一式重爆撃機(採用と開戦)〜眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である〜
お読みいただいてありがとうございます。
話すことはまだまだ多々あるものの、ぎりぎりで脱稿することができました。(土日に肉体的仕事をずっと続けていたため、温泉でも身体が癒されず…老体です 笑)
今回は
部隊編成と海軍の機体採用の話が主ですが…
とうとう開戦です。
ではお楽しみください。
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
宮沢賢治『春と修羅』
キ50の増加試作機は工場の生産ラインの流れを確認しつつ、工作機械や治具を設置し、月に2機程度ずつ生産された。以前に述べたようにハ101Ⅱを載せ、兵装・艤装が完了したことで、やっと性能試験が全面的に始められたのである。
最大速度 530 km/h(高度7200m)
巡航速度 380 km/h(高度4000 m)
最小速度 150 km/h
実用上昇限度 11,500 m
航続距離 3,800(爆弾最大搭載時)~7,800 km(哨戒・偵察時)
乗員 8人~9人
武装 20 mm機関砲2基4門(胴体後方上方旋回2門・尾部旋回2門)
12.7 mm機関砲3基5門(機首旋回1門・胴体前方上方旋回2門・胴体後下方旋回2門)
爆弾 60 kg20発・250 kg10発・500~800 kg4発・1000~1500 kg3発・
2000 kg2発(各種最大4,500 kg)
※なお、この時点で1500㎏と2000㎏は計画のみ
ここでキ50は「一式重爆撃機」という制式名称をつけられた。(のちに陸軍側の広報用の愛称として「天龍」と名づけられる)なお、現場では「一式」「ごーまる」あたりが使われていたようである。
もちろん、制式採用後もかなりのこまごまとした修正は続けられた。増加試作機は社内の試験飛行が終わると同時に浜松の飛行学校へと納入され、部隊編成や戦術等の実戦に近い試験、そして部隊編成に向けたマニュアル作りがなされ始めた。
ほぼ空荷状態であれば燃料半分で1,000メートル滑走路でも離着陸が十分に可能であるが、満載状態である場合、1,500メートルは最低必要な機体であり、その頃の陸軍の基地でも使える場所が数か所に過ぎなかった。陸軍内部では、
「使えるものじゃなかろう」
「あの規模の機体を持つまでにまだ数年かかる」
という意見も多く92式重爆同様と期待したものが少なかった。しかし、どうやら使えそうだという情報が広まる中で陸軍は慌てて数か所の基地の滑走路延長を計画・実施した。
陸軍としてもかなりの大型機であるので、扱いは丁寧なものになった。
ただ、必要とした数はさほど多くはなかった。一式重爆の部隊編成については、陸軍内部でもいろいろと意見が出された。集中配備か分散配備か。
1個中隊ならば必要数は9~12機程度である。教導・訓練部隊として(浜松陸軍飛行学校)1個中隊を編成することは決定していた。内地の訓練部隊であるので大隊規模までは受け入れることが可能であった。そして、本来の攻撃目標であるフィリピンとシベリア鉄道・ソ連のことを考えれば、台湾と満州に基地を置くことが必要である。ただ、日本本土にも後方基地が欲しい…などという意見もあり、そこに予算や人員のこともあって増加試作機以降も量産自体は決まっているものの、台湾に進出する部隊に1個独立中隊を、そして台湾・満州に近い九州(太刀洗飛行場で編成予定)に独立中隊を置くことだけが決まっただけで、あとは様子(と予算)を見ながら…である。
つまりはせいぜい40機程度を半年かけて量産することとなった。それでもこれだけの大型機を月に10機余りを量産することに対しては、
「日本もすごくなったものだ」
などと能天気な意見を出すものもいた。
「で?うちにはいつ?」
と宣ったのは日本海軍。のちの深山の失敗がほぼ決定的になった中で、浜松飛行場に見学に来ていた海軍の高官。三菱の役員は相手の腹を探った。
「何機必要なのですか?」
「とりあえずは5機。こちらでも使い方を考えたい」
現在、週に2~3機の量産を考えていた役員は、実際にはその倍の数を作ることもさほど無理なく可能であることを知っている。工員を増員して材料・部品、そしてエンジンの供給がスムーズにいった場合、最大月産40機余りにできることもわかっている。何せ生産ラインの基礎的設計に携わったのは彼であった。(知多工場の一番の問題は、検査飛行のためのパイロットの数とも言われていた)
「陸軍機と同じ機体でいいですよね。ならば来月にでも…しばらくは浜松でお願いします。うちにも近いですし」
今さら海軍用に艤装や武装を変えたものをつくれといわれても困る。そんなことになったら海軍向けの機体納入が3か月は遅れる。生産ラインも新しいものを作らねばならなくなる。かなりの無駄である。そして陸海軍の協定でこの一式重爆に関しては機種変更等の訓練はここ浜松で行われることになっていた。航法員の訓練は海軍持ちである。
「それは了解した。さすがに爆弾は同じものを使わないが、機銃なんかは同じもので大丈夫だ。必要ならばこっちで変える。とりあえず使えることを確認したい。整備員などの訓練も大丈夫だろう?」
「もちろん、浜松基地をあげて歓迎してくれますよ。たぶん…」
その頃の浜松基地は台湾に置く独立中隊の編成のために、飛行第7戦隊・飛行第12戦隊・飛行第14戦隊・飛行第61戦隊などの重爆飛行戦隊より抽出された操縦士・飛行士に新たに訓練を受けた新兵を加え編成し、訓練を行っていた。教官自体が完熟飛行を重ねている中で、それは搭乗員だけでなく、整備員なども訓練を続けていた。飛行機機数だけであれば1個中隊(9~12機)であるがそれを支える飛行場部隊は中隊規模ではなく大隊規模のものを用意されていた。それはこの第一独立重爆戦隊が平時であれば中隊規模ではあるが大隊規模(27~36機)に膨れ上がることを懸念されていたからである。その規模の飛行機の整備をするための要員が、その機体の整備に慣れた要員が今後必要になることを示していた。通常は第一整備中隊(200名余り)がその部隊の機体整備を行い、第二整備中隊(200名余り)は他飛行戦隊への整備応援要員として編成されていたが、初期にこの四発爆撃機のためには第一整備中隊要員だけでは十分に対応することが難しかったため、第二整備中隊も飛行戦隊の第二小隊と第四小隊(大規模整備機や予備機を含む)の整備を行うこととした。そして次の新しい飛行戦隊編成の一助として、整備中隊は二割増しでの編成がおこなわれていた。(陸軍はこの飛行場大隊と飛行戦隊とが編成上別々になっていた。つまり「空地分離」である。ただし開戦後急激に飛行場の数が増える中で機体整備要員が不足し、整備中隊は飛行戦隊に付随するようになる。「機体付きの整備員」という表現は昭和18年以降である。それまでもおおよそは決まっていたがそれはその飛行場だけの話である)
対して海軍であるが、増加試作機3号機を譲り受け浜松基地と海軍の木更津基地を中心に試験飛行を続けていた。
「雷撃はかなり難しいかと…」
パイロットはこう答えた。
「低空飛行も大丈夫です。舵もこちらの意図にきちんと応えてくれます。機体運動はさすがに大きな機体ですのでかなり大変ですが、機体自体が丈夫にできていますから多少振り回してもいいでしょう」
「ならば、使える機体なのだろう?」
「はい、使えます。間違いなく。ただし雷撃は難しい」
「なるほど…難しいか…」
「雷撃や低空攻撃などに運動性が低い大型四発機を充てること自体がそもそも間違ってます。第一…」
「?」
「魚雷が持ちません。模擬魚雷でもお高いものですから1回しか試してませんが、着水と同時にへし折れてます。このことは…」
「すでに報告は届いている。上の方から叱られた」
苦笑を浮かべた。パイロットには伝わっていない。たぶんこの人がそこで押し留めたのだろう。この人ならば…とパイロットは腹を決めた。
「強度のある魚雷を用意するまではだめです。この機専用の投下時の速度・高度に耐えるものを、できれば肉薄せずに攻撃できる高速・長射程の魚雷を。大きな機体は的でしかありません」
「ならば、海軍としてはどうした方がいいと思う?あきらめるか?」
「ん~~私見ですがよろしいですか?」
こくりと頷く。
「哨戒と偵察です。あきらめるなんてもったいない。B17は哨戒爆撃機として採用されたとも聞いてます。多少爆弾積んでも2,000海里は往復できるようです。しかも340ノットで高空を飛べますから、これに追いつく機体はなかなかありませんよ」
「なるほど大艇と同じような役割を果たすべきだと…」
「うわさに聞く新型大艇よりも80ノットばかり速いみたいですし、何といってもすでに量産が始まっているのですから、手に入れるのはそれよりも早いでしょう。この機体は増加試作機と言っても量産前提のものですから。それに…」
「それに何だ?」
「機銃ですよ。96中攻に比べたら3倍くらいあるじゃないですか?まるでハリネズミです。単独飛行でもかなり力強い」
99式2号20ミリ機銃と1式12.7ミリ機銃。(陸軍でも同じ型式で「機関砲」の名称で使われることになっていた)しかも電動での動力銃座。動力銃座の基本的なデザインはアメリカから手に入れた情報であり、以前に輸入していたラインメタルの旋回銃座などを参考に新たに作られたものであった。この銃座の製作のためには電機関連の他企業の応援が必要であり、いわゆる「プロジェクト企画」「異種業連携」の先駆け的な取り組みとして知られている。
派遣された搭乗員、それぞれに聞いて回った結果として報告書にはこう記されていた。
「海軍としても早急に制式採用されたし」
規定の会議を経て上申書は海軍の上の方へと流れていった。
「試製一式大型哨戒攻撃機」
そして
「二式大型攻撃機」
と、書類上の名称は変更(この件については次話に回す)しつつも、海軍としても正式に採用がなされた。と同時に陸上攻撃機基地である木更津で部隊編成が始まり、とりあえず「哨戒・偵察」のための木更津航空隊内に、特別編成の小隊(4機+補機1機)が4つ作られた。そして第11航空艦隊直属の部隊として、訓練が終わると同時に整備関連の中隊とともに派遣される形で分遣されるようになっていた。海軍も陸軍と同様に大隊規模の飛行機部隊を外地で投入できるほどの補給能力に悩みを抱えていたのである。(重爆・中攻と比較しても、爆弾量が4倍、エンジンだけでも2倍であることを考えるだけでもその補給に負担が出ることは間違いない)
こうして開戦間際、
陸軍は1個訓練中隊+2個実戦中隊(但し増強しつつあり)+錬成途中の2個中隊
海軍は4個分遣小隊(増強中)+錬成途中の2個小隊
がそれぞれの地でそれぞれの役割を果たそうとしていた。
フィリピンのルソン島北部のクラーク米軍航空基地はその夜も眠っていなかった。
夜を徹した上空監視の中、大型の双眼鏡を構えた監視員がそれぞれの任務の角度を見張っていた。東の空が白々としつつあるその時、果たしてそれは訪れた。
「偵察機一機発見」
北の遠い空を見ていた監視員が叫ぶ。芥子粒くらいのその姿は肉眼ではとらえられない。それこそ最初は基地上空を飛んでいたことが誰もしらないというお粗末なものであった。来ると分かっていなければ、キラリと機体が光らなけれれば、飛行機雲がたなびかなければ誰も気づかなかっただろう。「マッカーサー元帥がお怒りだ」とクラーク基地司令がマニラホテルに呼び出しを食らい、さんざんに罵りの的になった。以来、クラーク基地の手すきは交代で監視を続ける羽目に陥っていた。
「イカロスだ。基地に連絡」
イカロスと名付けられた4発偵察機はもちろん国章を表していない。間違いなく日本機であることは間違いないが、暗めの灰色で塗り固められた機体は公式では「アンノン(unknown)」である。夜間にも来るが早朝がほとんどで、昼間に姿を現すのはほとんどなかった。B17に近い大きさに「日本がそんな飛行機できるわけねえぜ」とばかりさまざまなうわさが基地に広がった。曰く「B17をコピーしたんだ」、曰く「ドイツから輸入したんだよ」、曰く「催眠術にかかったんだよ、基地全体が」などなど。あまりに高空を通り過ぎるために皮肉を込めて「イカロス」といつの間にか名付けられていた。しかしこのイカロスは高空を飛んでも太陽に焼かれることがないらしい。
「距離45000マイル。高度は…」
「たぶん26,000フィート」
別の監視員が叫ぶ。
日本機はメートル単位のきっちりとした高度を飛ぶ癖がある。8,000メートルといったところだろう。速度は300マイルといったところか…
背後から爆音が響く。迎撃に飛んだ戦闘機だろう。
「今度こそやってくれよ」
と監視員の一人が双眼鏡を除きながらつぶやくように、それでも力強く言う。これまで一機の撃墜もない。それどころか迎撃に向かっても同高度には届かないのだ。P40はそのエンジンのためか20000フィートを超えた途端に出力が低下しそれ以降の高度を稼ぐまでにかなりの時間がかかる。そこまで届いたとしてももうすでにどっかに行っている。何度かその高度付近で待ち伏せの哨戒飛行を行ったことがあるが、その際も逃げられたままである。
その日もイカロスは妨害を受けることなく飛び去って行った。
高高度飛行に優れているというP38をフィリピンの米軍は欲していた。しかしアメリカ本土の上層部はそんな機体のことを信じなかった。「日本にそのような高性能の機体を作れるわけがない」のに「マッカーサー殿が新たなおもちゃを欲しがった」ためにそんな根も葉もないうわさを流したのだとそう判断した。遠くで写したおぼろげな写真でさえ無視された。「我々に船がない以上、他の地にも飛行機は必要だ」
その願いはフィリピン陥落の日まで訪れることはなかった。
「いつ来てもおかしくない」
フィリピンは日本軍の攻撃範囲に入っている。日米はもう数か月前から緊張状態が続いていた。
そしてその日は訪れた。
開戦当日、イカロスはいつものように訪れた。早朝に…いつもと異なるのは、その翼に間違えようもない赤い●が付いているのと、いつまでも基地の天中付近に大きく旋回しつつとどまり続けている点であった。
ハワイへの空襲はすでに伝聞ではあるものの基地全体が知っていた。早朝から基地全体の緊張が続く。
「打ち落とせ。敵だ」
イカロスにとりつこうと10機単位で迎撃機を上げていたが、イカロスはあざ笑うかのようにその機体を高空に翻しよたよた状態の我が迎撃機にも平然とした姿であった。また高射砲陣地は主力のM1918 3インチ高射砲と少数のM1 90mm高射砲の砲身を高く上げ、イカロスに対する砲撃を行っていたが、実包射撃訓練に乏しいのか、その速度にその高度に見当違いの場所ばかりで砲弾を破裂させ、これも何の影響を上げていなかった。
他の戦闘機が、爆撃機が、それぞれの役割を果たすべく西へ北へと飛んで行った。開戦した、敵が来た、しかしその他には何もなかった。イカロスは一時間ほど基地上空を旋回しそしてどこかへ飛んで行った。基地の要員はすでにくたくたである。迎撃に向かっていた戦闘機も戻ってきた。そろそろ昼かと思い、今日はもう何も起こらないだろうとほんの一瞬気を緩めたその時、最後に滑走路に入ろうとした戦闘機が突然燃え上がりながら滑走路を滑り落ちてきた。そしてその横を日の丸をつけた戦闘機が2機通り過ぎていった。
「敵機」
誰かは分からない叫び声が響く。基地内の空気が緩慢になる隙をついた攻撃となったのだ。
そのあと日本軍の爆撃機と戦闘機は何派かに別れ1時間にわたって攻撃を続けた。クラーク航空基地の滑走路はズタボロ、対空砲陣地もその数をかなり減らし、空にあればその能力を遺憾なく発揮したであろう航空機も地上で無様な姿をさらしていた。
我々がもう攻撃は来ないと判断し、のろのろと基地の復旧を始めた時、またイカロスがやってきた。上空をちらりと見たが、誰も注目しない。
「いつもの偵察だ」
しかしイカロスが3機?それだけでも注目すべきなのに…やがて
「逃げろ」
の叫び声。
そしてそれに重なるような破裂音。しかもこれまでの数倍の爆音。基地全体にその轟は響き渡った。始めてイカロスはその牙をむいた。いやイカロスではない。イカロスは単に空を飛ぶだけだ。あれはドラゴンだ。
「1トンってすげえな」
そのドラゴンこと一式重爆に乗っていた第一独立重爆中隊の偵察員は上空からでもありありとわかる爆弾痕(たぶん500メートル以上あるだろう)に目を見張った。これまでの重爆であればせいぜいが250キロ爆弾、いつもであれば60キロか100キロ爆弾をばら撒くだけであった。この攻撃のために用意された新しい1トン爆弾は一発で滑走路の3分の1を吹き飛ばし、その近くの建物が数棟屋根を壁を吹き飛ばしていた。届いたのが間近かの数日前であり投下訓練さえしていない。いやクラーク飛行場こそが訓練用の的であった。
日の丸を消して1か月あまり、航法訓練を兼ねた偵察任務にも慣れ、皆がこの機体の高性能さにほれ込んだ。敵高射砲は下の空にどす黒い色の花火を咲かせるだけに過ぎず、敵迎撃機はこの高度に上がることができない、うまく上がったとしてもこの速度に追いつけない。そしてもしも近づいたら…97重爆や百式重爆の倍以上の火器が火を噴き近づけることができないだろう。1年後は分からない、2年後は間違いなく相手の戦闘機が代替わりしてわれわれを目標に攻撃するだろうが、少なくともそれは今日ではない。それに満足する。
「写真撮ったか?」
機長からの声がヘッドホンに響く。喉マイクのスイッチを押さえて
「大丈夫です。基地への土産になります」
そう応えると、機体はおもむろに直線飛行から右側へと大きく旋回を始めた。
いかがだったでしょうか?
一式重爆の性能は、やはり連山を中心にいじってます。(多少B17も入ってますが…)火星エンジンに「火星一五型(MK4E)」という高空対応のエンジンがあってよかったです。
(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
但し短命のエンジンになりそうです。(次話でやります)
陸軍の航空戦隊編成はかなり悩みました。集中配備した方が分かりやすいのですが、航空隊っていろんな所にうろうろしているのですよね。「呼ばれれば行く」状態です。でも、この機体に対する需要品のことを考えると本土とせいぜい朝鮮半島・台湾くらいしか基地を作れないのですよ。だから分散配備をするしかないと、今回のような状況になりました。
海軍は最初から採用させるつもりだったのですが、どう考えても「雷撃」に拘る頭硬い連中をどうしようかと…で、今回のようにまとめました。ごめんなさい。もちろんこれから活躍させます。あ、木更津航空隊が本来第11航空艦隊に入るのはもう少し後なのですが、とりあえず「えいっ、やっ」とばかり強行させていただいてます。(これも次話につながります…そこまで書けるかな? (・。・; 書きたいけど…)
99式2号20ミリ機銃と1式12.7ミリ機銃は後で再度出したいと思ってます。陸軍の飛行機にも海軍の飛行機にもかなりの影響を与えます。(坂井様を出す予定 笑)
フィリピンのルソン島の戦い…書いていて、やっぱり戦記は難しいなぁ~と。ちなみにイカロスの話はマレー半島あたりに黒塗りの百式司偵が開戦前に現れた実話を下敷きにしてます。
さて、次話は開戦あたりの少数だけれど活躍できたって話を中心に、陸軍の一式重爆Ⅱ型、および海軍の2式大攻への変更あたりを中心に、別の機体、戦線への影響を広く描いたいと思ってます。(思ってるだけ ( ノД`)シクシク…)
なお、この文章の勢いは皆様の「評価」・「感想」・「ブックマーク」で成り立ってますので、良かったらいろいろお願いさせていただきます。
ではでは。