一式重爆撃機(その影響とマレー沖海戦)~ついに憐愍(れんびん)を垂れてくれた。~
ご訪問いただきありがとうございます。
今回もギリギリの脱稿です。現在、6月2日21時〇分です。
これからアップして、サイト内で確認修正すると時間が…たぶん23時くらいになるかも?
さて
感想・評価、ありがとうございます。ホントに励みです。
PV数を見てると、各部投降後に計800近いので、なんだか250名近くの方がだいたいお見えになっているみたいです。たぶん200名くらいの方が毎回訪れておられることでしょう。
そんな大した作品でなく申し訳ないなぁ~などと思うと同時に、楽しんでもらえるようにこれからも頑張りますね。
では、お楽しみください。
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと すきとほった風ばかりです
宮沢賢治
日中戦争を通じて、日本陸海軍は様々な戦訓を得ていた。
「今後の戦闘機の攻撃武装の在り方」
「今後の爆撃機の防御武装の在り方」
もそのような中の一つである。
爆撃機の方は、陸海軍とも同じような意見に集約される。尾部への防御武装の必要(これは96中攻と97重爆の尾部武装の弱さから出た意見である。B17より早く百式重爆や一式陸攻が計画段階で尾部銃座を設けたのはそのためである)また戦闘機の武器の効果外まで届く機銃の必要である。(20ミリ機銃(機関砲)がそれぞれに備えられた理由である)
では戦闘機は?7.7ミリ機銃が威力不足であることは分かっていた。戦間期における各国の状況もそうである。例を挙げると、フランスはプロペラ軸を通す20ミリ機関砲を早くから提案していた。(ドイツはこれに倣った)ソ連も7.7ミリ機関銃+20ミリ(のちに23ミリ)機関砲という武装を始めていた。(イ16は20ミリ機関砲を搭載してノモンハンや中国に現れている)イギリスは7.7ミリ機銃を多量に装備(なんと12基備えた機体さえ用意した)し、戦中には20ミリ機関砲に変更を始めた。アメリカは初期に7.7ミリ機銃だけであったが、12.7ミリに片方だけ変えるという手段を取り、最終的には12.7ミリ機関銃を6基を基準にし、P47などは8基を備えるということとなった。(これは単に短時間の投射力を狙っただけでなく、機関銃の対G値が低く旋回中に故障が多発したための処置という側面もあった。また20ミリに関してはエリコン系はドイツのものであり情緒的に嫌い、フランスのイスパノ系を採用するがメートル法からインチ法に設計を変更した際の不手際のため故障が多発し、ほとんど役に立たなかった。(陸海軍を通して20ミリ機関砲を搭載した戦闘機は数少ない。B29は外す機体が多かった)海軍艦艇はエリコン系を使ったのにもかかわらず…)
では日本の陸海軍は?というとバラバラである。海軍航空関係の上層部はフランス流のモーターカノンによる20ミリ機関砲に恋焦がれていたが、イスパノ社の水冷エンジンの軸をパイプ状にする国産エンジンと発射穴を伴うプロペラに自信がなかった。(実際、それまでイスパノ系の水冷エンジンにこだわりを見せていた三菱はA5エンジン(金星エンジン)に集中するために水冷エンジンの開発をほぼほぼ諦めた。(対してソ連は諦めずイスパノ系発展型の航空エンジンだけでなく、T34のディーゼルエンジンの基本形となる)それでも諦めずにエリコン20ミリ機関砲を国産することになる。なぜそこまで大口径の機関砲に固執したのか?それは開戦と共にマリアナ諸島付近で行われるとされる艦隊決戦において、味方の戦艦や空母を敵の爆撃機から守るためであった。特にうわさに聞く「空の要塞」B17を追い払い、打ち落とすためにはその頃の戦闘機が搭載する7.7ミリ機関銃では難しいと思われた。そこに現れたのがフランスの20ミリモーターカノン砲である。海軍は狂喜した。「これならば大丈夫」しかしモーターカノン砲を備えるためのエンジンはできない。ならば翼に…。ただ日中戦争を経験したベテラン搭乗員はそれを嫌った。「20ミリ機関砲なんぞ役に立つか?確かに当たったらすごいが、ションベン弾で射程が短いし当てるのが難しい」と、できれば13~15ミリクラスの中口径機関砲を望んでいたことが報告書で明らかになっている。対して陸軍のパイロットはと言えば「7.7ミリ機関銃では敵機を落とすのに苦労する」、これは海軍と同様である。その頃に中国軍が揃えた機体は、アメリカ・ソ連・ドイツ(少数)から購入・供与された機体であり、アメリカ機の丈夫さとソ連機の速さに手を焼いていた。そして「できれば15~20ミリ機関砲くらいの大口径が欲しい。一発でも当たれば落ちるだろう」と訴えている。(ソ連戦車への航空機からの対地攻撃もその意見に含まれている。開戦後、戦車の生産は航空機に比べてさほど伸びていないのは陸軍としては「戦車の敵は戦車」ではなく「戦車の敵は航空機」というその頃としては卓越した意見を取り上げ、戦車より飛行機を優先的に生産したのである。また戦車より航空機の方がかなり安いという側面もあった)
不思議なことに陸海軍の原因は同じであるが、戦闘機乗りの意見は違うこととなったのである。そして開発はまたまたクロスする。次期の航空用機関砲として海軍は20ミリを、陸軍は12.7ミリをほぼ同時期に開発することになる。
話はキ50が未だ制式採用してなかった頃にさかのぼる。
「せっかくだから技術協定を結びませんか?」
「技術協定?」
「こんなちっぽけな国で、企業同士ならば競争原理が働いて良い結果が出ることもあるでしょうが、陸海軍の中の少ない年間に決まった研究費・開発費の中で、研究者・技術者が別々にやってて間に合いますか?稟議書を回すだけでも時間がとられます。時は金ですよ」
「確かに外から見ればそんな風にとらえられても仕方がないけれど…」
「いえ、無理に別の研究・開発を一緒にしようというわけではありません。同じようなものを開発する際に、研究成果の共有とか、採用された機材の共同採用とか…そんなことです」
「なるほどねぇ」
「うちも一企業ですが、結局海軍のひも付き会社です。陸軍でいえば…」
「中央工業、うちだな」
「そうですね。開発もしていますが、工廠当たりの兵器の生産もしている。それこそ協力ができる会社です。けれどかたや陸軍、かたや海軍の壁がある」
「その壁を取り払いたいと?」
「ええ、それで最初に提案したのです。99式とホ103の交換を」
日中戦争の反省があってもなお、12試艦戦やキ42・43が7.7ミリ機関銃を搭載することになったのは、まだ12.7ミリクラスの開発が終わっていなかったこともあるが、日本の貧弱なエンジンの飛行機にとって軽いことは重要である。零戦が20ミリ機銃の中でもエリコンFF系をまず選んでいるのもそうであった。
例えば、「八九式固定機関銃」の場合、全長1,035 mm・重量12.3㎏、
「ブローニング AN/M2航空機関銃」の場合、全長1,645 mm・重量38.1 kg
と2倍以上であり、搭載弾丸もその分少なくせざるを得ない。(戦間期のアメリカ戦闘機が7.7ミリと12.7ミリを混載しているのもその影響があった。開戦前後から12.7ミリ機関銃を4艇、そして6艇(P47などは8艇)と増やせたのはエンジンの馬力の向上にある)
ちなみに「一式機関砲(ホ103)」の場合、全長1,267mm・重量23㎏と、89式とМ2の中間くらいである。
「載せましょう!あれ」
「ホ103か?」
零式艦戦が未だ制式採用されず「12試艦戦」と呼ばれた時点で、横浜航空隊より12空に派遣されその初陣を飾った横山保大尉が訴えた。中国軍の主力であるソ連機は相手にならなかったが、アメリカ機には手を焼いていた部隊は、当てにくい20ミリ機銃に信頼を置くことができないでいた。ならば7.7ミリは?下手をすれば表皮の金属板を通過するだけで、下手をすればはじかれるだけであった。
「あれなら、米軍機も堕とせます。」
ホ103はМ2と同じブローニング系の機関銃であるが、その小型軽量型(MG.53-A)をコピーしたものである。弾丸はヴィカース12.7ミリ機関銃のものをイタリアが国産し、伊式重爆を購入した際に導入したものであった。М2と同じ12.7ミリではあるが、弾丸重量も軽く、そのために機関銃自体もコンパクトに小さくまとめることができた。(弾丸が小さいことで、発射速度が速くなるという副産物的なことも…)
「しかし航空本部や三菱が頷くかどうか」
「12空、14空戦闘機搭乗員の総意として伝えてください。少々機体が重くなっても、こっちの腕でカバーします。
自信がある顔で胸を張り、そしてついでに司令部を脅した。
「それとも…勝手に陸軍さんから手に入れて勝手に改造してよろしいですか?」
今、2つの航空隊にいる戦闘機乗りはベテランばかりだ。そして来年には大陸を離れ、数多くの航空隊に分派しその中での中核的存在として、部隊編成の要を担い、部隊を引き連れる。どこかで納得させなければならない。要望の多かった防弾性能も我慢させている。これまで20ミリクラスよりも13ミリクラスをと要望を出し続けていたのだ。実物がない、時間がないなどという言い訳はもううんざりだ。中攻の連中には感謝するしかない。空中射撃試験のために持ってきてくれたのだから。陸軍のものとはいえ、実物がある。ならば何を迷う必要がある?
「ということなんだが…」
「寸法的にはさほど無理をする必要はないようです。ほぼ交換できます。実物はキ50がらみで手に入るでしょうし。しかし、やっぱり重いですし、弾数が減りますよ」
渋い顔で堀越が答える。海軍の上の方と現場の方での意見の違いにうんざりする。
「まあそれでもかまわないって話だしな。20ミリほどではないにしても、当たれば7.7ミリの3~4倍の威力がある。エンジン同調は大丈夫なんだろ?」
「大丈夫です。陸軍さんがもうすでに試験をしています。」
「何なら20ミリも長いのにしますか?もう量産されてるでしょう?重いけれど…」
脇から軽い口調で口をはさんだのは言わずと知れた本庄であった。一式陸攻の武装を変更した(胴体上方を12.7ミリ双連動力銃座に、尾部をFF式の短銃身旋回機関砲からFFL式の長銃身旋回機関砲へと変更、他の機銃も12.7ミリにしようとしていた)新型を作成中であった。
「あれほしい」
とキ50の武装を見た海軍搭乗員が、ホントにそういったかどうかはわからないが、似たような意見に囲まれて三菱としても航空本部としても無視できなくなったのである。
「そこまですると、ちょっとした変更で済まなくなるけれどな」
「よし、分かった。まずは機首のを一式に替える。どのくらいかかる?」
「まぁ、数機だけなら顔なじみの職工さんにお願いして1週間もあれば…キ50のために知多工場にあるでしょうし、同調装置などの陸軍への調整は課長お願いします。納入予定の機体をいじくります」
「で、こっちから提案する長銃身の20ミリ。設計直しには?」
「翼の強度計算をやり直す必要がありますから1か月は最低。量産するならなんとか2ヶ月。まあ、一機くらいならば改修に…やっぱり3週間ですかね?」
こうして零式艦戦は改修の提案を受けて機首機銃を「九七式七粍七固定機銃」(弾薬数700発)から「一式一二粍七固定機銃」(弾薬数320発)へと変更した機を仕上げ、海軍は試験の結果、「零式艦上戦闘機21型甲」として早速採用し、機体と機銃とをすぐさま量産に移らせた。また九七式と一式の交換は容易に可能であるため、現機の交換を望む部隊へと取付金具等を送り現地で改修を行わせた。一式機銃の量産を依頼された中央工業は一式重爆撃機のために作られた生産ラインを増強し、海軍の要望に応えた。(のちに一社だけでは要求数をこなせないために海軍は豊川工廠で99式20ミリ機銃と共に生産するようになる)この海軍側の動きに慌てたのが陸軍である。陸軍も八九式7.7ミリ機関銃ではこれからの戦争で戦えないと一式12.7ミリ機関砲にしようとしていたところである。特に一式戦闘機「隼」と二式戦闘機「鐘馗」をすべて一式機関砲に変更予定していたのであるが、これまで一式機関砲の初期故障を恐れ、全数を交換することをやめていた(一式の初期量産型は7.7ミリ機関銃と12.7ミリ機関砲を混載していた)のであるが、第64戦隊長加藤建夫少佐や航空本部の頼冨美夫大尉からの強い要請もあって、中央工業の量産努力もあり海軍に倣い一式・二式戦闘機の機関銃をすべて一式機関砲へと変更した。
一方、キ50の海軍側の受け入れであるが、「試製」の名称がはがれない状況で開戦の日を迎えることになったのである。なぜ制式採用されずに運営を行っていたのかといえば、海軍側のつまらない見栄のためである。戦前、海軍は火星エンジンを大型機の主力エンジンと考えていたが、陸軍は百式重爆もあって中島のエンジンを押していた。したがって火星エンジンがどのように改良されているのかもいち早く知ることとなっていた。「火星20シリーズ」である。水メタノール噴射装置を採用し高回転化、高ブースト化した性能向上を目指したエンジンであった。そしてそのエンジンも17年には生産できると耳にしていた。
「ならば…」
と海軍は思っていた。現在のキ50より馬力が2割増しでかなりの速度増加が見込まれる。馬力に余力があれば、機体強度も高められ運動性能の向上も考えられる。
そんな機体を先に手に入れたいというつまらない見栄である。
この火星25型エンジン(21型を減速比を変更し、燃料供給を燃料噴射装置に、過給機を大型に変更し高空性能を狙ったもの・陸軍名「ハ111」)を搭載した機体は、開戦してすぐの17年1月に完成し、試験飛行が済んで間もなく「2式大型攻撃機」とやっと制式採用された。陸軍も同一の機体を「一式重爆Ⅱ型」として1か月遅れであったが採用した。(陸軍の遅れは、同じ三菱のハ42(「火星」を18気筒化したもの)に今後の重爆用エンジンとして目を付けていたためである)
「お前のところの搭乗員は、あっちの機体に移れ」
「は?」
朝鮮の元山飛行基地から南印のハノイ基地元山海軍航空隊に移動した帆足正音予備中尉は言葉を失う有様であった。
「機種転換だ。本土に行く時間はないから、この基地で訓練する予定になっている。1号機と2号機の機長にはよくよく頭を下げとけよ」
「はぁ…」
まだ話に追いつけない帆足はとりあえず頷くことしかできなかった。
「帆足に3号機機長になってもらう」
という言葉にやっと話を飲み込めた。
明るい灰色の機体には、縁のある日の丸と機首付近には「03」の機体番号が黒文字で描かれ、そして垂直尾翼には部隊記号である「G」と「503」が黒文字で振ってあった。4発機だ。噂には聞いていたが、基地についてそのままの足で司令部に来たものだからよくは見ていなかった。
「試製一式哨戒爆撃機」は海軍では雷撃任務(魚雷投下時に中攻といえ10メートル未満の飛行などをこなすのが雷撃隊である)はとりあえず諦め、爆撃任務もこなすが、その行動半径の広さから偵察や哨戒・索敵を行うことになっていた。元山航空隊にはマレー方面の支援のため4機の「試製一式哨戒爆撃機」が割り振られていた。
翌日から訓練が始まった。始めは地上で、そして他機での空中訓練、96中攻ではいなかった機内機関士等数名の補充を受けて1週間後には自機で空に舞い上がり、そのまた1週間後には実践的な哨戒訓練が南シナ海を中心に行われることとなった。結構乱暴な機種変更であったが、なぜ自分に?という疑問は機の下士官たちがあちこちに声をかける中で理解できた。三番機の搭乗員が次の編成部隊の中核として引き抜かれたからである。そして敵の攻撃にはこの機体では加われないことにあった。いや爆弾は載せることができるし、将来この機に乗ることになったらその時はその時である。ただ時期が悪い。長くても3か月後、短かったら1ヶ月後には戦火を交えることになるこの時に、「使い慣れていない別の機で出撃せよ」と言われても…第一、雷撃ができない。シンガポールには新鋭戦艦さえ姿を現している。他のベテラン連中が嫌がるわけだ。じゃあ爆撃にでも…対艦攻撃には未だ十分とは言えなかった。
開戦間近の空気の中で誰も不思議に思う暇はなかった。やっと機体の癖を把握し哨戒任務も順調にこなし搭乗員同士の気心が知れたある日、
「イギリスの戦艦を探しに行くぞ」
まるで酒保か散歩にでも行くみたいな口調で哨戒隊長がそう言った。
夜遅くに機体は南西に向かった。どこにいるとも知らない英艦隊を目指して…
「機長、通信です。」
離陸して一時間、4,000mあたりの巡航に最適な高度で哨戒地点に急ぐ中、
森慎吾通信員から連絡が入る。
「読んでくれ」
「はい。現時点に置いて、我が国は米・英・欄に向けて開戦せり、です」
きゅっと胃が絞まる思いをした。マイクのスイッチを「個」より「全」に切り替える
「全員、注目。敵機・敵艦に備えよ、開戦だ」
どよめきが機体を包む。
機内の各員は黒々とした海面をのぞき込む。一筋の白波をも見逃さないようにしていた。
その間にも、さまざまな情報が機内に流れ込んでいた。新しい情報のたびにその報告の場所に飛んでいきたかった。しかし哨戒線を離れることができない。
その日は何の発見もできないままに終わった。
引き続き、次の日も夜中から始まる哨戒飛行は続いた。
「目視以外になんか索敵の方法がないもんですかねぇ」
基地にたどり着いたときに鷲田光雄偵察員がぼそりつぶやいた。たぶん機内の全員の意見だろう。いるのは分かっている。シンガポールに強制偵察した部隊から「シンガポールに見えず」の報告が、潜水艦や艦載水偵からの「発見」の報告も届いていた。潜水艦は先回りに失敗し、艦載偵察機は悪天候に目をそらした間に燃料が乏しくなった。
しかし我々の目には入っていない。「わが機ならばその場に10時間以上とどまっていられるのに…」哨戒隊長は、この機体の滞空能力を見込んで、マレー半島・シンガポール近くの南西の方へ哨戒地域を伸ばしたり、哨戒線を重なる形で見逃すことがない方策を提案していた。この機ならば悠々とシンガポールの先まで偵察できる。この提案は受理された。3日目の哨戒線は通常の3機だけではなく補修を終えた補助機の一機を交え、4本の哨戒線がいくつか重なり、重要地点を往復するような飛行経路を示していた。(もちろん部隊から派遣される96中攻の哨戒線も考慮していた)
「明日見つからなかったら、明後日。それでも見つからなかったらまた次の日」
内心では焦っているであろうが、哨戒隊長はいつものややのんびりとした口調で我々を諭した。
「しかし、見つけるのは我々だ」
口調を変えないまま、そう語った。
次の日、夜半のサイゴン基地を発信した3番機は、いつもよりやや低い高度を搭乗員の海面を舐めるような視線で探し回っていた。「このくらいならば…」とそのかんとも言うべき感覚に哨戒ルートを外した。果たして、東洋艦隊主力は飛行経路の帰途にその姿を現した。このあたり特有の黒々として海面に白い波の筋が数本見えた。敵機の姿が見えないことを幸いに機体を3,000メートルまで降ろす。
1.敵主力見ユ、北緯四度、東経一〇三度五五分、針路六〇度、一一四五
2.敵主力ハ三〇度ニ変針ス、一一五〇
3.敵主力ハ駆逐艦三隻ヨリナル直衛ヲ配ス、航行序列、キング型、レパルス、一二〇五
帆足は味方攻撃機が到着するまで、6,000mの上空にとどまり、その誘導電波を流し続けた。二隻の戦艦や駆逐艦からは激しく対空砲火が上がる。たまに近弾がそれでもかなり遠いところで炸裂し、軽く機体を揺らした。その頃第一航空部隊に属した元山海軍航空隊・美幌海軍航空隊・鹿屋海軍航空隊、そして第二十三航空戦隊より増派されていた山田部隊は帆足機の遥か下空で、英艦隊に殺到した。帆足機の連絡からわずか30分後には美幌航空隊が爆撃を加え、そして日本軍機の攻撃は2時間にわたった。二次攻撃部隊の壱岐春記海軍大尉は救助を急ぐ英駆逐艦に対し 「我々の任務は完了せり。救助活動を続行されたし」と打電させた。
帆足機はその間、上空にとどまり続け、プリンスオブウェールズ沈没、レパレス沈没を見送った。味方機が爆散する姿、海面にぶつかり四散する姿も見送った。
そして敵機編隊が現れた中でも偵察を続け、午後10時20分にサイゴン基地に着陸して14時間の索敵任務を終えた。
帆足中尉はこう伝えている。
「わが航空部隊の活躍はもちろん、イギリス海軍将兵の戦いぶりは見事であった」
その数日後、壱岐大尉は爆撃任務からの帰路、両艦の沈没した海域を通過することを知り、事前に花束2つを用意し機上から沈没現場の海面に花束を投下した。花束の一つは散華した戦友のため、もう一つは艦と運命を共にした英軍将兵のために手向けたのである。
後日、壱岐大尉は
「褒められようとやった事ではない」
そう一言だけ述べた。
いかがだったでしょうか?
今回も実在の人物が様々に出ていますが、何といっても「帆足予備中尉」様です。この機に載せたのはマレー沖海戦での英艦隊発見のこともありますが、次年に台湾沖で行方不明になられていますので、生き残ってほしい…という私的な願いです。「予備」って何?て人はぜひクグッてください。いわゆる学徒出陣などを待たずに、大学卒の方が戦場に行かれているのです。(龍谷大学卒業の僧侶(「寺生まれの〇さん」?)でもあった方です)
壱岐大尉様、かっこいいですね。戦中の教科書に載せられたというのも頷けます。軍人の鏡です。しかし…イギリス、てめぇはだめだ。戦中・戦後に捕虜となった日本兵にどんな扱いをした?最終的に「猿の惑星」だぁ?ふざけんな!!!!おい、オーストラリア、同族だぞ。
(年寄りは温厚になりません、短気になるだけです 悪しからず…)
マレー沖海戦はなるべく史実に則ってます。
戦闘機の機銃・機関砲です。読者の方から海軍の「3式13.2ミリの方が…」と言われたのですけれど、私的な意見としてはそっちの方がへたすればМ2よりも弾丸威力が大きいので採用したかった。(ホント15年前から悩んでいる命題です)、零戦の機首機銃としては無理なく2丁載せられますし、取り換えが簡単なので今回はこの機関砲にしました。(別の話ならば分からない ( ´艸`)一応別の章ネタとして考えてます。(まったりお待ちください)ロングノーズの零戦になったりするかも?)
海軍が採用した「2式大型攻撃機」ですけれど、「火星」がらみです。陸軍は火星(ハ101・ハ111)に冷たいのですよね。そのかわりに現実では4式重爆にハ42(陸軍呼称はハ104及びハ214)を使ってます。本来は4発爆撃機のために陸軍が16年に採用はしたものの、載せる機体がなかったために改良が遅くなった、ちょっとかわいそうなエンジンです。どう考えても圧縮比にも余裕のあるエンジンです(うまく性能向上させたら2,500馬力を狙えたかも?無理か…?)。平時であればどうなっていたのでしょう?海軍は19年まで無視してますよね。誉可愛さに…三菱としても金星と火星の改良にエンジン技術者をほぼ全力振ってますのでハ42は後回しになりました。(戦鳥では海軍が使わなかった理由としてSUDOさんが「陸軍のユニットで、三菱製だったからです」ときっぱりと言われてます 笑)ハ43(金星18気筒化)くらいの性能向上を考えたエンジンとして「馬力当たりの重量を世界一軽いものにする」などと能力向上を目指していれば…妄想が捗ります。(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
ちゃんと次の部で載せる予定です。
次回は本来の目的である「コレヒドール要塞」爆撃に行ければいいなぁ~(本来、こっちを書きたかったのですが…時系列的にマレー沖海戦を先行させました)坂井様はちゃんとB17を撃墜したかしらんなどと考えながら、
「カミングスーン(coming soon)~ちょっと待ってね~」
です。
評価・ブックマーク・感想・ご意見、ぜひお願いします。
自分の「妄想」がどのくらい皆さんに届いているのかの指針になります。
ではでは。