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99式自動貨車(開発1)

この車の外観ですが、

「95式小型自動車のピックアップトラック型」

(「ガルパン」で知った方もいらっしゃるのでは?)

を多少大きくして、ジープ風の味付けをしていると想像してください。



ちなみに、

現実世界では

「95式小型自動車(クロガネ四駆)」

を、「もっと軽く」・「もっと高性能に」という要求で、

「仮称98式小型自動車」

が競作されてます。すごいムシの良い要求ですね。後のダイハツもこの競作には参加してますが、結局は

「別の車をわざわざ作るより、95式小型自動車で良いよね?」

で95式の改良・量産が続きましたとさ。


多少、

歴史は変わるかな?


 ◇      ◇


 豊田自動車に陸軍自動車学校から、中型の4躯自動貨車トラックの研究開発が指示されたのは昭和13年の春だった。


 当時、陸軍は大型軍用トラックの開発と量産に力を入れていた。九四式六輪自動貨車は最たるもので、今後も派生型や発展型に重きを置いていた。反面、中型以下の軍用車は需要が少なく、九五式小型乗用車以外は少数の生産に過ぎなかった。

 ちなみに九五式小型乗用車は、あくまで偵察・連絡用のオートバイ・サイドカーの代用する程度のものであり、軽便な小型車両に重点を置いたがゆえに汎用性に難があった。


 その頃の戦場への物資の流れは


 鉄道(後方集積場) → 九四式六輪自動貨車(前線集積場) → 人もしくは馬(前線)


であり、前線への物資輸送は細い線に過ぎなかった。

 歩兵は歩兵銃(38式であっても99であっても)の弾薬を、基本的に一人当たり120発を携行することとなっているが、これは諸外国に比較するとかなり多い。(現在は一人当たり150~200発らしい(まぁ弾をばら撒きたいからであり、おかげで軽く作りたい…)し、ベトナム戦争時は500発携行していた兵もいたが、第二次大戦の頃は100発以下しかない)それは個々の兵士の頑強さにあるのではなく、いつ補給が来るか? という現実的な問題から…という話である。


 当時の陸軍自動車学校の校長小嶋時久少将や幹事の武内俊二郎大佐はともに輜重出身であり、主戦場の中国大陸での物資の流通体制に疑問を持っていた。

 特に兵站を軽視しがちな(正確に言えば、兵站の重要性は認識されていたが、その兵站を支える国力がないため)日本陸軍においては補給計画そのものが無茶苦茶であった。特に前線集積所から前線に物資を送る際に結局は人力しか頼るものがなく、


「必要な時に必要なものが届く」


ためにはどうするべきかを検討されたのである。そのために「トラックによる迅速な補給」の必要性を感じ、それを実現するためには「小型軽量で機動性のある車両の研究開発が必要」と考えたのだ。


・4輪駆動パートタイム不整地走行性能に富む

・自重 750kg前後

・エンジン 2000cc前後ガソリン

・ホイールベース 220cm前後

・搭載量 2人+400kg〜500kg(3分の1の斜面を登攀できること)

・整備性を重視(基本的に片手スパナだけでの組立・分解が可能な構造)

・量産(月産300台)容易にして、なるべく安価に

・軍用車輌だが、民間用にも簡単に転用できること


 この開発要請に対し、豊田自動車では、小型ながら4躯の自動貨車を製造すること自体は可能だと答えた。

 中型エンジンC型の試作は、昭和12年5月から開始されており、既存の6気筒のB型エンジンをベースにして、4気筒エンジンを開発したもので、シリンダーのボア・ストロークと圧縮比はB型とまったく同じであり、排気量はB型(3,389cc)の3分の2に相当する2,258ccであった。シリンダーヘッドやシリンダーブロック、クランクシャフトなどは、B型エンジンの製造設備を流用して加工され、そのほかの部品も多くが流用された。

 このエンジンは、すでに商工省から燃料の節約を目的に、1938年3月2,400cc程度の中型車の開発を要請されており、C型エンジンを開発中であったところから、中型自動車開発に着手するようになっていた。

 また4輪駆動に関しては、九五式小型乗用車にあたる自動車の試作が豊田自動車に依頼された(数社による競作とされ、最終的に日本内燃機(のちの東急くろがね工業)のものが採用された)頃より研究が続いており、以前から興味を持って検討されていたものであった。


 豊田自動車で

 「AK10型」

の社内名で呼ばれることになった中型軍用トラックは、森本真佐男技師のもと試作第1号型として昭和13年に6輛が製造される。軍の提示した条件から部分的に逸脱することも辞さず、頑丈で悪路に強い四輪駆動小型軍用車の促成設計を目指した。試作車は6か月足らずの期間で9月に完成、陸軍自動車学校に納入された。当初の試験結果は自重以外はおおむね良好であり、仮称「試製99式自動貨車」として、14年には、日中戦争の開始に伴い、急遽、増産が図られることになる。100台の先行量産体制構築されつつ、逐次改良を加えながらさらに試験をかさねた。


エンジン C型(4気筒、2,258cc、50馬力)

変速機 前進3段、後進1段

副変速機 2段切り替え

ホイール・ベース 2,300mm

全長 3,360mm

全幅 1,570mm

全高 1,800mm

トレッド 前後とも1,300mm

車両重量 1,100kg

積載量 500kg


 可倒式フロントガラス付2名乗りピックアップトラック型。ドアはなく(必要なら綿布製のドアをつける)運転席はオープン型ながら幌で上部が完全に覆うことができ、荷台には三方に開閉する扉が設けられた。扉は着脱可能である。幌骨を取りつけ、綿布製の幌を張ることができた。



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