足を止めた。
蓮も足を止める。
「蓮」
「何?」
「もし、この協力関係がうまくいったら……」
そこで、彼女は言葉を続けなかった。
蓮は待つ。
やがて麗華は微笑んだ。
「いつか、またあなたを食事に誘うかもしれません」
蓮は彼女を見る。
「ビジネスの話をするために?」
麗華は首を横に振った。
「違います」
その答えに、蓮は一瞬黙った。
そして麗華は振り返る。
「では、また」
蓮は遠ざかっていく彼女の背中を見つめた。
追いかけない。
呼び止めもしない。
ただ数秒立ったまま、その後ポケットに手を入れ、別の方向へ歩き出した。
その頭の中に、一つの単純な考えが浮かぶ。
麗華は、自分が想像していた人間とは少し違うらしい。
そして、もしかすると――
それこそが、次に会う時をこれまでとは違うものにする理由なのかもしれない。
一方、その数メートル後ろで、麗華は一度だけ振り返った。
蓮はすでに遠ざかっている。
振り返ろうとする様子もない。
麗華は小さく笑った。
今回の会合で何かを得たからではない。
ただ、これほど長い間――
自分が西園寺 麗華である必要もなく、一人の人間として誰かと話したのは初めてだったから。
ただの麗華。
そして今は、それだけで十分なのかもしれない。
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【次38話 — 「欲望のない経営者」】
麗華は、蓮の人生が彼を取り巻く世界よりも、はるかにシンプルなものだと理解し始める。
豪邸を追い求めない。
大規模な投資を追い求めない。
地位を追い求めない。
それどころか、女性との関係さえ求めているようには見えない。
しかし、その姿勢こそが、麗華にとって蓮をますます無視できない存在にしていく。
一方、サイオンジ・インベストメント・グループと黒瀬ホールディングスの協力関係にも、最初の成果が現れ始める。
だが、西園寺家が麗華が慎重に進めることを知った時、彼女の判断を疑問視する者が現れる。
そして今回は――
黒瀬 蓮の名前が、投資会議の席だけで語られる存在ではなくなっていく。
【次38話へ続く……】




