イケメン生徒会長×策士転生者
転生ヒロインちゃん視点で話が進みます。
うざい子を目指してますが、いまいち表現しきれていません。脳内補正をお願いいたします。
麗らかな春の日差しが体育館いっぱいに溢れる。普通は薄暗いイメージの強い体育館も、お金持ち学校だと素敵だ。私の家はお金持ちではないのだが、昔から大好きだった勉強が認められ、諸々の金額が免除されることになった。両親は自分の事の様に喜んでくれたし、私も普通なら通えない学校に通う事ができ、嬉しい。
――そんな思いは、目の前に映った一人の人物によってかき消された。
艶やかな栗色の髪を掻き上げるその仕草。世の中の全てを憎むかのような、鋭く暗さを滲ませる黒色の瞳。日本人にしては大きな体には、きちんとした筋肉がついている。日本人離れした、彫りの深い顔。不機嫌そうに歪む眉毛。薄い唇が開いた。
「新入生諸君。入学おめでとう。俺と彼女に関わらなければ、好きに生活するがいい。以上」
あまりにも短いその挨拶は、新入生のほとんどにとって理解不能であった。彼女とは誰なのか。それが新入生の頭にあることだろう。
しかし、私は知っていた。その言葉が言われるであろうことも、彼女の正体も。
私は目を見開いて、舞台袖に捌けた彼を見つめる。
彼を見た瞬間、思い出した。
この学園の生徒会長である彼を見た瞬間。
「えー、今のが生徒会長の挨拶でした。みんなが疑問に思っているであろう彼女だけど、彼の幼馴染兼婚約者だから。車椅子に乗っている女子生徒には関わらない方がいいよ」
彼の尻拭いをするように、苦笑いを浮かべた生徒副会長が述べる。
そう、彼には婚約者がいた。
幼い頃から異様に彼にくっつき、家柄が彼よりも上のため、自分の所有物のように扱う婚約者が。
彼女は中学時代に、ほとんど自業自得という形で足が不自由になる。嫌がる彼に付きまとっている最中、交通事故にあったのだ。彼は、それを後悔し彼女のペットとして今まで過ごしている。
幼い頃は優秀な兄への劣等感と、後継ぎではないため愛されてこなかった彼は、彼女の一途な愛が唯一であると思い込んでいた。
それを正さなければならないのが、私なのだ。
彼を見た瞬間、思い出した。
私が私でない生活を送っていた事を。
以前の私は勉強が嫌いで、両親と喧嘩の絶えない毎日を送っていた。両親は私を嫌っていたのだろう。私のやること全てに文句を言った。勝手に決められた門限を過ぎれば説教をし、学校をサボればお小遣いを取り上げ、成績が悪ければ外出禁止を命令してきた。
そんな私がのめり込んだのが、乙女ゲームである。
特に好きだったゲームが『扉を開けて』というものだ。
これは、攻略対象全員が心に何かを抱えている物語で、それがとても重い。例えば副会長は自分の不注意で最愛の妹を亡くし本物の笑顔を見せないようになったり、会計は好きになった女性に家族を殺された恨みで女性を傷付けたり、書記は幼い頃クラスメイト全員から虐められ自傷癖があったり、重い。
大した事がないという人もいたし、ありきたり過ぎて詰まらないと言う人もいたけど、私は大好きだった。何よりも好きな点は、心にある傷をいやす事が出来れば、全員ヒロインを心の底から愛してくれると言うところだ。ヤンデレまではいかないまでも、まるで雛鳥の様にヒロインに尽くしてくれる。
両親に愛されなかった私は、そんなところに惹かれたのだ。
どうして死んだのかは覚えていない。最後の記憶も曖昧だが、高校生以降の記憶がないため、高校生のうちに死んだのだろう。
転生した、ということだろうか。
何とも嬉しい話だ。
死んだら好きなゲームの中にいたなんて。
でも、この世界が乙女ゲームの世界って決めつけてはいけない。他にも転生者がいたりとかすると、話が変わっちゃうから。
そういう話はネットの小説でたくさん読んだ。
それに、この世界の彼らはプログラムではない。いくら攻略対象とはいえ、頑張らなければヒロインである私を愛してはくれないだろう。
私はぐっと拳を握りしめるのであった。
このゲームで一番難しいとされる対象者は、メインである生徒会長である。ゲームが始まった初期段階から積極的に関わらないと間に合わない。彼は回数が必要なのだ。
という訳で、私は生徒会長のいる教室へと向かっている。
「おや君は、新入生挨拶をした子だよね?」
ふと、背後から声を掛けられた。振り返れば、にっこりと笑っている副会長が。私もにこっと笑いながら会釈する。
「こんにちは。副会長様」
「こんなところでどうしたの?」
「ちょっと会長様を見たくて。あんなに格好良い人初めて見ましたから」
私がそう言った瞬間、副会長の顔が歪んだ。一瞬だったから、どんな感情からかは分からない。副会長目当てじゃなかったからいらっとしたのかな。
「それはお勧め出来ないな。彼らには出来るだけ関わらない方がいいよ」
「大丈夫です。見るだけですから」
「……出来れば波風立てないで欲しいんだけどね」
「別に婚約者さんとの間を壊そうって訳ではありませんよ?」
そう、今日は。
今日は様子見だ。でも、早く彼を助けてあげなければいけない。ずっと苦しんでいるのだ。解放は早い方がいい。
「そう、僕は止めたからね」
未だに引きとめようとする副会長へ、苦笑を浮かべる。そんなに私が彼に関わるのが嫌なのか。あとで相手をしてあげなければいけないだろう。彼だって、トラウマから解放されたいだろうから。
「はい。忠告感謝します」
私はお辞儀をして、歩き始めた。
さくさくと足を進め、やっと彼の教室へ辿り着いた。
学年が一つ違うだけで、こんなに歩かなければならない程広い学園って。
ゲームでは、休み時間ごとに女子生徒が集まっているという設定だった。会長や副会長見たさで集まっているのだ。
しかし、今日はそんなことがない。新入生は学園になれるのに忙しいというのは分かるが、上級生が集まらないとはどういうことだろう。やはり、現実的に休み時間ごとに集まるのは無理があるのだろうか。
普通の学校の様に、ざわざわとしている教室をこっそり盗み見る。中の生徒は特にこれといって特徴はない。やはりモブとはそういうものなのだろう。
だが、教室の一部だけ空気感が違った。
静かというか、穏やかというか、二人だけの世界がそこにあった。
車椅子に座る少女と、穏やかな笑みを浮かべる会長。
ゲームの一場面がそこにはあった。
ゲームの様に、車椅子の少女はパッとしない容姿をしている。暗そうな、粘着質そうな目を会長に向けながら、愛おしそうにその栗色の髪を撫でていた。
それはまるで、ペットを可愛がる飼い主の様である。
やはり、私が彼を救わなければならないのだ。こんな関係、間違っている。
床に膝をついた会長は、婚約者の腰に腕を回し、膝に顔を埋めていた。その頭を撫で続ける婚約者。二人の間に会話はない。
クラスメートも二人に全く関心を示さず、まるでいない様に接していた。それがいかに異様な事か、傍から見ればすぐに分かる。どうして、こんな状況で放っておくのだろうか。
注意したいと私の正義感が疼く。でも、いきなり新入生が割って入っても空気が読めない痛い子になるだけだ。時間はたっぷりある。どんな事をすれば、彼が私を見つめてくれるのかも、分かっているのだ。焦る必要はない。
私は自分の教室に戻ろうと、覗いていたドアから離れようとした。
ふと、ずっと会長を見詰めていた少女が、顔を上げてこちらに向いた。極々一般的な、こげ茶色の生気のない目がこちらを見つめる。その目は、人のものだとは思えなかった。
なんて気持ち悪い女なのだろう。
ぞっとして、思わず後ずされば少女はうっそり笑った。まるで、私を馬鹿にするように。
「っ……」
悪役の癖に悪役の癖に悪役の癖に!
少女を睨みつけてから、今度はきちんと自分の教室に戻るため、踵を返した。
私を追い掛けるように、会長が婚約者を呼ぶ声が聞こえた。
「おかしいわ。こんなの、絶対におかしい」
苛々としながら親指の爪を噛み締める。ここ数カ月、噛み過ぎた爪はぎざぎざになっており、切ってもいないのに随分短い。周囲の友達が心配そうに声を掛けてくれれば、にっこりと笑って大丈夫と答えた。
――本当は、大丈夫なんかじゃない。
おかしいのだ。何もかもが。
「イベントが起こらない、なんて」
新入生歓迎会のレクレーションで生徒会とお近づきになる事も、クラスマッチでのラブハプニングも、休日にばったり会ってデートになることも、何もない。
第一、本命の会長とは学校内ですれ違う事がないのだ。会長の攻略のコツは回数を只管稼ぐこと。歩きまわって会長と出会い、その過去と心の傷を知らなければならない。
なのに、その会長と出会わない。
それだけではなく、生徒会のメンバーともいまいち仲良くなれない。挨拶をする程度にはなった。ただ、それだけだ。チャラい会計から誘われることも、書記がびくびくと私を恐れる事もない。副会長に至っては、愛想笑いは必要ないですよーって言ってあげたのに、ありがとうと言われただけでスルーされた。
どうして、ここは乙女ゲームの世界ではないの。 いや、そんな訳はない。キャラクターも、学校も、全て一致している。彼らはきっと、ヒロインである私の救いを待っている筈なのに。
授業が始まる鐘が鳴った。どうにかして、会長と会わなければ。もうすぐ夏休みに入る。そこは一つのターニングポイントだ。一番好感度の高い攻略対象者と、熱い夏休みを過ごす。それまでには、会長の好感度を上げなければならない。
教科書を出そうと机の中に手を入れれば、柔らかい和紙の様な感触がした。不思議に思って取り出してみれば、汚い字で私の名前が書かれている。手紙、のようだった。
『初めまして。私は霧生院澪と申します。一度お会いしてお話したいと思っています。本日の放課後、温室でお待ちしております』
小さく畳まれた和紙には、そのような事が書かれていた。霧生院、澪。それはあの婚約者の名前だった。これは、挑戦状だ。
会長の好感度がある程度上がると、悪役の霧生院が邪魔をしてくる。彼の愛を奪うヒロインに陰湿な虐めを画策するのだ。その前に、形だけ注意をするというイベントがある。それが、これなのだろう。
知らぬ間に、会長の好感度が上がっていた。このイベントは、通常ならもう少し後、夏休みに入る終業式の日だった。婚約者から仲良くするなと言われ、自分の恋心と婚約者を奪ってしまうという罪悪感の葛藤が待ち受けている。そんな中夏休みに入り、偶然出くわした会長とひそかな逢瀬を繰り返して夏休み後の後半に突入するのだ。
ちょっと早いけれど、きっとそのイベントだ。学校中を歩き回った甲斐があった。きっと、健気な私の姿を、会長が見ていたのだろう。ここは現実の世界だ。ゲームの通り、イベントが起こるとは限らない。でも、きちんと愛をもって行動していれば、彼は見ていてくれるのだ。
私は緩みそうになる頬を抑え、早く放課後にならないかなと授業を聞き流していた。
のろのろと進む時計の針を睨みつける事数時間。やっとSHRが終わり、放課後となった。担任の先生が教室を出ると同時に、既に教材を仕舞っている鞄を掴む。周囲の友達ににこやかに挨拶しながら、小走りで指定された場所へ向かった。
ここは有名な私立の学校。広い敷地内には学生が有意義な時間を過ごせるよう、様々な最新設備が惜しげもなく設置されている。だから、教室のある校舎から一番遠い温室は、時間がかかるのだ。軽く息を弾ませて、顔なじみの生徒達に帰りの挨拶をしながら小走りに駆け抜ける。
温室は、ゲームでも出てくる場所だった。会長が唯一、一人でいられる場所。ある程度好感度が上がらなければ、その扉は固く閉ざされている。今までも何度か確認したけれど、鍵はかかったまま。温室とはいえ、曇り硝子が利用されているため、中の様子は伺えない。
設定では、会長一人でいられる場所だけれど、婚約者が監視カメラを設置していたとなっている。そこに映ったヒロインと会長を見て、呼び出しを決めるのだ。私が温室の周囲をうろうろしていたのを見ていたのかもしれない。
やっと始まる、乙女ゲームのイベントに、私はわくわくしていた。
暫く走れば、学校の敷地内で一番端にあるとされる、温室に到着した。どきどきと高鳴る胸を抑えつつ、深呼吸する。
やっと、私は貴方を救えるのね。
温室の扉をゆっくりと押せば、スムーズに開いた。鍵は、掛っていない。
そろそろと温室に入れば、中はまるで燃えている様な色に染まっていた。夕焼けの濃いオレンジ色が、様々な植物を染める。なんて、美しい場所なのだろう。
名前を知らない様な花から、有名な花まで様々ある。流石ゲームの世界だと、感心していた。
「綺麗……」
「まあ、嬉しいわ」
はっとして、扉の方を振り返った。温室の入り口に、うっそりと笑う婚約者の姿がある。何時の間に、と思いつつも私は笑顔を浮かべる。
「素敵な場所ですね」
「私、ガーデニングが趣味なの。理事長に頼んで、ここは私の趣味に使わせてもらっているわ」
そう、婚約者の親族が経営しているこの学校では、彼女は絶対の存在。誰も逆らえない。こんな、ぱっとしない様な女を生徒会のイケメン達が庇うのはそのため。
「足が動かせないのに、大丈夫なんですか?」
「力仕事は彼が手伝ってくれるの。大丈夫よ」
「えっ?」
私は思わず口を手で覆った。そうでもしなければ否定的な言葉が出てきてしまう。会長が土いじりなんて、信じられない。そんな汚い仕事をさせるなんて、なんて酷い女なの。
「それに、私は別に歩けない訳ではないわ」
婚約者は笑顔を崩さずに首を傾げる。そして、ゆっくりとその筋肉がついていなさそうな細い足で、立ち上がったのだ。
そんな、ゲームでは絶対に立てなかったのに。
「か、彼を騙しているのね!?」
「何を言っているのかしら」
「だってだって、彼の罪悪感を利用して、まるでペットの様に接しているんでしょう!? 私は知っているんだから。そんな、女に彼は渡さない」
「『渡さない』?」
「そうよ! 私が救ってみせるんだから!」
「何か勘違いしているようだけれど」
婚約者はぷらんぷらんと腕を揺らしながら歩いてくる。その異様な姿に、私は思わず後ずさった。すぐに背中が硝子にくっつく。
「彼は私のものよ。渡さない、なんてどの口が言うのかしら」
目の前まで迫った婚約者はにやあっと笑いながら、私の頬をがりがりの指で掴んだ。ぎりぎりと爪が頬の肉を抉る。痛い。気持ち悪い。嫌だ。
「彼は、彼はものじゃない……」
「重要なのはそこではないわ。彼の所有権は私にあるの。貴女が口出ししていいことじゃないわ。彼を知っている、と言ったわね」
「言ったわ」
「彼の何を知っていると言うの。貴女と接点はない筈だけど」
「知っているのよ。私は彼を救うための存在だから!」
「救う? 彼を救うって、一体何から救うと言うの」
馬鹿にした様に女が笑う。私は悔しくて涙が出そうだった。こんな、薄気味の悪い女が彼の婚約者だなんて。家の力しか縋る術がないのに。
「ここにいるのか」
そんな時、バリトンボイスが聞こえてきた。彼女の背後の、温室の扉が開かれる。そこには、まるでヒーローの様に彼が立っていた。私を助けにきてくれた。
「澪! 何をしているんだ!」
そう、私はヒロイン。ピンチになれば助けてくれる存在がいる。今まで頑張ってきた。ヒロインであると言う事に慢心せず、きちんとみんなに好かれるよう、努力してきた。それを、神様は見ていてくれているんだ。
近づいてきた彼は、私を掴んでいる彼女の手首を掴み、離させる。じくじくと頬は痛んだが、目の前できらきら輝く彼に私はうっとりしていた。
きっと彼は立ち上がっている彼女に驚く筈。自分は騙され、これまで酷い扱いをされていたと気付くの。彼女の愛は一方的なもので、彼の尊厳を踏みにじるものだった。それに気付かせた私に感謝をし、たっぷりの愛をくれる。
そう、思っていた。次の言葉を聞くまでは。
「どうして俺以外に触っている。どうして地面を歩いている。どうして俺意外と話している。どうしてどうしてどうしてどうして」
唖然、とした。まるで駄々を捏ねる子供の様な、拗ねた子供の様な言葉。こんなの、彼じゃない。彼が愛するのは、私の、筈、なのに。
「ごめんなさい。ちょっと、お話してみたかったの。この子、貴方を救いたいんですって」
婚約者は子供を宥める様に、彼の頬に手を寄せる。彼は婚約者の腰に腕を回し、抱き込んだ。どういう事。この婚約はあの女の一方的なもの。彼は、愛していないのに。
「救いたい?」
彼が私を見た。その事でやっと口を開く。
「そうです! この人は貴方を騙している。それに、人間の様な扱いをしていないじゃないですか!」
「何ついて俺を騙しているのか知らないが、別に構わない」
「えっ」
「澪が歩ける事は知っている。澪が愛してくれるのなら、ペットの様に扱われても構わない」
「歩けるって、知っていたの?」
「ああ、だって」
その時の衝撃を、何て言葉に表したらいいのだろうか。現実を、認めたくないその場面を見た、私の衝撃は。彼は、酷く陶酔した様な表情を浮かべ、愛を囁くように言った。
「澪の足を動きづらくしたのは俺だから。怪我の具合を知っていて当然だろう? 彼女の美しい足に彫刻刀を刺した時、これで澪は俺の、俺だけのものになると嬉しくて仕方がなかった。健を切ろうとしたんだが、やはり初めてだとうまくいかないな」
二人の関係は、歪で。あの女の一方的な重い愛と、彼の罪悪感が織りなす不協和音だった。その筈なのに。
どうして、どうして、彼までそんな気持ち悪い愛を抱いているの?
「痛かったのよ」
「悪かった。でも、そのお陰で澪は俺のものになった」
婚約者の米神にキスをする彼。彼女をお姫様抱っこし、車椅子に座らせた。その車椅子はどうしてか、動く檻の様に思えた。
「ねえ、分かったでしょう。彼は救いを必要していないわ」
「……っでも、こんな関係間違ってる!」
「だから?」
婚約者がにっこりと笑みを浮かべる。それは始めて見る、嬉しそうな頬笑みだった。どうして、そんな風に笑えるの。こんな、間違った物語の中で。
「こんなの、お互いのためにならないでしょう!? こんな歪な関係、いつかは崩壊するわ! 愛って言うのはもっと温かくて大切なものよ」
「それが何だと言うの」
「貴女っ」
「私達はこれでいいの。これで幸せなの。お互いがお互いの所有物だと認識していて、息苦しい愛でお互いを縛っている。この呼吸困難な恋愛が心地いいのよ」
「そんなのっ」
「間違っていたっていいじゃない。貴女にどんな関係があるの?」
「わ、私は彼の、運命の相手で」
「俺の運命の相手は澪だけだ。勝手に決めるな」
彼が忌々しげに私を睨みつける。そんな、そんな。私はヒロインなんだから。愛されるべき、なんだから。
「貴女はこの関係が間違っていると言ったわ。でも、私達はそう思っていない。貴女が間違っていると思うのは、貴女の思い通りになっていないからでしょう?」
図星、だった。だって、ここは乙女ゲームの世界だ。ヒロインが愛されるべき世界。私が間違いだと思えば、それは間違いなのに。
「俺達にはこれが正しくて、幸せなんだ。邪魔をするな。……例え、お前がこの世界の主人公だとしても」
「えっ」
「人間はプログラムではないの。それに、スタートは早い方が有利だと思わない?」
「そ、それって」
「まあ、俺には関係ないがな。澪が俺のものであればそれでいい。帰るぞ」
「ええ、私は貴方のものよ。貴方は私のものであるなら」
「ちょ、ちょっと待って!」
婚約者の車椅子を押して帰ろうとする彼に、縋りつく。塵を見る様な目で見られるが、気にしてはいられない。
どうして知っているの、ここがプログラムの中の世界だって。スタートが早い方がいいって、どういうこと。
「貴女、一体」
「私、考えたの」
にっこりと笑う婚約者の薄ら寒さを感じる。もしかして、彼女も転生者、なのだろうか。そんな、馬鹿な。私よりも早く記憶が戻り、ゲームに細工をしたと言うの。ヒロインである私が、愛されないゲームにするために。
「絶対彼を手放したくなかったから。ヒロイン補正なんて、あったら困るって。だから、ゲームが開始されない様にしたの。貴女はただ1人、相手のいない舞台で踊っているのよ」
婚約者の言葉に、私はへなへなと座り込んでしまった。いくら校舎を歩き回っても、出会うことのない婚約対象者。怒らなかったイベントやハプニング。それも全て、この女の仕業。
「私が、私が何をしたと言うの!」
「ヒロインだと思い込んだのがいけないんじゃないかしら」
「思い込んでなんかいないわ! ちゃんと、人として接してきた! イベントに頼ることなく、努力したわ」
「まず、そうねえ。イベントがあると思っている事が間違いね。そんな、分かりやすい好感度を上げるイベントが現実にある筈ないじゃない。貴女は攻略対象者からすれば、新入生の1人。歩きまわるだけじゃあ、目に着く筈ないじゃない」
「わ、私は……」
「別に、彼らと恋愛するなとは言わないわ。好きにすればいい。でも、私達には関わらないで。私達は、私達だけで完結しているの。ここから新しい物語が始まる筈がないわ」
「澪、まだ話すのか」
「いいわ、もう帰ります」
「帰ったら仕置きだぞ」
「あら、私をきっちり縛っていないのがいけないんじゃない。それに、貴方だって彼女を見て喋ったでしょう」
「ああ許してくれ。俺だってしたくなかった」
「私もよ。じゃあ、膝枕をしてあげましょうね。今夜は好きにしていいわ」
「愛しているよ。他の奴のものになるくらいなら、殺してやるよ」
「私も愛しているわ。他の女に目移りしたら、その目を潰します」
物騒な言葉と共に、彼らは温室から出て行った。太陽が沈みかけているのか、温室の中は薄暗い。私は、まだ立ち上がれそうになかった。
意味が分からない。
そう、転生者がいたのがいけなかったの。ネット小説ではそれがセオリーだもん。悪役転生した奴が、ヒロインになるべくゲームを改悪しちゃうって。私はそれに騙されたの。利用されたの。私は、何も悪くない。
「おや、君は……」
呆然と座り込んでいれば、副会長が目の前に現れた。嫌な人物が目の前にいるような、困ったような顔をしている。その顔に、笑みはない。
「副会長様」
「もう下校時刻ですよ。帰りなさい」
「あの2人、どうしてあんな……」
「……さあ、僕は知りませんけれど。彼らは彼らなりに幸せなんですから、それでいいんじゃありませんか。僕は彼女に頭が上がりませんから」
「理事長の親族だからですか」
副会長が訝しげに私を見つめる。そう、この情報は新入生が知っている様なものではない。
「いいえ、僕の妹の命の恩人だからです」
「えっ」
「僕だけではありません。生徒会メンバーは皆彼女の幼馴染であり、一度は彼女に救われた者達です」
『ゲームを始めない』。彼女がそう言っていた事を思い出す。この乙女ゲームは、攻略対象の心の傷を癒す物語。その傷が、ないとすれば。
「くれぐれも、彼女達の邪魔をしてはいけません。僕たちは、それを阻止する事が恩返しなんです。平和な学校生活を送りたいならば、関わってはいけませんよ」
それでは、早く帰りなさい。そう言って、副会長はさっさと立ち去って行った。ポケットから取り出した携帯電話に向かって、甘い甘い言葉を妹に吐き出しながら。
ゲームは既に終わっていた。この世界ではヒロインなんて必要とされていなくて。ただ、彼女と彼の歪な関係で完結しているだけ。
なんて、なんて。
くだらない、物語なの。
諸々無理がある設定だとは分かっていますがご容赦ください。
お読みくださり、ありがとうございました。