第16話 処刑人の心の声は、今日もうるさい
一年後の春、私は白い服を着ていた。
首へ縄をかけるためではない。
好きな人と、これからの暮らしを始めるために。
式は、ヘレンさんの宿の庭で行った。
王家の豪華な会場ではなく、パンを焼く匂いのする庭。
リナが、襟を整えた。
「苦しくありませんか」
「大丈夫」
「すぐ、直せますからね」
私は、笑った。
その言葉を、ずっと覚えているだろうと思った。
アルマが、花束を持ってきた。
身体は、ゆっくり回復している。
今日は祝福を頼まれたのではなく、友人として来たのだと言った。
フローラも、隣にいた。
胸の花留めには、余計な線が繋がっていない。
ベラは、祝いの包みを抱えながら、入口の安全を確かめていた。
「今日は、仕事ではありませんよ」
私が言うと、彼女は肩をすくめた。
「知っています。習慣です」
トトが、庭を走ってきた。
「兄ちゃん、ずっと立ってるよ」
「まだ、時間には早いでしょう」
「五回くらい、そう言った」
私は、顔を見に行った。
カイは、庭の中央に立っていた。
新しい上着。磨いた靴。よく梳かした黒い髪。
左手首には、薄い傷がある。
もう、黒い輪はない。
彼が、私を見た。
普段ならすぐ名前を呼ぶのに、今日は口が開いたまま動かなかった。
「おかしいですか」
私が尋ねると、彼は首を振った。
「きれいだ」
短い言葉。
私は、自分の心へ手を当てたくなった。
そんな声で言われたら、今、私のほうの声を聞かれたくない。
「あなたも、素敵です」
彼の耳が赤くなった。
式が始まった。
名を呼ばれる。
ミラ・アルゼン。
カイ・レイヴン。
私たちは、自分の意思でここへ来たと答えた。
明日からも、相手へ説明し、話を聞き、選び直していくと誓った。
永遠に何も変わらないと約束するより、そのほうが、私たちらしいと思った。
カイが、手袋を外した。
私も、外す。
裸の手を、彼の手へ重ねた。
〈きれいだ。好きだ。今、指輪を。落とすな。手が震える。俺が震えてどうする〉
私は、笑ってしまった。
式を進める人が、少し困った顔をした。
カイは、私を見る。
「聞こえたか」
「少し」
少し、は嘘だった。
彼が大切な言葉を考えるときほど、全部よく聞こえる。
指輪が、私の指へ入った。
落ちなかった。
私は、彼の指にも指輪をはめた。
〈絶対に、幸せに〉
そこで声が止まり、別の言葉に変わった。
〈いや。俺一人が決めることじゃない。一緒に、幸せになりたい〉
私は、彼を見た。
あの処刑台では、私はこの人に生かしてもらった。
でも、ここからは、私もこの人と生きていく。
「私もです」
カイが、うなずいた。
口づけのあと、拍手が上がった。
ヘレンさんは泣きながら、焼きたてのパンを出した。
トトは、もう三つ取っていた。
リナが止め、アルマが笑う。
ベラは庭の椅子へ座り、ようやく、仕事の顔を少し崩した。
私は、かつて小説で読んだ結末を思い出した。
雨。斧。立ち去る処刑人。
あの一巻の外に、どれだけの人の人生があったのだろう。
私は、もう知っている話を根拠に、知らない人の明日を決めたくなかった。
自分の明日も。
カイが、私へ蜂蜜の菓子を渡した。
指が、触れる。
〈好きだ〉
口は、閉じていた。
私は、彼を見上げた。
「今日、もう何回目でしょう」
「数えていない」
「たまには、声でも」
彼は少し考え、それから、私の耳へ顔を寄せた。
「好きだ、ミラ」
心の声と、耳へ届く声。
二つが重なって、胸へ落ちた。
私は、彼の手を握り返す。
「私も、カイ」
処刑されるはずだった悪役令嬢の物語は、もう終わった。
今日、ここにいるのは、花嫁の私だ。
私の夫は、少し怖い顔をしていて、蜂蜜を二匙入れる。
そして、心の声がうるさい。
私へ向ける、そのうるささを、これからも、何度でも聞きたい。
完




