第228話「森色の執着」
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
否定を告げても、淡い緑色の水面は揺れなかった。
足もとには薄明かりが沈んでいる。
透明な境界の向こうでは、ティアナが何かを言いかけていた。蜂蜜色の髪が揺れ、緑金の瞳がこちらへ向けられている。
その隣にはフィアがいた。
けれど、声は届かない。
手を伸ばせば触れられそうなのに、音だけが失われていた。
私は二人から視線を戻し、アスモリーナへ向き直る。
「誤解が生じないよう、説明を補足します」
「お願いいたします」
アスモリーナは穏やかに応じた。
笑ってはいない。私の否定を面白がっている様子もなかった。
ならば、順序立てて述べればよい。
「アルトは、《暴食》を宿す継続観察対象でした。契約魔神ベルゼバスは、現在も彼の内側に存在しています。第三者としての監視任務が終了したことと、危険性が完全に消失したことは同義ではありません」
アルト自身が《暴食》を閉じ、異変を報告し、他者の判断を受け入れるようになった今も、未確認の条件は残っている。
「私が残ったのは、彼が今後どのような判断をするのか、最後まで見届ける必要があると考えたからです。命令ではありませんが、監視に携わった者としての責任はあります」
「責任、ですか」
「はい。また、彼は予測から外れる選択を繰り返します。自分の安全より精霊の命を優先し、敵を追える状況でも救助を選ぶ。合理性を欠いているように見えて、後から検証すると、彼の選択によって守られたものが存在する。その判断過程には、観察する価値があります」
どこにも虚偽はない。
「したがって、私の関心には知的な要素も含まれます。以上の事実だけから、恋愛感情であると断定することはできません」
複数の説明が成立する状態で、一つだけを確定事項として採用すべきではない。それが私の判断だった。
アスモリーナはしばらく私を見つめた。
「どれも事実なのでしょう。ですが、すべてではありません」
水面の下で、淡い光が脈打った。
「事実の外にあるものを、勝手に補わないでください」
「補うつもりはございません。ここに現れるのは、私が与えた答えではなく、あなたの記憶と願いと恐れです」
静かな水音がした。
私の背後から、細い幹が伸びていく。
白に近い樹皮を持つ木々が水面を割らずに根を下ろし、淡い緑色の葉を広げた。風はない。それなのに葉先だけが、ごく小さく震えている。
森は、音もなく私たちを囲んだ。
正面の水面が鏡のように明るくなる。
そこに、アルトが立っていた。
黒に近い濃紺の髪。こちらを見る青灰の瞳。左腕には黒い紋章が残っているが、治療布も黒銀色の封魔具もない。
周囲には濃い魔力が漂っている。
それでも、紋章は反応しなかった。
呼吸も、瞳孔も、指先も安定している。飢餓の兆候は確認できない。
「この光景において、《暴食》は完全に安定しています」
アスモリーナの声が、森の奥から届いた。
「封魔具も、監視も必要ありません。これは未来の確定ではなく、そうなった場合の像にすぎませんが」
胸の奥から、長い息が抜けた。
良かった。
最初に生じたのは、それだけだった。
力を恐れて眠れない夜も、左腕を押さえて耐える時間も終わる。
その可能性が、心から嬉しかった。
像の中のアルトが、私へ笑いかける。
「今まで見ていてくれて、ありがとう。セルフィナ」
「当然のことをしただけです」
水面に映る私が、そう答えていた。
少し離れた場所で、ティアナがアルトを呼ぶ。フィアも剣を腰に差したまま、彼が来るのを待っている。
アルトは二人へ手を上げた。
そして、私へもう一度頭を下げ、二人のもとへ歩いていく。
三人の足跡が、淡い光の上を先へ延びた。
私はその場に残った。
安全になった。
望んでいた結果だ。
それなのに、胸の内側へ冷たい空洞が生まれていた。
監視記録を閉じる音だけが、ひどく大きく響いた。
「監視する必要がなくなれば、あなたが彼のそばへ残る理由もなくなるのでしょうか?」
私は空洞から意識を離し、問いだけを検討した。
「いいえ。その結論にはなりません」
「なぜでしょう」
「第三者監視の任務は、すでに終了しています。現在の私は、命令を受けて残っているわけではありません。アルトを理解できたとは言えないからこそ、自分の意思で彼の判断を見届けると決めました。任務の終了だけを理由に去ることはありません」
答えは明確だった。
次の瞬間、森の葉が逆向きに舞った。
前へ進んだ足跡が消え、アルトが先ほどの位置へ戻る。閉じた記録も開いていく。
今度の私は、記録を抱えたまま、三人へ背を向けた。
役目が終わったのなら。
必要がないのなら。
ここに残る理由を、相手へ求めてはならない。
像の中の私は森へ歩き出す。
「待って」
アルトの声がした。
足が止まる。
振り返った先で、アルトは迷うように一度だけ唇を閉じた。それから、私をまっすぐ見て告げた。
「セルフィナにも、残ってほしい」
胸の空洞が、一息で満たされた。
冷えていた場所へ熱が流れ込み、肩から力が抜けた。森のどこにも出口がなくても構わないと、一瞬だけ思えるほどの安堵だった。
だからこそ、誤りはすぐに分かった。
「その場面は、私の記憶には存在しません」
「はい」
アスモリーナは否定しなかった。
「これは記憶ではございません。あなたがアルト様から言われたいと願っている言葉です」
熱が消えない。
存在しない場面だと識別した後も。
それが、何より不都合な証拠だった。
木々の間から蔦が伸びた。
細く、柔らかい蔦だった。私の足を縛るのではなく、行く先を示すように水面を這っていく。
その先で、別の光景が開いた。
ティアナがアルトの隣にいる。
彼女は表情を隠さない。困れば困ったと言い、怒れば声にし、そばにいたいときには自分の足で距離を詰める。
「アルト、一緒に行こう」
差し出した手に迷いがない。
光景が変わる。
今度はフィアが、剣を抜いてアルトの右側に立った。
「右は任せる」
短い言葉のあと、二人は同時に踏み出す。
剣の届く距離。
互いの判断が一呼吸遅れれば、どちらかが傷つく距離。
そこでフィアは、アルトと命を預け合っている。
私は少し後ろにいた。
記録板を持ち、アルトの魔力変動を測っている。
左腕の紋章の拡大範囲。
呼吸の乱れ。
《暴食》が反応する条件。
ベルゼバスの干渉が疑われる発言。
アルトが何を選び、何を選ばなかったか。
一つずつ確認し、記す。
「助かったよ、セルフィナ」
アルトは私へ感謝した。
その言葉に嘘はないように見えた。
けれど、次に進むとき、彼はティアナとフィアの間へ戻った。
私は記録を持って、また後ろに残る。
廊下でも、野営地でも、任務へ向かう道でも同じだった。
私は異変を見つけ、危険を伝え、必要な情報を渡す。アルトは礼を言い、先へ行く。
手もとの記録だけが厚くなった。
私と三人の間に、木々が増えていく。
嫌いではない。
ティアナの率直さも、フィアの剣も。
二人がアルトの隣にいることが誤りだとは思わない。
そこは最初から、私に与えられた場所ではなかった。
では、なぜ。
「あなたが羨んだのは、近さでしょうか」
違う。
「彼の中での順位でしょうか」
それだけではない。
もっと深い。
もっと、認めにくい。
二人はアルトの人生に、自分自身の意思で関わっている。
観察結果を渡す者ではない。
安全を判定する者でもない。
同じ選択によって傷つき、迷い、それでも次を選ぶ当事者として、彼の隣に立っている。
私は、それが羨ましかった。
観察者のままで終わることが、怖かった。
認めた途端、木々の枝が一斉にこちらへ傾いた。
葉の隙間が消える。
淡い緑色は優しいはずなのに、逃げ場のない色へ変わっていく。
「アルト様が安全になることを、あなたは望んでいます」
「はい」
それは即答できた。
「同時に、彼から必要とされなくなることを恐れている」
すぐには答えられなかった。
水面に映った私の顔は、普段とほとんど変わらない。
それでも、弓を持つ指がわずかに強張っていた。
「もし、安全であることと、私を必要とすることのどちらかしか選べないなら、私は前者を選びます」
声に揺れはなかった。
これは偽りではない。
アルトの危険が続けばよいなどと、望んだことはない。
封魔具が外れ、紋章に怯えず、自由に歩けるようになってほしい。その願いは、今も変わらない。
「ですが」
喉の奥で、一度だけ言葉が止まった。
「安全になった結果、私の役目が完全に消えることを、何も感じず受け入れられるわけではありません」
安全への願いも、必要でなくなることへの恐怖も、本物だった。二つは打ち消し合わない。
どちらかを虚偽にすれば、私はまた都合のよい部分だけを記録することになる。
森の形が変わった。
無秩序に伸びていた枝が、整然と並び始める。
蔦は直線に近い角度で交差し、区画を作った。まるで観察記録の罫線だった。
アスモリーナが、その奥へ視線を向ける。
「ここから先に現れるものは、予言ではございません」
静かな声だった。
「あなたが今後、願いと安全を取り違え、選択を誤った場合に生じ得る可能性です」
区画の中央に、再びアルトが現れた。
その周囲を、小さな風精霊たちが飛んでいる。
私は彼らを知っていた。
風の匂いを好む子も、高い場所から雲へ触れようとする子もいる。誰も、道具ではない。
像の中の私は、彼らへ丁寧に頭を下げた。
「アルトの行動を、常に知らせてください。危険を見逃さないために必要です」
命令ではなかった。
精霊たちは、私を信じて頷いた。
だから、息が詰まった。
強制するより悪質になり得る。
私への信頼を、個人的な不安を満たすために使えるからだ。
朝、アルトが部屋を出た時刻。
誰と話したか。
どこへ向かったか。
左腕を押さえた回数。
すべてが風に乗って、像の中の私へ集まっていく。
アルトが尋ねた。
「明日、ティアナとフィアと一緒に、外で訓練してもいいかな」
像の中の私は記録を確かめる。
「推奨できません。昨日、紋章に軽微な変動がありました。《暴食》とベルゼバスの危険を考慮すれば、不要な刺激は避けるべきです」
「でも、すぐに戻ったよ」
「安定したと判断するには、観測期間が不足しています」
間違ってはいない。
変動はあった。
観測期間を長く取ることにも、理由はある。
アルトは少し黙り、やがて頷いた。
「セルフィナがそう判断するなら」
ティアナとフィアへ続いていた二本の道が、木々に覆われた。
次の記録が開く。
三十日間、重大な異変なし。
飢餓反応は基準値以下。
アルト自身の申告と、精霊の観測結果も一致。
安全性を示す情報だった。
けれど、像の中の私はその頁を伏せる。
「まだ例外条件を排除できません」
それも、完全な虚偽ではない。
安全を証明し切ることは難しい。慎重であろうとすれば、観測はいくらでも延長できる。
私は嘘をつかずに、彼へ渡す情報を選べてしまう。
監視役として得た知識を使えば、ティアナやフィアと行動した後の小さな変化だけを強調し、二人を安全管理上の変数として扱える。
共同訓練は延期される。
外出には私の同行が付く。
記録の共有先は減っていく。
やがて、《暴食》の状態を最も詳しく知る者は私だけになる。
アルトが何かを決める前に、私を見るようになった。
「これは、しても大丈夫?」
その問いを、私は望んでいたのだろうか。
違うと答えたかった。
けれど、胸のどこかが、先ほどの「残ってほしい」と同じ熱を覚えていた。
森の出口は開いている。
鎖もない。
怒鳴り声もない。
アルトの足は自由に動く。
それでも、外へ続く道には一つずつ、「危険」「未確認」「推奨できない」という札が掛けられていった。
選択肢だけが減っていく。
最後に残ったのは、私へ続く道だけだった。
「私が管理します。その方が安全です」
像の中の私は、穏やかに告げた。
蔦がアルトを囲む。
触れてはいない。
ただ、彼がどこへ進むべきかを、隙間なく決めていた。
これが、私の狂い方。
激情ではない。
叫びもしない。
誰かを憎む必要もない。
正確な記録と、慎重な判断と、保護という言葉で作る、静かな檻。
風精霊たちが、囲いの内側から私を見た。
責める声は聞こえない。
それが余計に苦しかった。
彼らの意思を尊重すると言いながら、自分の執着のために監視を頼む。
アルトを器として扱う者に怒りながら、私だけが正しく管理できる対象へ変えていく。
嫌悪が込み上げた。
像に対してではない。
その方法を、理解できてしまう自分に対してだった。
「これは、起きていません」
「はい」
アスモリーナは即座に認めた。
「あなたはまだ、誰にもそのようなことをしておりません」
「ならば、これ以上の検証は不要です」
声は保てた。
弓を握る指には、痛みが生じるほど力が入っていた。
「終了してください」
「セルフィナ様」
「私は、終了を求めています」
返事を待たず、緑色の霧が濃い方へ足を向けた。
一歩。
二歩。
呼吸の間隔が合わない。
吸う前に吐き、吐き切る前に次を吸ってしまう。
背後にティアナとフィアがいる。
分かっていても、顔を向けられなかった。
普段と同じ歩調を保とうとするほど、足は速くなった。
霧の奥へ入れば、少なくとも二人の視線からは外れられる。
そう考えたとき、薄い硝子がほどけるような音がした。
「セルフィナ!」
初めて、ティアナの声が届いた。
透明な境界が、淡い光の粒になって崩れている。
水面を蹴る足音が近づいた。
「セルフィナ。気持ちを持っただけで、まだ誰も傷ついてないよ」
私は背を向けたまま答える。
「ですが、傷つける可能性はあります」
「うん。これから何をするかで、誰かを傷つけることはあると思う」
ティアナの声は近かった。
可能性を無理に否定する言葉ではない。
「でも、今ここで気持ちが見つかったことと、もう誰かを傷つけたことは同じじゃないよ」
別の足音が、一度だけ水を鳴らした。
フィアは私のすぐ近くまで来ていた。剣を腰に差したまま、逃げようとする私の進路を塞がず、斜め横に立つ。
鋭い瞳が、まっすぐ私を捉えた。
「隠しても、消えない」
短い言葉だった。
私は目を閉じた。
消えないのなら、観察するしかない。
ただし今度は、都合のよい事実だけを選ばずに。
アルトから「残ってほしい」と言われたかった。
その言葉が存在しないと分かった後も、嬉しさは消えなかった。
ティアナとフィアが、アルトの人生へ当事者として関わっていることを羨んだ。
自分だけが記録を持ち、外側に残されることを恐れた。
感謝されたいだけではない。
私個人を必要としてほしかった。
私はゆっくり振り返った。
ティアナの緑金の瞳と、フィアの視線が逃げずにそこにある。
アスモリーナも、森の中央で待っていた。
「最初に述べた説明を訂正します」
声を整える。
感情を消すためではない。
存在するものを、正確に言葉へ移すために。
「監視対象への関心と責任感も事実です。私は今も、《暴食》の危険を軽視していません。アルトの予測しにくい判断へ知的関心を抱いていることも、偽りではありません」
そこで一度、息を吸った。
「しかし、それだけではありませんでした。それだけでは、私がここに残りたい理由も、役目を失うことへの恐怖も、説明できません」
胸の奥にある熱を、そのまま認める。
誰かへ勝つためではない。
二人から場所を奪うためでもない。
観察者であることを言い訳にして、自分だけを選択の外へ置かないために。
「私はアルトに選ばれたいと思っています」
水面に、声が静かに広がった。
ティアナは目をわずかに見開いたあと、口もとを緩めた。
フィアは何も言わず、ただ私の隣から離れなかった。
アスモリーナが問いかける。
「その願いがさらに強くなったときも、彼の自由を守れると断言できますか?」
すぐに肯定することはできた。
ここで正しい答えを述べるだけなら、難しくない。
けれど、それは先ほどの森と同じだ。
整った言葉によって、確認できないものを安全に見せるだけになる。
未来の私は観測できない。
今の基準が、恐れや嫉妬によって少しずつ変わる可能性もある。相手を思う気持ちが強いほど、自分の判断も正しいはずだと錯覚するかもしれない。
私は、その可能性を根拠なくゼロにはできない。
「私は、愛に狂わないとは断言しません。現在の私に、未来の私を保証することはできないからです」
ティアナへ視線を向ける。
次に、フィアへ。
二人を遠ざけたいと願う日が、決して来ないとは言えない。
アルトの答えを聞くことが、怖くなる日もあるかもしれない。
それでも、感情と行動は同じではない。
「風精霊たちへ、私情による監視を頼みません。彼らが私を信じてくれることを利用し、その意思を道具のように扱うこともしません」
森の区画を作っていた蔦が、一本ほどけた。
「《暴食》とベルゼバスの危険は、今後も事実として扱います。しかし、その危険を拡大し、アルトの自由を奪う理由にはしません」
もう一本。
「安全を示す情報を、慎重という名目で伏せません。私だけが必要とされる状況を作るために、情報の差を利用しません」
枝の隙間から、淡い光が差した。
「監視役として得た知識を、ティアナやフィアを遠ざけるためには使いません」
口にすれば、痛みがなくなるわけではない。
選ばれたい。
名前を呼ばれたい。
アルトの進む先に、私の場所もあってほしい。
その願いは、宣言を重ねても薄くならなかった。
「アルトが別の誰かを選んだ場合、私は傷つくと思います。羨ましいとも、そばにいたかったとも思うでしょう」
それも隠さない。
「ですが、その答えが私にとって望ましくないという理由で、無効にはしません。彼の判断を誤りと呼び、自分の望む答えへ修正させることはしません」
愛情があれば正しくいられる、とは思わない。
むしろ、愛情があるからこそ誤ることがある。
守りたいという言葉ほど、拘束を隠しやすい。
だから一度の誓いで、未来のすべてを済ませてはならない。
「だから、選び続けます。精霊の意思を守ること。仲間の信頼を壊さないこと。アルトの選択を奪わないことを」
私は弓を握っていた指を開いた。
掌に残った弦の跡へ、淡い緑の光が触れる。
「愛情を認めた私が安全なのではありません。私は今後も、誤る可能性を持ったままです。その都度、自分の行動が誰の意思を消しているのかを確かめ、選び直します」
最後に、森の奥にいるアルトの像を見た。
蔦に囲まれた彼ではない。
封魔具を外し、自分の足で行く先を決められる彼の姿を。
「そばにいてほしいとは願います。ですが、そばにいるよう仕向けることはしません」
音もなく、森がほどけ始めた。
絡み合っていた枝が互いを押さえるのをやめ、空へ向かって伸びていく。水面を区切っていた蔦は結び目を解き、柔らかな輪になって流れた。
幻のアルトを囲っていた風精霊たちが、一斉に空へ飛び上がる。
誰の指示も待たない。
右へ行く子も、森の高みへ昇る子もいる。一度だけ私の周囲を回り、遠くの光へ飛んでいく子もいた。
私は呼び止めなかった。
囲いが消えたあと、アルトの像も淡い光へ溶けていった。
残ったのは、どこまでも続く緑色の水面だった。
ティアナとフィアは、その上に立っている。
私は二人と同じ距離へ並んだわけではない。
それぞれがアルトと築いたものは異なる。感情を認めただけで、同じ位置へ移れるわけでもない。
それでよい。
私は二人より少し離れた場所へ、一歩を踏み出した。
境界の外でも、記録だけを持って後ろに残る場所でもない。同じ水面の上だった。
アスモリーナは、ほどけた森と私を順に見た。
「感情を理性で覆い、見えなくすることができる。拘束を保護と呼び替え、正しい手順に見せることもできる。それをご自身で理解してなお、執着から逃げず、行動の責任を引き受けようとなさる」
穏やかな声に、安易な称賛はなかった。
「私は、あなたを完全に安全な方だとは申し上げません」
淡い緑の光の中で、アスモリーナの瞳だけが強い興味を宿したように見えた。
『あなたは最も静かで、最も危うい。だから、見ていたくなりました』
「面白かった!」
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