一式重爆撃機(トラック殲滅戦・フィリピン前哨戦)~走るより他は無い。~
皆さん
いかがお過ごしでしょうか?
夏バテと目が…
投稿が遅くなりました。
言い訳より
さっさと投稿しろ?
すみませんその通りですね。
では、
本土攻防まであと2話までとなりましたが
お楽しみください。
人生の情景は、粗いモザイク画に似ている。
この絵を美しく見るためには、それから遠く離れている必要がある。
間近にいては、それは何の印象も与えない。
ショーペンハウアー
◇ ◇
マーシャルを失った日本軍であるが、『絶対防衛圏』とされるその準備に邁進した。次の決戦地は日本海軍の太平洋根拠地であるトラック島と航空基地に適した島を抱えるマリアナ諸島と考え、マーシャル諸島の攻防の功罪を考慮した戦い方を探った。そのために海軍のラバウルの主戦力、陸軍からは満州より部隊を出すこととなる。
ロケット兵器は、爆発的に増産が進んだ。そのための火薬・推進薬工場と組み立て工場が陸・海軍工廠だけでなく、民間の企業にも建てられた。
ダイキンという会社がある。
現在ではエアコンメーカーとして世界的にも有名なメーカーなのだが、戦前から冷凍庫や潜水艦用のフロン型のエアコンを日本海軍に納入していた会社である。大和のエアコンはダイキン製というのはかなり知られた事実である。
しかし、ダイキンは砲弾を作るメーカーとして軍品オタク(作者もだが…)には知られている。現在も自衛隊の砲弾を製作している。創業者の山田晁氏は大阪砲兵工廠で働き、後に大阪金属工業所(大金、「ダイキン」である)を立ち上げ、培った技術で陸軍に売り込みをかける。本来は陸軍の関連会社であり、後日、海軍の軍需工場にも指定された。つまり「砲弾を作っている企業がエアコンを作った」会社である。特に触発信管のような細かな作業を得意としていたのである。ちなみに軍艦にエアコンが必要とされたのは乗組員に対するものではなく、本来、弾薬庫(装薬・爆薬)の温度・湿度管理のためであり、弾薬庫を冷やしても空調設備の余裕があるとき艦内を冷やしていたらしい。(3500人余りが住む船に、どんな室外機があったのかと…悩んでしまう)
「できるだけ数を欲しいと…」
陸軍からの要請を受けた大阪金属工業所の上層部を伴う部長会議が開かれたのは18年が始まったばかりのことであった。
「図面はある。砲弾に比べてもそこまで難しいものではないが…」
説明している営業部長も技術的な視点を持っている。ロケット弾は撃ち出す砲弾に比べても強度はさほど問題にはならず製作自体は無理とは思っていない。
「数か…」
ぽつりとつぶやく声が聞こえる。第一工場長の声らしい。
「うむ、そこだ。問題は数だ」
大阪金属工業所には既に中学校や高等女学校の生徒が生産応援という形で生産現場に携わっている。何を考えているのか、女子を生産に、男子を雑用にしているのは、工場監視の陸軍から派遣されている工場付き士官・下士官の意見だ。
「女学生が生産に勤しんでいる光景は、総力戦にふさわしい」
日の丸鉢巻きで生産している女子の姿は、確かに『絵的』にはいい写真素材だろうが、生産機械になれている工業学校の男子生徒を生産現場から省いて工場清掃(中には敷地内の除草作業しかしていない工業学校生徒もいた)させているのは根本的に間違っている。
「陸軍には、私の方から要望しよう。なに、数を揃えるためにはいやとはいうまい」
使いどころで使えるものを使う。山田社長は決意した。
「信管等は細かな作業に適した女子を使い、男子生徒は…」
「皆まで言うな。分かっている。諸君らには陸軍の要請に間に合わせることだけを考えてくれたまえ。細々したものは我々上層部で引き受ける」
山田社長はその人脈を活用して、陸軍工廠や軍需省を巻き込み、工場のことは工場で決めるという当たり前のことを陸軍に確約させた。その動きは他の民間企業を巻き込み、工場付きの士官・下士官は生産力向上のための「監視」という立場に落とし込んだ。観念的(あるいは感情的)な意見を排除できる『手形』を手に入れたのである。
そしてそれは陸軍と民間企業との
「生産力向上」
という、当たり前の目標に着々と進んでいく方向性が一致した瞬間である。
大阪金属工業所の実績は、軍需省全体を動かすこととなる。軍需品を生産している工場への視察・指導に始まり、工場付きの士官・下士官に対する研修を各地で行う中で、
「効率の良い生産方法」
を上げた工場(および工場付き士官・下士官)に対して、軍需省から感状を出す方法で『エサ』を与えたのである。もちろん、単に数だけでなく質に対する考査も行い、感状を受けた工場に対しては、その材料・燃料の融通量を増やすことも行われた。
陸軍の噴出砲(ロケット兵器)は
・20センチ噴出砲
を主力として、個人携帯が可能で対装甲車両戦闘が可能な
・7センチ噴出砲・9センチ噴出砲
が量産され、それ以外にも
・40センチ噴出砲
・15センチ多連装(固定、車両搭載用20連装・牽引移動式6連装)噴出砲
が量産に移った。海軍でも同様で、20センチ(正確には8インチ)噴出砲を主力にし、12センチ多連装(固定式28連装・牽引移動式8連装)噴出砲、さらには個人携帯用の三式一番二八号爆弾一型(7.65kg)を発射できる8センチ噴出砲を用意した。また三式噴出器と称する航空用爆弾をロケットで飛ばすものも多数用意することとなる。
「フィリピン? マリアナではなく?」
「電波の数量が多くなっているのは、オーストラリアとニューギニア方面です。あちらはアメリカ海軍ではなく陸軍の戦闘区分ですので…、別の可能性もありますが、輸送船がかなり集められてます」
「ニューギニア島の奪還作戦の前触れではないのか?」
「アメリカ軍は、大規模な作戦を考え、そしてそれが成功することを望んでいます。ニューギニア島では米議会が、米国内が衝撃的な影響を受けるとは考えられません。それに、輸送船の数がニューギニアでは多すぎます。ラバウルまで狙うならばともかく…」
ニューギニア島の戦いは、現在、海軍が手を引いているものの陸軍は独自に戦線を維持していた。と言っても、山脈を挟んだニューギニア島東部の戦線を維持しているに過ぎなかったが、それでも航空部隊を次々と増強した。山地・山脈、そしてジャングルが続くニューギニアは陸上戦を支えるために航空戦力が日米ともに必要不可欠なものとなっていた。実は洋上航空が苦手な陸軍であったため、一個中隊の戦闘機(三式戦)を日本から双発の誘導機を利用して島伝いに進出させた中でその三分の二を失うという事件があり、このことが問題とされて陸軍の護衛空母は船団護衛の任を解かれてニューギニア方面(比較的安全であるラバウルに揚陸後、ニューギニアの各航空基地に配備)に航空機を輸送することとなった。それらの増強のおかげで、ニューギニア島への補給航路の難点であったダンピール海峡を、構築したレーダー網とともに守り抜くことができた。航空機の量的にはアメリカ軍がその数を次々と増していたが、ラバウルを中心としたレーダー網は、固定式のレーダーサイトを広げていき、またトラック搭載のレーダーが補助としてあちらこちらに配備され、また、一式重爆を改装したレーダー哨戒機を1日2交替でとばすという航空戦に特化した戦線維持に努めた。そのためにニューギニア島の西部方面は米陸軍の上陸戦の猛攻を抜けくぐり、終戦までホーランジア方面の戦線を守り抜くことになる。中には戦闘爆撃機化した一式戦が数機だけで1週間以上米軍の進出を防ぎ、戦線を支えていたこともある。
しかし、ニューギニア島の南方に勢力を持ち続けた米陸軍は、その占領地を次第に島の西方へと伸ばしていった。ニューギニアをこのまま現状維持のまま(放置状態とも言う)に北上をしようという計画である。
「カエルどもの言いなりにはならない」
マッカーサーはそう言い放った。海軍や海兵隊をそう称した後、
「アメリカがその名を上げるためには、陸軍こそがその任と責とを全うするのだ」
マッカーサーの部下たちは、『華々しい』戦果を上げるために陸軍主体の計画を立てた。海軍はその補助として… これらやや無謀と言うべきものは反対する者もなく(反対する者は本土やヨーロッパ方面へと『転任』していっただけである)米陸軍に都合が良い形で進められた。もちろん、多数の兵力と膨大な軍需品とともに。
「哨戒機の報告通りにいました」
伊181という番号の割に新しい潜水艦(海大Ⅶ型。若い番号は、この後の甲乙丙型潜水艦に割り振られた。潜水艦は水上艦と比べ、潜水浮上を続けるために劣化が激しく比較的早く退役する)のレーダー担当兵は米船団の発見を告げた。哨戒活動をするために艤装当初から潜水艦対応の対艦・対空レーダーを配備されたものである。
「いっぱいいますよ。見えるだけでも駆逐艦3隻、輸送船15隻以上、速度は10ノット程度ですね。フィリピン方面に向かっているみたいです」
潜水艦長の大橋勝夫中佐は潜望鏡を握る航海長の報告を聞く。
「ぎりぎりまでねばるぞ。味方は?」
「前回の報告では、こちらに4隻集まるまで三時間。夜間攻撃になりそうですね」
「ならば、いったん離れる、連絡はその後だ」
伊181は船団から十分に離れ、浮上したかと思うと事前の準備通り通信連絡を取り、襲撃予定の未来位置へとその速度を上げた。
対空レーダーには「敵味方判別機(IFF)」で遠くに味方機が近づいているのが分かった。
この後、護衛空母を含む10隻余りが日本軍の航空爆撃攻撃に遭って沈没・損傷し、夜間の4隻の集中的な潜水艦攻撃を受けて、潜水艦を1隻失ったものの船団は護衛駆逐艦2隻、輸送船12隻を失った。船団は上陸作戦以前に1割を超える損害を受けたのである。
東南アジア方面の連合艦隊主要地であるリンガ泊地。そこから数隻のタンカーを内包する12隻の船団(その中身も半数がドラム缶に詰められた石油類であったが…)を護衛しているのは、第1海上護衛隊から派遣された特設戦隊である。ここから遠くトラック諸島に重油や軽油、ガソリンを運ぶことを任務としてしていた。通常、この規模の船団を守るためには4~5隻程度の護衛艦艇が必要とされていたが、この頃になるとトラック方面への船団に対して米潜水艦が執拗に狙っていることもあって、8隻の旧式駆逐艦と海防艦・駆潜艇が1隻の護衛空母と共に、直接護衛隊と間接護衛隊(空母を含む)で守らざるをえなかった。それだけ艦艇が守るべき船団と認識されており、また、リンガ泊地はそれだけの艦艇を動かせる石油を用意できた。
福田幸弘氏はその著書(『連合艦隊-サイパン・レイテ海戦記』」の中で
「リンガでの訓練約三か月は、近くのパレンバンの石油に恵まれていたため、一年分に相当する程のものであった」
と回想している。ちなみにタンカー一隻10,000トンの重油はそのころの主力駆逐艦18隻全部に補給することができる。
そして、その船団の50㎞程度前方を1隻の駆潜艇(第50号駆潜艇)を従え進む「でりい丸」という船がいた。この船の目的は『囮船』である。
「逆探、感一、微弱ですが反応してます」
1922年(大正11年)に竣工した「でりい丸」は太平洋戦争前にも特設砲艦として使われていたが、船団護衛のために敵潜水艦を誘い出して撃沈する作戦を計画した。それが囮船である。選択された「でりい丸」は、防水隔壁の増設や船底へのコンクリート流し込みなどを行い、不沈構造を高めるとともに、磁力発生装置、対潜用の20センチ短砲、15センチ対潜多連装(9連装)噴出砲、対空機銃、そして対艦・対空レーダーや逆探、水中聴音機・水中探信儀などが搭載されたが、外見は非武装の商船に見えた。一種の対潜特化のレーダーピケット艦とも言える。
「レーダー、どうだ?」
特設艦長の中村敏雄中佐は
「感なしです、対空も対艦も…」
「見張りから連絡、現在何も見えません。引き続き見張ります」
「後方司令部、護衛戦隊長に連絡、『航空索敵ヲ請フ』、以上だ」
逆探では距離は分からない。今も微弱だが反応がある。艦載レーダーの倍が目安とも言われているので、潜水艦ならば最大40㎞、単艦ならば100㎞程度だろうか。いずれにしても安全に配慮しないと…
97式艦攻らしき飛行機が2機、船上を飛び去り、逆探が探り当てた方面へと飛び去った。
「船団指揮官より連絡、『ワレ航路変更ス』以上です」
船団の速度は8ノットを平常としている。今回の船団は新造船を中心として船を揃えることができたために10ノットで進んでいた。しかし対潜警戒のため之の字運動をしているから、全体の航海速度自体は遅い。こちらからの不正確な通信であるが、自己の船団をなるべく守ろうと努力していた。
「駆潜艇の艇長当てに連絡しろ、『ワレ囮船トシテノ任務ヲ続行ス』、以上だ」
その声を聞いた艦橋の全員は凍り付いた。潜水艦か水上艦か分からないが、単なる特設艦でしかないでりい丸を前面に出すことの意味を理解している。
チカ、チチカッ、発光による通信が飛び交う。駆潜艇長もでりい丸の本気を知った。
「行くしかないだろう? それが我が艦の生かし方だ」
特設艦長は言い放つ。部下は有無を言わずにそれに従う。そして、囮艦と駆潜艇、97式艦攻と米潜水艦の戦いは、数時間に及んだ。最大速度が10ノットを少し上回る程度のでりい丸も1本の魚雷を受け船体を傾けた。そして、『ソードフィッシュ』と呼ばれる米潜水艦はその船体をフィリピン南沖に沈めた。
太平洋艦隊の中でも最大の戦力を誇る中部太平洋艦隊(後に第五艦隊と名称が変わる)司令官のスプールアンスはその時を戦艦ニュージャージーで迎えた。速度は30ノット、アメリカ海軍の艦隊速度としては最大である。(ちなみにバークはガ島を巡る戦闘中、自己の駆逐艦隊で「31ノット(もちろん非公式な速度設定である)で航行中」という台詞を吐き『31ノットバーク』というあだ名をもらう)
トラック島への『無力化航空攻撃(殲滅戦)』である。
アメリカ海軍は、その「スキップ戦略」によって、ラバウル・トラックを無視することに決定していた。(対してマリアナ諸島は日本本土攻撃の要であり占領する必要があるともしていた)但し、その戦力を無視することはできない。そのために、占領はしなくても航空攻撃を徹底して行うことで、その航空戦力・地上戦力を無力化しようというスタンスである。
ならば、スプールアンスはなぜ空母などの主戦力にその司令部を置かなかったか? 日本軍の戦力、トラックを巡る戦いの中で、出てくるはずである戦艦に対する対抗を行おうとしていたのである。
輸送船を伴わない、旧式な低速艦を伴わない米艦隊は全艦への燃料補給後、午後にその速度を上げた。これから14時間、30ノットのままトラック島へと近づくのである。
対する日本軍は、米軍の次のねらいがフィリピン攻略に伴う西カロリン諸島(トラック諸島西側)か、トラック諸島か、マリアナ諸島か、と迷っていた。米陸軍はフィリピンとはっきりしている。同ルートを使って西カロリン諸島を確保しフィリピン攻略を容易にすることを考える、オーストラリアから多数の艦艇を派遣するには蘭印(ジャワ島)付近を攻略する、ついでに西カロリン諸島もと…多数の艦艇こそ必要であるがさほど難しくないだろう。ここで日本軍は一つの勘違いをしていた。上陸戦である以上、陸軍と海軍との合同であろうという勘違いである。しかし海軍はトラック諸島、そして陸軍はフィリピンへとその主力を押し出しており、トラック諸島への上陸・攻略は考えていない、アメリカ軍の太平洋方面の戦力を考えれば二方面への同時攻撃はできるはずということばかりに気を取られていた。
トラック諸島への航空攻撃のための艦隊出撃は、日本軍の潜水艦によりすでに知られていた。アメリカ軍は事前に複数回の航空機偵察、そして潜水艦による数日の偵察をするルーティーンをトラック諸島へと行っており、トラック島守備司令部は緊張感を高めていた。
周辺の哨戒・索敵のために哨戒機を平常の二倍飛ばし、マーシャル諸島周辺に配備された潜水艦への連絡を密にしていた。
「30ノット?」
「潜水艦の連絡が確かならばそうなります」
「こちらへの到着時刻、攻撃開始時刻はどう考えられる?」
「多分ですが、アメリカ空母部隊の過去の作戦行動と速度から考えれば、明日午前4時前後に航空機が発艦、その1~2時間後にトラックを攻撃できるかと…」
「トラックに泊まっている全艦に出港を命じろ。攻撃できる規模ならばいいが、できなければ退避行動を取らせる、海軍に沈められる余裕がある船はない」
その時、トラックに停泊中の艦艇・輸送船は準備ができたものから次々と出港し、ラバウル方面、マリアナ諸島方面へと待避した。
トラック諸島に配備された日本軍の航空機は340機前後、うち半数が零戦、しかも量産されたばかりの52型が配備転換に伴いその半数を占めている。ラバウル方面に配備されていた海軍航空戦力はその主要の戦闘機隊・陸上攻撃部隊の半数以上を、トラック諸島とマリアナ諸島へと新型機体を受け取り再配置されていた。ラバウルのベテラン搭乗員はほぼ全体がこの方面に回された。(ラバウル方面でベテランと言えるのはガダルカナル島に配備された航空隊だけである、ただし、ラバウル・ガ島は米海軍にほぼ無視されていた)一式陸攻や零戦、新型機は米軍航空機に対応し、エンジン転換、防弾処置、そして武装が変更されたものが主流となっている。夜間に爆弾を抱えた水偵・飛行艇が出撃、索敵しつつ攻撃を行おうとしたが、数発が当たったに過ぎず、嫌がらせ攻撃以上のことにはならないままに、米艦隊は進路を変えずにトラックへと進む。
「トラックを攻撃・無力化できれば」
米海軍は、この戦いを
「パールハーバー」
への逆襲という感覚で捉えていたのである。(すでに奇襲ではなくなっていたが…)
夜闇に包まれた島は夕方のスコールに洗われた。日米両軍ともに敵情を得ており、日本軍はその攻撃機のほとんどを夜間に発進させた。米軍は布哇へ向け「多少の齟齬はあったものの順調に作戦を進めている」と報告している。
黎明午前4時に米攻撃隊第一波240機、第二波184機は発進し、第一目標の航空基地へと殺到した。早期に敵機を発見した日本海軍基地は、故障などで飛び立てない航空機を除き90機余が迎撃、また対空砲・対空ロケット砲などの活躍のために第一波の半数を無力化(撃墜・撃破だけでなく、迎撃に上がった戦闘機や激しい対空砲火によって目標を諦め)し、無意味に爆弾を落とすだけに終わった。第一波をしのぎ切った防空戦闘機隊であったが、補給のために降りた基地で第二波の攻撃を迎える。もちろんレーダー等で第二波を発見していたのであるが、補給体制が十分でなかったために第二波への迎撃に間に合わずに地上で25機余りが撃破され、残りの50機余りでの迎撃では十分に対応できず、第二波の攻撃を防ぐことができなかったのである。そのために、地上施設が完全に破壊されトラックの防衛能力はこの攻撃で失われたのである。
対する日本側の攻撃部隊であるが、第一波・第二波・第三波と190機余りが米艦隊に突入する。正規空母1隻沈没2隻大破、軽空母1隻沈没、戦艦1隻沈没1隻小破、巡洋艦以下6隻沈没などの戦果を上げたが、その爆撃機・攻撃機の半数を失う結果となった。特に単発の艦上攻撃機・艦上爆撃機の通常攻撃を行った機体(艦艇個々だけでなく艦隊の対空体制が整いつつあった)の損失が多く、ケ号・い号の誘導弾を活用した一式陸攻や2式陸攻の攻撃が未だ効果的であった。また米海軍の新鋭機F6Fが正式にデビューした海戦であり、零戦52型ではベテラン搭乗員であればなんとか互角近い戦いができたが、ジャク(若手)搭乗員の対応能力が低く、その半数を失った。
トラック島における米軍の一番の損害は、実はスプールアンスの戦死という戦史家もいる。かの『ブル・ハルゼー』が、
「(後輩でもある)スプールアンスならば、その下について良い」
と言った話が伝わっている。実際にハルゼーは一艦隊(この場合は1タスクフォースという意味)の戦いはできても、それ以上の大規模艦隊(日本で言うところの連合艦隊)運営能力に欠けていたことは間違いないが、スプールアンスの命令ならば従う意識を持っていた。(日本でも角田覚治中将が「彼(山口多聞)の下でなら、喜んで一武将として戦った」と言っていたことに重なる)
その後のマリアナ諸島攻略戦、フィリピン戦、小笠原諸島交戦などの主要な米海軍中心の作戦に精鋭を欠いた活動が多く見られたことを受けた評価だと考えられる。(実際には米太平洋艦隊の中でも最大の実動部隊の司令部が全滅に近く、司令部復旧の影響であろう)
戦艦ニュージャージーはケ号誘導弾2発を第2砲塔と煙突部(真下に釜・機関部がある。大和型は煙突への攻撃を想定して「蜂の巣構造」によって敵弾丸・爆弾を防ごうとしていた)に受け爆沈したのである。戦艦ニュージャージを狙ったケ号誘導弾は一個小隊4機分隊8発、ケ号は自己の赤外線誘導装置を十分に発揮し操舵を行い、30ノート以上の速度で右に回避旋回して40度以上に傾けた船体をそれでも正確に捉えた。8発の誘導弾は4発がノイマン効果を活用した弾体(いわゆるタ弾)であり残りの4発は(大和級)18インチ砲弾(徹甲弾)を弾頭に当てられたものある。
うち一発のタ弾ケ号はニュージャージの2番砲塔の天蓋を貫きそのままに主砲弾薬庫へと1800度以上といわれる熱量を含んだ風の流れが流れ込み、前部船体を数センチ膨らませ、装甲接合部をずらし水の流入が次第に始まり艦橋前部の艦体は沈みはじめその流れを押し戻す術はない。さらに7秒後、煙突付近に当たった徹甲弾の一発は戦艦の装甲板貫通を想定した弾体が機関部分に飛び込み、コンマ秒以下で爆薬を破裂させた。釜・機関部はその半数が沈黙し軸を曲げられたスクリューは海流のままに動くことさえできなくなった。
戦艦はそのまま沈降する潜水艦のように静かに艦首より沈没したと言われているが、その沈没速度が速かった(その時の速度が30ノットを超えていた)ために3,000人を超える乗組員は投げ出された数名の対空機関銃要員を除いて艦と運命をともにした。
連合艦隊の戦艦・空母はその判断をトラック守備司令部のことばを無視し、米軍の通信量の増加に伴ってマリアナ諸島を主戦場と判断したために、トラックとマリアナ諸島の中間付近で遊動しており、この戦いに間に合わない(空母艦載機の行動範囲を超えていた)ままに終わった。単にトラックの保有燃料を消費しただけとも言えよう。ただし、トラックに保有していた重油・ガソリン類はそのほとんどを石油タンクが攻撃対象となっており攻撃を受け炎上したために損失した。(このこともトラック放棄に繋がっている)
こうして戦術的に言えば日本軍が米艦隊を撃退した結果となったが、これ以上トラック環礁を復旧するほどの余力がなく、東カロリン諸島は少数の防衛部隊を残すだけになる。(それはラバウルも同様で、陸上部隊(20万余りといわれていた)は半数が転戦し、艦隊能力・航空戦力が乏しくなり米軍から無視されるものとなる)その意味では米海軍が望んでいたトラック無力化・航空殲滅戦(ただし不徹底で、残存航空戦力はマリアナ諸島に展開する)には成功したものである。そして日本海軍は大規模泊地を失い、戦線は後退したのである。
さて、
お楽しみくださりましたか?
艦隊戦をどこで出そうかと悩んでましたが、今回も出せませんでした((; ;)ホロホロ
ダイキン
を出したのは、それ以外に民間の大砲関連の会社が寡聞にして分からなかったからです。
まぁ、個人的に好きな会社ということもありますが…
「でりい丸」のことは以前から知っていて、どうにか囮船として活躍できないかと出番を作りました。
トラックを巡る戦いで、無意味に失わなかったら…ここまでの戦果はなかったかもしれませんが、なるべく日本軍が活躍できる状態を作ってみました。F6Fと零戦52型がほぼ同数ならばどんな航空戦であったか…実際にはトラックとマリアナ海戦でほぼベテランがいなくなりますので、多少なりとも頑張りを見せてくれるものと期待した成果を上げさせました。
ホントはスプールアンスに戦艦同士の殴り合いを書きたかったのですが…力及ばずに済みません。
次は、たぶんフィリピンがメインになるものと思います。
台風情報を横目で見ながら…
ではでは。