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一式重爆撃機(ギルバート・マーシャルを巡る戦い)~走るより他は無い。~

おはようございます。


白内障手術のために2週間ほど間を開けてしまいました。(ジーサンです)

先日無事に済み、視力がちょっとだけ良くなりました(0.08が0.5に 苦笑

いやぁ~目を開けっぱなしの手術って怖いですねぇ~麻酔のために痛くはなかったですが…


さて、簡単にしようと頑張ったのですが、やっぱりマリアナ関連への下地として、ギルバート諸島・マーシャル諸島の戦いは必然的に書く必要がありましたねぇ~


では、お楽しみください。


大きな山に登ってみると、

人はただ、

さらに登るべきたくさんの山があることを見出す。


After climbing a great hill, one only finds that there are many more hills to climb.


                    ネルソン・マンデラ


◇           ◇


「敵機、左後方より接近中!」


「銃手、自分の判断で良いぞ!!」


英語風に言えば『ウェポンフリー』だろうか。

 敵艦まで100㎞を切っていた。周囲には多数の敵戦闘機が群れている。数は数えたくない。味方は攻撃機30余り、戦闘機もほぼ同数。配備された島の航空基地全力だ。すでに味方戦闘機は妨害のために敵機に向かっていた。攻撃機は高度を落とす機と、より高く登る機とに分かれている。その登載する攻撃兵器によって高度はそれぞれに異なる。


「いくぞ!!!」


 速度は、最大、エンジンのうなり声が左右から聞こえる。低高度に移るために、敵機はこちらに迎った数の方が多いかもしれない。我が戦闘機部隊の妨害ラインを抜けた機も多い。こっちの機体より相手の方が多いのは仕方がない、正規空母3隻、軽空母4隻、尾部の20㎜が激しく噴き出す、銃身の高温変形? とりあえず数多く打ち出す。生き残るためには必要なことだ。


 自己誘導式の対艦ミサイルは、敵艦隊の中央部10㎞手前で放たれた。護衛の駆逐艦からの高射砲の爆煙が次々と花開く。レーダー手は周囲の敵機の状況を刻々と知らせる。新しいレーダーになってから周囲の状況も分かりやすくなったという。自機の避難に必要な進路を示している。ミサイルが放たれた自機より、他の発射前の機に取り付こうとしているが、数機はこちらに向かっている。2機のミサイルを放った重量分、上昇した自機をそのままに上昇を続ける。高射砲弾は外空で炸裂している。旋回するとどうしても高度が下がる、その分、敵機がまとわりついてくる。上昇すると速度が遅くなりがちだが、慣性によって高度をとることが大切だろう。いずれの避難行動をとるかはそれぞれに機長に任せた。攻撃がすんだのだから、密集する必要は薄れる。そこまで追跡する敵機数はない。F6Fとか呼ばれる敵戦闘機とこちらの速度差は30㎞以内、追いつかれようが高高度に移ればなかなか落とされることはないだろう。


 中隊から放たれた全24機の自己誘導弾は、そのロケットエンジンを20秒余りふかし、その後は艦隊の対空砲火の音を頼りにその惰性的な高速でそれぞれの音源に向かった。最終速度は600㎞を超えよう。そして…

 敵艦の対空砲火や機械自体の不具合もあって、16機に減った機体は自分の目標を捉えた。突入高度は電波高度計の設定した10メートル、外周を守る駆逐艦の艦舷よりも高い。しかし一発が駆逐艦の艦橋付近に突入した。ペラペラの装甲は一種にして吹き飛び、一秒以上に調整された信管が炸裂する、800㎞通常(対艦)爆弾と同等の弾首は破裂し、艦橋とその前方の両用砲塔とその後方の煙突を一種にしてガレキに変え、駆逐艦は大きく輪を描くような進路をとった。20ノットを超えた速度そのままに。陣形が次第に崩れていく、誰もその行く手を避けていく。遮ることはできない。

 次に被害を被ったのは空母間近に控えていた対空軽巡であった。同じように艦橋を捉えられ、トップヘビー的な艦は大きく傾いた。電源は途切れ、そして恐るべき両用砲はその動きをピタリと止めた。艦尾の砲は手動ででもとあえぎあえぎその空に砲弾を送った。それは誘導弾に当たるはずもなく、その一発は味方の重巡へのフレンドリーファイヤーとなる。たった一発の砲弾だったが、当たる寸前に破裂した砲弾のかけら、それは射撃用レーダーのアンテナを破壊し、重巡の集中的な火器管制は終わりを告げた。残りの14発はそれぞれに目的艦を決定し正規空母2隻に1・2発(小破1、大破1)、軽空母1隻に2発(中破1、大破後自沈1)、重巡2隻に2・3発(中破1、大破後自沈1)、対空砲火が一番激しかった戦艦(つまりは目標艦になりやすい)1隻に3発命中(大破1)、巻き込まれた駆逐艦1隻に1発(撃沈1)、自己誘導式対艦ミサイルの華々しいデビューであった。この後にケ号誘導爆弾と通常弾の高空からの爆撃を受け、主要な艦の半数以上に被害を受けた米艦隊はその進路をハワイ方面へと向けた。

 すでにガダルカナル島を巡る戦いで、イ号誘導弾の被害を重く受けとめていた米軍は、母機誘導型のものが5㎞程度で打ち出すのを考慮し、その対応のために高射砲や対空機関銃をそれぞれの艦に満載状態にしつつあった。しかし、今回は対空砲の圏外からの打ちっぱなしであった点が米軍への成果を上げた。

 この諸島が米軍の目標と判断した通信部・司令部、この兵器をかき集めた航空部隊上層部、そしてその兵器を前線へと届けた一等輸送艦4隻の成果とも言えた。

 しかし、その結果として自己誘導式の対艦ミサイルは中部太平洋にほとんど残っておらず、また、米F6Fとの戦いで多勢に無勢とはいえ零戦が半数の15機ほど撃墜(もしくは基地帰還していない)されたことはこれまでの『零戦神話』を打ち砕くこととなる。

米軍はこれより後、円陣形の二重化、戦闘機(防御)専門の空母(のちには夜間戦闘機専用の空母も)を艦隊内に配備するきっかけとなった。また、数多くの駆逐艦を利用したレーダピケット艦

の配備も急いだ。

 なお、一式重爆・二式陸攻への対抗として高高度戦闘機が必要とされ、陸軍のP38、P47、P51などを艦載機として利用できないかと実験した。特にP51は期待されたものの、数百回の実験離着艦を経てもなお、着艦時の速度や下部ラジエターによる着水時の不安性など(陸海軍の仲の悪さも手伝って)海軍上部の納得が得られず、結局はF6Fの高高度戦闘対応とF4Uの離着艦改善に力を注ぐことになる。実際にP51を艦載機にするための手間・期間を考えると、F6FやF4Uの改良型を出した方がましという結論になった。

 ちなみに、その後の日本側の対応として、自己誘導式の対艦ミサイルの更なる長距離発射(航続距離の延長)、もしくは、波状の一点集中攻撃による円陣形の破壊を目指す攻撃の手段をとることととなる。それぞれにその全力を捧げる攻防戦が続くことになる。


 ギルバート諸島沖航空戦での奇跡的な成果を上げた日本軍は、トラック諸島を中核基地として、トラック諸島を含む東カロリン諸島を第一哨戒線、その東側のギルバート諸島、南東側のマーシャル諸島を第二哨戒線として、2式陸攻、2式大艇、一式陸攻、そして零式水偵を用いた哨戒活動を強化した。それは単に哨戒機の数を増やすだけでなく、時刻としての定期的なものだけでなく、変則的な時刻を組み合わせたものである。それは今回のギルバート諸島沖航空戦に出撃した連合艦隊がついに米艦隊をとらえることができなかったことにはじまる。


「索敵能力に不足・不備がある」


 これは、海軍としては許されないことと思われた。いや、これまでのさまざまな海戦の中で索敵がうまくいったものより、失敗によって負けが込んでしまったことの方が多い。大艇や水上偵察機には確かにその活動が主なるものであるから理解している。他の陸攻なども偵察・索敵の必要もわかっているものの、「その攻撃力を敵艦に向けてこその華だ」と考える搭乗員が多かった。それは空母の場合でもそうである。攻撃力を削ぐ結果となる索敵機へその数を増やすことは空母艦隊の司令部は渋っていた。そのために空母から発艦する索敵機は「念のため」にするものが主で、しかも単機で行うことばかりであった。ミッドウェーにおいてもガダルカナル島をめぐる戦いにおいても、後付けであるが主力艦を失った原因の一端をその索敵能力の不足・不備に求めるものもいた。

 分かっていてなぜ? それは失敗を分析しない海軍であり連合艦隊司令部である。反対に分析した集団がいる。海上護衛総隊である。


「連合艦隊の哨戒・索敵能力は低いのでは?」


 倉庫の隅にほこりをかぶっていた報告書を引っ張ってきたのは、本来は艦隊攻撃のための敵潜水艦の動きを分析しようとしたものである。今後戦場となるはずの、トラック諸島からギルバート諸島・マーシャル諸島への輸送船護衛のためには、単にこれまでの輸送船攻撃の潜水艦だけでなく、艦隊攻撃の潜水艦の動きを知る必要がある。そしてその対応をどうとるかを考えるためには、海戦全体の動きを分析していく。


「連合艦隊はあてにならん。索敵だけでない、ちぐはぐな動きばかりだ」


「その場しのぎだと、言われるのですか?」


「そう、その場しのぎにいろいろ手をだして、そしてちまちまとしか動かないから、利少なく害多しの状態に陥っている。」


海上護衛総隊の研究班はそう結論付けた。


「おい、まだ輸送船団の出入港時の航空隊指揮権はこっちにあるんだろうな」


「はい、こちらが握ってます。大きな作戦時は違いますが…」


「そんな時はこっちに連絡もないじゃないか、よし、拡大解釈するぞ、トラックからギルバートとマーシャルに毎日船団を出せ」


「毎日? できますか?」


「かまわん、哨戒艇か一号輸送艦ならば単独でも大丈夫だろう、もしくは小ぶりで速度がある輸送船一隻、それに駆潜艇か海防艦を一隻、それでも船団だと言い張れ」


「は、はい」


「飛行機を出し渋る部隊には、『規定の量以上は難しい』と言ってやれ。それ以上はやるな。ちゃんと決められただけはやってるのだから文句は言わせん。なーに、すぐに泣きついてくる。そして、確保した哨戒機の半数は外側に向ける、どうだ? やれるか?」


「ならば、敵の動きはなんとか調べられます」


「なんとかではない。必ずするんだ。むだに輸送船を失うわけにはいかん」




 その頃すでに陸海軍の中部太平洋に対する戦略会議は行われていた。守るべきはトラック諸島を含む東カロリン諸島から北上するマリアナ諸島、小笠原諸島、このラインを死守しなければ日本本土は直接の脅威にさらされることになる。また、この哨戒線を抜けて米軍がフィリピンに手を伸ばすことはなかなか難しい。ならば、ギルバート諸島とマーシャル諸島は見捨てて良いのかといえば、ラバウル同様、トラックを守る陣形として必要である。

そのために防衛すべき島(航空基地や湾港として利用可能な島)に兵力を集中配置することが望ましく、ここでギルバート諸島とマーシャル諸島での守るべき島の選択が行われた。

ギルバート諸島ではマキン島・タワラ島、よりトラック島に近いマーシャル諸島ではクェゼリン島・ミリ島・マロエラップ島などが選択された。


 先のギルバート諸島沖海戦によって、日米ともに多大な損害を受け、また潜水艦艦隊である第六艦隊がその周辺に配置されたことによって、輸送船団、特に人的損害を受けた米軍は、上陸作戦に対しての海兵隊編制が遅れていた。米軍は四つの海兵隊を編制し、また陸軍の師団の中に上陸作戦を行える舞台を編制、2カ所同時に行える体制(残りの2海兵隊は編制・訓練)を構築しようとしていたが、ガダルカナル島・ツラギ島でそのうちの一つを失っていた。残りを四つに編制し直していたのであるが、本来中核となる士官(尉官クラス)・下士官を失っていることは編制の遅れとつながっていた。その中でギルバート諸島沖の被害である。主戦場であるヨーロッパにさえその影響はあり、再度の編制には半年はかかるとされたが、議会対策もあって3か月後にその米軍全力を傾けるために、かなりの負担を強いられたのである。


 ギルバート諸島に再来したアメリカ軍はマキン島・タワラ島を多大な損害を受けながらもなんとかこの島々を占領する。日本軍もかなり強化していたが、諸島には十分な数の守備隊を配置することが予定より遅れ、しかも小さい島であるので要塞化を行うことが困難であったためである。こでとられた守備方法は「上陸自体を困難にする」ことで水際での撃退を半日~2日行えたこともあるが、上陸する米軍の量的増加に伴いついに海岸線を明け渡し、その後はいわゆる「玉砕」に陥ったのである。ただ、この島々への防衛兵器の増加配備(人的な数の増加よりはまし程度ではあるが)により、上陸した海兵隊・陸軍師団はかなりの被害を受け、タワラ島の戦死傷者は米軍の方が多かったという結果に陥った。また艦隊こそ間に合わなかったが航空部隊の活躍もあり、特にこの頃は輸送船団への攻撃に重きを置いた手段が執られたこともあり、諸島攻略時の損害も含めて海兵隊の編制が遅れる結果となる。また、その後の攻略する島々への航空戦力の集中的運用や艦砲射撃の徹底化などがアメリカ軍の上陸戦時の戦訓として残った。

 ギルバート諸島での海戦を行うためにトラック島を出撃した連合艦隊であるが、陸上からの哨戒・索敵が見つけたにもかかわらず、米海軍が帰投したタイミングに合わずそのまま転進、戦艦・重巡による艦砲射撃をマキン島に加えるだけに終わった。

 その後、ギルバート諸島へは潜水艦による砲撃と、航空機による爆撃が嫌がらせ的に不定期に続くだけであった。


 マーシャル諸島こそが、決戦の場と考えた日本軍は航空機による哨戒線を組み直し強化する。潜水艦もハワイからギルバート諸島・マーシャル諸島へと向かう航路を中心に哨戒を行う。この頃になると潜水艦の哨戒は「線(点)」より自由度を描く潜水艦長に与え、「面」の活動を行うこととなる。これは以前より第六艦隊より連合艦隊へ要望を出し続けていたもので、「線(点)」の哨戒線は敵に場所を探られやすく、その被害が出続ける原因の一つと考えられていた。この点を訴えていたものの連合艦隊司令部はなかなか聞き入れてなかったが、ギルバート諸島での潜水艦被害の分析が進むにつれて、第六艦隊の要求をやっと受け入れることとなったのである。

 陸軍からはギルバート諸島への増援には間に合わなかったものの、満州・フィリピン方面より戦力を抽出、マーシャル諸島のクェゼリン島・ミリ島・マロエラップ島などに配備させた。ギルバート諸島での戦訓で「上陸後に敵軍を奥へと導き叩く手段」をとることとなったが、島は狭く、高低差もなかったために要塞化というほどのものではなかったが、海軍駐留部隊とともに塹壕や地下道を掘り、Z工法(小高く盛り上げた土をコンクリート基礎にコンクリートで上面を覆い、コンクリートが固まった後で土をかき出す方法、戦中から終戦まで使われていた)で有蓋掩体・トーチカを多数つくり上げた。

様々な火器も集められたが、島の小ささから陸軍の重砲は余り配置されず、トーチカでの 取り回しが素早くできる速射砲(37ミリ・47ミリ)やその頃量産が始まった噴出砲(ロケット兵器)が多数配備された。主力となったのは四式二〇糎噴進砲(陸軍)と四式七糎噴進砲(陸軍)が試製のままに量産されたものである。海軍は二〇糎噴進砲を元に8インチ砲弾(重巡の主砲弾)を流用したものと、開発中であった12センチ対空噴出弾を利用した(人力で)移動可能な多連装ランチャーを配備する。

また、航空基地の防衛兵器として、万一、航空兵力が失われた際に、

「航空爆弾を敵に飛ばすことが可能か?」

という要望が出され、爆弾の後ろに「三式噴進器」と呼ばれるロケット推進部を付けるロケットも配備された。(250㎏用Ⅰ型と60㎏爆弾用Ⅱ型の2種類がある)


 日本のロケット研究は昭和6年に始まる。この年,陸軍と海軍でほぼ同じ頃に兵器としてのロケット研究が開始された。とっつきのいい固体燃料ロケットから始まって,1935年頃から液体燃料ロケットも研究の対象となる。

 本来、陸軍の意図はロケット推進を使って野砲・重砲の射程を伸ばすことであった。(現在の大砲の砲弾を考えると考え自体は間違いのないものである)

 陸海軍ともに最初からうまくいったわけではない。研究・実験の積み重ねの中で、火薬の燃焼ガスで弾体にスピンをかけて安定させるという方法がとられた。また、陸軍火薬廠と海軍研究所(研究員の村田勉は戦後のロケット開発のパイオニア・ペンシルロケットで有名)でダブルベース推進火薬の実用化が図られ,日本の固体ロケット開発は陸海軍ともにダブルベースの外径20~110mm,内径5~10mmの筒状推薬を6~37本束ねる方式で,直径7cm~40cmの多彩なロケット弾が開発された。また尾翼(対装甲用・航空機用はこちらが主流となる)またはスピン方式(対空・対地用)が飛翔安定のために適用された。


「ロケット兵器は、命中率が低く火薬を多量に使う」


という意見もあったが、開戦後は


「軽い砲身で大口径の弾を撃ち出せる」

「命中率は発射数で補えば良い」


という意見に変化し、特に輸送船での重砲運搬の困難さ(輸送船のクレーン能力だけでなく湾港の荷揚げ能力の低さ)があり、特に太平洋の諸島に向かう部隊に配備する砲の量産が(部隊の編制増加に)間に合わず、生産が容易で輸送も楽なロケット砲に目が向けられた。試作ロケット砲はビルマ方面やニューギニア戦線ですでに活躍しており、山岳地帯やジャングルなどの重砲を運営できにくい場所にもトラックや人さえ通れば20センチ、40センチレベルの重火器を利用できる点(ただし射程距離は2500メートル前後)そして一斉に複数の弾を発射できる点が着目された。

 太平洋の各諸島に配備されたのは現地で自作できるように簡易なものであり、木造の三脚構造、このうちの一脚が噴進弾の発射レールとなっていた。つまり砲身を持たないものであるがニューギニアの部隊が砲身の配備数が少ないために苦肉の策として一斉に発射させる手段として取り入れたもので、噴進弾自体が支給されればそれだけで火力増大につながるものであった。

 マーシャル諸島には珊瑚礁に囲まれた島(環礁)こそあったが、積み下ろし接岸可能な港はほとんどなく、輸送船での積み下ろしには時間がかかることもあり、輸送船だけでなく海岸への乗り上げが可能な二等輸送艦、陸軍の特殊輸送船(船内に大発を搭載させた大発母艦)摩耶山丸・にぎつ丸、機動艇(SS艇・SB艇)などを動員、陸海軍を併せ32000人余りの兵力とその兵器を揃えた。


 マーシャル諸島へのアメリカ軍の来襲は、十隻以上の正規空母・軽空母の支援艦隊とともに、同じく十隻ほどの護衛空母を中心とした輸送船団に載せられた三個師団(海兵隊一個師団・陸軍上陸二個師団)は上陸準備を開始した。

対して日本軍は潜水艦や航空機による哨戒活動によって米艦隊がハワイを出港した時点で着々と準備を始めていた。

 マーシャル沖で行われた大規模な艦隊戦は、一日目の昼間陸上航空機による攻防戦、夜間の潜水艦と水偵による爆撃、二日目の空母航空戦、夜間の水偵・陸上航空機による航空戦、三日目の主力艦同士の殴り合いという5回の戦いを経て日米ともに艦隊の戦艦・空母・巡洋艦の半数に中破以上の損害を積み重ねる結果となる。どちらかと言えば日本側有利に働いたものであったが、それでも空母だけでも加賀・飛竜・祥鳳が、そして戦艦比叡が沈没するという被害と母艦機の半数(破損機を含めて)が失われたために、以降の戦いは潜水艦と陸上航空機が小規模ながら攻撃を続けることとなる。

 米艦隊もかなりの損害(正規空母2隻沈没、3隻大破・中破、戦艦1隻沈没、3隻中破)を受けたが、それでも許容範囲内としたのか損傷艦を後方へと下げ、マーシャル諸島の島々への上陸を開始し、第一目標としたメジュロ環礁(日本軍は放棄していた)をまずは占領する。以来メジュロ環礁は多数のタンカー・輸送船や乾ドックが派遣され、米艦隊の泊地(休養、補給、修理)として整備されることになる。

 対して、日本軍が防衛力を上げていた島(クェゼリン・ミリ・マロエラップ など)では、激しい上陸戦が起こり、潜水艦での遠距離雷撃、航空機による各種爆弾攻撃で数多くの輸送船損害を与え、上陸したまでは良かったがロケット弾などの攻撃を受け海岸に橋頭保を設けるまではなんとかしたが、その地点も昼夜にわたる攻撃を受け続け、米軍としても島の深部にたどるためには人的にも物資的にも多大な損害を受けた。

「一週間以内に全ての島を占領する」

と豪語していた海兵隊上部は、輸送船30隻以上(沈没10隻、小破を含む数)、直衞の艦隊15隻以上の損害とともに、死傷者が全体の5分の1を超えたことに真っ青となる。

「上陸した以上、後には引けない」

とする米軍に対して、残存の空母に戦闘機(離艦した戦闘機は陸上基地に戻るという方法さえとった)をかき集めた部隊を編制し、重巡を中心とした夜間攻撃を行い、敵の直衞艦隊の隙間を縫って水雷艦隊が前進し、揚陸中の輸送船に多大な損害を与えた。ただしソロモン海の再演とはならず、重巡2隻、軽巡1隻、駆逐艦4隻を失う結果となった。そして 2式陸攻は、護衛空母をケ号誘導弾によって集中的に狙い、速度が遅いこともあって護衛空母4隻を沈め2隻に損傷を与えた。(その他に駆逐艦を2隻沈めている)更に潜水艦がハワイからマーシャル諸島へ向かう船団を狙うこととなる。

 対して日本側は一等輸送艦・哨戒艇などの大発を搭載することができる艦艇や潜水艦、駆逐艦を利用して、弾薬・ロケット弾・食料を中心に細々と夜間補給を続ける。航空機の補給も続けられていたが、その中心となったのは零戦に250㎏爆弾やロケット弾(三式一番二八号爆弾一型、本来は空対空弾であるが対地・対艦にも有効)を搭載できるようにしたいわゆる「戦爆」である。この機体は主に上陸用舟艇や輸送船を狙うが、その対応のために護衛空母が島付近に常駐する必要があり、その攻撃にも使われた。

 米軍が占領したメジュロ環礁は各種の補助艦が集結しつつあり米軍艦隊の補給場所として整備されつつあったが、この島への日本軍側の攻撃は執拗に行われ、昼間の航空機、夜間の潜水艦砲撃などに対応するために正規空母さえ投入されることとなる。そしてそれを狙って二式陸攻、一式陸攻のイ号誘導弾の集中的な攻撃を受け、1隻の正規空母が沈没する(2隻が大破、以下の損傷艦は10隻以上に上る)という米軍としてもその損害の多さにマーシャル諸島から引き上げることさえ検討されることとなった。

 それら日米のマーシャル諸島を巡る戦いも一ヶ月を過ぎようとした頃に日本軍のほぼ全滅状態で終わることとなった。


「これだけの損害が?」


「ギルバート諸島の倍、トラックを含むカロリン諸島でまた倍、そしてマリアナ諸島でさらに倍?このまま、日本に近づくとしたらどのくらいの被害が出るか…考えたくないな」


「日本軍もマーシャル諸島でかなりの損害を出した。半年は動けまい」


「それはお互い様だ、太平洋艦隊も海兵隊も補充整備のために半年は動かせん、予定では三ヶ月後にマリアナ諸島だったんだがな」


「しかし議会に出せるか?こんな報告書…」


机の上にバンと報告書の厚い束を叩きつけた米海軍首脳部の一員。額のしわが深く刻まれる。


「陸軍だ、次は陸軍に任せよう。『アイシャルリターン』などとほざいたんだ、その言葉を思い出させてやるんだ」


 互いにギルバート諸島を巡る戦いの数倍の損害を受け、マーシャル諸島を攻略した米軍はその凱歌を上げたが、米軍としても人的損害の多さに頭を痛め(計画されていた次の次の上陸戦には、到底間に合わない状態)、海軍としても艦艇の損害が予定されていたものの数倍に及び、特に輸送船の損害に対して大西洋の船舶を多数、太平洋に回す必要が生まれた。しかし大西洋・ヨーロッパ戦線でも次第に戦線が広がっており、またヨーロッパの開放地(占領地)の民間への物資補給も行わなければならずアメリカ国内での混乱も始まっていたのである。




いかがだったでしょうか?


ちょっと日本軍が頑張った戦いとして描きましたが、そのためにフィリピンの戦いが早めになってしまう可能性が出てきました。(大丈夫かなぁ~ 汗)


今回、日本軍のロケット兵器を早めに出させていただきました。

「バッフリーワッフリー」(赤ん坊の泣き声のアメリカ風オトマトペ)

とも米軍が呼んだようです。硫黄島や沖縄で活躍しました。時期的には早いですが、だいたいこのような経緯があったそうです。兵站能力が低い日本軍に最適な兵器だと思っていますが、実際に理解度が低い軍上部に嫌われていたみたいですね。(火薬・推進薬の製造能力が低いこともあって…)


「玉砕」

言葉としては素晴らしい響きを持っていますが、大本営の「宣伝部」も考えたものです。しかし個人的には無駄死にを単に飾っているだけです。無駄死ににならないように改変を積み重ねました。けれど、全滅してますね、残念、それ以上の「オレツエエ~!」展開には、どう考えてもできませんでした。



まだ、目玉の調子が安定してなく疲れやすいので、またちょっと遅れることもあると思います。

申し訳ありませんが気長にお待ちください。


ではでは。

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[気になる点] 今話で陸奥が沈んでますが、ガ島での海戦でもう沈んでますよね?
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