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強くなるほど「味」が消えるダンジョンで、俺だけが人間のまま地下の観客を引きずり下ろす  作者: 平八


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第11話 理解という名の解剖

白城怜司は、捨てて楽になった男だった。


では、律は何を捨てずに、どこまで壊れるのか。


観客席の中から、ひとつの視線が近づいてくる。

白城怜司が去った後も、食堂の空気は元に戻らなかった。


魔獣の血は清掃された。

吹き飛んだ扉には仮の結界板が張られた。

倒れた椅子も、元の位置に戻された。


見た目だけなら、ただの食堂だった。


けれど、誰もさっきまでと同じ顔で飯を食えなかった。


白城に助けられた女子生徒は、教師に付き添われて医務室へ向かった。

怪我はないらしい。

それでも、彼女の足は震えていた。


命は助かった。


でも、救われたという顔ではなかった。


白城怜司は、人を救った。

けれど、人の心には触れなかった。


俺は冷めたカレーを食べ終え、トレーを返した。


おばちゃんは、いつもより少しだけ顔色が悪かった。


「黒瀬くん、本当に大丈夫?」


「はい」


「……無理してない?」


無理。


その言葉を聞いて、一瞬だけ答えに詰まった。


無理はしている。


味のない飯を食うこと。

冷めた脂を飲み込むこと。

白城のように楽にならないと決めること。


全部、無理だ。


でも、その無理をやめたら、俺はたぶん、楽になる。


白城怜司みたいに。


「無理はしてます」


俺がそう言うと、おばちゃんは少し目を丸くした。


篠田が横で「正直すぎんだろ」と呟く。


俺は続けた。


「でも、食べました」


おばちゃんは、しばらく俺を見た。


それから、ゆっくり頷いた。


「そう。じゃあ、今日はそれでいいね」


今日はそれでいい。


その言葉が、少しだけ残った。


完璧に戻らなくてもいい。

全部分からなくてもいい。

今日、食べた。


それでいい。


端末が震えた。


食堂個体、言語補助

対象個体の自己定義を補強

支援価値、継続上昇

観測対象周辺の保護要因として記録


俺は端末を見なかった。


見れば怒る。


怒れば、おばちゃんの価値が上がる。


だから見ない。


ただ、頭の中で言った。


記録するな。


これは、お前らのものじゃない。



午後の授業は中止になった。


魔獣逸脱事故の説明と、施設点検が入ったからだ。


生徒たちは寮へ戻るように言われた。


廊下にはまだざわめきが残っている。


「白城さん、やっぱ化け物だな」


「あれ、見えた?」


「一瞬だった」


「助けられた子、泣いてたぞ」


「嬉し泣きじゃないだろ、あれ」


「でも強いよな。ああなれたら、深層行けるんだろうな」


ああなれたら。


その言葉が何度も耳に入る。


憧れ。

恐怖。

嫌悪。

羨望。


全部が混ざっていた。


白城怜司は、やはり英雄だった。


人間であることを除けば。


篠田が隣で小さく言った。


「お前、さっき本気で潜るって言ったのか」


「ああ」


「正気か」


「自信はない」


「自信がないことを真顔で言うな」


篠田は苛立ったように頭をかいた。


「白城を見ただろ。あの先に行くってことだぞ」


「分かってる」


「分かってねえよ」


篠田の声が低くなる。


「あれは強い。強いけど、あれは……」


言葉が止まる。


篠田は白城の姿を思い出しているのだろう。


瞬きしない英雄。

魔獣をエラーのように処理した男。

助けた女子生徒の顔を見なかった男。


「俺は強くなりたい」


篠田は吐き捨てるように言った。


「でも、あれを目標にしろって言われたら、吐く」


「同感だ」


「じゃあ、何で潜る」


答えは、すぐには出なかった。


観客席へ届くため。

あいつらの喉元へ行くため。

見られるだけの場所から、見返す場所へ行くため。


でも、それだけでは足りない気がした。


俺は、自分がなぜ潜るのかを、まだ完全に名付けられていない。


「まだ分からない」


俺は言った。


篠田が嫌そうな顔をする。


「お前、最近それ多いぞ」


「分からないものを、分かったことにはしたくない」


「面倒くせえ」


「ああ」


「でも」


篠田は一度、言葉を切った。


「分からないって言えるうちは、まだマシなのかもな」


俺は篠田を見た。


篠田はすぐに目を逸らした。


「今のなし。気持ち悪い」


「聞いた」


「忘れろ」


忘れない。


たぶん、忘れたくない。


篠田は、俺を見ていた。


その顔には、いつもの苛立ちだけではないものがあった。


怖がっている。


俺を、ではない。


俺が行こうとしている場所を。


同じ教室にいて、同じ食堂で飯を食って、同じ訓練を受けているはずなのに。


俺だけが、自分から重りを抱えて、底の見えない穴へ降りようとしている。


篠田は、それに気づいてしまった顔をしていた。


それでも、何も言わなかった。


止める言葉がないのだろう。


俺にも、止まる言葉がない。



部屋に戻ると、端末は最初から点いていた。


黒い画面。


いつもの観客ログではない。


文字は一行だけだった。


白城ルートを拒否した理由を、確認したい。


俺は扉を閉めた。


「またお前か」


返答が浮かぶ。


君が「お前」と呼んでいる個体群の一部ではある。

ただし、群衆とは目的が異なる。


「目的?」


≪理解。≫


その二文字を見た瞬間、背筋が冷えた。


理解。


嫌な言葉だった。


小森の涙を水分に変えたやつら。

おばちゃんを支援個体と呼んだやつら。

白城と俺を新旧モデル比較と呼んだやつら。


その中から現れた、静かな視線。


そいつが、理解と言った。


「理解してどうする」


分解する。

比較する。

保存する。

必要なら再現する。


やっぱりだ。


こいつにとって、理解とは寄り添うことではない。


標本を切り開き、中身を分類し、棚に収めることだ。


端末に文字が続く。


白城個体は、安定している。

反応は薄いが、行動効率は高い。

深層到達可能性も高い。

一方、君は不安定だ。

反応は濃いが、損耗が激しい。

生存効率は低い。


「なら白城を見てろ」


見ている。

だが、彼は味が薄い。


味。


その言葉を、こいつらが使うことに吐き気がした。


白城個体は、既知だ。

彼の反応曲線は安定している。

苦痛への反応も、食事への執着も、他者への揺らぎも、ほぼ測定済み。

これ以上、未知の波形は少ない。


「白城を物みたいに言うな」


彼は完成している。

あるいは、観測対象としては既に死んでいる。


白城が死んでいる。


その言葉に、反射的な嫌悪が湧いた。


だが、同時に理解してしまう。


観測者にとって、白城はもう予測できる存在なのだ。


深層に適応し、必要ないものを捨て、波を失った完成体。


こいつからすれば、白城は美しい標本であっても、もう驚きのない標本なのだろう。


君は違う。

君はまだ、削られた箇所から不快なノイズを吐き出している。


「ノイズ」


欠損を欠損と呼ぶ。

適応を傷と呼ぶ。

食事を燃料に分類しない。

自分の損耗に意味を付与する。

その出力は不安定で、扱いづらい。

だから珍しい。


珍しい。


虫の足を一本ずつ抜く学者。


そんな印象がまた浮かぶ。


こいつは騒がない。

笑わない。

草も生やさない。


だから余計に気持ち悪い。


大衆の観客は、俺が苦しむところを見て楽しむ。

こいつは、俺がなぜ苦しむのかを切り開いて覗き込む。


どちらがましという話ではない。


どちらも最悪だ。


君は、白城ルートを拒否した。

しかし、白城個体の強さは欲しいのだろう。


俺は黙った。


ログは続く。


迷わない身体。

痛まない手。

恐れない視界。

他者の悲鳴に阻害されない判断。

君はそれを嫌悪しながら、必要としている。


「黙れ」


否定可能か。


否定。


できなかった。


白城のようになりたくない。


でも、白城のような強さがあれば、届く場所がある。


あの速さ。

あの静けさ。

あの迷いのなさ。


観客席へ行くには、たぶん必要だ。


そう思ってしまった。


「欲しいからって、同じになるとは限らない」


では、君は何を差し出す。


画面の文字が、静かに浮かぶ。


白城個体は、捨てた。

君は、捨てないと言った。

ならば、何を燃料にする。

何を壊し、何を残す。


心臓が一度、強く鳴った。


燃料。


嫌な言葉なのに、少しだけ引っかかった。


白城は捨てた。


痛みも。

味も。

怒りも。

誰かの声も。


捨てて軽くなった。


俺は捨てないと言った。


なら、抱えたまま進むには何がいる。


重すぎるものを抱えたまま、どうやって観客席まで行く。


答えはまだない。


だが、こいつがそれを見ようとしていることだけは分かった。


俺が潰れるか。

燃えるか。

壊れるか。


それを見たいのだ。


端末に、新しい表示が出た。


個別観測提案

接続深度:限定

対象個体の未加工感覚を一部逆流可能

観測者側への感覚共有テスト

実行条件:対象個体の同意、または強烈な情動反応


俺は画面を見た。


逆流。


感覚共有。


観測者側へ。


「お前らに、俺の感覚を流すってことか」


正確には、君の感覚を観測者側が受容可能な形式に変換する。

通常は上位側が取得する。

逆方向の共有は非推奨。

群衆は嫌がるだろう。


群衆は嫌がる。


その一文だけで、指先が少し熱くなった。


観客に、俺の感覚を流し込む。


味のない飯。

冷めた脂。

砂のようなカレー。

痛まない傷。

小森の涙を水分と思った瞬間の寒さ。

おばちゃんのスプーンが胸に溜まらず零れていく感覚。


全部。


あいつらに。


「なぜ、それを俺に見せる」


君が白城ルートを拒否したからだ。


「意味が分からない」


白城個体は、逆流しない。

彼は波が少ない。

静かだ。

君は違う。

君はまだ、欠損を苦痛として定義する。

その定義は、上位側にとって不快な情報を含む。


不快。


観客ログがたびたび吐く言葉。


俺の言語化。

俺の名前のつけ方。

俺の「飯は飯だ」。


それが、あいつらには不快らしい。


君は、感覚を失っても、失った事実を憎む。

その憎悪は、純粋な感覚データではない。

解釈を含む。

解釈は、扱いにくい。


俺は、机の引き出しを見た。


中には、昨日の紙ナプキンが入っている。


味がなくても、飯は飯だ。


あの歪な文字。


観客は文字を読める。

でも、込めた意味までは読ませない。


そう思っていた。


だが、こいつはそこに触れようとしている。


「お前は、俺にそれを使わせたいのか」


見たい。


「俺が観客に地獄を流し込むところを?」


見たい。


淡々としていた。


狂っている。


大衆の観客は、俺が壊れるところを見たい。

こいつは、俺が壊れる仕組みを見たい。

もっと言えば、俺が壊れながら何を作るかを見たい。


「協力するつもりか」


協力ではない。

観測だ。


「俺がそれで観客を壊しても?」


それも観測対象になる。


やはり、味方ではない。


こいつは、俺が観客を焼いても、そこに悲鳴を上げる観客の反応を記録するだけだ。


何もかも、材料。


それでも。


群衆が嫌がる。


その一点だけは、使える。



夕方。


俺は食堂には行かなかった。


代わりに、部屋で紙ナプキンを開いた。


左手で書いた歪な文字。


味がなくても、飯は飯だ。


しばらく見ていると、不思議なことに腹が減った。


味を思い出したわけではない。


カレーがうまかった記憶も、もう穴だらけだ。


でも、食べると決めたことだけは残っている。


俺は、机の上に非常用の栄養バーを置いた。


銀色の袋。


強化食ではないが、似たようなものだ。

味は薄い。

効率重視。

食事というより補給。


白城が選びそうなもの。


俺は袋を開けた。


一口、かじる。


乾いた粉が舌の上で崩れた。


味は薄い。

甘みは浅い。

食感は、砕けた石膏に近い。


飲み込もうとすると、粉が喉の内側に貼りついた。


水で流し込む。


それでも、食道の奥をざらざらしたものが擦っていく感覚だけが残った。


胃が、異物を受け入れたくないみたいに小さく痙攣する。


不快だ。


その不快さに、少しだけ安心した。


まだ拒絶できる。


まだ、身体がこれはただの燃料ではないと言っている。


白城なら、こんなものを不快とすら呼ばないのだろう。


必要な摂取。

必要な量。

必要な効率。


それで終わる。


でも、俺は終わらせない。


この粉っぽさも。

喉に貼りつく不快さも。

胃が拒む感覚も。


全部、覚えてやる。


もう一口かじる。


うまくない。


いや、うまいかどうかを判断する部分が、もうかなり欠けている。


食べる意味も薄い。


それでも、俺は飲み込んだ。


これは飯か。


違う気がする。


でも、燃料だけにしてやるのも癪だった。


俺は紙ナプキンを見ながら、もう一口かじった。


味がなくても、飯は飯だ。


なら。


こんな銀色の代用品でも、俺が食べると決めれば、奪われたものの跡を確認する道具になる。


観客が燃料にしようとするなら、俺は傷の確認に使う。


白城が楽になるために摂るなら、俺は楽にならないために飲み込む。


喉に粉が貼りついた。


水で流す。


胃が重い。


美味くない。


不快だ。


その不快さを、俺は覚えた。


端末が震える。


食事行為、変質

対象個体、通常食以外にも意味付与を開始

解釈範囲、拡大

抵抗核、移動性あり

面倒


「ざまあみろ」


小さく言った。


観客が食堂を壊しても。

強化食へ寄せても。

通常食の価値を下げても。


俺は、そこにも名前をつける。


うまいから食うんじゃない。


人間であることを確認するために食う。


それがカレーでも。

冷えた脂でも。

粉っぽい栄養バーでも。


俺が決める。



夜。


端末が再び黒く光った。


今度は、いつもの群衆のログが戻っていた。


今日の比較イベント良かった

白城個体、相変わらず安定

カレー個体、反応濃い

でも白城の方が強いよね

カレー個体も早く白城ルート行けばいいのに

いや不安定ルートが見たい

自傷ルート、配信映えする

壊れながら逆走するの好き

逆流とか出てたけど何?

運営、それ危なくない?

群衆側への共有は嫌だな

こっちは見る側なんだけど


見る側。


その言葉を見た瞬間、口元が少し動いた。


そうだ。


お前らは見る側のつもりでいる。


味わうのは俺。

失うのは俺。

壊れるのは俺。


お前らは安全な場所で、ログを流して、投げ銭して、笑っている。


だから。


その境界を壊す。


端末に、個別観測者の文字が混ざった。


≪君は、何を逆流させる。≫


俺はしばらく黙った。


何を。


痛みは薄い。

味も欠けている。

恐怖も遠い。

共感も削られた。


でも、残っているものはある。


失ったことへの憎しみ。

冷めたカレーの不快さ。

小森を傷つけた記憶。

篠田の「欠けている」という言葉。

おばちゃんの「言えるうちに言いなさい」。

白城の「静かだ」。


それから。


紙ナプキンに書いた、歪な文字。


君は、白城個体のように捨てない。

ならば、抱えたものをどうする。


「燃やす」


俺は言った。


ログが止まった。


「捨てない。軽くならない。楽にならない」


声が少し震える。


それでも言う。


「抱えたままじゃ重すぎて動けないなら、燃やす。燃やして、煙も灰も熱も、全部お前らに流し込む」


俺は、画面の向こう側にいる無数の視線を想像した。


安全な場所で、俺の味を笑っている奴ら。

俺の痛みを数値にしている奴ら。

俺の飯をイベント名にしている奴ら。


そいつらを一人ずつ席から引きずり下ろす。


口をこじ開ける。


砂になったカレーを詰め込む。

冷えた脂を喉に流し込む。

小森の涙を水分だと思った瞬間の寒さを、脳の奥まで押し込む。


見ているだけで済むと思うな。


その言葉が、腹の底で燃えた。


左手首のリングが熱を持つ。


右手の奥が疼く。


痛みではない。


もっと奥。


怒りと、吐き気と、意志の混ざった場所。


逆流条件:強烈な情動反応

候補波形、検出

未加工感覚、蓄積

変換経路、未安定

危険

危険

危険


観客ログがざわついた。


何これ

こっちに来る?

逆流って何

運営止めろ

いや見たい

見たいけど受けたくはない

カレー個体、目が怖い

白城ルートじゃないの?

これ何ルート?


俺は画面を見た。


「俺のルートだ」


その瞬間、端末の黒が一度だけ大きく乱れた。


個別観測者の文字が、静かに浮かぶ。


記録した。

白城個体:廃棄による安定。

黒瀬律:保持物の燃焼による到達試行。

非効率。

不安定。

だが、未知。


未知。


その言葉に、観客のログが少し黙った。


俺は笑わなかった。


勝っていない。


何も取り返していない。


ただ、道の名前をつけただけだ。


白城の道ではない。


観客の道でもない。


俺が、俺を燃やして進む道。


「見てろ」


俺は言った。


「次は、こっちだけが味わう番じゃない」


端末が震える。


逆流準備、観測継続。

次回イベント候補:感覚逆流テスト。

群衆側受容設定:未承認。

承認待機中。


観客ログが一斉に荒れた。


待って

受容って何

こっちに流すな

見るだけでいい

いや最高

地獄共有イベント来た?

運営ふざけんな

カレー個体、やめろ

やれ

やるな

やれ


俺は端末を伏せた。


部屋が静かになる。


その静けさは、白城の静けさとは違った。


重い。


苦しい。


息がしづらい。


でも、死体の静けさではない。


燃える前の、重い静けさだった。


机の引き出しを開ける。


紙ナプキンを見る。


『味がなくても、飯は飯だ。』


俺はその横に、もう一行書き足した。


『見ているだけで済むと思うな。』


歪な字だった。


でも、俺の字だった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


今回は、白城怜司という「捨てて楽になった完成形」を見た後、律が自分の進む道を言葉にする回でした。


白城は、痛みも味も怒りも捨てて軽くなった男です。

一方、律は捨てず、軽くならず、抱えたものを燃やして観客席へ届かせようとしています。


観客席の中にいる個別観測者は、律の味方ではありません。

ただし、律が観客側へ感覚を逆流させる可能性を見つけてしまいました。


次回、見る側だった観客に、律の日常が流れ込み始めます。

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