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一式重爆撃機(ガ島を巡る日米の戦い)~ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。~

いつもお読みいただいてありがとうございます。


作者である僕にとっては、自分の好きに書いているつもりですので、評価されている皆様には感謝しかありません。


では、お楽しみください。


たとえ僕の人生が負け戦であっても、

僕は最後まで戦いたいんだ。

                        ゴッホ





日本陸軍は、夜間戦闘を得意としていた。闇に紛れ無言のまま敵陣に切り込む、一種の浸透戦術であるが日清戦争どころか戦国時代にもその成果を上げていた。日露戦争時の「白襷隊」は有名である。ではいつもその戦果を挙げていたかということについては微妙なものがある。特にアメリカ軍相手の夜戦はその圧倒的な戦力比によって摺りつぶされた部隊も多い。(織田信長の奇跡的な桶狭間合戦はやはり奇跡的なものであると分析した日本陸軍幹部もいる)

しかし、それでもなお日本陸軍は夜戦を重視していた。そしてそのことは飛行機の搭乗員にも言えた。パイロットで「甲種」は夜戦(夜間の離着陸・戦闘)ができる者を指す。対して海軍は、(水上偵察機を中心とした)夜間の偵察・索敵、あるいは夜間雷撃(水平爆撃)訓練は行っていたものの戦闘機などではそこまで重視されていない。(空母の夜間での離艦・着艦は行っている)


その日は唐突に始まった。その偵察・哨戒区分は海軍側にあった(我々の区分はニューギニア島周辺に過ぎなかった)ので我々陸軍側への連絡は遅れてきた。司令部は憮然としていた。午前8時には海軍の航空隊は飛んで行った。こちらへの連絡はそのあとのことである。


「何のための連絡会だ」


参謀の一人が唸るような声を上げた。皆も同じ気持ちだろう。


「それについては既に正式に苦情を出している。それよりもどうするかだ」


「海軍の区分地域だ。無視すればいい」


「ニューギニアのことも考えろ。あの場所が米軍になるならば、珊瑚海の南半分は抑えられるぞ。」


「ポートモレスビーへの補給も潤沢になる。われわれはじり貧になるしかなくなる」


「ならばどうする?上陸部隊を出すか?」


「ニューギニアに出す部隊から出そう。上陸部隊ならば例の部隊がある。もう編成は終わっている。あと10日もあれば出発できるだろう」


「その間は?」


「航空部隊だな。と言っても、重爆・軽爆は航続距離が足りない。第一、洋上飛行はあまり訓練していない」


「戦闘機もそうだ。1000キロを往復はできない。それにニューギニアで手いっぱいだ」


「一式重爆は?まだいるのか?」


「半分の1個中隊はポートモレスビー爆撃に従事してます。残りの1個中隊は今週にビルマ方面に帰る予定です。」


「よし。中央に連絡しろ。しばらくはうちで使う。増援も願おう。海軍にもだ、そっちがそうならば、うちはうちで勝手に行動する」


知らせを受けた海軍は慌てた。「連絡の不備」という負い目もあって慌てて謝罪そして今後の協力についての協議に入った。その時に参加者の一人として電波研究会の大佐が入っていた。ちょうど「1型1号電探」を2機設置するために訪れていたのである。


「情報の集積地としてどちらかの司令部に置くのではなく、他の場所を設置してそれからそれぞれの司令部に連絡するのがいいのでは?」


「これまで通り、海軍はソロモン方面、陸軍はニューギニア方面の情報を迅速に流すでいいじゃないか」


「それでは今までと変わりませんよ。連絡が遅れる。今回私たちが設置している電探も区分的には海軍のものですが、その情報は陸軍にも連絡する必要があります。司令部からそれぞれの部隊へと連絡、そのまた下部の部隊へと連絡…無駄が多すぎませんか?」


例えば現在のままだと、艦載水偵が敵艦を見つけた場合にはその所属の艦艇もしくは所属する艦隊に連絡が入り、その後上部の司令部隊に連絡を出す、水偵の連絡を上部司令部が受けていたとしても艦艇や艦隊から連絡がなければ動けない。正式な連絡こそが大切であり、艦隊から連絡が来なければそれで終わりになる可能性もある。(マレー沖開戦の場合、他の艦隊に敵艦発見の報告が来たのが数時間後という話もある)組織を重視したための壊死状態に陥ろうとしていた。


「しかし命令系統が…」


「ですから連絡を直線ではなく同時的に平行に行えばいいのです。特に航空戦は5分10分の遅れが頭上の敵機状態になるのです。命令は事前に行っていればいいわけです。情報基地から送られたものについてはすぐさま指示に従え…と」


「とすると、必要なものは…直接偵察機や艦隊、電探基地と連絡ができる通信施設と状況判断のための参謀あたりをそれぞれ数名、それから…」


「部隊への連絡員ですね。多数いります、直通の電話がいいでしょう。万一の場合は伝令要員とすればいい。なに、大したことはありません。我々に任せてください。電探の連絡系統のために電探・指示所、そして各部隊への連絡関係の機器は用意してます」


こういうと大佐はニヤリと笑った。

5月のポートモレスビー後略作戦失敗ののちに、電波研究会は失敗の原因を解析してその連絡系統を一本化するための方策を考慮していたのだ。陸海軍の少佐中佐の中心とした10名を超えない研究会特設分会の検討成果、そしてその実験場としてラバウルを中心としたニューギニア島戦域とソロモン戦域に設けていた。そこがちょうど陸海軍の区分が重なる合致地帯でもあった。実戦的に行うにはちょうどいい。電探配備は単なる方便でしか過ぎない。すべての情報が集まり、そして陸海軍を区別せずにそれぞれの部隊への連絡・命令(指示)体制の構築こそが研究の主眼であった。最終的には、その研究・実践結果を持って日本本土の防空体制を構築するためのものである。


そのような協議の中、一式重爆の部隊は準備を始めていた。


「まずは輸送船だ。空母なんかは海軍に任せてしまえ」


「100㎏爆弾を多数、なるべく最大限搭載させました」


「焼夷弾も大丈夫です。沈没させなくても燃やしてしまいましょう」


一式重爆が飛び立ったのは昼過ぎ、海軍の攻撃機出発からは5時間は過ぎていた。


「攻撃は夕方か…帰りは大丈夫か?」


「なに、ポートモレスビーへの夜間の爆撃で慣れている連中です。着陸くらいは大丈夫です」


陸軍機の発進の頃、ガダルカナル島は海軍航空隊の空襲を受けていた。損害は軽微であったが、ここに零戦の存在が米軍を迷わす。


「日本の空母がいるはずだ」


ラバウルからガダルカナル島まで単純距離で1,000km、アメリカ艦隊は日本空母の存在を確信的に信じ、探し回りまた逃げ回った。(これと同様なことがフィリピン航空攻撃で行われている。零戦の航続力は陸上戦闘機を含めてその頃は非常識だったのである)日本空母は二隻ペアで運営されることがほとんどであり、対してこちらはエンタープライズ一隻(ガダルカナル島に航空機を届けるための護衛空母一隻はあるが戦える状態にない)そのために輸送船で混乱するガダルカナル島への米軍エアーカバーは午後から喪失されてしまうこととなった。

その隙をついた形で一式重爆はその姿を表した。直接護衛隊の駆逐艦、巡洋艦は激しく高射砲や機関銃を打ち上げたが、高度を取った一式重爆にはほとんど影響を与えなかった。そして激しいスコールのような爆撃が続く。上陸用の舟艇やはしけを引き離して輸送船はその場を離れようとした。輸送船の回避行動や爆発に巻き込まれて数席のはしけが転覆する。


「空母はどうした?俺たちを見捨てたか?」


平文のまま救援要請の電文が飛び交う。一式重爆が通り過ぎた時、30隻余りの輸送船隊は無事なものの数の方が少なかった。


「もう一回空襲を受ければ全滅だ」


「いったん逃げるぞ。こんなことは想定外だ」


船団長は決心する。まだガダルカナル島に上陸したのは8,000人もいない。しかもその後の装備や補給物資などはほぼ未上陸の状態である。船団はいったんガダルカナル島を離れる。これから日没までは迂回して夜間に上陸体制を回復せざるを得ない。損害なし、損害が少ないもの以外はオーストラリアへと逃がした。損害がひどすぎる二隻はそのままガダルカナル島の海岸に乗り上げさせた。船内の物資は諦めるしかない。半数近くになった船団は夜間にガダルカナル島へと近づく。物資輸送用のはしけや舟艇も少なくなっている。その夜、水偵と飛行艇が夜間爆撃を少量落としていった。しかしその少量ですら船団は混乱した。次の日も航空機の攻撃が続いた。間接護衛たる機動部隊はいない空母を探し回っておりガダルカナル島へのエアカバーはできないでいる。昨日の恨みを果たすべく、陸攻の攻撃後も戦闘機の銃撃が船団に加わった。既に上陸した海兵隊は少ない補給物資を日本軍が残した食料で補っているありさまである。船団はまた南の方へと回避し昼過ぎの上陸活動を諦めた。

その夜間である。船団はまたガダルカナル島へと近づき、危険ではあるが機関を止めないままに物資上陸を始めた。その時、日本艦隊が近づいた。

「第一次ソロモン海戦」

の始まりであった。その夜、米豪連合の艦隊は日本艦隊に壊滅状態に落とされる。そして見逃された船団はガダルカナル島海岸から急いで離れようとしたところを陸軍の一式重爆、海軍の2式陸攻の攻撃を受け、これもほとんどが沈没、大破の被害を出し、ガダルカナル島本体も数機の空爆にって、飛行場は穴だらけになり周辺のジャングルは燃えるか爆風に吹き飛ばされた。その後も飛行場を中心に海軍側の昼間攻撃、陸軍側からの夜間攻撃、時折飛行艇や水上偵察機からの夜間攻撃のため、土木工作機械(ブルドーザーなど)を陸揚げできなかった飛行場を復帰するには人力を集めるしかなかったが、連日、爆弾の穴を防ぐのが精一杯であり、そのために護衛空母から発進するはずのF4Fは飛び立たず輸送のための護衛空母は南に進路を取るはめになった。


「俺たちを飢え殺す気か?」


米海軍は慌てた。次の輸送船団を組織し、ガダルカナル島に輸送せねば海兵隊は何もできない。

米機動部隊も当地域を離れた。計画通り2日間の予定であったからだ。アメリカ太平洋艦隊は現在エンタープライズ一隻と護衛空母一隻しか動かせない。対して日本海軍は正規空母だけで加賀(大破状態でドック入渠中)、飛竜(内地で訓練中)、瑞鶴、翔鶴の四隻、小型空母は5隻ほどと比較にならない。次の空母は来年以降、金どころか同じ重量のダイヤモンドの価値があった。とりあえずできるのは駆逐艦などでの少量輸送に過ぎなかった。しかし基地の復旧のためには土木工作機械が必要であり、また滑走路の爆弾痕の早期復旧のために穴あき鉄板も多量に必要であった。つまり輸送船での輸送を行わなければならない。

空母がだめならば巡洋艦、そして戦艦だ。二度目の輸送船団は10日後に出発した。対して日本軍はここで本来の日本海軍の戦法をとった。潜水艦が集められ、航空部隊が集められ、艦隊も集められた。

瑞鶴、翔鶴、飛竜、龍驤、祥鳳の五隻の空母が投入され、海軍側はツラギへ海軍陸戦隊を、陸軍側は一木支隊と川口支隊のガダルカナル島への上陸作戦を開始した。陸軍は米軍の上陸失敗の情報をもとに輸送船での上陸作戦を立てたが、海軍か提供された生き残りの哨戒艇(大発搭載可能の高速上陸支援輸送艦)を中心とした作戦を立てた。

二式陸攻はその上空で索敵を行うだけでなく、搭載された電探で潜水艦や敵機の様子をうかがう。そして上陸作戦は成功し、たまたま近くでガダルカナル島航空基地への航空機輸送の任務に就いていた護衛空母ボーグは日本軍の攻撃の報を受け回避しつつあったが、正規空母と誤認され100機余りの日本機の攻撃を受け護衛の巡洋艦一隻、駆逐艦二隻とともに撃沈してしまった。やっと飛び立った数機の戦闘機はガダルカナル島に到着するものの、その夜の日戦艦による砲撃によって跡形もなく消え失せた。金剛・榛名までが投入されたこれらの海戦はまたもや夜戦になり、それぞれに被害を受け輸送船はその役割を果たせないまま沈没、擱座、そして引き上げた。

実は日本海軍を苦しめたのは、複数配置された潜水艦とエスピリトゥサント島(ガダルカナル南方の米軍拠点地の一つ)を基地とするB-17大型爆撃機の活動にあった。さすがに一式重爆や2式陸攻はその島への攻撃はできないでいたが、アメリカ軍としても長距離飛行が可能な新鋭のP38をガダルカナル方面に投入し、その被害は互いに甚大となっていく。その他一式陸攻や零戦も損害を出し続け、日米ともに互いに航空殲滅戦を続けるしかなかった。

ガダルカナル島はアメリカ軍が占領を続けていた。日本陸軍も10,000近くの将兵を上陸させ、日米ともに互いにルンガ川を挟んで攻撃・防御を続けた。互いに輸送船を護衛付きで送り込み中・小の海鮮が繰り返される。輸送船被害は重なり、駆逐艦を輸送の主としたものになっていた。日本軍は再占領したツラギ島を水偵部隊や一部水雷戦隊の根拠とし、エアカバーとしてできたばかりの2式水戦と零式水観を多数配備することとなる。ガダルカナル島への補給にはツラギからの陸軍の大発や高速輸送艇が用いられる。対して米軍はガダルカナル島に魚雷艇を配備し、大発と魚雷艇という珍しい海戦も行われた。水偵に20㎜機銃を搭載して魚雷艇駆逐を行ったのもこの時期である。特に有名なのが後のアメリカ大統領となる人物のPT107ボート(魚雷艇)と武装大発(その時は37ミリ速射砲1門と7.7ミリ機関銃3機を施したもの)との戦いで、互いに着弾はあっても有効な被害が与えられずPT107が前方にばかり気を取られていたために日本駆逐艦「天霧」と衝突した事件であったろう。(天霧側にとっても突発的な事故であった)そのまま数日漂流を続けた後の大統領は無事に米軍に助けられるが、後にこの実話は映画となったこともあって、ガダルカナル島を巡る戦いの一つのエピソードとして語り続けられることとなる。

米軍も第一の目的である航空基地は復旧のめどが立たず、武器弾薬どころか食料を得ることが難しい状態が続く。もちろん日本側も同様であるが、ツラギからのエアカバーもあって米軍よりややましな程度になっていた。ソロモン諸島は血と油と鉄にまみれた。


「放棄すべきなのではないか」


アメリカ太平洋艦隊の中でもそのような意見が出されていた。しかし、米海軍の戦闘区分とされていた場所での一大攻勢としての「ウォッチタワー作戦」であり、米陸軍の戦闘区分のニューギニア島での反抗計画に負けられないという米軍内部の争いでもある。

こうなると米艦隊もエンタープライズを投入する。せざるを得ない。その護衛には新鋭の戦艦も含まれていた。米太平洋艦隊は最後の賭けとも言える大輸送団とその頃投入できる最大の艦隊を送り込もうとしていた。

その頃のラバウルは電探の実践的研究の場と化し、開発されたばかりの電探が次々と別の島にも設置された。電探中央連絡所は防空の指令所となり、ポートモレスビーあたりからの米軍機は捕捉され撃墜され続けた。更に、電探中央連絡所は水偵や飛行艇、陸攻などの偵察・哨戒の連絡を承り、陸軍の重爆などの敵情報さえになうようになった。もちろん電探中央連絡所は指示するだけで、命令権は持っていなかったが、次第に内部に抱える人員は多くなりその規模は大きくなり即応能力の向上を目指しつつ各部隊への指示権限は大きくなりつつあった。


「空母発見」


の報が届いたのはこれで4回目(誤報を含む)であった。陸海軍の司令部に連絡する。海軍の偵察・哨戒部隊に追加の飛行機の発進を指示するとともに、周辺の哨戒任務に就いていた陸攻に対して進路変更を告げる。もちろん陸軍の飛行戦隊への上空警備の指示を飛ばし、艦隊にも直接発見報告を告げる。電探が設置されて二ヶ月、いつのまにか電探中央連絡所はその体制を整えていた。


「哨戒機5機、発進しました」


「ツラギからも水偵3機、水戦とともに出ました」


「陸軍戦闘機部隊、現在9機、数を多くしてます」


「哨戒機より追信あり、

我レ敵戦闘機ノ迎撃ヲ受ケツツアリ。上空ニ避難シ極力留マル。

以上です」


「陸海軍司令部に即時報告。各艦隊司令部にも送れ」


「陸軍重爆部隊より提案、発進許可まだか、です」


「そりゃ、うちではなく陸軍司令部宛だろう?とりあえずこちらからも送ってやれ」


情報の一元化はいいとして集まりすぎだ、指示連絡課長はうなった。こんなに情報が錯綜したらバンク状態だ。誰がまとめる?俺かぁ~しかし俺だけが分かっていていいか?


「おい、ソロモン海域の一番でかい地図を持ってこい。そこの一等兵、使ってない机を部屋の真ん中に集めろ。副課長は私の仕事を継げ、新しい情報を各部隊に伝え続けろ」


集められた机の上にソロモン海域の地図が広げられた。


「今までの情報を書いてくれ。敵味方なく、できれば時間ごとに」


赤い線と青い線、敵味方の動きが見る見るうちに地図上でまとまっていく。図上演習の兵棋将棋の延長だ。士官教育を受けたものは分かるだろう。陸海軍の司令部から派遣されている参謀連中も机の周囲を囲んだ。


「敵機動部隊はガダルカナル島南側か。我が軍の機動部隊は北側。」


「その別艦隊は輸送船団か?ずいぶん離れているようだが、今晩にはガダルカナル島に着くな」


「機動部隊に連絡は?」


「大丈夫だ、専用の連絡係をつけている。すでに発艦したようだ」


その日の昼間、機動部隊は激突し、それぞれに多大な被害を受けた。龍驤が沈んだ。加賀もまた大破したようだ。


「敵空母、沈没しました。被害を受けた艦艇は分離したようです」


これで米太平洋艦隊の空母は0となった。


「敵輸送船部隊、現在進路を変更してません」


「空母はおとりか?夜戦になるぞ、味方艦隊は?」


「機動部隊はラバウルに避難する予定です。ですが…」


「何だ?」


「味方の戦艦隊はそのままガダルカナル島に進んでます。輸送船護衛に向かうらしいです」


「第1戦隊も?」


「大和、陸奥、比叡、霧島、戦艦全部です。防空用に空母一隻は連れてきているみたいですが…夜間哨戒ができる飛行機を要請してます」


「2式陸攻をできる限り全部出せ。帰隊した連中も補給後すぐ飛ばせ、爆装のままでもいい」


「陸軍には?」


「例のせかしていた部隊は?洋上にはなれているだろう」


その夜はガダルカナル島付近での最後の大規模な海戦となった。

日本側の四隻の戦艦は付近にまだアメリカ軍戦艦がいないことを確認し、大和を先頭として五連射を三式弾で米軍基地に打ち込んだ。併走する護衛の巡洋艦は海側をにらみ続け、直接護衛艦隊の巡洋艦・駆逐艦の相手を進めていた。そして米戦艦が現れる。ワシントン、サウスダコタが数隻の護衛艦艇を伴い日本艦艇へとその砲火を向けた。先手を取ったのは大和・陸奥である。上空の二式陸攻が早くからその姿を捉えており、刻々とその速度と方角・進路を伝えていた。米艦隊の速度は27ノット、最大速度に近い、戦艦によるヒットアンドランを狙っていた。いくらレーダーが有るとはいえ、日本側は単なる対艦哨戒レーダーでしかすぎず、対する米艦隊は射撃レーダーを搭載しているとはいえ今回が初陣であることもあって、互いに近距離(15,000メートル)での砲撃戦であった。最初に被害を受けたのは先頭を走っていたワシントンで、大和の4射目、46㎝砲弾を2発その船体に喰らった。この距離であり、平行装甲より垂直装甲への被害のために速度がすずっと落ち始める。陸奥の砲弾も次々とワシントンへ送られていた。対して米海軍の二隻も大和への砲撃を集中させ、上部の対空砲、対空機銃をめちゃくちゃな状態としていた。サウスダコタも無傷ではない。比叡・霧島の36㎝砲はサウスダコタの装甲板をまだ貫いていないが、サウスダコタの上部構造物はかなりの被害を受けていた。互いの巡洋艦・駆逐艦はそれぞれの邪魔をするために戦艦から少し離れたところで、阻止線を張り、砲撃戦を続けていた。数的に優勢であった米軍側がやや有利ではあったものの、その有利さを生かせる術を持っていなかった。その間に別働隊である日本輸送船団は海岸に碇を下ろし、物資の揚陸を開始していた。ツラギからも大発が次々と訪れ、まずは緊急物資である薬品、食料、そして弾薬。帰りには戦傷者・戦病者が乗り込みツラギへと帰って行く。一部の大発は計画通り、割り当てられた輸送船からの揚陸を手伝う。かたや陸軍、かたや海軍、しかし思いは一緒である、ガダルカル島の兵をこれ以上飢えさせるな、である。もちろん米輸送船団もガダルカナル島に近づき日本船団とは200㎞くらい離れたところにとどまり、揚陸を始めた。

 「日本に大和魂あれば、アメリカに開拓者魂あり」

と、後日の戦記に掲載されたとおり、いつまでも逃げることができないならば、突っ込んでしまえというものである。アメリカに後はない。この方面で攻勢を続けるためにはガダルカナル島に飛行場を作るしかない。(他のソロモン諸島は小さすぎるか、山がそのまま島になったような状態で、唯一、大型機を運営できる飛行場ができるのはガダルカナル島だけである)そして日本軍の基地となったらアメリカとオーストラリアの交通が遮断される恐れが高い。対して日本も後がない、この航空基地ができることでラバウルが危なくなる。ポートモレスビーからの攻撃に加えてガダルカナル島からの攻撃、ラバウルが2方面から構成を取られれば、ラバウルは防衛するしかなくなり、この方面は攻勢がとれなくなる。互いに千手詰めで身動きがとれない状態に陥る。だから互いに少量でも揚陸できればいいと損害覚悟で輸送船団を送り込んだのだ。

戦艦同士の戦いは続く。ワシントンは速度の低下から艦列を離れつつあり、サウスダコタが戦いの前面に出る。大和は執拗にワシントンに砲弾を送り込む。対してサウスダコタはその砲を2番館である陸奥へと変えた。陸奥は大和と同様ワシントンへ、比叡・霧島はサウスダコタへと攻撃を加える。ほぼ同時のことであった、ワシントンはその姿を海の底へと進路を取り、陸奥はサウスダコタの20発いじょうの砲撃を受け、そのうちのどの弾丸が届いたのかは分からないが、弾薬庫を貫き、多大なる爆発を起こして船体を二つに折りその勇姿を消し去った。

大和と比叡・霧島はそれぞれの主砲弾をサウスダコタへと集める。その上空にタイミングを図った一式重爆が数機、攻撃に加わる。砲撃を始めればその正確性を図るために艦艇は直進運動が基本となる。その待ちに待ったタイミングで一式重爆はケ号誘導弾をそれぞれに2発ずつ放つ。ケ号誘導弾が正式に用いられた瞬間であった。6発のケ号誘導弾はサウスダコタへ向かい、3発が熱量発生源である煙突付近に集中して命中した。1発は煙突を吹き飛ばすだけであった。2発目はその周辺の構造物を吹き飛ばした。そして3発目は第三砲塔の天蓋装甲を貫き、そしてそこで爆発を起こした。その爆発は第三砲塔の弾薬庫に達し、サウスダコタの船体を内部から膨らませ、そして…。


「当たった、当たったぞ!!!」


爆撃手の大声は、電話越しに機内の全員に伝わった。戦艦のあちらこちらからチロチロとした炎が見える。それは次第に大きくなり、第三砲塔を吹き飛ばした。ズズズズっという音というよりも響きがある衝撃音がこの機体まで達する。6,000メートルもあるこの高高度まで?夜間なので、目をこらさないと海面なのか島なのかはわかりにくい中で、その艦の炎ははっきりと確認できた。

これまでも陸軍機が輸送船や駆逐艦などを攻撃し、沈没、撃破の戦果を上げ続けていたが、直接の戦闘艦艇への攻撃は海軍側に任せていた。それが、この戦果。陸軍でも多大な損害を与えることができる、という自信は余りあることであった。

サウスダコタはその後、一番二番砲塔の奮戦もむなしく、敵艦への砲撃は1発の奇跡的な攻撃が成功した以外当たらずに大和などの戦艦の攻撃を受け、ガダルカナル島沖にその姿を消した。問題はその一発である。大和の艦橋、それも航海艦橋と称される位置へとあたったのだ。

「指揮官先頭だろう?」

と宣う、日露戦争時に指を飛ばされた連合艦隊司令長官のその姿は下階の戦闘艦橋でも装甲板に守られた司令塔でもなく、一番視界が広がる航海艦橋にあった。サウスダコタのその戦果は、陸奥の爆沈ではなく、連合艦隊司令長官の戦死にあったかも知れない。


その日の深夜、米太平洋艦隊の提案はアメリカ本土の官軍首脳部に了承された。

ガダルカナル島放棄

の決定であった。


『エンタープライズの沈没によって、すでにこの開戦の趨勢は決まっていたのである。けれど、我が太平洋艦隊はその意地を示そうとしたために二隻の戦艦を喪失し、ガダルカナル島8,000人余りの海兵隊を捕虜とされ、30隻を超える輸送船を沈没・拿捕されてしまう。むろん陸奥の沈没、そしてヤマモトの戦死は評価すべきものではある。たった一日の損害としても大きなものであったが、その後の中部太平洋諸島の攻略に必要不可欠な、その中核部隊を失ったこと自体が、その後の戦略変更に多大な影響を与えたことは否めない。このたった一日のために、終戦は間違いなく半年は延びたのである』

サミュエル・モリソン『ガダルカナル島の戦いとその影響』より




いかがだったでしょうか?


ガダルカナルを巡る戦闘は、大小20を超えるものがあって、それがずるずると一年かかっているのですよね。この海戦の歴々をちゃんと調べると、日本側のイライラとともに、米軍もいろいろとしてしまった結果というのか分かります。

互いに余裕がなく、遭遇戦の繰り返し状態です。これをすべて表すとそれだけで10回を超えてしまいそうなので(このあたりのif戦場が少ないのがよく分かる一週間でした。林センセはよく頑張ったなぁ~)一回にまとめるために無理したのは間違いないです。

今回の変換の中心は、陸奥です。内地で爆沈させるくらいならば…しかもそのあたりにいたじゃない?って、参加させました。(爆沈の理由を調べると海軍の闇と怪談に巻き込まれますのでご注意を)

また山本様はこの辺でご退場いただきたいと、ガダルカナル島の飛行場ができてないので、この形で話を進めました。大和も参加させたい気持ちもありました。


電探中央連絡所は今後の本土防空戦に必要不可欠なのです。実践研究の場として、いろいろといじりましたが、ちょっと早すぎたかも知れません。


落とし所ははっきりしてますが、中太平洋諸島の攻防やビルマ方面…どう描こうかと悩みは多いです。

週2回の投稿が崩れますが、よかったらまったりとお待ちください。


いつもながら、皆様の評価・感想・ブックマークは励みです。良かったらお願いします。


ではでは。。。



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