誓約
「ほう、それで、結果がその料紙というわけか」
ごく自然な動作で定省王が手を差し出したため、季姫は料紙を、その手に渡した。定省王が、今までと変わりない様子で話してくれるのが、嬉しかった。
定省王という人物に、一定の信頼を置いてのことではあったが、もし、この歌占の異能を明かした結果、まるで憑き物に取り憑かれた人間でも見るような目で、侮蔑して見られたらどうしようかという不安も、あるにはあったのだ。
「ただ……今回は、成功したのか失敗なのか、判断がつきません」
「何故だ」
定省王の問いに季姫は、舞が終わった後に差す光が、いつも通り月に向かわず、自身に降りかかってきたことを話した。そして、過去の別の失敗例を付け加える。
「歌の出来がよくないと、結果が顕れず、文字が全て消えていることは、よくあるのですが……」
「山井、内裏でその歌占とやらを行ったのは、初めてか?」
料紙を見ながら、定省王は考え込むように、尋ねた。
「出仕して以来、その機会がありませんでしたから。ですが、小野の邸だけでなく、父の邸でも行ったことがあります。それと、最初の内教坊で……」
「邸が変わろうと、それは同じことだろう。内教坊も、官衙とはいえ、大内裏の外にある。しかし、この内裏には、神祇官が張った結界があるのだ。もしやその結界が、光とやらが月に届くのを、妨げたのではないか」
季姫の話を聞いた定省王は、冷静な口調のまま、あたかも仕事の話でもするかのように、自身の考えを述べた。それは、充分考えられるものである。
光が月に届かなかったことが、季姫自身の問題や和歌の出来とは全く関係のない、内裏に張り巡らされた結界という、外部要因によるものであれば、歌占そのものは、成功していることなる。
「なるほど、内裏の結界には、思い至りませんでした」
「いつも、こんな風に倒れるのか」
「いいえ。今回は、光に撃たれたからだと思います」
定省王の言葉に、少しだけ自分を案じる様子を読み取り、季姫は戸惑いと同時に、嬉しさを覚えた。
「それで、そもそも何を占ったのだ」
「実の父母のことを」
そう答えた季姫は、そもそも、定省王と列子の二人から、両親のことを聞かれたことをきっかけに、今回の歌占を行ったことを思い出す。
「やはり、気になるか」
「それは、お話した通りです。ですが、わかるものなら、やってみようかと」
「差し支えなければ、結果を教えてくれないか」
定省王の気遣わしげな言葉に、ほんの少し、遠慮の色を見た季姫は、少々意外な心地を覚えつつも、元々詠んだ歌とその意図するところ、そして結果の見方を伝える。
「なるほど。では山井は、父母というより、自身の出自を占おうとして、源、藤原を示す藤、橘、小野を示す野を入れて『たらちねの おやのみなもと しらしめせ ふぢたちばなか のはなさへしる』と詠んだと。その結果、枝良殿とは関わりなく、藤原の出という結果が出た、ということか」
「おそらくは……そうだと思います。もし、歌に詠み込んだ源や藤原、橘、小野以外の氏であれば、藤の文字も消えるか、それを表す別の文字が残るはずです。例えば、紀氏であれば文字は残らず、もう一首、別の歌を詠んで占う必要があります。これが秦氏であれば、『たらちね』の『た』か、『たちばな』の『た』のどちらかと、『のはな』の『は』が残るはずです」
「では、ふぢ以外の文字は……」
定省王の指が、藤以外の四文字をなぞる。
「今回は、自分の出自の他に、そもそもは事件のことを調べていたのに、何故自分の出自が関わってきたのかと考えていましたから、それを繋ぐ物だと思います。これだけはわかりませんから、もう少し詳しく占おうと思えば、更に詳しく問う歌を詠んで、もう一度占うことになります」
「ち、し、ら、は……か。もう一度、占うつもりがあるのか?」
定省王は、料紙に残された文字を指でなぞりながら、考え込むような表情を見せた。
「まだ、わかりません……実は、小野の祖母からも、これ以上関わるなと言われて……」
「申し訳ない、山井。俺が、余計なことをそなたに言った所為だな。それに、よく話してくれた。まさか、ここまでの秘密とは……我、定省の名に懸けて、決して、そなたの許し無く他には漏らさぬと、誓おう」
季姫の返事に、定省王は何故か、頭を下げて詫びた。その上、歌占のことを、諱を賭けてまで内密にしてくれるというのだ。本名である諱を懸けるとは、自らの命を懸けるも、同然である。
定省王がそこまでしてくれる意味がわからず、季姫は戸惑いを抱えたまま、答えた。
「勝手に占ったのは私です。王侍従殿に言われなくても、いつかは占ったかもしれません。歌占のことだって、何もそこまで……今は、私の歌占も全て祖母が行っていることになっていますが、いつかは明かさなければいけないことですし」
「しかし、今回は俺の所為だろう。巻き込んでおいて悪いが、山井はこれ以上、深入りしない方がいい。自分の素性にも、益の事件にも」
「どうしてですか。それに、益殿の事件って……私の素性と、何か、関係でもあるというのですか」
やはり、自身の素性と益の事件が関わっているのかと、季姫は確信する。
そもそも、益の事件に関しては、高子の命で調べていたのであり、巻き込まれたわけでもなんでもない。定省王には、高子の命であることは伏せているから、季姫が自分で勝手に、首を突っ込んでいるようにしか、見えていないはずである。
それも含めて、巻き込んだことを詫びられ、これ以上関わるなと言われても、納得できるものではない。
「とにかく、これ以上関わるな。これは、警告だ」
しかし定省王は、それ以上詳しいことは、何も話さず、ただ、夜が明けたから宣耀殿に戻るよう告げる。そうして料紙を季姫に渡すと、外に出て行った。
――話しちゃって、よかったの?
季姫が料紙を持って宣耀殿の曹司に戻ると、既に深草少将がいた。
少将が宿る檜扇は、ずっと曹司に置いてある。少将は、ある程度は、依り代とする檜扇から離れても行動できる。例えば、この宣耀殿に檜扇があれば、大内裏は広すぎて無理だが、内裏の中くらいなら、自由に動けるのだ。
どこかから見ていたのか、承香殿でのことは、全て承知しているらしかった。
「助けて頂きましたし……それに、諱に賭けてお誓いくださいました。まさかそこまで、してくださるとは、思いませんでした」
――それだけ?
「あとは、少将様のお血筋だからでしょうかね。あの方なら、王侍従殿なら、おそらくは大丈夫だという確信が、何故かあったんですよね」
――それで季姫は、実の両親はともかく、太后殿の命令を諦めるの?
「いいえ。せめて、三条殿にお約束してあることだけでも、何とかしないと……」
女房として承っている高子の命は、誰に何を言われたとしても勝手に放棄するもわけにいかない。季姫は、また定省王に遭遇したら、厄介になりそうだと、嘆息した。




